2026.06.06

【芝居】「ベガスペガサス」やみ・あがりシアター

2026.4.27 19:00 [CoRich]
やみ・あがりシアターの新作。5月6日まで北とぴあペガサスホール。120分。

北とぴあは全体をカジノに改装されている。体験型のイマーシブシアターの事業に失敗した劇団の役者やスタッフを買取りカジノに組み入れ、キャストを村人、客を旅人と設定してエンタメとカジノを組み合わせた娯楽施設は盛り上がっているが、 推しに会うために金を注ぎ込んだり、仕事の金を無くし取り戻そうとしたり、資金洗浄を狙う男や勝ち馬に乗ることにしか幸運できない女、あるいは役者たちも葛藤しながら働いている。 ある日、賭けに強いと自負して乗り込み大負けした男が戻ってこないことを心配してカジノの前に立ちすくむ妻を、知り合い女が見かけて声をかける。

客席が舞台を三方に囲みさまざまにな方向から出捌けするようになっています。額縁の舞台ではなく客席が舞台を囲むようで出捌けを自在に行うスタイルはここ数作の劇団の特徴にもなりつつあります。中央にポールが立ち、それを囲むように円形でルーレットを模したような布(ポリバルーン)を役者たちが持って回すことで巨大なルーレットを出現させるのは、小劇場っぽくファンタジーを感じさせます。今作は舞台が正方形に近く回転を取り入れ、疾走感もある舞台は、もし青山円形劇場が使えていればそこで観たかったと思わせる一本なのです。

カジノという大きな金が動くことにエンタテイメントも生活者も、資金洗浄者も東京カレンダー風の港区女子も果ては警官まで巻き込まれている近未来。公共施設である北とぴあがカジノになると言うのも悲観的な未来。こんなにもフィクションな感じのつくりなのに、世の中に引っかかる気持ちをあちこちにフックさせてワタシたちの現実に地続きになっています。 娯楽といえるぐらいで留まればいいけれど、あきらかに人生そのものであったり、生活が立ちゆかなくなるぐらいにギャンブルにのめり込んでしまっている人々。劇中旅人と呼ばれるカジノの客たちの間で浮き沈みはあるにしても、巨大な資本を背景にした胴元が負けることはないというカジノの在り方の怪しさも目一杯組み込まれているのです。

もう一つの物語の核は、夫を心配するこれまでは堅実に貯金しかしてこなくて投資すらも経験のない妻と、今まで独身を通してきた女の物語。妻は独身の女を羨ましいとはことあるごとに言いながら、「積み上げてこなかった」と見下しているのです。これもまた、一つの賭けであって、とりわけ今なお女性だから結婚することしないこと、結婚してどういう生活を送るかといったことが大きく人生を変えてしまう可能性があると言うことを端的に、しかしそこには互いの歩み寄りを感じさせる終幕。青春物語ではないけれど、分岐の多い女性の人生だけれど、年齢を重ねた先にはまた肩を組み合えるかもしれないという可能性の物語でもあるのです。

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2026.05.24

【芝居】「軋み」Nana Produce

2026.4.27 14:00 [CoRich]
劇団ブラジルの2008年作、今年は映画も公開された作品を全く別キャストで日澤雄介の演出で上演。4月29日までテアトルBONBON。120分。

初演当時は苦笑系と呼ばれていた脚本のブラジリィー・アン・山田がもう一歩先に進んだと感じた一本でした。 人気絶頂の漫画家、ヒモ同然の夫、不倫していたチーフアシスタント、隠蔽しようとする編集者、怪しむ元カレ、いろいろ詳しいアシスタント、 クビになったアシスタント、仕事が早いプロなど 殺人事件をめぐるミステリーというよりは、殺人事件というある種の理不尽にジタバタする人々のコメディの面白さはそのままに。

同世代の役者たちの競演(しかも劇団主宰の役者3人が当時は評判だった)の初演に対して、バラエティに富んだ役者陣を揃えたのはプロデュース公演の利点です。全体的な年齢は少しあがった印象。

漫画家を演じた小林さやかは長年連載を続けてきたのだという説得力と、自分が始めた理不尽に自ら巻き込まれて方向を見失う感をコミカルに深みをもって。 夫を演じた寺十吾は特徴的な声色を要所要所で使いながら、まあまあ年季の入ったヒモ同然の無職の説得力。 編集者を演じた狩野和馬は仕事を真面目にこなすがために狂気をはらむ面白さ。 若い女のアシスタントを演じた小口ふみかは見た目の可愛さと実は物語を創っていた中堅な雰囲気を両立して。 男のアシスタントを演じた浜谷康幸は器用なアシスタント、更にはいろいろ隠し持ってる怪しさ。 殺された女の元カレを演じた荒木健太郎は乱入してきて大騒ぎ、という一途さから見えてくる鋭さ。 プロとクレジットされた役を演じた日暮玩具はちょっと木訥とした感じが初演とは違うベクトルの造型。

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【芝居】「世界名作全集 1 & 2」おのまさしあたあ

2026.4.24 19:30
2026.4.26 14:00 [CoRich]
割と無茶な一人芝居を上演し続ける「おのまさしあたあ」、新作再演をとり混ぜ シェイクスピア、ゲーテ、ポー、カフカなどの世界の名作を徹底的にパロディにした、1話30分×3話構成の2プログラム日替わり上演。 4月26日まで横浜ベイサイドスタジオ(神奈川新町駅すぐ)。

【第1巻 古典篇】
金貸しから借りた金を返せず胸の肉1ポンドと引き換えという裁判の中、街ではひそかに疫病が流行り出す。「ベニスの商人死す」
見た目に恵まれない男が友人の助けで女に告白する。二人は戦いに出て告白した男が命を落とす。「シラトのベルジュラック」
神と悪魔が、学者の老人をたぶらかせばという賭けをする。老人の前に現れた悪魔は、死後の魂の交換のかわりに現世のあらゆる快楽と悲哀を味わわせるという交換条件をのみ、世界の王にする。「ファースト」 (2021年初演)

【第2巻 現代篇】
霧が深くなった灯台に海から巨大な怪物が現れる。助けを呼ぶと三人の侍女が現れ、更に夜の女王が現れる。「ムテキ」
アッシャー家の最後の生き残りとなった男、呪いがあるのだという。家族のことを思い出す。 「あっしゃあ家の崩壊」
朝起きると、「虫」の姿に変わっていた。ことばは通じない「変身!」 (2022年初演)

寄席形式というわけではないけれど、様々なバラエティに溢れた一人芝居がコンパクトに観られる「おのまさしあたあ」。 今回の「全集」は映画などのエンタメから更に文学の名作を原作にしての短編集と銘打つけれど、おのまさしあたあですから一筋縄ではいきません。

ベニスという言葉がタイトルに入る二本「ベニスの商人」「ベニスに死す」をマッシュアップしてみたり、 シラノ・ド・ベルジュラックを核にしながら登場人物がサスケなどほぼ白土三平(つまりシラト)のマンガのキャラクタの面を百均の自立型ちり取りに付けてだったり、 悪魔の甘言で世界の王になった男が難病の子供と出会いホームランを打ったり、 「霧笛」の怪獣とオペラ「魔笛」を掛け合わせながら金色の巨人を呼び出してみたり、 エドガーアランポーのミステリーからいつの間にか髷物になってみたり、 虫に変身していて、しかも限られた言葉だけで絶望してみたり(しかもまあ出落ち)。

つまりは核となる物語を早足で駆け抜けながら大喜利のように連想される物語や枠組みを組みあわせてマッシュアップ。 還暦を過ぎた役者がたった一人で演じるので体力的に大変だというある種の残酷物語の楽しさもあわせて、 観る側は寄席のように沢山の短編が詰め合わせになっていて気楽に楽しめるのです。

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2026.05.09

【芝居】「THRESHOLD」神奈川県演劇連盟

2026.4.23 19:00 [CoRich]
神奈川県演劇連盟の合同公演、TAK in KAAT。4団体による短編集で計約120分。4月26日まで神奈川芸術劇場 (KAAT)。

修学旅行のバス、生徒たちは見学場所の春日大社で自由行動のために降りていったが、運転手は頑なに降りない男子生徒をみつける。運転手も休憩を取りたくて降ろそうとするが「鹿」(theater 045 syndicate)
大学教授でもある哲学者の男と不倫の恋に落ちた学生の女。ユダヤ人迫害のナチズムによって別れた二人だが、戦後に再会する。「物語の書き方(仮)」(劇団820製作所)
新しい製品のプレゼンテーション、観客たちの全てのデータがコンピュータに入っており、一人壇上に上げられた客の男の望み「理想の結婚」を シミュレーションしてホログラムで体験できるのだという。「presentation」(劇団スクランブル/クエル・ペッパー)
一人暮らしの女が部屋に閉じこもっている。外から聞こえる声にそれぞれに心がえぐられた記憶が蘇る。 高校の頃、長く付き合ったあとに別れた男、結婚しないまま扉の外にいる同年代の主婦たちの会話、親戚のおばちゃんからの悪意のないことば。「明日、また、明日。」(演劇プロデュース螺旋階段)

「鹿」は2012年の劇王で勝ち抜いたオイスターズ・平塚直隆の戯曲。そこから相手を去らせようとするバスの運転手となんとしても残ろうとする男子生徒のほぼ二人芝居もっとも後半ではバスの外では鹿が暴れて人間たちを襲っているというあけすけともいえるスプラッターファンタジーになったかとおもえば、交わらない二人のはずなのに後半登場する一人の女性が憧れの同級生であったり、運転手の娘であったりとそれぞれの人生の焦点を結ぶすこしほろ苦い像として結ばれる姿にみえてちょっといいのです。二人芝居+突然現れる三人目という構成も、不条理な感じもどこか「ゴドーを待ちながら」の変奏曲のようにも感じるワタシです。 運転手を演じた中山朋文は中年男がちょっと困らせられるような役を演じるとほんとうにピカイチ。学生を演じた今井勝法は出落ち感あれど、青春時代の汗だくのなりふり構わない必死さがとてもいい。現れる女性を演じた 北澤小夜子は、ファンタジーとして結ばれる像としての女神な感じ。

「物語~」は哲学者ハイデガーと長年不倫状態にあったハンナの史実をベースに。ヒトラーに転向しうらぎられたユダヤ人女性、さらに戦後ふたたび二人は出会い交流を続けるという現実じたいがもうフィクションのよう。 芝居は男女それぞれを年代別と思われる三人のキャストでシャッフルするように演じます。その中心でタイプライターを叩く女性、「物語の作り方」というタイトルはなるほど、この二人の人物が「人物の類型」の豊富なバリエーションでもあり、これを解体してくみあわせることで別の物語がつくれるよう、ということかしら、とおもったり。

「presentation」はステージで怪しげな商品をプレゼンする女(と助手)、それを期待して集まった観客のなかから一人壇上に上げられた男。「理想の結婚」を実体化してみせることが出来るというのがこの画期的な商品のウリで、可愛らしく甘えてくるが束縛のキツイ若い女、スイーツ好きの方言女子(実体はジャージ姿でコーラがぶ飲み系)、怪我の治療から退院してきた女の 優しめ男子に見えたけれど実はクズ男の、理想の女性の条件を微妙に違う「そういうことじゃない」と突っ込まれるようなシミュレーション結果のズレを楽しむ感じ。そこに混じるノイズがテストで入れたアシスタントの夫のデータだというのも小技。細かな違和感やズレを延々と繰り返すというのは、大爆笑とかオチといった落差で笑いを作るのとは全く違う種類のコメディだという気はしていて、ワタシの中では面白がり方の試行錯誤が続きます。

「明日〜」は一人暮らしの女の中にぽっかり空いた穴とそれゆえにこれでよかったかの自問自答。初恋でフラれたり、長く付き合った挙げ句に男の浮気でフラれたり、あるいは同世代の主婦たちの妊娠や井戸端会議とは違う人生、親戚のおばちゃんのいう「普通」ではない生き方をしていたりといった頼んでも居ないのに思い出させる走馬燈(死ぬわけじゃないけど)。それでも明日に向かって一歩を踏み出した先に広がるものがある、という穏やかで前向きな終幕は作家の優しい視線。

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2026.04.29

【芝居】「華氏マイナス320度」野田地図

2026.4.18 19:00 [CoRich]
野田地図2年ぶりの新作。140分。5月31日まで東京芸術劇場プレイハウス。そのあと福岡、大阪。

発掘された化石は天使の骨だとされ、同じ骨をもつ男の手に共鳴する「骨伝導理論」で天使たちの病を治療する研究をしている。スポンサーの製薬会社は内部抗争で対立している。中世の研究室、古代の洞窟と時代をさかのぼるうち、同じ研究をしている研究者や、胎児が天使の病かを見分けられる巫女と出会う。

焚書のディストピアを描いた「華氏451度」に対して、液体窒素の沸点(-196℃)という生物試料の凍結保存温度をタイトルに。 多くの社会的事象や文化をマッシュアップして組みあわせる野田地図は何度も通うリピータも多くて、確かに過去リピート観劇したときは複数回観れば腑に落ちたりしみこむ感じはありましたが、今回はこれ一回キリの予定のワタシ、断片や瞬発力で濃密な観劇の体験ではあるのだけれど、振り返ってみれば何の話なんだっけ、と思っちゃうのもまあいつもの話。

人間がいつのまにか神よりも高い位置にいるようになってしまったという言葉をまぶしながら、古代・中世・現代を「骨」を通じた「骨伝導」を軸として、医学や薬学といった科学と天使やメフィストやハメルンの笛吹きや巫女といったファンタジーを捻り合わせながら語る物語。 15歳までしか生きられなかった筈の男が医学によって生き延び科学を信じ、その骨から天使たちの病を治せたはずと信じ、あるいはそこからの創薬を目論む製薬会社の思惑。

病気を治すという医学の行き着く先、出生前診断などによってそうなる確率の高い芽を摘むと言う方向は時間軸をずらすだけでハメルンの笛吹きよろしく子供たちを笛で踊らせネズミを退治するかのように消してしまうということは、うっかりすると易々と飛び越えてしまいそうになるぐらいに近い関係で、科学というもののありかたの危うさが浮かび上がるのです。

主役とともに語り手も兼ねるタスケテを演じた阿部サダヲは笑いからシリアスまでグラデーション細やかに。メフィストを演じた広瀬すずの軽やかで陰影のある造型、教授を演じた深津絵里の安定感。大倉孝二が演じた笛吹き男はどういう人物かの見え方の落差が圧巻。小劇場勢のアンサンブルキャスト、安東信助、大村わたるの活躍が嬉しい。

終幕、音楽と手話の美しいシーン。音が消えても鳴り続けているよう。

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2026.04.22

【芝居】「粛々と運針」iaku

2026.4.17 14:00 [CoRich]
2017年初演2018年に再演されたiakuでターニングポイントとなったといわれる一作を、新たに上田一軒の演出と新しいキャストによる三演め。95分。大阪をへて三鷹市芸術文化センター星のホールで4月19日まで、そのあと新潟。

新宿眼科画廊やアゴラ劇場に比べるとずいぶん広い舞台に変わった今作、大きなリングを吊り上下させたり手前に傾けてみたりと空間を巧く埋めています。後から思えば、いわゆる生むべきという因習に囚われているようでもあり、斜めに切った竹のように生まれてくる命を象徴しているかのようでもあって、芝居の最中に上下に動いたり傾いたりしていたのは、芝居で語られる内容に応じて変えていたのかなと思ったりもします。

子供を持たないつもりだった夫婦に降って湧いた妊娠の兆候から、産むか産まないかの選択をめぐって分断しそうになりながらも対話を続けるふたりの話。あるいは母親の病気が見つかりフリーターの実家住まい兄と結婚し家を出ている弟の話。これから生まれてくる生命ともう終盤に差し掛かっている生命を象徴する役も配しながら、時に理想、時に現実の厳しさ、時に詩的に綴られる言葉を交えて、ごくシンプルな舞台なのにさまざまな方向に観客の気持ちを飛ばし続ける強さ。

初演再演では同じキャストだったものを一新して亡くなる母親を象徴する役はそれなりの年齢の役者に変えるなどの調整はされていますが、元々強い強度をもつ物語の盤石ともいえる役者陣、びっくりするほど安定していてそして印象もかわらないのです。テキストも演出も調整はされているよう(インタビュー)なのですが、まあそれはワタシの記憶力のザルさゆえにその差異を感じ取ることが出来ず。もちろんそれは不満でもなんでもありません。

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2026.04.20

【芝居】「汗が目に入っただけ」フジテレビジョン+アガリスクエンターテイメント

2026.4.13 14:00 [CoRich]
アガリスクの冨坂友の作演で、フジテレビによるコメディ。「エクストリーム・シチュエーションコメディ(kcal)」と名付けられた2019年に上演(未見)されたフォーマットで物語自体は新作のようです。115分。4月19日まで IMM THEATERのあと、広島、大阪、富山、山形。

58歳の若さでなくなった母親の通夜まであと3時間。兄弟たちがあつまるが、全てを任された長女はキリスト教式の葬儀で準備してきたが、長男は「普通の」仏式の葬儀だと思い込み菩提寺に僧侶を頼んでいることが発覚して揉めている。次男は自分の仕事でそれどころではない。無くなった母親本人は亡霊のように子供たちの様子を不安に思っているが、伝えることが出来ない。
それとは全く関係なく宗教の勧誘に訪れた女には、その母親の姿も見えるし声も聞こえていて、取りなすよう巻き込まれてしまう。
という芝居を上演する人々、役者たちは2チームに分かれていて上演中のカロリーを競うゲームを行っている。

葬式で揉めた兄弟たちに心を痛めた亡くなった母親自身がよかれと思って葬儀をなんとかまとめるべく唯一イタコ的にコミュニケーションが取れる他人を巻き込んで発した少しばかりの嘘が膨らんでいくバタバタを描くシチュエーションコメディという前半はいわゆる芸能人を交えたキャストでいい話に着地させる流れかとおもって見ていました。

突然、ハーフタイムが宣言され、舞台上方に大きなモニターと実況席が現れ、この舞台そのものが「スポーツ」でそれは役者たちの消費カロリーによって決まるのだと宣言されます。ともかく消費カロリーを上昇させればいいかといえば芝居に関係なく大げさすぎても反則行為とみなされる、というルールがあるのだということも示されます。 ワタシは知らなかったけれど、webなどでは「そういうフォーマットだ」と大々的に告知されていて、なるほど物販にイエローカードやらホイッスルやらのグッズが並んでるのはそれかと今更気付くワタシです。

この枠組みが宣言されたあとの後半もいちおう物語は進むし良い話的な着地もするけれど、あとは芝居に関係ないほどに、沢山喋る役者はそれなりにカロリーを使うし、舞台上の役者は台詞がなくてもスクワットしていたり、果ては主演女優が無駄な動きが多すぎるとレッドカードで退場させられてベンチで悔しがってみたりと、その「エクストリーム・シチュエーション・コメディ」のメタ視点の方に重きが置かれて後半は進みます。

試合を半ば放棄するように活動量計を外して「普通の芝居で、競技でなくても芝居は面白い」という着地は芝居に対する優しい目線のウェルメイドな感じですが、いわゆる推し活的な意味で観客側が熱量でマウントを取り合うようなエンタメのありかたが重なるように勝手に感じて面白がるワタシです。

正直にいえば、外側のメタなエクストリームスポーツの内側に内包するものはこういう物語である必要はなく、もっといえば芝居ですらなくてもいいわけでそういう意味では仕掛けが提示されたハーフタイムまでが最高潮に感じるのです。あの活動量計の数値は実際の数値をワイヤレスで取得してるものだったらそれはそれでまた別の面白さがあるしそういうシステムの中身を本当に見てみたい気はするけれど、おそらくそうではなくて、あのエクストリームスポーツ的なものもまたツクリモノなのだという三重構造にしてるのかなぁと思ったりもします。(本当に活動量計の数字をリアルに取得してるんっだら申し訳ない。それならどこかで技術記事が読みたい)

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2026.04.12

【芝居】「歌わせたい男たち」Periodista

2026.3.20 18:00 [CoRich]
初見の劇団です。作品自体は二兎社での初演を観ています。3月22日まで cafe & bar 木星劇場。1h40。

非正規採用で不安定ながらやっと音楽教諭として採用された女が、卒業式で斉唱予定の君が代のリハーサル直前に体調を崩している保健室でのワンシチュエーション。 君が代の伴奏を拒んでいた前任者はじめ何人かの教師が違和感を抱き斉唱に加わらなかったために、校長には有形無形の圧力がかかっていて、校長はなんとしても君が代斉唱を完遂したいし、それに同調する者もいる一方、すでに少数派となってしまった「左」の君が代反対派の教師とのあれこれをえがく2005年。二兎社らしいといえばらしい社会派に戸田恵子という稀代のコメディエンヌを組みあわせていました。

ずっと規模の小さい今作だけれど、濃密なワンシチュエーションはそのままに、おそらくセリフも余り手を入れていないのではないかと想像します。生活のために非正規採用でもしがみつかなければならない職を描く序盤(なんせ元シャンソン歌手ではあって歌えてもピアノは不得手という設定)はあの頃よりずっと深刻になっているけれど、校長とのほぼ二人きりの序盤は、丁々発止コミカルでもあって悲哀でもあって。この場での校長はもちろん歌わせる体制側なのだけれど、終幕で、それが過去は内心の自由こそ大切だと訴えることで、変質というよりは立場と時代に合わせて自分の心は守りながら、外形的にはどこまで譲るかの戦いなのだということの凄み。終盤の演説は悲壮的だけれど、現実の姿でもあります。

一方でまっすぐリベラルである教師、その信念はもちろん素晴らしいしそうありたいとも思うけれど、今作では左に固執するあまり清潔感とか身だしなみといったものに気を払えなくなってる風に見えてしまうのは、そういう意味ではとてもリアリティ(←ワタシの偏見です)があるといえばそうなのだけど、少々感情移入しづらい造型になっているのが残念。 初演でのこの役は近藤芳正で不確かな記憶だけれど髪振り乱した熱演だったとは思うけれど、感情移入できないということはなくて、そういう意味でフィクションだからこそ丁寧に造型していればと思うのです。まあ、ワタシどの口で言うんだっていう壮大なブーメランという気もしますが。

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2026.04.11

【芝居】「野々村良枝の失踪」タテヨコ企画

2026.3.20 14:00 [CoRich]
タテヨコ企画の新作。3月22日までアトリエ風姿花伝。120分。

母親が認知症で行方不明になる。実家には父親や長男のほか、長女が中国赴任のため預けた娘、別に女を囲っている次男に代わり事実上実家の面倒をみている次男の妻が暮らしている。 母親の行方不明の知らせを受けて数年ぶりに長女が帰宅する。

認知症で居なくなった母親、久しぶりに会った家族たちのぎこちなさだったり明確な不満だったり素直になれない気持ちだったり。母親を中心にゆるやかに繋がり甘えていた人々がその欠落によって自分の立ち位置を見つめ直すこと。 認知症をどう呼ぶか、認知症患者自身にとってはどういう世界が見えているかなどの基本的なベースを共有しつつ、それを啓蒙するというよりは直近の記憶は抜け落ちても昔の記憶は鮮明に残っているという認知症の特性を枠組みとした物語だと気付くのです。

子供たちが幼く、自分たちが若かった頃はもちろん毎日大変だったけれど、あの時に撮った写真がピンボケでもなんでも、繰り返し見ることで鮮やかに蘇ること、それは認知症となった(そしてそれはある程度自覚できている)母親自身の日々の支えで大事にお気に入りのバッグにいれていたし、それを子供たちがあのかけがえのない日々を思い起こすことに繋がることの暖かく、切ないことなのです。

認知症の母親を演じたあさ朝子は若い頃の母親の優しい視点から認知症故の激昂する老婆までも一人の人間の老いをギュッと一人で背会う安心感。次男の妻を演じたいまい彩乃は「古き良き」支える女であり続けたあとから見切りをつけ自由を得るある種の成長。長女を演じた舘智子は頼りになるけれど家族の距離があって思うようにならない歯がゆさ。次男を演じた西山竜一は若い女を囲い全てを失うという踏んだり蹴ったりな役だけれど中年男の悲哀を一身に背負うよう。同居する長男を演じた園田シンジはニートだけれど近所や同居する人々をよく見ている賢者といった風情が実はカッコイイ。長女の娘を演じた宮崎明音は軽口を叩いたりイマドキだけどまさに「いい娘に育って」を体現するようで眩しい。 ケアマネを演じた福永さとみは外からの視点の安定。父親を演じた宮島健は若い頃のカツラはご愛敬だけれど、年齢を妻を愛し続ける爺さんというあるようでなかなかない真っ直ぐな造型。近所のおばさんを演じた久行志乃ぶ は愛想のいいかんじだけれど、うっとうしさを通り越してヴィランに成り果てる人の汚いところもしっかり。

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【芝居】「ミッキーアイランド」滋企画

2026.3.14 18:00 [CoRich]
FUKAI PRODUCE羽衣の座付き作家だった糸井幸之介の作演による滋企画の新作。 3月22日までアトリエ春風舎。115分。

還暦近くのバツイチ長髪ロックミュージシャン。ライブハウスで20年ぶりの新曲をライブハウスで対バンになった22歳女性に捧げようとしたとたんに転倒する。
バンド仲間が部屋に運んでくれ、ときおり差し入れをして貰えるがベッドのまま動けないし、対バン女子へ電話しても連れない。 動けないままに、いろいろ思い出す。

還暦にもなってだらだらと売れないミュージシャンを続ける男、たった一回の転倒による骨折で動けなくなった結果のいろいろ夢想と現実の交錯。子どもの頃に漏らしたり食事したり風呂に一緒にはいったりといった、優しい母親との思い出から、母の晩年を二人暮らしで介護していたこと。 元妻との久々の再会と、出会った頃に学生だった元妻とのデート、父母に合わせ、息子が出来てといった思い出。 ずっと会っていなかった息子が現れ車椅子で居酒屋に一緒にいったり。

介護や結婚は経ているけれど、独り者で楽しく暮らしてきた男、それなりの波乱と背負っているものはあれど、突然の骨折で動けなくなることで、人生の仕舞い方みたいなことをする間もなく、ともかく幾つかの思い出を「しがんで」いること、つまり過去の記憶を頼りに過ごすのはなるほど走馬燈。 全体の調子は緩急あれど基本的にはストレートプレーにミュージカル風味、そうFUKAI PRODUCE羽衣の「妙ジカル」なかんじで軽やかなのです。

一方で序盤の骨折のキッカケは、若い対バン相手の女性に対して年甲斐もなく色気を出したこと。自覚のないストーカーっぽさ、怪我をしてなお電話して遠ざけられることなど明確に「気持ち悪い」キャラクタ造型だけれど、この気持ち悪さ自体は序盤でスパッと終わるのが救い。これを自覚して描いていることは大変重要で、気持ち悪さこそなくても、元妻が心配してきてくれるとか、長く会わなかった息子が会いに来てくれるとか、結婚にしても男の側の家族だけが描かれるなど、どこか男の身勝手な綺麗な妄想ではあるのです。それでも、自分の母親の介護など現実に向き合う部分もあったりしてその視点のないまぜな感じが実にオジサンにとってのリアルな感じでもあるのです。

終盤、亡くなった男の家に現れたネズミたち、ネズミたちが集まる「ミッキーアイランド」のシーンはセリフもないけれど、生きて死ぬネズミたちの姿は、人間たちの営みを俯瞰して観るよう。なるほど。

動けなくなった男を演じた佐藤滋はほぼ出突っ張りで、情けない中年オヤジからゆるやかに老いる男という男の晩節を細やかなグラデーションで。母親を演じた永井茉梨奈はシングルマザーの力強さと息子に対する優しさ、老いて介護されるがわになるまでのダイナミックレンジの広さ。元妻を演じた井上みなみはあくまでサバサバとクール、少しの情けというさじ加減が絶妙。序盤の狂言回しとなる「空気」から息子までさまざまな役を兼ねる木村友哉の自在な振れ幅。「悪い空気」を始めちょっと強面側を支える岡本陽介との対比も楽しい。

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