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2026.01.18

【芝居】「KNOCK UP」神奈川県演劇連盟(合同公演)

2025.12.21 14:00 [CoRich]

神奈川県演劇連盟に加盟する役者が出演し、同じく加盟する作家のホンを、加盟する演出家が演出するというある意味お祭り的な企画公演。 80分。神奈川県立青少年センター・紅葉坂ホールでの千穐楽を拝見しました。

市民劇の会場、漁師から漁船を借りてセットに組み込み、漁師たちも出演させようという企画の劇場入りの日。演出家に電話があり、漁師たちがボイコットして、漁船も来ないという。雷鳴がとどろき、客席に海賊船が現れる。

舞台上に円弧状に客席、緞帳の向こう側も使いつつでの舞台使い。入場した観客は通常の動線ではなくて、ホワイエ横から楽屋口、楽屋前を通り舞台袖から舞台上に。バトン操作のためのロープやら、みたこともないぐらい太いスプリンクラー設備の送水管に興奮しつつの入場。

舞台装置も役者も揃わずピンチに陥った市民劇の稽古の場に、タイムリープしてきた本物の海賊たちと海賊船が現れ、ショーマストゴーオンに舞台が作られていくものがたり。緞帳の向こう、客席の一番奥に海賊船が現れたり消えたりな仕掛けをつくり、通常の客席の一番奥から舞台面まで走り回ったり舞台面と同じ目線で繰り広げられる殺陣の迫力。円弧状の椅子でなんとなく察しはつくものの、回り舞台いわゆる盆廻しがあったりと、舞台という装置の面白さを下敷きにしつつ、 演出家と海賊の長という二人の女性の友情というかバディ感の少年ジャンプ風味の疾走感で走り抜けて、スパッと海賊船が消えてしまうある意味後腐れのない終幕で、どこか爽快感すら感じさせるのです。

演劇連盟というある意味寄り合い所帯のプロダクションであるがゆえに、若くてアクション目一杯の役者も和服でしっとりしつつ迫力ある役者がいたり、キャラクタ的にもコメディリリーフ的に鈍くさそうだったり、はては海賊オタクで「あっち側」に行ってしまったりと多彩。友情を育むというシンプルで強固な核がある故に、それ以外の遊びが奥行きを持たせるようで楽しく、お祭り感もあるのです。

演出家を演じた環ゆら 、海賊の長を演じた仲満響香がバディ感を醸していく過程こそが今作の核できっちり。作家を演じた牧野愛弓の巻き込まれキャラがコミカルで楽しく。海賊好きオタクな役者を演じた今井勝法の職人としての役者と好きなものにはまり込んでるプライベートのギャップが楽しい。海賊に捉えられていた男を演じた 野比隆彦は、芝居が楽しくなって、そこを突き進む感じが、まさに「演劇連盟」的なキャラクタ。演出をかねて舞台監督役を演じた 中山朋文 は舞監ゆえの頼りになる兄貴風が頼もしい。

紅葉坂ホールは三ヶ月の改修に。その最後に舞台裏がみられたのも嬉しく。

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2026.01.10

【芝居】「父と暮せば」

2025.12.20 18:00 [CoRich]

ずっと観てこなかったのに、ここ数年、続けて拝見する( 1, https://kawahira.cocolog-nifty.com/fringe/2025/01/post-574ae0.html) 印象の井上ひさしのマスターピースのひとつ。105分 12月21日までベイサイドスタジオ。

二人芝居に加えて生演奏のパーカッション(栗木健)。雨漏りすれば音を出し、ときに突っ込むようにトライアングル鳴らしたりなど、狭い空間ゆえのある種の駆け引きがもう一人の人物のよう。父親を演じたおのまさしは、だいぶ押しが強い大声の造型。娘を演じた生田由明乃は強さよりは、控えめというか隠れて生きていきたいと思っている被爆者の思いを体現するようなキャラクタに。

終幕、娘だけがコートにパンプス、なるほど一人で暮らしていた家から娘が出て行く姿、結婚に至ったのではないかという将来の希望を感じさせるラストが美しく、嬉しい。

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【芝居】「季節」普通

2025.12.13 18:00 [CoRich]

劇団「普通」の新作は初めてのシアタートラム。これまでの三鷹市芸術文化センターと客席数はそう変わらない(CoRich舞台芸術によれば)けれど、キャストも含めて何か特別感を感じるワタシです。110分。12月14日まで。

子どもの居ない叔父の家に集まる家族たち。
叔父の兄夫婦はその次男夫婦が同居していて今日来ているのは次男夫婦だけ。長男は独身だ。 叔父の弟夫婦は最近すがたを見せないが、その息子も顔を出している。 つまり、叔父の兄弟たちは集まらないけれど、その子ども世代が訪れている。

子どもの居ない叔父に集まる三親等から五親等ぐらいの近いような遠いような距離感の親戚たちのものがたり。兄弟でも年齢を重ねるというだけで、それぞれの家族や生活によって疎遠になっていたりするけれど、死んでるわけではなくても、ところどころ歯抜けしつつ、それでも定期的にあつまっている風景は、ワタシの体験としてはあまりないけれど、そういう関係が継続しているということもあるのだな、というぐらいのリアリティ。劇団特有の茨城弁はそのイントネーション、独特のリズムゆえにどこか実在する場所感はあるけれど、けっして茨城だからという話でもなく。

窓を開けたら蚊が入るだの、家の前に駐めているクルマを動かさなきゃだのと他愛ない会話だけれど、徐々にこの「親戚たち」の微妙な距離感、それぞれが抱える想いのようなものが明らかになります。が、それがこれからの人生の大きな事を描くわけででもなく。 今作で明確に主題として語られているわけではないけれど、介護される側になりつつある老いていく人々、 世代的には介護する側にまわりつつある人々という、老いと介護は一貫してこの作家が描き続けていることで、今作はそれが親子の枠を飛び越え、従兄弟といった親戚も含めた「広域」の物語としてが俯瞰しているのが新たな視線に感じられるワタシです。

芸術とかモスクワへの想いとか没落しつつある貴族といった人々をめぐる些細な日常を描くチェーホフの香りすら漂わせるけれど、現在の日本人の直面する生活に立脚して描いた枠組みで、しかし大きな波乱よりは心の機微だったり、ある種の絶望感だったりをもっともっと卑近に感じさせる一連の作品でも、従兄弟たちという横への広がりと、介護される世代、介護する世代、その子ども世代と縦にも広げたにもかかわらず、ほぼ一部屋でのワンシチュエーションに凝縮して箱庭のように提示してみせることに舌を巻くのは、ワタシがこの世代まっただなか、ということだけではなく、もっと幅広い年代が刺激を受けるんじゃないかと思います。

ワタシの観た回ではトークショーが設定されていて、 ワンシチュエーションなのに後半、叔父夫婦が明確に年齢を重ねているように見えるシーンがあって、それはもしかしたらそうなって誰も来なくなってしまう未来の事を描いているようにも感じたのは、明確に意図された演出なのだという確かなチカラ。 そこで語られた衝撃的な事実も。小津安二郎に似てると指摘されることが多いといいながら、(それゆえに)作家が小津安二郎映画を実はまだ観られずに居るとか。確かに東京物語から東京ノート(平田オリザ)に繋がる系譜という風にもみえる作家の物語、まだまだ見続けようと思うのです。

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