2024.09.08

【芝居】「朝日のような夕日をつれて 2024」サードステージ

2024.8.12 19:00
2024.8.25 14:00 [CoRich]

鴻上尚史の代表作、10年ぶりの再演。キャストを一新し、ついに第三舞台時代からの役者なしの朝日。120分。9月1日まで紀伊國屋ホール。そのあと大阪。 (1, 2, 3)

劣勢の立花トーイの開発した新しい「おもちゃ」は、少しのストレスはかかるけれど絶対に自分を傷つけないAIたちがいるMR(Mixed Reality)の世界。再びみよこに会いたくて、男たちは暇つぶしをしながら待っている。

大量ではあるけれど無限ではないDNAの組み合わせが再びみよこに結実するのを待つために暇をつぶす男たち、ルービックキューブからコンピュータゲーム、ネットワークゲーム、VR。朝日という物語の骨子はそのままなのに間違いなくその時代の流行をきっちり取り込んでいく化け物のような一本。技術だけではなく、2.5次元演劇や大坂なおみ、SPY×FAMILYといったさまざまを取り込んでいます。誰もが同じ流行を知っているという時代ではないので、出てきた小ネタがすべてわかるかといわれれば怪しいけれど、圧倒的なセリフの量とほぼ全編走り抜けるような疾走感は、キャストが全面的に若返ってよりダイナミックに。とはいえ10年前に50代だった二人がこれをやってたというのもすごいことなのだけれど。

コンピュータの向こう側の他者ではなくて、AIが作り出した「傷つけない他者」たちの世界に溶け込む私たち。それだけではなく現実とも溶け合うようなMR("Mixed" Reality)になって、現実との境界は曖昧にみえるけれど、しかしゴーグルで隔て現実とは明確に隔絶し閉塞し閉じこもっていることはより浮き彫りになるようにも感じます。

無限とも思える時間を待ち続ける男たち、いわゆるゴドー待ちだけれど、ずっと「朝日」に出ていた二人の役者が変わるということは、生身の人間が無限に待ち続ける=演じ続けることはできないのだ、ということでもあるのだな、と思ったりもします。いままではモノクロだったキャッチビジュアルが、レインボーカラーになったことに何かのメッセージがあるのかなと思ったけれど、そういう方向の改訂はなかった気がします。何でも結びつけちゃう癖はよくないかもしれません。

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2024.09.01

【芝居】「雑種 小夜の月」あやめ十八番

2024.8.12 13:30 [CoRich]

あやめ十八番の団子屋の話( 0, 1, 2) と云われれば行かないわけにはいきません。だいぶ久々に拝見。120分ほど。8月18日まで、座・高円寺1。

参道横にある家族経営の団子屋。店主の妻である母親と三人姉妹と新しい若い女の従業員で毎日仕込みから始めている。 長女は結婚して不妊治療を決心している。次女も結婚し娘も連れて店を手伝う。三女はここ実家暮らし。 住み込みの従業員は東京神田からこの場所に惚れ込んで働くことを決めた。 蕎麦屋の夫婦とは家族ぐるみで仲が良い。そば打ちを失敗したときに作るスコーンのほうがむしろ人気がある。 いとこの女医は母と二人暮らしをしながらこの土地で開業しているが、母の認知症が進み施設にいれることを決める。 母はかつて電電公社勤めの男と恋をして、しかし団子屋の一人娘として婿を取ることを求められ、思い余って駆け落ちを決めるが、その 駆け落ち先はすぐ裏の「おんちゃん」の家だった。
おんちゃんは亡くなったばかり。今年もお盆の季節がやってきた。

幅広の舞台、長辺を挟むように対面の客席。短辺側の端に鳥居、反対側の端は楽団ピット、天井からは社の屋根を釣った高い天井の空間。 団子屋の朝の仕込みから開店直前までの毎日のルーチンをリズムに乗せての幕開け。団子の作られる過程と、これまでの作品と共通するようにこの家族や場所の成り立ちを盛り込んだオープニングは、このシリーズの定番に。

今作は、お盆の季節に合わせ、すでに亡くなっている先代の夫婦や婿として入った当代の店主の夫、近所に住んでいたが亡くなったばかりの「おんちゃん」たちが「戻って来る」、迎え火から送り火までのお盆の時期、ここに暮らしていた昭和62年の人々と、暮らしている令和の人々を描きます。先代の店主と一人娘と「おんちゃん」を巡る昭和の物語は、可愛らしい駆け落ちの話を中心に、おんちゃんと当代の店主に繋がる物語。 令和の物語はほぼ現在の話。登場人物として「店主」とされている夫は、亡くなっていると勘違いしてしまいそうなぐらいに実に影が薄い描き方なのがちょっと気に掛かるワタシです。(余計なお世話)

本家、分家などという言葉も交えながら団子屋の人々をベースに描くけれど、ワタシが作家の目線として感じられるのは、元は神職で今は一人暮らししつつ祭りの下座連にはキッチリ参加して頼りにされていたと描かれる「おんちゃん」。田舎ではいわゆる「外れた」人になりかねないけれど、コミュニティにきちんと溶け込んでいる男。もう一つ作家の視線で描かれたと思うのは認知症の母親と暮らす女医で、認知症で施設に入れることを決めて、そのあと舞台全体をぐるりと回って、歩いて、スーパーに入る長い無言のあと、泣き崩れるシーンは実に印象的です。

広い舞台を平面として使えるようにしたことで、神社の広い敷地、団子屋の店内で忙しく働く人々、葬式の場面、あるいはリレーをする運動会のグランド、祭りといった場面に説得力と迫力が生まれていてダイナミックなのです。

三姉妹の母を演じた井上啓子は二つの年代をするりと切り替えます。女医を演じた蓮見のりこのスーパーをカートで無言で一回り、たった一人で場を維持する力。おんちゃんを演じた原川浩明の人が良くて溶け込んでいる頼りにされる男の説得力。駆け落ちの二人が出て行ったあとに寂しくなって養子(松浦康太)を取って育てる物語が実に良くて。語り部でもある三女を演じた小口ふみかは快活に、先代の妻を演じた川田希の極妻の迫力。
当日パンフには主宰の堀越涼(当代の店主)と女優の金子侑加(長女役)が千葉に移り住み、間違いなく実家の団子屋で働いていたこと、そして芝居を再開したこと、あるいは大森茉利子(次女役)が出産し娘も出演していることなど、劇団の「物語」もまるで大衆芸能のように。ああそうか、団子屋行けば良かったなぁ。

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2024.08.30

【芝居】「ミセスフィクションズのファッションウイーク」Mrs.fictions

2024.8.11 18:00 [CoRich]

実力派揃いの130分。8月12日まで駅前劇場。

初めてのデートに行く女の子、全部自分だけどいろんな気分がせめぎあって。「ハオちゃんはデートです。」(なかないで、毒きのこちゃん 作・演出:鳥皮ささみ)
規範が違う男女らしい旅人ふたりが市民の家に泊めてもらう。旅人はすぐに棒で殴って解決しようとする。市民はいつのまにか酔ってたり酔ってなかったり市役所の方から来たりの3人になっている。「浴室にて改」(日本のラジオ 作・演出:屋代秀樹)
ウルトラマン好きの彼氏、つられて観始めた彼女のカップル。円谷プロに就職したのは女の方で、若い女性向けに向けた新しいウルトラマンを企画する「およそ一兆度の恋人たちへ(『ウル〇ラマンP〇ADA(仮)』を改題)」(Mrs.fictions 作・演出:中嶋康太)

クローゼットを思わせるお洒落な衣料品店の雰囲気の舞台。大量の衣服が吊られていて。チケットも洋服についてる販売タグな雰囲気で糸がついてたりして凝っています。
「ハオちゃん〜」は、初デート直前の一人の女子高生の脳内シミュレーションをコミカルに。乙女心、子供の心、老婆心、探究心、羞恥心、下心といった自分の中にある心を擬人化(というのもおかしいけれど)して、観てないけど映画のインサイドヘッド、な雰囲気。オープニングらしく賑やかに。子供の心を演じた桑田真澄のステロタイプにしかし爆発力。女子高生を演じた小関えりかの板挟みな感じが楽しい。

「浴室〜」は、未公開の原型を改版しての初上演(原型の一部の動画が公開されています。当日パンフにはフルバージョンへのQRコード)。二人の旅人は棒を持っていて寝床を確保するために棒で叩くことにあんまり躊躇がない、知り合った酔っ払った女の家に、殴らずに泊めて貰う、という前半。わりとフラットに静かに喋るけれど、文化の違いのファーストコンタクトを当事者たちはあまり気にしないけれど、この不条理ともいえる、しかし何の諍いもなく穏やかな会話が楽しいワタシです。これでは終わらないのが後半。酔っ払って帰って風呂に入った女がそのまま溺死して、しかも追い焚きされてドロドロに煮込まれたけれど、再生医療で三人に増えたとくるりと変わる凄み。プラグを挿してコントロールされるとか、税金は三倍、人権は三分の一というSF的な要素を後半になってガツンと入れ込んで来て不条理さをマシマシにする意味の分からない(大好物だけど)スピード感にワクワクしちゃうのです。棒で叩きがちな旅人を演じた渡辺実希の無機質さ、酔っている市民を演じた永田佑衣のある種の隙に説得力。

「およそ一兆度〜」は2011年にリーディングとして上演された一本を、ブランド名を消した(賢明な判断)改題。当時はウルトラマンのテレビ放送が途切れた時期で、ワタシもタロウまでしか記憶になくて、80をやや半笑いで目にしたぐらいの世代で、初演時には2020年のウルトラマンZやらブレーザーやら、毎週日曜の朝を楽しみにしてるなんて、初演からの時間の流れを感じてしまうのです。主役は女性隊員で、視聴者もその想定やら、ウルトラマンになるのは若者じゃなくて管理職が、というあたり、Mrs.fictionsに円谷(ブレーザー) が追い付いた感に感慨深く。まあ、東京カレンダーのような、恋物語みたいなのとは違うのだけれど。影絵のようなタイトルでオジサンは掴まれ、日本の地位がどんどん下がってる描写もほろ苦く。男のプライドみたいなものをむしろ興味が無かった彼女が追い越してしまうという初演からのテイストはきっちり、精度がかっちり上がって来た楽しさ。岡野康弘の終幕近くの格好良さにしびれます。

去年のシアター・アルファ東京のイベント(未見)を参加辞退した三団体の公演というのは、偶然なのか、仕掛けたのか判らないけれど、もちろん実力者揃いの楽しさで満足感が目一杯で大満足してしまうワタシです。

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2024.08.27

【芝居】「氷は溶けるのか、解けるのか」螺旋階段

2024.7.28 13:00 [CoRich]

小田原と横浜でのほぼ交互での上演を重ねる螺旋階段の新作。7月28日までスタジオHIKARI。90分。

小さいながら丁寧な仕事の土木工事会社。夜中、現場の囲いの扉を開けて幼児が忍び込み、水たまりに落ちて溺死する事故が起きる。 子供を失った両親。妻は夫が子にかける対する愛情が少なかったからだと詰り、実家に戻ってしまう。更に妻の両親は結婚は間違いだったと離婚を迫る。事故を起こした会社は社員の友人が現場にあった注意の立て看板を倒して直さなかったことを妹が知り、子を亡くした夫の元に通うようになる。それは謝罪というよりは、話を聞きたいという気持ちからだった。

ワタシにはわりと笑いと人情の芝居が多い印象の劇団ですが、今作は笑いを大幅に削ぎ落とし家族と死を巡る物語をときに(いわゆる)毒親、あるいは不謹慎かもしれないけれど、他人の事情に少し踏み込みすぎる若者を駆動力にして進む物語。

会社の側の人々は問題は問題として、生活を明るく回していこうと前向きなマイルドヤンキー風味。否定的な文脈で語られがちな言葉だけれど、地元密着で先輩後輩の関係が濃く生活していくという意味で今作においてはポジティブな原動力になっています。 対して子供を亡くした夫婦と妻の両親の物語、もともと結婚に前向きでなかった両親、夫を見下しがちな妻と、階級とまでは行かなくてもこれまで育ってきた環境が違うと思わせる喧嘩がちな夫婦、息子が亡くなったのも口論の夜に抜け出した結果だし、ストレスとアルコールにまみれ、あまりに救いのない家族の唯一ともいっていい希望だった子供を亡くして時間が止まってしまった感じ。

立て看板を倒して直さなかった、囲いの扉が施錠されていなかったという落ち度がないわけではないけれど、あくまで子供が忍び込み水たまりに落ちたという不幸。 子供を流産していた女がふとしたきっかけで被害者夫婦の家に通うようになり、話を聞くようになるという距離の詰め方は少々強引にすぎるし、その女と話をするようになる形で語られる夫の物語も、ちょっと無理があるような気がしないでもないけれど、もしかしたらその日々が、夫を孤立させなかったともいえるわけで、癒えるための時間ともいえるかもしれません。

会社の側、ネットはまだ事故を騒いでいても丁寧な仕事を続けている会社自体の業界での評判はわるくなくて、真面目で、酒場で馬鹿話もして、仲間として仕事を続けているということのなんていうんだろう、尊い人々の描き方。その意味でこのパートは下町人情ドラマという仕上がりではあるのだけれど、夫婦の問題と並行して描かれることで全体としては実に独特な仕上がりになっています。

固着ともいえるほど身動きとれなくなっていた夫婦がやっと直接話しをするようになった終幕、ロックオンザグラスのウイスキーが象徴的で、少しだけわだかまりが「溶けて」前に進む余韻だけ、という些細な動き。

妻の両親を演じた田代真佐美、露木幹也。一つも悪意がないのに完全にヒールであり続ける役者としての胆力と迫力。工事会社の社長を演じた水野琢磨の目一杯の誠意で真面目に生き続けるいい男。

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2024.08.20

【芝居】「BIRTHDAY」本多劇場グループ

2024.7.27 15:00 [CoRich]

本多劇場グループが海外の戯曲を上演するシリーズの第四弾、2021年に行われたリーディングも含め初見です。110分ほど。7月30日までシアタートップス。

男性が妊娠出産できるようになった時代、イギリスの公的病院で出産を待つ夫婦。妻はすでに出産していて、第二子は夫が出産することを決めた。NHS(国民保険サービス)か私立の病院での出産かを迷い前者を選んだ。いろいろ心配事は起こるが病院のスタッフは愛想はいいけれど、なかなか対応して貰えない。いよいよ出産となりやっとやってきた医師は研修医で頼りない。

「妊娠した男性」というファンタジー一点突破で、いままで存在していても気づきづらかったさまざま。男女のこと、人種のこと、格差のことが次々明らかになって、さらには産んだら産んだで感染症、夫婦仲が最悪になったりと混乱の極みになるけれど、生まれた子供の感染症治療がうまくいって大団円、というのは実際のところ、それまでの殆どの問題は解決してないのだけれど、ギュッと詰め込んだ混乱に物語として強引ともいえる一区切りをつけるのは力技でちょっとおもしろい。

イギリスで2012年に初演されたという物語は、たとえばイギリスでの健保のしくみ、白人夫婦と、スタッフとして働く有色人種との間にある格差の意識を、笑いとして描くことにドキッとするわたしです。モンティ・パイソンの時代ならいざしらず、ほぼ現代に至ってもなおこうなんだ、というスノップな感じ。アフリカ系と思われる設定の助産師は愛想は良くてしかしなんか雑だし知識は今ひとつだし、研修医は手袋こそするけれど、はずしたらすぐ放り投げたりとこちらもなんか雑。とはいえ、どちらも本当のエマージェンシーならちゃんと対処するプロフェッショナルとは描かれるものの、確実に存在している人種偏見が根深く、それをどちらも違和感を感じていないし、それを描きながらも批判的な視線があるでもなく、かといってポリコレ上等とばかりに喧嘩を売るわけでもなく、日常として存在するものとして淡々としかもコミカルに描くことにびっくりしてしまうワタシなのです。

夫を演じた阿岐之将一はオーバーアクション、コミカルでありながら男性側の気づきの視座である重要な位置をブレなくしっかり。妻を演じた宮菜穂子はそのコミカルに乗りながらも、いままでの弱者=女性の視座をもちちつ、しかしミドルクラスの白人であるという見下す側の視座も併せ持つハイブリッドの説得力。石山蓮華はどこかステロタイプに造形された研修医を絶妙のコミカルさで。ラジオ番組のレギュラーとして知るようになったワタシ、なんか我がことのように嬉しい。黒人の助産師を演じた山崎静代はほんとうに素晴らしくて。セリフの上では中盤まで黒人であるということは明確にはされていないけれど、イギリスでの上演ではおそらく黒人の俳優が演じた役で最初からその前提で観客はみているはずで、日本の上演では穏やかだけどどこか鈍い人みたいな造形のまま中盤まで乗り切る説得力、なるほどステロタイプな黒人の感じ、というのも含めて人種に対するワタシを含めた偏見を含め良くも悪くも包み込んでしまうような説得力。

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2024.08.17

【芝居】「ナイトーシンジュク・トラップホール」ムシラセ

2024.7.21 14:00 [CoRich]

内藤新宿宿まわりを舞台に現代と江戸時代を重ね合わせがら語る110分。7月21日までシアタートップス。

マンガで新人賞はとったものの、仕事になっていない男は姉の稼ぎで暮らしている。町で一人の飯盛りをしている少女に出逢う。少女はホストに入れあげている。ホストは噺家に入れあげている。ホストの店を経営しているのはマンガ家の姉だった。

ものを作る人々を描いた「眩く眩む」に連なるような人々の物語だけれど、更に二つの時間軸を行きつ戻りつしつつというのは二次元が三次元に膨らんだような奥行きを作り出します。

更には、甲州街道に作られた宿場・内藤新宿の成り立ちや広重が描いた『四ツ谷内藤新宿』の構図の面白さや、閻魔像のある投げ込み寺の異名を持つ成覚寺(wikipedia)、さらにはアルタ前にあるライオン像で舞台となる場所のゆかりを描きます。

物語としては、現代の漫画家や風俗嬢やホストや噺家、江戸時代の北斎、馬琴、一九、版元をオーバーラップしながら、時代が変わっても何者にもなれない若者と、プロとして稼げるようになった人々のヒリヒリとするように物語を創ること、人としては最低だとしても作り出すものが凄みになってしまうこともあるという厳しさ。若者がプロとして成長する入口は、想いある人の死を物語として描く事、というのは物語を創り出すことのないワタシには到底出来る気がしないけれど、それでもワタシはそんな風に作られた物語を「消費」してしまうのです。

それは、女好きの戯曲者が別の飯盛りの少女に入れあげて旅行に誘うも少女がこちらを向いた途端に戯曲者は興味を失ってしまうとか、人の不幸も業もすべて描き続ける画家とか。若者が成長して自死してしまった少女の物語を長編読みきりで描くという終幕はほろ苦い。トップスを芝居の中で舞台後方(とはいえ正面とはいかないけれど)開け放すのは格好良く。

北斎を演じた藤尾勘太郎はどこかサイコパスな怖さとコミカルなシーンでのコントラストで揺るがない柱に。その娘・葛飾応為を演じた永田紗茅はチャキチャキでカッコイイ。色んな場面に同じ顔で現れる「いろんな母」を演じた菊池美里は緩急すばらしく、とくに序盤のリズムを作ります。若者の姉を演じた渡辺実希のどこかツクリモノにすら感じられる顔立ちや背丈、なるほど単なる武家の娘ではなく歓楽街でのし上がってきたという説得力。若い漫画家を演じた渡口和志の何者にもなれないまま翻弄されながら成長する力強さ、対比するように飯盛りの少女を演じた 高野渚の好きなことがあって生きていても何がキッカケで死んでしまうか判らない陽炎のような儚さの説得力。

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2024.08.16

【芝居】「流れんな」iaku

2024.7.15 19:00 [CoRich]

2014年初演。関西弁で上演された初期作を全編広島弁に変え、キャストを一新して再演。7月21日までスズナリ、そのあと大阪、愛知、(少し間をあけて)広島。100分。

例によって記憶はザルのように抜けて行くワタシですので、公表されているとおり舞台を広島に変えたこと以外は自分のblogを読んで、初演ではタイラギ(平貝)だった名物の食用貝を、カッピギというおそらくは架空の、(しかし月日貝なら実在だけれど)貝に変わったということは思い出すけれど、たぶん骨子は変わりません。

黒板のメニューの食堂、ちょっと一杯ひっかけたり晩飯に通ったりと使い勝手の良さそう。真ん中にトイレというのはあきらかに不自然な配置だけれど、長女がせがんで洋式に変えたがために母の脳梗塞に気付けなかったトラウマなので、ここに置きたいという明確な意思がきちんと機能します。

脳の記憶を外部に取り出して映像化するという未踏の技術、母を知らず育ち母になるにあたって母を知りたくてしょうがない妹、の存在、 この土地に縛られるように父親とともに生きてきて、若い恐らくはエリートの会社員と不倫の関係になった姉、その姉に想いを寄せ続けてきた幼馴染の漁師という枠組みに、 貝毒が起きたゆえに夫がすすめる出生前診断、食品加工会社が安く海外から仕入れていた汚染魚の汚染された部分の不正投棄の時期と一致するように起きていたという具合に、いろんなことを都合良く5人の物語に凝縮しすぎ、というのは感じなくは無いけれど、それは些細なことなのです。10年前にこの濃密さ。

姉を演じた異儀田夏葉のアラフォーの気丈さとトラウマのコントラストが素晴らしく。幼なじみの漁師を演じた今村裕次郎は初演との造形が随分異なることに戸惑うけれど、別のキャラクタとして説得力。

王子小劇場がフックアップよりスタートアップ支援に回るようになって随分経ちますが10年前に職員が足を運び三鷹市芸術文化センターにフックアップしていて、今でもフックアップし続けているという頼もしさを改めて感じたりしつつ。まあ公共の劇場と民間の劇場を直接比較するわけにはいかないけれど、その間にアゴラが閉館したという事実も重くて。

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2024.07.31

【芝居】「神話、夜の果ての」serial number

2024.7.14 14:00 [CoRich]

serialnumberの新作。宗教二世を巡る90分。7月14日まで東京芸術劇場シアターウエスト。

宗教二世で殺人を犯した男が拘置所に拘束されている。検察は起訴を準備しているが、国選で選ばれた弁護士はなかなか叶わない接見の機会を得たいと足繁く拘置所に通い担当の精神科医と会っている。
男はかつて母親が宗教施設に連れてきて、子供だけの隔離した施設に預けられた。家族や血縁を思う愛着を罪と考え、世界全体が一つの家族とする教義を叩き込まれる。同じ施設の女児はやがて、教祖以外とは許されていない「交尾」を自ら見つけ出して男と行い、それが見つかって女は絶望して自死する。

一つのベッド、奥にはジャングルジムという何もない空間。男の物語が基本で、通い続ける弁護士が聞き取る形だったりで進む物語。 宗教と子供といえば日本人にはオウム真理教や統一教会を思い浮かべるけれど、ネットで見かけた感想のカンボジアのポルポト政権時代というのもなるほどと思い出すワタシ。子供を徹底て隔離し、理想的な次の世代を育てて次へ繋げるためと大人たちは真剣に考え、理想に邁進するけれど、何かがほころんでしまうこと。今作においては女性はメサイア以外とは許されない「交尾」を、メディアや噂話として取り入れるのではなくて、自分の中から沸き起こる本能として見つけ出してしまうという生物のしての強さが突破口になるのは新しい視点。彼女の物語としてはあまりに悲しい結末だけれど。そのほころびは男に連鎖し逃げ出し、犯罪を犯して拘置所に勾留されるという次の綻びを生み出すのです。

物語本編とは正直関係無いのだけれど、拘置所の刑務官を演じた杉木隆幸の物語が圧巻なのです。夜勤の間に妻が独身寮の男とカラオケで知り合い浮気して居なくなった、と男に愚痴をこぼし、しかし妻を引き留めたい気持ちは目一杯で、拘束できる方法を男に相談したり。執着の凄さに戦慄し、しかし男に抱きしめられる瞬間、ライティングでベタに「救われてしまう」一瞬で、なんか原初の宗教をみているような、しかし大笑いしそうになるワタシです。いや、これ凄い。

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2024.07.28

【芝居】「逃奔政走」フジテレビジョン

2024.7.13 18:00 [CoRich]

アガリスクエンターテイメントの冨坂友が手掛けたフジテレビ放映の2回の生ドラマのうち、3月放送の「生ドラ!東京は24時-Starting Over-」を前日譚とする都知事をめぐるコメディ。135分。 7月16日まで三越劇場。そのあと京都。正直に云えば、有償のパンフがないと配役が分からない(サイトは主要キャストのみの配役表のみ、かと思えば劇場内に掲示も見つけられず)のは、少々けちくさい、と思ってしまう小劇場どっぷりなワタシです(すみません)。

NPO法人で活躍しテレビのコメンテーターなどを経て、生きやすい県政としがらみのないクリーンさを掲げて初当選した女性県知事。3年半を経て任期の終盤。知事室奥にシャワー室を新設しようとしていることが議会で問題になっている。既存のシャワー室が壊れていることにしようと画策したり、リークされた官製談合の事実を隠そうとしたり画策する。それもこれも、働きやすい、暮らしやすい生活を実現すことを鳴り物入りで公約に掲げた知事を守りたい一心でだった。

任期終盤を物語の起点として、シャワー室の新設をめぐる「小さな」ほころびを追求される議会を乗り切ろうと小さなその場しのぎの嘘を重ねたり、証拠となるSNS投稿をコントロールしようとしたり、答弁をのらりくらり交わしたり。物語が進むうち、しがらみがなくクリーンだった筈の知事が当選直後から公約実現のためとはいえ、大物政治家に抱き込まれ、特定の業者との癒着が始まっていて、それが続いていることがあきらかになります。その場しのぎの嘘や方便を重ねるシチュエーションコメディーなんだけど、逃げ場がなくなって公設秘書に罪を被せたり、PCの音声データのハードディスクをドリルで破壊したりと、現実の鏡写しのような解決策で、正直コメディとしてはセンスが無い現実を取り入れてしまうことで、現状の政治のありかたを批判的に描こうという意図はわかるけれど、かなり微妙には感じるワタシです。

正直にいえば、公設秘書の扱いで後味が悪かったり、無理矢理すぎるなど、コメディとしては完成度はたとえばこれまでの「SHINE SHOW!」 (1, 2)などに比べると、高いとは言えないのです。が、政治家が綻びをごまかして逃げ切るのでは無く、都民に向かって自分の過ちを告白し、抱き込んできた大物政治家の癒着を暴露して正しい道を歩もうという終幕の(現実ではワタシは寡黙にして最近の例を一つも例を知らないので)理想、つまり観客に向かって訴える「政治家は監視し続けなければ、何らかの不正をしていく、諦めずに監視を続けなければならない」というあまりに青臭い正論を、ある意味作家のある意味の成功であるはずの、この三越劇場とツアー(そこが京都、しかも早々に売り切れた)で、このタイミングで上演する(誰かの)意思が、もう、なんか凄い。

生ドラマ二つを経ての舞台主演となった鈴木保奈美のコメディエンヌとしての間の素晴らしさ、終盤のキリッとした美しさの説得力。大物政治家を演じた佐藤B作の人たらしな造形、物語ではヒールであり続ける強度が凄い。副知事を演じた相島一之の滅私奉公であり続けることと、終盤のリークに繋がる不倫旅行の人間っぽい感じ。都知事に担ぎ上げた私設秘書を演じ、ドラマターグも務める中田顕史郎の一癖も二癖も持っている、しかし彼の理想がある説得力。作演の劇団の役者をツアーも含めてきちんと役を付けているのは嬉しくなっちゃうワタシですが、自叙伝のライターを演じた淺越岳人がこれだけの出番?と思えば、文芸助手にクレジットされていて喜ぶワタシです。

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2024.07.24

【芝居】「還暦にピアス」こはるともえ

2024.6.29 14:00 [CoRich]

青年団関連の女性三人(田崎小春, 南風盛もえ, 岩井由紀子) によるユニット、旗揚げ。6月30日まで、アトリエ春風舎。60分ほど。

ルームシェアする二人の女。300歳の魔女・マコが家にいると、30歳のカホが予定よりも早めに帰宅する。男との誕生日デートはすっぽかされたのだという。二人はサイゼで出会い、ナプキンを借りようとする女に魔女が手をかざすと瞬間で効くことをきっかけに打ち解ける。魔女は家がないといい、警戒はするものの、結局男と同居する部屋に魔女を泊め、結果的に男とは別れ二人のルームシェアをしている。

春風舎にコの字型に客席を配置して、床で暮らすようなルームシェア。散らかってる感じは気持ちのとっ散らかり具合、と思うのは穿ち過ぎかもしれません。

女性二人のとりとめない会話、というフォーマット。実際のところ、それぞれの人物の意見の交換というより自分の中での悩みや思索を巡らせているという感じ。ただ、10倍くらい寿命が違うであろう二人がその過程を覗き見たり提示したりすることで、違いを対比させて対話に昇華しているとも思うのです。 「実家に帰ると母親は祖母を亡くしてから元気に暮らしているが、親に孫を合わせなきゃいけない、と「思わせられる」プレッシャー」などいわゆる結婚適齢期や恋人や親や子供といった悩みをそれぞれに語り、いっぽうで「300歳でも生理があるという魔女は200年の出産適齢期があって絶望はしない」という一生の時間軸を伸び縮みさせる飛び道具、そうなると「子供が老いてから自分が死んでいく」価値観、あるいは「魔女界は子供は皆の子供として育てるのが当たり前」という社会のありかたの違いをこれでもかと突っ込んで違和感を生じさせ浮かび上がらせるというのは発明だと思うのです。

とはいえ、あくまで舞台上にいるのはおそらく30歳ぐらいの女性二人、外はイロイロ大変だけど、警戒しないで会話出来る安全な場所で話すことが出来る場所での緩い(中身は別にして)会話の尊さ。もっとも、身体としての男を持っているワタシにはもしかしたら語っている本当のところは理解できないのかもしれないけれど、こういう芝居に繰り返し浸かることでしか感じ取れない何かがあるのではないか、と思って、たぶんこれからも足を運んでしまうだろうワタシなのです。

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