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2025.10.25

【芝居】「星空のジュリエット07」ゆきんこ劇場 (#まつもと演劇祭)

2025.10.11 14:30 [CoRich]

小上がりのある劇場で、幻想的だったりする55分。

老婆たちがあつまっている。どうもジュリエット(たち)らしい。そこへイタリアから戻ってきた女。

いわゆるロミジュリをベースにしながら、時に2025年の老婆たち、時にどこかの軍隊の会話を挟みながら進みます。ロミオを想い続けるジュリエット(たち)。英語でパロディシアターであると挟みつつ、ロミジュリのあらすじを日本語でも説明したりと、インスタレーションな印象の一本。正直に云えば、分析的に観ようとするとなかなか一筋縄ではいかない感じです。衣装など見た目はアングラ演劇的なものだけれど、芝居の印象はずいぶんポップ。そういうコラージュに身を預けるのもまた心地いい。

台詞を書いてある紙皿を演出家が舞台に向かって飛ばして、役者がそれを拾って読むというのは、ちょっと楽しい。観客にも投げさせたりして、一体になるのです。

白状すると、土曜昼の回を見る前に缶ビール開けたりしてしまい、心地よく寝てしまったあたしです。組み換えて日曜の昼も観られてよかったと安堵するのですw。

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2025.10.24

【芝居】「【班女】【卒塔婆小町】」アルプス乙女ユニオンズ( #まつもと演劇祭)

2025.10.11 11:30 [CoRich]

三島由紀夫の近代能楽集から二本。ワタシは恥ずかしながら未見でした。65分。元はスナックという感じの飲み屋街にできた劇場・スタジオ365。

かつて愛した男と好感した扇を持ち、再開することを願って駅のベンチで待つうちに狂気に陥ってしまった女。彼女を住まわせている画家志望の女はその美しさに心を奪われ、一緒住むようになっていた。扇を持ち男を待つ女のことが新聞記事になり、男と再会して手許から去ってしまうことを恐れていた矢先、男が訪ねてくる。「班女」(はんじょ)
夜の公園でベンチの恋人たちの邪魔をしながらシケモクを拾う老婆に詩人が声を掛ける。老婆は恋人たちは死んでいるんだ、生きてるのは自分だといい、やがて自分は小町と呼ばれた女だという。自分を美しいといった男たちは皆死んでしまったのだという。「卒塔婆小町」(そとばこまち)

「班女」は純粋に愛するあまりの狂気の果てに起点となったはずの愛しい人すら判らなくなっていることの悲しさと、本人はふわふわと浮いているようで心ここにあらずといったコントラスト。愛する者がここには居ないからこそのある種の先鋭化。 対して囲っている画家の女にもまたある種の狂気で、こちらは愛しているものが手許にあるが故に失うことを恐れる執着。狂気の女のファンタジー感に対して、もっと日常の延長といった雰囲気のエプロン姿に、独り身の女というちょっとコミカルにリアル寄りな造型で、こちらの対比も面白いのです。

「卒塔婆小町」は夜中の公園での老婆と詩人の会話。いまはこんな姿でもかつては若く生き生きとしていた時代があったこと、さらには周りの人々は死んでいってしまうという残酷な事実。老婆というある種の魔法使いに巻き込まれた男が見た夢との終幕の落差の無常観という面白さなのです。

元々は東京で活動していた主宰が移住して始めた劇団で圧倒的な安定感で作り上げられた舞台。スタジオ365は入り口にカウンター、横長に舞台と客席という設え。椅子がやけにいいのは、居抜きで残された家具なのかしらんと思ったりして。まつもと演劇祭の期間中に行っていたYouTubeライブの音声を開場中に流しながらというのも、祭りとしての一体感を醸成していて楽しい。

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【芝居】「ムーンライト」劇団友歩堂 (#まつもと演劇祭)

2025.10.11 10:00 [CoRich]

まつもと演劇連合会の芝居塾の卒業生による今年旗揚げの劇団。大阪の劇団・三等フランソワーズの作品(未見)を45分。下馬出しホール。

高知の民宿。出張といい家を空けて十日が経った男、浮気を疑った妻が宿を訪れる。かつて夫と結婚する予定だった女は、妻の友人だったが、結婚式の直前に金を持ち逃げしている。夫はそのかつての恋人と会っている。

畳の小上がりを舞台とする劇場、なるほど旅館の一室という感じ。かつての恋人と旅先で継続的に会っていた、となれば浮気を疑うのは当然という出発点から、結婚してずいぶん時間が経ってから再び連絡を取るようになったいきさつ。結局のところ、理由は堂であれ困窮しているということ、そこに手を差し伸べようとしたということが徐々に開示されていきます。

久々に再会していた女の通夜が昨夜だったという別れという終幕。そこにあったのはある種の人情なのか、あるいは恋心の残り火なのかは最後まで明確には明かされません。妻にとってだってかつての友だちではある女が去ったことで、この夫婦が再び二人で歩み出すということを思わせる感覚は少しほろ苦く、しかし前向きです。

今年旗揚げにしてこの奥行きが頼もしく、後進を育てる歩みである芝居塾を毎年続けている、まつもと演劇連合会の心意気がきちんと結実しているのです。

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2025.10.18

【芝居】「竹の春、青年の夢」表現実験BASHOW (#まつもと演劇祭)

2025.10.10 20:30 [CoRich]

まつもと演劇祭の参加作品。 富山県から参加の一人芝居。57分。上土シネマ。

ケアホームの夕食前。今日はレクリエーションがあるようで、ちょっと落ち着きがなくて職員が声を張り上げている。 家に帰るという入居者が暴れる。職員が言われてみてみると、大きな竹がそびえていて、登った先では歓待を受けたりする。

開場中から客席をケアホームの老人たちに見立てて、なだめすかしたり、声がけしたり。落ち着きがなくて、暴れたりする老人たち との日常の中、職員は大きな丈を登り始めて、不思議な体験をして戻るのです なるほど「ジャックと豆の木」や「竹取物語」「浦島太郎」などの童話が見え隠れする、日常と夢の継ぎ目のない行き来。 終幕に至り、犯してはいけない場所に施設を作ったがためという音声と共に、陰惨なバッドエンドへ。

地域と、作家の仕事もからめた私戯曲になっているとのこと。劇中なんどもあらわれる、「マドのサンサもデデレコデン」といった意味不明な節回しは、実際にある富山の古い民謡「こきりこ節」で、ネットではユダヤ民族のヘブライ語に繋がるような私的検証みたいな記事がけっこうあったりするけれど、それに関係する ということでもなさそう。とはいえ繰り返される節回しはアタマに残って不思議な印象を残します。 上土シネマの狭い舞台でたった一人、セットらしいものもないままに、しかし童話と現実を行き来するような空間をきっちり作る心意気。

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【芝居】「Dumbshow」魁士 (#まつもと演劇祭)

2025.10.10 19:00 [CoRich]

神奈川からまつもと演劇祭に初参加、パントマイムを無言でというスタイル。幾つかの短いパートにわけて45分、上土ふれあいホール

男が出てくる、壁があったり、壁が狭くなったりして困惑しているが脱出してその部屋ごと潰して、ガムのように噛んだりする。 あるいは彫刻家が石を運んできて彫像を作ろうとするが、思うようにならない。 30秒の出来事を3分のスローモーション、信号待ちとか改札が閉じちゃうとか。 朝起きて旅をする。

最初の壁のパフォーマンスはいわゆるパントマイムの定番のアレで、四方から壁が迫ってきて段々追い詰められるみたいなあたりまでが定番だけれど、その部屋から脱出してその部屋を外から潰して口に入れちゃう、みたいなあたりは視点がぐるりと変わって面白い。 彫刻家のパフォーマンスは彫刻家と、彫られている彫像を一人でくるくると入れ替わりながら、思うように造型されないさまがコミカル。 スローモーションのパフォーマンスは、IC乗車券のチャージ不足とか、コンビニの支払で小銭ぶちまけちゃうとか、いくつかの気まずさを感じたり、所謂吊り橋効果で恋に落ちる瞬間などを スローモーションで。 旅は短いスケッチのようで、岩壁を昇ったり風船が突然重くなったり飛ばされたりとどこか夢のよう。

大道芸的なパフォーマンスではあるけれど、演劇かというと、ちょっと境界領域な気はしないでもありません。 「空中キャバレー」の中のパフォーマンスのようにスケッチというよりはもう少し長い物語を纏うと面白そうだなぁと思ったりもします。

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2025.10.15

【芝居】「いまさらキスシーン」柿喰う客

2025.9.14 17:00 [CoRich]

劇団の新作本公演の隙間に突然発表された玉置玲央のライフワークだと謳う17年目の一人芝居。 久しぶりにフルサイズの上演だそうです。たったワンステージ。自宅すぐ近くでの上演だという情報を気付かず、いまや大河も連ドラも(ワタシ的には最新の「朝日」ですが)人気の俳優であっという間に完売。キャンセル待ちで滑り込みました。35分。上演後に作演とのトークショー(によれば80歳まで続ける覚悟とか)。 (1, 2 戯曲と動画)

同じ時期に王子小劇場で初演となった七味まゆ味の一人芝居( (1, 2 )と双璧をなす、コンパクトな一人芝居。

わりと悲劇ばかりに見舞われているのに、血まみれでも前に進むという前のめりな気持ちを描いてはいるけれど、決してコメディというわけではなくて、酷いことばかり起こる物語。これをあちこちで上演できるフォーマットのコンパクトな一人芝居にするのはある種の覚悟で、これを丁寧に描き続けようという心意気。

戯曲の冒頭、
「せ、す、じ、を
ぴんと伸ばして、ワキをきゅってしめて、
心拍数の上昇、上昇を意識しながら、
国道4号線をひたすらに、ひたすらに走っております私は、
女子高生。」
のリズムの良さ、国道四号線(日本橋→青森)はなるほど作家の出身地に根ざすよう。 これまで拝見していた王子小劇場にくらべると、はるかにタッパがある「かなっくホール」で、後方席から観ていると人が通らず車ばかりが通る国道、という空が広い空間に見える、というのは新たな発見でした。

初演時点の戯曲を手直ししていないようで、たとえばガラケーで赤外線つかってアドレス交換するとか、合格発表は構内の掲示板に張り出された紙で受験番号を探す、というのはもしかして今ではもう観られないものも実は多いのだけれど、むしろ手直ししないことで、強固で過去には現実だった世界線をファンタジーとしてしまうという強度が生まれつつあると思うのです。

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【芝居】「超音波」柿喰う客

2025.9.13 18:00 [CoRich]

柿喰う客の新作。9月15日までかなっくホール。そのあと下北沢・スズナリ。 元々割安な神奈川公演だけれど、さらにディスカウントの神奈川区民割がありがたい。85分。

地方都市、市長の肝いりで創設された交響楽団は創設されて5年、楽団は財政破綻寸前になっている。地元出身のマエストロを指揮者として招聘する。コンサートマスターは中堅だがバイオリンがそう巧いわけではなく、楽団の統率がとれない。 唯一コンマスを支える中堅のフルートは元々マエストロの師匠でマエストロは恋心を抱いていた。マエストロは更にバイオリンやピアノに高名な演奏家を招聘して楽団を強化しようとする。

おもえば随分久々の、柿喰う客(オジサン界隈では「柿」と略称されがち)です。前回が2020年の「夜盲症」、その前が2018年の「俺を縛れ!」なワタシです。

美しい音楽を奏でるオーケストラの裏に巣くう権力と人間関係が渦巻く「業」の物語。早口で多くのセリフを積み上げて厚みを作る劇団の持ち味はそのままに。それを「つか芝居風」と感じていたワタシだけれど、今作ではその屈折した愛情ゆえの粗暴さ、あるいはいびつさを強調して描くという意味で「熱海殺人事件」との同じ香りを感じるワタシです。それは例えば、コンマスを支える中堅のフルートが穏やかに見えてコンサート自体を破壊しようと目論んでいるとか、狂気にまみれた指揮者はその師匠に恋心を描き、超音波を聞くと体調が悪くなるのをしりむしろ超音波を手懐けて屈服させようとするとか、べらんめい口調のピアニストは人気なのに実はピアノが下手など、それぞれがプロフェッショナルなのに何かを欠いているいびつな人物たちの群像劇なのです。

東京ではスズナリの規模だけれど、神奈川公演の「かなっくホール」はもともと音楽ホールとして作られたタッパがはるかに大きな劇場です。神奈川公演限定で大人数のダンスアンサンブル「音波」が加わり、コンサートの場面でのアンサンブル。楽団を演じさせるかと思わせるかと思えば、楽器から発せられる音の「音波」をダンスで表現するという趣向が加えられています。これがなかなか巧く印象的で、音楽ホールを演劇に転用すると起こりがちなスカスカな印象を埋めることに成功しています。このダンサーで音波として埋めるということができる人員があれば、大小多くのどこの音楽ホールでもイケそう、というのは褒めすぎでしょうか。

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2025.10.05

【芝居】「Venus誕生 第三幕」劇団Venus

2025.9.12 19:00 [CoRich]

奇数月の金曜夜に上演を続ける劇団Venusの第三章。9月26日まで、レッスル武道館。75分

デビューが予定されていた練習生は直前になりエキシビジョンマッチでの事故からデビューが延期になる。後輩も増えたり出入りが激しくなるなか、メンバーの一人に、実家から電話が入る。

前回までは練習生6人たちの成長を描くというフォーマットでしたが、第三章に至り、一人は入院(これは実際に入院しているよう)、二人は他団体への出稽古ということで出演せず、新たに後輩が二人加わり、他団体からの交流という形で更に二人増えたところで物語が始まり、迫力あるスパークリングを3セット交え、一人が実家へ変えるざるを得なくるというかたちで去って行くメンバーがいる、という波瀾万丈。

これだけハードな格闘技を実際にやっていく、という形なのでどうしても事故は起こりうるわけで、今作に関して言えば 元々意図されていたものと、事故によって変えるざるをえなかったものとが混じっている気はします。結果的には最終章に向けての「転」にあたるパートをになっています。最終章となる11月公演のビジュアルも出ていて、どうも入れ替わりがあったということにも思えますが、なんとか最終章まで物語を完走させてほしいところ。

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【芝居】「The Breath of Life」serial number presents/dialogue+1

2025.9.11 14:00 [CoRich]

演出 詩森ろば、俳優 林田麻里/李千鶴で構成して、3年間にわたり女性二人の芝居を連続上演するユニットdialogue+1の第一回。 イギリスの劇作家デヴィッド・ヘアーの「The Breath of Life」は2014年に新国立劇場での上演があったようですが、ワタシは初見です。同じ翻訳(鴇澤麻由子)による上演。 130分。9月17日までOFF OFFシアター。

イギリス南端の島に暮らす学者らしい女を訪ねてきた流行作家の女。学者の恋人で後に作家の夫となった一人の男を長い時間「共有」していたが男はイギリスを去り、アメリカで若い女と暮らしている。ほぼ初対面の二人だったが、帰るはずの船に乗り損ねた作家は二人で夜通し語り合う。

ガーデニングと死しかない、というシニアに人気の島。 一人の男を「共有」していたけれど、面識のない二人の女性が、初めて二人きりで話す一晩。先に出会ったのは学者である愛人だが結婚することなくしかし拘らず自由であることに惹かれたけれど、結婚には至らず男が結婚してから暫くしてまた男と会ってたりする。 後から出会った作家である妻、少し前から気付いていた愛人の存在はもちろん気になっていたけれど、子育てを終えた今、久しぶりの一人旅、やってみたかったことを島で楽しんだり、それはポルノ映画を観る、とかのささやか。もう二度と会わないであろうふたりの会話。 基本的には二人が一人の男のことをこれまでも含めて語り合う情報の開示、時に共感、時に自分は経験していないことをこれだけの時間語り合える、というのはなんだろう女性だからかなのかどうなのかしら。ワタシだと会話が続かなそうだけれど、まあそれは人によるか。

公民権運動からヒッピー文化という時代を背景に敷き、未婚の女性と結婚し子どもを産んだ女性の会話というフォーマット。女性は男性に比べて結婚や出産で人生が分岐することも多いけれど、年齢を重ねれば、そこで出会って会話することがあるかもしれない。自分が選ばなかった選択肢を過ごしてきた女たちの情報交換であり、若い頃に遭ってしまった理不尽を含めて、共感だったり、相容れなさだったりするけれど、あくまで会話は穏やかでどこか「まとめて」いるような会話が続きます。自分もちょっとまとめな気持ちになりつつある年だからか、そこが気持ちに引っかかるのです。

ワタシの観た回は、劇場に入ってからの大雨、序盤で劇場の中に響き渡るカミナリ。二人が出会った瞬間あたりで、ベタな対決の構図のように見えてしまう偶然の演出。いえ、そんな意図で演出されているシーンではないはずなのですが。

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