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2026.03.25

【芝居】「テンチュウ」黒船 (かながわ演劇博覧会)

2026.3.6 19:00 [CoRich]

神奈川県演劇連盟が主催し入場無料出入り自由で多くの団体が順番に一時間弱の作品を上演する「かながわ演劇博覧会(えんぱく)」。ワタシは始めて拝見しました。時間の関係で2団体だけ拝見した1本目の「黒船」は4団体の作演をする主宰たち4人によるユニット。

ホームセンターのバックヤードで昼休憩しているアルバイトの中年男たち。男の一人が思いを寄せる女を食事に誘おうとしている。誘おうとしている女は職場の若い女で実は何度も断られているが諦めきれない。二人の同僚たちも少々呆れながらも話を聞いている。

ホワイトデーのお返しというプレゼント包装を抱えて嬉しさ一杯の表情の序盤で始まり、徐々に中年男の少々無理筋な恋物語だということがわかってきます。まあ、実際のところすぐに食事の誘いは断られてしまってからの後半が圧巻で、他のスタッフたちもその女を誘って食事に行ったり恋人っぽかったりというあれこれが次々に明らかになり、まあつまりオタサーならるホームセンターの姫状態なのだということがわかり、更に終盤では「テンチュウ(天誅)」を下そうとなるのだけれど、それはその女に対してではなく、というあたりがスムーズで濃密に楽しい一本。

自分はなんとかその恋を手に入れられるのだという根拠がない、しかし実に脆いプライドをもつ中年男たちの悲哀。 序盤のストーカー気質っぽいあたりは少々危うい感もあるけれど、全体にコミカルに描かれる一本で、フラれてからはさらに同僚の二人が自分が実は食事に誘っているとか、過去に付き合っていたとかを白状するあたりは彼らを微笑ましく良い人と描くどこか暖かい話として描くのかなと思えば、拷問のためといって、シュマロを口に詰め込もう、しかし女には拷問なんかしないと言い放ちそれぞれにマシュマロを握りしめて去って行く三人がカッコイイ。

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2026.03.24

【芝居】「海の凹凸」serial number (ex. 風琴工房)

2026.2.27 19:00 [CoRich]

詩森ろばが2017年に俳優座に書き下ろした水俣病支援者をテーマにした作品(未見)を自劇団として改訂再演。130分。3月8日までザ・スズナリ。

1980年代の東京の大学で関係者の手弁当により続けられた市民講座理不尽に出世を防げられても講座を続けてきた助手、大学内に印刷所を設け支えてきた男、横浜からフィルムを借りるために講座に出会い講座を続けてきた女、講座を支える大学生たち、現地水俣に住み作品を発表し続ける女。10年ほど続いたが、問題は解決しないのに講座が終わろうとしている。

水俣病は知っていても、それが社会問題とみなされなくなったあとも「公害原論」と題された公開講座を核に ずっと支援をしていた人々のことは不勉強にも知らなかったアタシです。その時代の流行とも云えた学生運動には間に合わなかった世代、水俣に出会い全力を注いできた多数派とは言えないコミュニティの中で、結果的に一人の天才を囲み運動している気分にはなっているけれど、活動としては跡を継ぐ人材を生み出すことが出来なかった運動の行く末の寂寥。

それゆえに活動の中心にいる人物が離れてしまうことで、集団としての活動が変容してしまうのです。命を絶つ者、生活を変える者、その中である意味では生活を犠牲にし、しかしその理想故に惹かれ合う二人は寂しさを互いに埋めるのではなく、寂しさを理解出来る人が隣に居ることを選び取る終幕は、詩的でロマンティックでもあるのです。

教員を演じた杉木隆幸は序盤の説明から圧倒的な信頼感を得られる人物という説得力。印刷所を営む男を演じた西原誠吾は活動に静かに熱狂ししかし一方で家族への断絶という歪みのある男がとてもよい。串田十二夜のイノセントな学生からいろいろ清濁呑む大人への一歩という成長の解像度。

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2026.03.22

【芝居】「××××オンリーカインドトゥミー」日本のラジオ

2026.2.22 16:00 [CoRich]

日本のラジオの新作はだいぶ久々の劇団員だけで55分。2月23日までRAFT。

連続殺人犯の女性が逮捕され、ジャーナリストからの取材に応える。拘置所の職員は妹と二人暮らしだが、妹は時々家を出てしまう。犯人に殺された女は明るくポップだが希死概念が抜けない。

フィクションだけれど、2017年に発覚した実際の事件(wikipedia, 集英社新書プラス)を参考にしているといいます。犯人こそ女性に変えているけれど、連続して殺し頭蓋骨をクーラーボックスに入れて補完したり、自殺願望の女性をターゲットにしたり、記者に差し入れを要求したりと、なるほど事件をモチーフに犯人像を組み上げているように感じます。一方で殺され(たorかけた)女たちとの会話であったり、拘置所の職員の生活などの、同じ時代を静かに生きている人々を描くことでセンセーショナルな事件と日々の生活が紙一重で脆いモノだと描く作家の視点を感じるワタシです。

殺された女は拘置所職員とマッチングアプリであったことがあり、拘置所職員の妹は近所のスーパーでジャーナリストに会っていたり、あるいは殺人犯の家に転がり込んでいたことがあったりと、たった5人での物語ゆえにギュッと関係が凝縮されている箱庭感はありますが、1時間ほどの少人数の舞台ゆえにそれが心地よかったりもするのです。

職員を演じた安東信助は日々、妹との生活を守るために日々心を殺して働いているけれど、マッチングアプリであっさりフラれてしまうというあたりの中年男の悲哀が細やか。 妹を演じた日野あかりはどこか劇団のモチーフである猫のようで、気まぐれで世間知らずなイノセントさ。 殺された女を演じた沈ゆうこは死にたいと思いながらもやけに明るくというリアリティ。 ジャーナリストを演じた田中渚を舞台で拝見するのはもう随分久しぶりですが、変わらずスタイリッシュで何より嬉しい。 殺人犯を演じた永田佑衣は身近にある人々の恐怖を一人で背負い込む強いストレスがあるであろう役を走りきる胆力が確かなモノで。

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2026.03.21

【芝居】「メヤグダ」ホエイ

2026.2.21 18:00 [CoRich]

ホエイの新作。津軽弁を駆使する作風だけれど、東京を舞台にするという新しいスタイルの90分。2月25日までシアター風姿花伝。

東京にある津軽県人会の事務所。別の県人会から独立して10周年でイベントを企画しているが、出演者のキャンセルがあり、津軽出身や津軽に住んだことがある職員たちは調整にドタバタしている。津軽の出身者やその家族が会員として出入りしているが、よく姿を見せる男は上京して三年経つがなかなか東京に馴染めないようだ。

インタビュー(紙背)によれば、東京を舞台にして地方を描くことで方言芝居の拡張として県人会を思いついたのだといいます。確かにありそうで今まで観たことがない設定で、おなじコミュニティなのに、グラデーションのある方言と標準語が飛び交うというのは新鮮な体験です。

地方で借金を抱え、親族とも疎遠になっていてどうにもならなくなって上京した男。少々粗暴で扱いかねたりはしながらも、その男の数少ない拠り所である県人会の人々はなんだかんだ面倒を見ていて。その男が突然亡くなってしまって明らかになること、新たな縁ができることが描かれます。ずっと一人でいて数少ないコミュニティでもうまく立ち回れないことでどんどん居場所がなくなるし、弱いのに酒を呑むことで繋がろうとすることなど、もうほんの半歩先に見えているワタシの姿のようでもあって身につまされるのです。

親族との縁が切れていて、「メヤグダ(迷惑だorありがとう)」「かまど消し」とも言われた男と、その葬儀を肩代わりする「お節介」で成り立つ県人会の互助会的機能の手厚さとその苦しさ、見つかった親族にもそれぞれの事情があって引き取れないこと。世間で言われる正しさよりも、そういう問題があることを提示して糾弾したりはしないということが、今の作家から見える地方出身者のリアルであり、優しさなのだとも思うのです。

男の死を描くシーン、湯飲みを落として割れ、それを片付けているうちいつのまにか骨上げへとシームレスに変わるシーンの凄さ、地方をもり立てるイベントなのに「嫁いびり」とも言われる「弥三郎節」という倒錯もちょっと面白い。亡くなった男の妹を演じ、この声量で圧巻の終盤を決定的に歌い上げた東さわ子が印象的。

上京して働く職員を演じた三上晴佳や中田麦平、あるいは津軽に住んだことがある職員を演じた赤刎千久子は、離れた場所で津軽を見る思いや津軽弁ネイティブさのグラデーションが見事でホエイに欠かせない役者陣。ここが好きで通う年輩の女性を演じた羽場睦子は時に正論、時に空気読めない場を転換させる力。宅配員を演じた尾倉ケントの巻き込まれ面白がる軽やかさ。所長を演じた河村竜也は軽薄でしかし人情に厚い人たらしな造型が実は珍しい気がするワタシです。上京して馴染めなかった男を演じた山田百次はそういう人が居そうな細やかな造型。

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2026.03.15

【芝居】「くにお君と行く!伊藤企画 都内ぶらり旅~チェーさんも行けたら行くって~」伊藤企画

2026.2.15 16:30 [CoRich] (高円寺K'sスタジオ)
2026.2.21 15:00 [CoRich] (アトリエ春風舎)

岸田國士(くにお君)の戯曲とチェーホフ(チェーさん)の短編小説を原作として、劇作家・演出家の劇作家・演出家 伊藤毅が、現代日本の生活実感に即して翻案・演出した短編を組みあわせながら都内三箇所の劇場を三週間にわたってツアー公演。2.14-15が高円寺K'sスタジオ、2.20-21がアトリエ春風舎を拝見しました。2.28-3.1がギャラリーがらん西荻。95分。 翻案戯曲を事前に公開しています。

新婚旅行で大阪に行った妹が早く戻り姉夫婦の家に来る。姉夫婦の家には下水道修理の男が訪ねてきている「驟雨」(Aキャスト)
自分の話をするワークショップ形式の会合。一人の女が昔の経験を話す。友だちの兄と一緒にソリに乗ってとても怖かったけれど、そのとき耳元で声が聞こえた。「たわむれ」(または悪戯)
田舎に移住した夫婦。妻は演劇で、夫は害獣駆除で町おこし隊として生活している。もっと余裕ができたらと鎌倉への旅行を夢想したりする「紙風船」(Bキャスト)
学生の頃の知り合いが久しぶりに会って互いの妻が買い物をしている間、デパートの屋上で話をする。 二人はかつて小説家を志していたが、一人は家業を継ぐために書くのをやめたが生活に余裕がある。一人は小さな賞をとったものの売れてはおらず、ロシア語翻訳などで暮らしており生活は苦しい。「屋上庭園Ⅰ」
その日の晩、帰宅した小説家の夫婦。妻どうしの会話の中で、小説を辞めた男が、小説家の才能を心底褒めていたのだと聞かされる。「屋上庭園Ⅱ」(Aキャスト)
介護の勉強をしている姉と同居している弟。仕事が決まらないふたりに、弟の友人たちは仕事を紹介したりなにかと気を遣ってるようによく通ってくる。いつものように寿司をとって食べよう、ということになる。「かんしゃく玉 Act 2026」

「驟雨」は新婚旅行にでかけた筈の妹が早々と姉夫婦の家に戻り、新郎への不満のあれやこれやを話すのだけれど、男は勝手で女が合わせる努力や忍耐を強いられるというのは時代が変わっても程度の差程度でしかなく変わらないという話。その理不尽が明確な原作(青空文庫)のほうがシンプルですっきりとしているけれど、現代版では一ひねりしてて、男も何かもっと後ろめたいことを隠してるし、新郎も今でこそ一人前の顔をしてるけれど今の地位にくるまでの半ばヒモ状態を支えてきたのが女なのだというのがより面倒くさくなっているかんじ。 現代の日本の普通の家ではまずあり得ない、原作の家政婦という役を、排水管詰まりを直す工事屋に置き換えたのはちょっと不思議な感じがします。

「悪戯」とも題されることの多いチェーホフの「たわむれ」は未見。小説原作なので女性の一人語りという体裁をそれぞれ自分の話を交替でするワークショップ形式の会合のような場所にしたのはなるほど今っぽい。家族も居て夕食の準備もあるけれどその隙間時間のワークショップ、みたいな忙しさも今っぽい。物語の骨子はおそらくそのままで、友だちの兄と二人でソリにのり、滑走が怖すぎるけれど、その中で「好きだ」というささやき声が聞こえた気がして、それが兄のものか風の男の悪戯かがわからず、でも、その声が聴きたいばかりになんども何ヶ月にもわたってソリに乗るというのが、中毒めいた恋心で切実で、可愛らしくて。演じた竹原千恵の働く母親という感じで化粧っ気のないフラットさがいい。

「紙風船」は、元々(青空文庫)はどこか倦怠感のある結婚一年目の夫婦の日曜日の過ごし方についての他愛ない会話。それぞれが出かけるとか、鎌倉行きの妄想とかを話しながら、駆け引きのような会話。今作はもっと切実に生活は厳しくでしかも移住したばかりで害獣駆除と演劇で町おこしみたいな活動が支えで自由にならないがんじがらめの生活の外枠で。金があれば、金ばかりじゃないがということではあるのだけれど、なんかもっと切実で。象徴的に終幕で出てくる紙風船は原作よりもより明確に二人の間に子どもが舞い降りたように描かれていると感じるワタシです。夫を演じた尾崎宇内はどこか余裕がなく、妻を演じた村岡佳奈は楽観的に感じる味付け。

「屋上庭園1」は缶コーヒーやスマホなど、今っぽい味付けはされているけれど基本的には岸田國士の原作(青空文庫)とほぼ同じ枠組みで進みます。飛び降り事件は現代向けの翻案かと思えば原作にあるのもちょっとビックリしますが。こちらの方は、小説を書いていた男二人がそれから時が進んで一人は辞め、一人は翻訳でなんとか食べて居るけれど、小説は書けていなくてという感じではあるのだけれど、金を持っている側も無い側もそれぞれのプライドがあって、かつての頃のように分け隔てなく話せる関係ではなっていることの悲しさは時代が変わってもどちらにも有る風景で。

「屋上庭園2」は役者が「1」とは異なっていてちょっと戸惑いますが、同じ日に帰宅して帰った(金の無い側の)夫婦の話で、「屋上庭園」に外挿するように作られた新作。ハイボールを飲みながらリラックスして、それぞれの会話を補完するような答え合わせするような。こんな風に膨らませていけば、まるで一つのモチーフで楽曲を作り出していくかのように、一幕のごく短い芝居から中編長編と紡いでいけるんだなぁと思ったりします。著作権が切れている作品だから自由が効くというところはあるにせよ。

ワタシにとっては岸田國士といえば「かんしゃく玉」と言うぐらいなのだけれど、ACT2029と名付けられた今作、だいぶ捻って膨らませた一本。仕事にありつけない男と同居する女、友人たちは男のためといいながら、女への下心、腹を立てた二人はかんしゃく玉をぶつける、というぶっ飛んだ原作(青空文庫)に対し、なぜ二人は仕事につけないのか、なぜ友人たちは集まってくるのか、という背景がちょっとした現代のホラーなのです。イマドキそこら辺では投げられないかんしゃく玉に変わって二人が投げるのは最初はわからないのだけれど、出前寿司の醤油の小袋を溜め込んだもの、というのが謎解きにもなっているのが面白い。

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