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2026.04.29

【芝居】「華氏マイナス320度」野田地図

2026.4.18 19:00 [CoRich]
野田地図2年ぶりの新作。140分。5月31日まで東京芸術劇場プレイハウス。そのあと福岡、大阪。

発掘された化石は天使の骨だとされ、同じ骨をもつ男の手に共鳴する「骨伝導理論」で天使たちの病を治療する研究をしている。スポンサーの製薬会社は内部抗争で対立している。中世の研究室、古代の洞窟と時代をさかのぼるうち、同じ研究をしている研究者や、胎児が天使の病かを見分けられる巫女と出会う。

焚書のディストピアを描いた「華氏451度」に対して、液体窒素の沸点(-196℃)という生物試料の凍結保存温度をタイトルに。 多くの社会的事象や文化をマッシュアップして組みあわせる野田地図は何度も通うリピータも多くて、確かに過去リピート観劇したときは複数回観れば腑に落ちたりしみこむ感じはありましたが、今回はこれ一回キリの予定のワタシ、断片や瞬発力で濃密な観劇の体験ではあるのだけれど、振り返ってみれば何の話なんだっけ、と思っちゃうのもまあいつもの話。

人間がいつのまにか神よりも高い位置にいるようになってしまったという言葉をまぶしながら、古代・中世・現代を「骨」を通じた「骨伝導」を軸として、医学や薬学といった科学と天使やメフィストやハメルンの笛吹きや巫女といったファンタジーを捻り合わせながら語る物語。 15歳までしか生きられなかった筈の男が医学によって生き延び科学を信じ、その骨から天使たちの病を治せたはずと信じ、あるいはそこからの創薬を目論む製薬会社の思惑。

病気を治すという医学の行き着く先、出生前診断などによってそうなる確率の高い芽を摘むと言う方向は時間軸をずらすだけでハメルンの笛吹きよろしく子供たちを笛で踊らせネズミを退治するかのように消してしまうということは、うっかりすると易々と飛び越えてしまいそうになるぐらいに近い関係で、科学というもののありかたの危うさが浮かび上がるのです。

主役とともに語り手も兼ねるタスケテを演じた阿部サダヲは笑いからシリアスまでグラデーション細やかに。メフィストを演じた広瀬すずの軽やかで陰影のある造型、教授を演じた深津絵里の安定感。大倉孝二が演じた笛吹き男はどういう人物かの見え方の落差が圧巻。小劇場勢のアンサンブルキャスト、安東信助、大村わたるの活躍が嬉しい。

終幕、音楽と手話の美しいシーン。音が消えても鳴り続けているよう。

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2026.04.22

【芝居】「粛々と運針」iaku

2026.4.17 14:00 [CoRich]
2017年初演2018年に再演されたiakuでターニングポイントとなったといわれる一作を、新たに上田一軒の演出と新しいキャストによる三演め。95分。大阪をへて三鷹市芸術文化センター星のホールで4月19日まで、そのあと新潟。

新宿眼科画廊やアゴラ劇場に比べるとずいぶん広い舞台に変わった今作、大きなリングを吊り上下させたり手前に傾けてみたりと空間を巧く埋めています。後から思えば、いわゆる生むべきという因習に囚われているようでもあり、斜めに切った竹のように生まれてくる命を象徴しているかのようでもあって、芝居の最中に上下に動いたり傾いたりしていたのは、芝居で語られる内容に応じて変えていたのかなと思ったりもします。

子供を持たないつもりだった夫婦に降って湧いた妊娠の兆候から、産むか産まないかの選択をめぐって分断しそうになりながらも対話を続けるふたりの話。あるいは母親の病気が見つかりフリーターの実家住まい兄と結婚し家を出ている弟の話。これから生まれてくる生命ともう終盤に差し掛かっている生命を象徴する役も配しながら、時に理想、時に現実の厳しさ、時に詩的に綴られる言葉を交えて、ごくシンプルな舞台なのにさまざまな方向に観客の気持ちを飛ばし続ける強さ。

初演再演では同じキャストだったものを一新して亡くなる母親を象徴する役はそれなりの年齢の役者に変えるなどの調整はされていますが、元々強い強度をもつ物語の盤石ともいえる役者陣、びっくりするほど安定していてそして印象もかわらないのです。テキストも演出も調整はされているよう(インタビュー)なのですが、まあそれはワタシの記憶力のザルさゆえにその差異を感じ取ることが出来ず。もちろんそれは不満でもなんでもありません。

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2026.04.20

【芝居】「汗が目に入っただけ」フジテレビジョン+アガリスクエンターテイメント

2026.4.13 14:00 [CoRich]
アガリスクの冨坂友の作演で、フジテレビによるコメディ。「エクストリーム・シチュエーションコメディ(kcal)」と名付けられた2019年に上演(未見)されたフォーマットで物語自体は新作のようです。115分。4月19日まで IMM THEATERのあと、広島、大阪、富山、山形。

58歳の若さでなくなった母親の通夜まであと3時間。兄弟たちがあつまるが、全てを任された長女はキリスト教式の葬儀で準備してきたが、長男は「普通の」仏式の葬儀だと思い込み菩提寺に僧侶を頼んでいることが発覚して揉めている。次男は自分の仕事でそれどころではない。無くなった母親本人は亡霊のように子供たちの様子を不安に思っているが、伝えることが出来ない。
それとは全く関係なく宗教の勧誘に訪れた女には、その母親の姿も見えるし声も聞こえていて、取りなすよう巻き込まれてしまう。
という芝居を上演する人々、役者たちは2チームに分かれていて上演中のカロリーを競うゲームを行っている。

葬式で揉めた兄弟たちに心を痛めた亡くなった母親自身がよかれと思って葬儀をなんとかまとめるべく唯一イタコ的にコミュニケーションが取れる他人を巻き込んで発した少しばかりの嘘が膨らんでいくバタバタを描くシチュエーションコメディという前半はいわゆる芸能人を交えたキャストでいい話に着地させる流れかとおもって見ていました。

突然、ハーフタイムが宣言され、舞台上方に大きなモニターと実況席が現れ、この舞台そのものが「スポーツ」でそれは役者たちの消費カロリーによって決まるのだと宣言されます。ともかく消費カロリーを上昇させればいいかといえば芝居に関係なく大げさすぎても反則行為とみなされる、というルールがあるのだということも示されます。 ワタシは知らなかったけれど、webなどでは「そういうフォーマットだ」と大々的に告知されていて、なるほど物販にイエローカードやらホイッスルやらのグッズが並んでるのはそれかと今更気付くワタシです。

この枠組みが宣言されたあとの後半もいちおう物語は進むし良い話的な着地もするけれど、あとは芝居に関係ないほどに、沢山喋る役者はそれなりにカロリーを使うし、舞台上の役者は台詞がなくてもスクワットしていたり、果ては主演女優が無駄な動きが多すぎるとレッドカードで退場させられてベンチで悔しがってみたりと、その「エクストリーム・シチュエーション・コメディ」のメタ視点の方に重きが置かれて後半は進みます。

試合を半ば放棄するように活動量計を外して「普通の芝居で、競技でなくても芝居は面白い」という着地は芝居に対する優しい目線のウェルメイドな感じですが、いわゆる推し活的な意味で観客側が熱量でマウントを取り合うようなエンタメのありかたが重なるように勝手に感じて面白がるワタシです。

正直にいえば、外側のメタなエクストリームスポーツの内側に内包するものはこういう物語である必要はなく、もっといえば芝居ですらなくてもいいわけでそういう意味では仕掛けが提示されたハーフタイムまでが最高潮に感じるのです。あの活動量計の数値は実際の数値をワイヤレスで取得してるものだったらそれはそれでまた別の面白さがあるしそういうシステムの中身を本当に見てみたい気はするけれど、おそらくそうではなくて、あのエクストリームスポーツ的なものもまたツクリモノなのだという三重構造にしてるのかなぁと思ったりもします。(本当に活動量計の数字をリアルに取得してるんっだら申し訳ない。それならどこかで技術記事が読みたい)

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2026.04.12

【芝居】「歌わせたい男たち」Periodista

2026.3.20 18:00 [CoRich]
初見の劇団です。作品自体は二兎社での初演を観ています。3月22日まで cafe & bar 木星劇場。1h40。

非正規採用で不安定ながらやっと音楽教諭として採用された女が、卒業式で斉唱予定の君が代のリハーサル直前に体調を崩している保健室でのワンシチュエーション。 君が代の伴奏を拒んでいた前任者はじめ何人かの教師が違和感を抱き斉唱に加わらなかったために、校長には有形無形の圧力がかかっていて、校長はなんとしても君が代斉唱を完遂したいし、それに同調する者もいる一方、すでに少数派となってしまった「左」の君が代反対派の教師とのあれこれをえがく2005年。二兎社らしいといえばらしい社会派に戸田恵子という稀代のコメディエンヌを組みあわせていました。

ずっと規模の小さい今作だけれど、濃密なワンシチュエーションはそのままに、おそらくセリフも余り手を入れていないのではないかと想像します。生活のために非正規採用でもしがみつかなければならない職を描く序盤(なんせ元シャンソン歌手ではあって歌えてもピアノは不得手という設定)はあの頃よりずっと深刻になっているけれど、校長とのほぼ二人きりの序盤は、丁々発止コミカルでもあって悲哀でもあって。この場での校長はもちろん歌わせる体制側なのだけれど、終幕で、それが過去は内心の自由こそ大切だと訴えることで、変質というよりは立場と時代に合わせて自分の心は守りながら、外形的にはどこまで譲るかの戦いなのだということの凄み。終盤の演説は悲壮的だけれど、現実の姿でもあります。

一方でまっすぐリベラルである教師、その信念はもちろん素晴らしいしそうありたいとも思うけれど、今作では左に固執するあまり清潔感とか身だしなみといったものに気を払えなくなってる風に見えてしまうのは、そういう意味ではとてもリアリティ(←ワタシの偏見です)があるといえばそうなのだけど、少々感情移入しづらい造型になっているのが残念。 初演でのこの役は近藤芳正で不確かな記憶だけれど髪振り乱した熱演だったとは思うけれど、感情移入できないということはなくて、そういう意味でフィクションだからこそ丁寧に造型していればと思うのです。まあ、ワタシどの口で言うんだっていう壮大なブーメランという気もしますが。

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2026.04.11

【芝居】「野々村良枝の失踪」タテヨコ企画

2026.3.20 14:00 [CoRich]
タテヨコ企画の新作。3月22日までアトリエ風姿花伝。120分。

母親が認知症で行方不明になる。実家には父親や長男のほか、長女が中国赴任のため預けた娘、別に女を囲っている次男に代わり事実上実家の面倒をみている次男の妻が暮らしている。 母親の行方不明の知らせを受けて数年ぶりに長女が帰宅する。

認知症で居なくなった母親、久しぶりに会った家族たちのぎこちなさだったり明確な不満だったり素直になれない気持ちだったり。母親を中心にゆるやかに繋がり甘えていた人々がその欠落によって自分の立ち位置を見つめ直すこと。 認知症をどう呼ぶか、認知症患者自身にとってはどういう世界が見えているかなどの基本的なベースを共有しつつ、それを啓蒙するというよりは直近の記憶は抜け落ちても昔の記憶は鮮明に残っているという認知症の特性を枠組みとした物語だと気付くのです。

子供たちが幼く、自分たちが若かった頃はもちろん毎日大変だったけれど、あの時に撮った写真がピンボケでもなんでも、繰り返し見ることで鮮やかに蘇ること、それは認知症となった(そしてそれはある程度自覚できている)母親自身の日々の支えで大事にお気に入りのバッグにいれていたし、それを子供たちがあのかけがえのない日々を思い起こすことに繋がることの暖かく、切ないことなのです。

認知症の母親を演じたあさ朝子は若い頃の母親の優しい視点から認知症故の激昂する老婆までも一人の人間の老いをギュッと一人で背会う安心感。次男の妻を演じたいまい彩乃は「古き良き」支える女であり続けたあとから見切りをつけ自由を得るある種の成長。長女を演じた舘智子は頼りになるけれど家族の距離があって思うようにならない歯がゆさ。次男を演じた西山竜一は若い女を囲い全てを失うという踏んだり蹴ったりな役だけれど中年男の悲哀を一身に背負うよう。同居する長男を演じた園田シンジはニートだけれど近所や同居する人々をよく見ている賢者といった風情が実はカッコイイ。長女の娘を演じた宮崎明音は軽口を叩いたりイマドキだけどまさに「いい娘に育って」を体現するようで眩しい。 ケアマネを演じた福永さとみは外からの視点の安定。父親を演じた宮島健は若い頃のカツラはご愛敬だけれど、年齢を妻を愛し続ける爺さんというあるようでなかなかない真っ直ぐな造型。近所のおばさんを演じた久行志乃ぶ は愛想のいいかんじだけれど、うっとうしさを通り越してヴィランに成り果てる人の汚いところもしっかり。

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【芝居】「ミッキーアイランド」滋企画

2026.3.14 18:00 [CoRich]
FUKAI PRODUCE羽衣の座付き作家だった糸井幸之介の作演による滋企画の新作。 3月22日までアトリエ春風舎。115分。

還暦近くのバツイチ長髪ロックミュージシャン。ライブハウスで20年ぶりの新曲をライブハウスで対バンになった22歳女性に捧げようとしたとたんに転倒する。
バンド仲間が部屋に運んでくれ、ときおり差し入れをして貰えるがベッドのまま動けないし、対バン女子へ電話しても連れない。 動けないままに、いろいろ思い出す。

還暦にもなってだらだらと売れないミュージシャンを続ける男、たった一回の転倒による骨折で動けなくなった結果のいろいろ夢想と現実の交錯。子どもの頃に漏らしたり食事したり風呂に一緒にはいったりといった、優しい母親との思い出から、母の晩年を二人暮らしで介護していたこと。 元妻との久々の再会と、出会った頃に学生だった元妻とのデート、父母に合わせ、息子が出来てといった思い出。 ずっと会っていなかった息子が現れ車椅子で居酒屋に一緒にいったり。

介護や結婚は経ているけれど、独り者で楽しく暮らしてきた男、それなりの波乱と背負っているものはあれど、突然の骨折で動けなくなることで、人生の仕舞い方みたいなことをする間もなく、ともかく幾つかの思い出を「しがんで」いること、つまり過去の記憶を頼りに過ごすのはなるほど走馬燈。 全体の調子は緩急あれど基本的にはストレートプレーにミュージカル風味、そうFUKAI PRODUCE羽衣の「妙ジカル」なかんじで軽やかなのです。

一方で序盤の骨折のキッカケは、若い対バン相手の女性に対して年甲斐もなく色気を出したこと。自覚のないストーカーっぽさ、怪我をしてなお電話して遠ざけられることなど明確に「気持ち悪い」キャラクタ造型だけれど、この気持ち悪さ自体は序盤でスパッと終わるのが救い。これを自覚して描いていることは大変重要で、気持ち悪さこそなくても、元妻が心配してきてくれるとか、長く会わなかった息子が会いに来てくれるとか、結婚にしても男の側の家族だけが描かれるなど、どこか男の身勝手な綺麗な妄想ではあるのです。それでも、自分の母親の介護など現実に向き合う部分もあったりしてその視点のないまぜな感じが実にオジサンにとってのリアルな感じでもあるのです。

終盤、亡くなった男の家に現れたネズミたち、ネズミたちが集まる「ミッキーアイランド」のシーンはセリフもないけれど、生きて死ぬネズミたちの姿は、人間たちの営みを俯瞰して観るよう。なるほど。

動けなくなった男を演じた佐藤滋はほぼ出突っ張りで、情けない中年オヤジからゆるやかに老いる男という男の晩節を細やかなグラデーションで。母親を演じた永井茉梨奈はシングルマザーの力強さと息子に対する優しさ、老いて介護されるがわになるまでのダイナミックレンジの広さ。元妻を演じた井上みなみはあくまでサバサバとクール、少しの情けというさじ加減が絶妙。序盤の狂言回しとなる「空気」から息子までさまざまな役を兼ねる木村友哉の自在な振れ幅。「悪い空気」を始めちょっと強面側を支える岡本陽介との対比も楽しい。

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2026.04.02

【芝居】「若芽 wakame」劇団コピュラ (かながわ演劇博覧会)

2026.3.8 18:00 [CoRich]
神奈川演劇連盟の博覧会企画。拝見できたもう一本。草野球ならぬ「草コント」と称して行っているワークショップからの参加者による創作コント集。それぞれの枠は45分ほど。スタジオHIKARI。

禁煙外来なのにタバコ吸いまくりどころか勧めてくる。「smoking area 」
そのバーはマスターがなかなか出てこない「いないいないbar」
果物店に来たつもりのマダム、キャバレーの呼び込みとの会話がかみ合わない「」
夫婦と友人の男3人。きまずいところに来てしまったらしい。「大人さんが転んだ」

一本目は禁煙外来なのに医者がタバコを吸うところか勧めてくることをどんどん押してくる。オチとなる(電子)タバコのサンプリング配布って、かつて盛り場ではよく見られた光景だけれど果たして今の時代の若者に響くかなぁと懸念はあれど、あらゆることにマネタイズが要求されてしまいがちという昨今の風潮だという風刺を効かせて。

二本目、マスターがまあ隠れては「ばあ」と出てくるという出落ち感あれど、それをともかく手を替え品を替え力で押し切る力わざ。

三本目、果物店に来たマダムと風俗の呼びこみ、果物の名前とホステスの源氏名(ピーチちゃんとか)で繋がりつつ、箱詰めにするとか味見するとか観客(すくなくともワタシは)下ネタに想像を膨らませれば限りなく広がるギャップのワンアイディアが楽しい。これを「青少年センター」でやる、というのも素晴らしいとおもう悪い大人のワタシ。

四本目、夫婦が揉めてきたところにタイミング悪く来てしまった友人、「だるまさんが転んだ」を唐突に始めながら、そのリズムに乗せて夫の浮気、妻も浮気の告発から始まり、仲直りして、やがてミュージカル風の振りをつけた大団円と、(お笑いに詳しくないワタシだけど)フォーマットの発明ではないかと思ったりするワタシです。

いわゆるお笑いに分類されながら、小道具とかセットを使って長編にも展開されたりと小劇場のすぐ隣にある領域のコントだけれど、物語を伝える以上に、愛すべき登場人物たちを笑いに昇華させることが必要なコントの気軽さと裏腹の難しさ。きっちり笑いを取っていくけれど気楽に見られる楽しさ。

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