2017.03.02

【イベント】「イカれた女子が世界を救う」革命アイドル暴走ちゃん

2017.2.19 19:00 [CoRich]

30分。あかいくつ劇場

ずいぶん久々に暴走ちゃん。前売りは完売、早めに劇場に行って当日キャンセル待ちのチケットを手に入れて少し先に歩いてみればあるはずのドンキホーテというかバンドホテルが建物ごと無くなってることに驚愕したりするアタシです。 TPAMの中の一イベントらしく、外国人と思わしき観客もそこそこに。もちろんこの劇場だし、TPAMというある種行儀のいいイベントの中ですからワカメや塩や水が飛び交うこともなく、ずいぶんとマイルド。去年の逃げるダンスやら前世やらの曲を交えつつも、膨大なノイズ、物語を読みとることを拒否するかのようにアジア的でアニメに根ざしたライブ風味はっもちろんそのまま。そういう意味では良くも悪くも変わっていなくて好きなあれが今もまだここにあるうれしさは間違いなくあるのです。

私が大好きな糸電話のモチーフ、携帯電話で行き交う人々からモーフィングというのは今の私たちの地続きになるようでわかりやすく進歩していっます。 劇団員のツートップ、高村枝里、Amanda。 高村枝里は、何かが乗り移ったかのような豊かな表情にちょっとびっくりします。Amandaは整った顔立ち、パワフルに突進する雰囲気がうれしい。

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2015.09.03

【イベント】「鳥ROCK FESTIVAL'15」

2015.8.22 17:00 [CoRich]

Hula-Hooperの菊川朝子がクラウドファンディングから立ち上げ、ホントにやり遂げてしまった鳥取2Daysイベント。初日のみの参戦、ワタシにとっては 2010年の夏以来の鳥取でした。クラフト館 岩井窯で23日まで。

山陰道、最寄りの岩美駅からは4km弱、里山っぽい雰囲気の中を歩いて、近くの温泉でヒト風呂浴びて参戦しました。開場時間中には降っていた雨もなんとか止んでの開演。場所は坂を上がってバンガローと広場という関係に似て、釜や茶室などいくつかの建物に囲まれた広場のような場所。真ん中の広場を中心にしていくつかのステージをしつらえ、飲食ブースも用意しています。多くのスタッフを入れ、クラウドファンディングも活用したとはえ、たったひとりの言い出しっぺがここまでやってしまうバイタリティ。

いくつかのイベントが並行して行われていて、出入り自由、飲食自由な雰囲気。アタシはといえば早々にビールを何杯もで、例によってヘロヘロになりながら。

正直、公共交通機関の期待出来る場所ではなく、タイムテーブルが時間通りだったとしても、市街地に戻る手段はありません。調子に乗って最後までおんわり楽しんでいたら、案の定足がなくなったりしましたが、そういう観客が少なかったこともあって、なんとかスタッフの車に同乗させていただけたのはラッキーでした。もし今後があるならここをどうするか、あるいはどうアナウンスするかがポイントになりそうです。酒が飲めないのは辛いけれど、レンタカーも視野に入るでしょうし、岩井温泉という手もあるかもしれません。鳥取まで夜に自転車は少々きついか。

(0)迎賓タイム
ステージやさまざまを紹介しつつ、音楽で盛り上げる時間。キャプテンクーコッチのちょっと騒がしくて少し間抜けな感じのイキオイで、少々空回りしつつ、前のめりで盛り上げます。イキオイはいいけれど、正直にいえば滑舌の難があって、インフォメーションというかガイドという意味では不安がありますが、まあ、コンパクトな会場だしスタッフもたっぷりですから、これも持ち味の範囲。

(1)部活動の鱈。
今年東京で上演した人魚姫の物語。センターステージというか広場の野外劇、観客はパイプ椅子や、あるいはビール片手に立ち見したりと思い思いにばらばらとアタシは後者のビールのコースで。元々の鱈の上演も飲食店のステージも後方やあちこちから現れ通路でも何でも使いまくる持ち味なのだけれど、この場所を使った結果、小さなステージと、その外側をぐるりと囲む建物、あるいは鉢植えの蓮などいろんな方向から現れ、よりダイナミックさが強く。アタシの友人が云う「祝祭の」空間にふさわしい物語と雰囲気はここによくあっていて、さすがに言い出しっぺの強さ。しかしビキニの水着のような女性たち、とりわけ腹筋を動かす姿がやけに色っぽく喜ぶおやじなアタシだけれど、山を背景にするとただ色っぽいというだけでなく神々しさがプラスされるのです。正直に云うと、オープニング、しかもフェスの企画としては少々長いのもほんとうだけれど、これは妊娠を発表した主催への祝祭でもあったりするわけで。ええ、でも酔っ払いはアタシはそのときは気付いてなかったという大失敗だったりもして。(おめでとう)

(2)「ともだちのそうしき」(女性版) RONNIE ROCKET
仗桐安が繰り返し上演する二人芝居 (1, 2) の女性版はやや深刻な物語。 一本目で飲んだくれたアタシ、しかも外では別のライブだったりコントだったりを騒がしく、フェスとしては出入り自由という形で1時間の芝居をしっかりみせるのは茶室という屋内であっても、少々厳しい戦いではあります。 アタシにとっては謎解きの雰囲気よりも女たちがどう友達になっていくかという話の方が強く思えたのは新しい発見。

(3) ハイカラ
愛知で活動する女性四人のユニットから二人・ まつやまみどり・加東さゆみが出演。
鳥(ぴいちゃん)が逃げたといういう話をベースにして、ひとつの歌詞(スペシャルな友達)、メロディーラインを細やかに重ねていきます。 新しいもの好きな姉(ピアノを弾く)と、逃げた鳥のことをずっと考えている妹。妹の「気持ち」に重点をおいた物語。声の重なりが心地よく、あたしたち大丈夫、という前向きがうれしい。

その次をみようと思ったら、ちょっと時間が押していて前のパフォーマンスがセンターステージで。BARONによるヴォードビルの後半。くものすかるてっとの片岡正二郎のバイオリンも参戦しつつ、祝祭の空間をきっちりと。倉吉の限界集落と呼ばれる明倫地区を訪ねた時の曲も地元のもので。

(4)「鯵」
Hula-Hooperにも参加することの多いユニットがボーカル・ピアノの安田奈加と、ドラムの前田卓次、ベースの瀬尾雅也による3ピースで三曲。「アタシ乱暴なの」の歌詞が印象的な「乱暴なうた」(YouTube)、2007年の鱈で演奏された「サヨナラ三角」(YouTube)と「極楽トンボの飛行船」(YouTube)。後者は永遠は長すぎるから、とわいいながら祝祭が続く空間を。

(5) 「minimum-memo」chon muop
元々トリのマークに所属していた櫻井拓見によるユニット。この場所を作った人のこと、ここができる前の話、あるいはあなた=観客がここまらくる道のりという話はどこか古巣の「場所から発想する」雰囲気をまといます。後半は冷蔵庫の話に転移。家族が共有する唯一の家電。ほかのものは個人のものになってしまったといってみたり、あるいはメモを貼ったりして記憶の貯蔵庫になる、という視点が新しい。ここになるともう芝居だけで平行する催しがなくなっているので見やすい。

(6) 二人静
菊川朝子・菊池ゆみこによる女性デュオ。アタシは初見です。彼女たちの世代というよりは、アタシの世代に近いピンクレディ初期の二曲を。作り物感と、役者の生々しさのギャップ。

(7) くものすカルテット
祝祭感めいっぱい、場所の雰囲気にもあっていて初日ラストを盛り上げます。圧巻の安定感。曲目リスト、何処へやった>おれ

フードもあるのだけれど、実はあまり食べる暇がないというのも弱点。 出入り自由、同時多発という形、撮影可否があいまいに見えるというのもマイナス。あるいはこの中では芝居はどうにも脆弱ということもあからさまになります。ステージを独占したオープニング企画の「鱈」はともかく、どちらかというと繊細なロニーロケットや(音楽×芝居とはいえ)ハイカラなどはどうしても不利になりがちだし、時間が押しはじめても芝居は時間短縮などの手が打てないのもフェス形式ではなかなか厳しい。結果、終演時間は当初予定よりも大幅に遅れて交通手段がないとか、まあ。でも一回目はそういうもんです。ここに参加したことが勲章なんだよな、と思ったりもします。フジロックだって最初は、ええ。

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2015.07.15

【ライブ】「あなたとわたしの夏祭り大作戦☆~ねぇ一緒に新宿でMotionしたいんだってばぁぁぁぁ!!!!~」

2015.7.11 14:30 [CoRich]

ワタシは随分久々です。メンバーは変遷し、2015年4月時点で4名ということなので、フルメンバーのライブ。120分、Motion。

何処のライブハウスかと思えば、ミラクルの上階。ああ、なるほど、こういう構造の建物か、が見えて嬉しい。エレベータ降りたらフランクフルト売ってたりして、夏祭り感満載。ドリンクは場内でオールスタンディング。正直満員というわけではないし、芝居の現場では許されないけれど一眼レフを抱えた観客も沢山。

4つめのアルバムに収められた二つの新曲。「あなたの好きなシェイクスピア」(歌詞)は、ハセガワアユム詩による二曲目。小劇場につれてって、という一曲目のメロディーラインを持ちつつ、歌詞は彼が芸能人が出てるようなシェイクスピアに連れてってくれて、というスタート。ちょっとがっかりしたけれど、400年を経た言葉、映画とか芝居とか関係ないと、心震わせるものを体験できることならばメディアとか体裁に拘らなくていいじゃん、という着地。まあ、芝居ばっかり観ててもなぁ、と思い始めているあたしの気持ちに確かに近い。

新曲の二つ目「デートノゲネプロ」は明日のデートを楽しみにするオンナノコ、脳内シミュレーション、という可愛らしい歌詞。アイドルらしくポップに楽しい。作詞したのが、まあオジサンな目崎剛(たすいち)というのはMCでもいじられていたけれど、ご愛敬。

カメラ自由というのは確かに嬉しい感じ。でも、フラットな場所でベストポジションを狙って一眼レフをもって仁王立ち、という観客が複数。気持ちは分かる。わかるけれど、その後ろはどうなってるかを、ちょっと想像力が欲しい。そういう意味ではオフィシャルのカメラマンはあくまでも観客優先。流石です。

  1. あなたの好きなシェイクスピア
  2. 38mmなぐりーずのタコ紹介ソング
  3. 打ち上げ I miss you
  4. serecet base 〜君がくれたもの〜
  5. pink
  6. みくのうた〜行きずりのトマトに大腿四頭筋が疼く〜」
  7. イツミノテイスト -It's mean(s) to taste-
  8. うじけの秘密
  9. 渚のシンドバット
  10. UIROURI/2015
  11. 親FU-KOOOOO!!」
  12. デートノゲネプロ
  13. すまいるだいなそー

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2015.06.30

【ライブイベント】「女王陛下のシークレット・サーヴィス」ツリメラ

2015.6.24 21:00 [公式サイト]

会費制の支援会員のみを対象にした公演。プロデューサーの小林タクシーの原点ともいえる「覗き穴演劇」ZOKKYのスタイルを受け継ぎながらも、ツリメラのライブパフォーマンス。10分ほど。

ツリメラへの奴隷を志願する男、しかしそれは即座に却下され、ミンチ肉とされてしまう。

pit北区域、という場所を贅沢に使います。そこそこ広い空間に観客は一人。のぞき穴、というよりは宙に浮かぶドーナツ状の物体。もはやのぞきじゃないよね、とは思いつつ。それは新しい地平を開きます。

後ろからあるいは横からの音、穴の向こう側の風景など、サラウンドかというぐらいにあれこれ。 たとえば3Dの映画だって、平面のスクリーンで行う限りは幾ら頑張っても自分の目の前までしか出てこないのだけれど、視界を覆うように半球状のスクリーンならば身体を突き抜ける(つくば博の富士通館のあれ (1, 2) です)ように、今作は壁の穴から覗いていたところから、穴だけ残して壁を取っ払うことで、もっと別の空間を作り出しているのです。 ライブが目前で観られる楽しさ。ええ、でもライブは一人で観るんじゃなくてがっつり盛り上がりたいなぁ。とも。

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2015.01.08

【パフォーマンス】「うぇるかむ★2015〜革命の夜明け〜」革命アイドル暴走ちゃん

2015.1.4 16:00  [CoRich]

当日券、50分。

あの絵空箱でと驚くけれど、紙吹雪や生米こそあれど、水やナマモノを使わない形での上演。いつの頃からか、「おはぎライブ(オープニングで二階堂瞳子がそう云ったのが古いファンにはうれしい)には水とナマモノ」みたいになってきたれど、じっくり隅々まで見られることで液体を撒いたりするのが本質じゃないということがわかります。コンパクトな空間のカオス、それをじっくり見られる嬉しさ。

多くの役者たちをブロックに分けてそれぞれに演出とつけたり、役者たちが自ら小道具をセッティングし、ちゃんと場所を覚えておくこと。あるいは百均に並ぶライトやケース、バッグなど多様して小道具に仕立てること。 これまで製造業がやってきた、多能工とかセル生産という手法を恐らくは自覚しないままにパフォーマンスの現場へ再発明していると感じる私です。それが 日本の若者たちの身の丈で作り出していることにちょっと目頭が熱くなる想いだったりもします。

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2014.10.04

【芝居】「騒音と闇 ドイツ凱旋ver.」革命アイドル暴走ちゃん

2014.9.28 16:00 [CoRich]

元、バナナ学園純情乙女組の新生ユニット。私が予定していた相鉄本多公演は雪に阻まれ松本から出られず観られなかった半年前の出来事を懐かしく思い出す45分。解散のきっかけとなったアゴラ劇場へリベンジを果たしました。劇場履き持参指定ですが、 私は裸足にサンダル履き、足ふきタオルを持参で荷物を減らして参戦。ドイツを経て30日までこまばアゴラ劇場。

バナ学の後半と同様、いわゆる「おはぎライブ」のみのライブ体験。モチーフとしてテラヤマなど演劇が使われることはあるけれど、ヲタ芸に代表されるアキバ系からポップスまでさまざまな要素をごった煮に。大人数を出して混乱してるようにみえていても、たとえば役者たちが自分たちで考えて観客に道具を渡して持って貰ったり、使い終わった道具はバックエンドでも客席でもかまわず投げたり、客席の間に割って入って通るときだって、足を踏まないように最新の注意を払っていたり。それは演出の精度なのか、役者たちへの(言葉は悪いけれど)教育の結果かはわからないけれど、ちゃんと考えて動いている人々を更に統率するという演出の圧倒的な力を再確認します。

アタシが観てるものといえば、 ともかくノイズと混乱、かろうじてバナ学時代の糸電話演出が残ってるのが嬉しくて。映像はだいぶグレードアップしていて、アゴラの狭さを生かして、前列ならばほぼ視角を覆う三方の映像。あるいは開場中のMCはプロデューサー自ら、ちょっとジャパネット的なあおり方をしつつ(が、やや期待値上げすぎなのはご愛嬌)も、必要な情報を聞こえやすく伝えるのはバナ学時代よりもホスピタリティが向上していると感じます。

当日パンフで批評家の言葉であるとおり、一見カオスに見えて、緻密とゆらぎがしっかり。今作では、精度は格段にあがり、確かに最前列の目前で行われるヲタ芸では役者は踏み込んできたりはするけれど、手のフリが観客に当たることは(私が二列目から観てる範囲では)決してなく、寸止めの美。 前回ここでやったときの反省が根っこにあるとは思うけれど、ものすごく近づいてきてくれているのに、薄皮一枚(まあ、コンドームですw)で踏み込んでこないと感じるのは洗練されたとも云えるし、正直に云えば寂しい気持ちになったりもしますが、精度は格段に高いのです。

もう一つ、海外公演をしているのだとすると、 スク水や小学生を模したランドセル、旭日旗(まあ、シンボルではありますが)がさまざまがもりこまれてるのをそのままやったのだとしたら、どういう評価が為されたかは訊いてみたい気はします。

アマンダ・ワデルは西洋人らしく色っぽいシーンだって、あるいは可愛らしいシーンだって圧倒的に。おじょーこと 高村枝里は目力が圧倒的でたまたま目があってしまうとクラクラと。加藤真砂美もセンターをきっちり、安定していて。アタシの座った場所の関係からか、鈴木ももの表情、目力が圧巻。

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2013.10.20

【芝居】「6畳間ソーキュート社会」快快

2013.10.19 15:00 [CoRich]

新体制となった快快(faifai)の新作。役者二人+一人の構成でインスタレーション的な感じも強い65分。トーキョーワンダーサイト渋谷。20日まで。

iPhoneひとつで何でもできちゃう生活。ひとたび忘れれば待ち合わせの場所もわからなければ連絡も取れなくなっちゃうぐらいに生活に食い込んでいて。男と女は恋人で、家を行き来している。一人の時は婚活サイト眺めていたりする女だし、男だって神経質に部屋中の線量を計っていたりする。ある日、女は自分の妊娠を告げる。21世紀は思ったようにならなかったかもしれないけれど、未来に向けて確実に時間は流れていて、産まれてくる子供はその時間を生きていくことになって。

キャンセルが出てると聞いてのこのこ出かけていきました。ずいぶん久しぶりに、と思ったけどこのまえが以前からの快快の最終公演で、これが新生快快の一回目。間にはいくつか公演があったようですが、それは見ていません。客席は果たしてほぼ満員。空堀のように舞台が一番低くて、六畳間にベッドと机と椅子。客席はその外側に囲んで見下ろすように二列。開場中はベッドにiPhoneの画面が移されていて、役者が操作するテイで腕を動かすと画面が反応したりして。

開演もその連続になっていて、iPhoneを私たちが持つようになって生活から切り離せなくなってる、とか、5sはセンサーが強化されたので男女を見分ける(向けてボタンを押すと、男ならチン、女ならマン、と声がする、という下世話が楽しい)アプリがあるとか、忘れて出てしまうと場所がわからないどころか(電話番号なんて覚えてないから)連絡も取れない)とか。それぞれの部屋に住んでいる男女、iPhone使ってサイト検索したりSiri(音声認識エージェント)で会話したり、あるいは神経質に線量を測ったりと、それぞれの生活。

女が妊娠を告げてからは二人は同じ空間、21世紀になったけれど、iPhone以外の(クルマが空を飛んでたり、キノコ型のビルがあったりという)未来はそうでもなくて。だけれど、二人の間に育まれつつある命は自分たちよりも先の未来を(その子孫はさらなる未来を)生きるのだ、という気持ちがあふれ出す瞬間。物語というか「想い」を具現化して見せるのです。終盤は女の腹にマジックで笑顔、男は尻を出してぐるぐると踊っていて、二人で空間に浮かんでいるよう。終幕はその男女が客席の高さに上がってきて、あなた、わたし、わたしたち、と気持ちに定着させるかのような着地点。シャイな観客に対して歩み寄ろう、という気持ちかな、と思います。

やけに身近な六畳間あるいは自分たちが生きてきたここまでからの進化は、ブーブークッションが息を吹き込まなくても内蔵されたスポンジが勝手に膨らませる(なるほど!)というほどの僅かな進化だけれど、子供にある未来はもっと先まで行きそうだ、と想像して楽しくなる感じがこの人々の楽しさを感じるのです。 未来のさまざまを絶望ではなく描く若い劇団はこのご時世、そう多くはありません。皮肉でも裏返しでもなく、未来の可能性を信じる(あるいは信じたいと願う)というパフォーマンスをみるとちょっとウキウキしてしまう気持ち、アタシにだってあるのだな、というのが新しい発見。

わら半紙風に挟み込まれた「faifai ZINE」は老眼にはそろそろキツイ小さい字でびっしりの、スタッフキャストへのインタビュー集。見知った人々はずいぶん去ってしまったあとの新しい体制はどうか、というアタシの気持ちに寄り添います。こういう文章をちゃんと書けて構成できる方法を持っているというのはずいぶん凄いことだと思うのです。

faifai ZINEではずいぶんネガティブに喋っている山崎皓司は、馬鹿馬鹿しい日常の若者、子供ができて素直に嬉しい「まっすぐ系男子」をきっちりと。大技は使わないけれど、積み重ねた気持ちがきちんと。女を演じた野上絹代は三歳児の母親でもあって、妊娠とか、未来が見えそうな気持ちという説得力。ものすごく可愛らしく見える瞬間がいくつもあって、再発見するのです(ずいぶん失礼な物言いだけれど)ギーク風を演じた加藤和也は、そういう造型で開場時間をしっかりと繋いでいます。

2012.09.10

速報→「清水宏のジャパニーズ・ターミネータる! ~こうなりゃヤッタる、アバレタる!~」落語王

2012.9.8 19:30 [CoRich]

清水宏が、イギリス・エジンバラのフリンジフェスティバルへの参加の凱旋ライブ。休憩なしの3時間。9日までシアター711。

数千人のパフォーマーがしのぎを削る中、メインの通りから遠く離れて人通りのないところのライブハウス。チラシを配り、メディアに攻勢をかけて。

愛知のオバさんという風情の前説から、スタート。ずっとその格好だったという、スポンサーのワッペンが縫いつけられたオレンジ色のジャージ姿に身を包んで登場。 ネタというよりは、この不利な状況のなかでいかに七転八倒していったかを語る、報告というかセルフルポのような語り口。店の場所がいかに人通りがないか、チラシがいかに捨てられているか、フェスティバルのオフィスに乗り込み人の集め方のレクチャーを聴き、プレスルームに入り込んで嫌がられ、チラシを渡した相手の名前を聞き呼びかけること、ライブが始まったら始まったで出現する正体不明になった酔っぱらいへの対処、同宿の意味不明な男の怖さ、開演に間に合うかわからないぐらい遠くへのショーケース参加などさまざま。マイクもない素舞台を狭しと飛び回りながら語り切ります。

さすがに3時間出ずっぱりではなく引っ込んだりするけれど、語っていたその光景を撮った映像が幕間を埋めていきます。語るだけでも十分爆笑編なのに、まさかそんなことが、というのが語るだけではなくてちゃんと映像として抑えられているので、テンションが下がらずに続けられるのです。たとえば、店の前がいかに人通りがないか、というのは映像で見せればそれでおしまいのところ、映像がない状態でその説明を語りだけで臨場感たっぷりに成立させてしまうのです。そういう意味では昔からやってる体験ネタのようではあるのだけれど、濃密な一ヶ月ゆえに濃さも凄いのです。

身ひとつでの語りという意味では落語的なのだけれども、答え合わせのような映像でまた爆笑し、最後にそのネタのダイジェストで見せることで、追体験させるかのよう。実によく練り込まれていて、ほんとうに目が離せなくて、「清水宏」というジャンルなのだ、というtwitterで云う人が居るのも、納得なのです。

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2011.12.30

速報→「ゆく年くる年 "SHIBA⇔トン" 歳末大感謝祭」faifai(快快)

2011.12.28 19:30 [CoRich]

ずいぶんと久しぶりに拝見した気がします。2010年6月の東京上演のあとに、大阪、ベルリン、ブタペストを経て熟成を重ねた「快快の芝浜」の上演を核に、ツアー報告を交えたり今年の様々を織り込んで忘年会にもなっている180分ほど。28日までイベントスペースM。

中央に場所を空け、まわりを囲むように観客を座布団や椅子で座らせる、というなんていうんだろう、ドリンク・フードがあるからか、東京初演にくらべるとずっとパーティな雰囲気。

ツアーでは、その町ごとに長期間の滞在をして、各々のメンバーがその土地の「だめ人間」的な物をフィールドワークを重ねてきたのだといいます。時にドラッグ、時に風俗、時に舞台美術のためにゴミ置き場を歩いたり。あるいは世界各地の監視カメラに写る人々のこと。それぞれをメンバーの報告という形でそれぞれの役者、スタッフの語り。これもパーティ風という体裁によくあっています。これを聴くと、一年半、見た目のユルさとは裏腹に、彼らは実に地道にフィールドワークを重ねてきたのです。ステロタイプな「だめ人間」や「一攫千金」のようなものを言葉に頼らず、それは人にとってどういうことなのか、ということを言葉の違う土地での作業を通じて自分たちの中に沈殿させるというか、なじませる感じ。なじませたものを、200年前から江戸・東京と続く時間の地層の中で変わらない何かをつかもうとしている、という風に思います。

もっともその結果、今作で出てきたものはといえば、やはり「酒浸り」という単語だったり、「100円じゃんけん」という一攫千金シミュレーションだったり、あるいは「女体盛り」だったりと、前半のイベントは、やはりお気楽な感じではあります。それを経ての、後半、彼ら自身の演じる「高速マッシュアップ版・芝浜」というのは圧巻です。

だめ人間・クマちゃんと、その妻。芝浜の物語を語ろうというよりは、そのキーワードになる「だめな人」「一攫千金」「夢」のあたりを骨格にさまざまにインスタレーションをめまぐるしく作り出します。物語に直接関係なくても、地震のこと、原発や避難地域のことなど交えつつ。あるいは夫婦の愛情だったり、次から次ぎへと。こういうパフォーマンスで「マッシュアップ」ということばを使うのは珍しいと思うけれど、さまさまなフィールドワークで培った地力、それを砕き、ばらばらにして混ぜ合わせる構成力、まさにマッシュアップということばがぴったり。パフォーマーたちがiPhone片手にイベントを仕切るというのも、おそらくはプリンターなんかが当てにならないあちこちを飛び回る中で培った手法なんだろうけれど、なんか「道具として使いこなしている」感じで実にかっこいい。

前半のイベントの中の一つ、ミュージシャンたちに混じっての立川志ら乃の落語。といってもほとんどは、「二つ目昇進試験の時の話(NHKでの放映があったらしい)」。アタシはついに、生の立川談志を聴くことはできなかったけれど、その孫弟子の口から語られるその人となり(といっても試験のその場だけのことなのだけど)が見えたりするのは、年の瀬らしくてまたちょっとお得な感じもあります。

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2011.12.19

速報→「六本木姦姦娘★☆★純情乙女の陵辱Xデー!!!!!」バナナ学園純情乙女組

2011.12.18 18:00 [CoRich]

演劇ライター、徳永京子のProduce lab 89、今年5月にスタートして早くも6本目のハイペース。あたしは初めて拝見しますが、確かに目利きが選んだという感じのラインナップ。アゴラの支援会員から乗り換えようかと思っちゃう(いや、こっちには支援会員ないけど)のですが。クリスマスらしい女性ばかりの華やかで少し過激でアダルトな55分は22時開演でも終電安心でちょっといいなぁと思うのです。18日まで六本木・新世界。

この劇場、初めて訪れます。こういうのがあるところが六本木のすごさ ずいぶんと深く傾斜した客席、舞台はずいぶん高く設えてあります。最前列は「パンチラシート」と名付けられて少し料金高めの設定。あたしはそのすぐ後ろ、たまたま空いていた中央に。舞台の高さとほぼ同じ、遮る者がない没入感。じっさいのところ、後ろの通路で起きていることが何もわからないとか、舞台から投げられる白い粉(まあ砂糖ですが)やら、「ふえるわかめちゃん」やら、高性能な水鉄砲で遠くから打ち込まれる水やら、ときに水が固まりとなって飛んできたりと、このあと、満員の4列シートの高速バスで帰らなきゃいけないんですアタシ、ということにはまるで容赦がありません。たとえばスプラッシュマウンテンで水がかかるのを楽しむように、それを覚悟どころか楽しみにいくというのもバナナの一つのありかたですから、これも折り込み済み。徐々にコストを切り詰めるすべを身につけたか、配られる雨具すらも、こんなに薄い(しかし、簡単に破れたりする)のがあるのかというのもびっくりで。

物語をバナ学が語らなくなってずいぶん経つような気がします。過激というよりはカオスの中に立ち上がる情景を作り出して、それを観る側にゆだねるような作り方が手慣れてきてはいます。が、まあ、クリスマスの女子パーティゆえのなんかブラ姿っぽい露出多めだったり、耳元でなんか云われたり、あるいは肌が触れたり、なんてことにテンションと心拍数が上がったりする楽しさ。

この役者の中ではちょっと年齢高めじゃないかと思う川田希、中林舞はゲストだと思うけれどちょっとすごい。川田希は「ナツヤスミ語辞典」もそうだったけれど、身体を動かすというタイプに見えないのにけっこうきっちり。中林舞はもちろん身体の動きの綺麗さに目を奪われます。終幕でトゥシューズを結んでから踊り始める動き、この狭い舞台の上でもしっかりとしていて、ああ、訓練というのはこういうことだなぁと思うのです。ばんない美貴子もたとえば中央の手すりを移動するときの見慣れないと怖い感じだけれどきっちりとキレもあってな安定感もまた、身体を使えるということなのだなぁと思うのです。岡安慶子、実は踊ると結構ぱしっぱしっと決まる感じがかっこいい。

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