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2025.09.16

【芝居】「守りたい いろいろ」桃唄309

2025.9.5 14:00 [CoRich]

短編を組みあわせて上演する桃唄309の企画公演のうち、桃唄309の演目だけを上演する「おはぎの会」。四回目とのことですが、ワタシは初めてです。9月7日までRAFT。105分。

ごはんを食べようとする男の前に「侵略が完了した」と告げる男が現れる。「侵略完了」
耳元の機械を皆が付けてそのアドバイスで行動を決める時代。人間のアドバイザーを時間で契約した女。いいなと思った男のとランチの約束があるのだ。アドバイザーといる間は機械の電源を切る契約になっている「いい雑音」
「2」が気になる女。友人に話す、でもその疑問は口伝えでいろんな人に広がったり、自分のところに戻って来たりする「2」
あれが起きて女が出て行ってから十年ぐらい。砂まみれのカフェに絵はがきが届く「絵はがき」
夏が来るたびに思い出す。転校生の女子と引き出しの中にしまい込んで母親に怒られた話「最後の一枚と消えないエール」

「侵略〜」は二人芝居。全ての人間の前に同様に人が現れている、という設定のおかげで、惑星侵略という大きな話なのにたった二人の一般人の会話劇というミニマルな構成に。「考えを食べられて考えがなくなっていく」ことを侵略ととらえて、閃くこと考えることがそれに抗うことなのだ、という実はわりと強めなメッセージ。まだ侵略は50%を超えたところでまだ時間はある、という警告でもあったりします。

「〜雑音」は女と男、ヒューマンアドバイザーなる三人構成。携帯やスマホの検索が人の記憶を外部化してきて、いまやAI的なものが整理や判断といった領域にこようかという今の私たちにつながる話。ものごとをいい具合に考えてくれる機械に頼り切ってしまうという話。好意をもったということすらその機械によるマッチングでそれに頼らなかったら不安になるというのがとてもリアルで、今やスマホ無しで知らない土地を歩くことが出来ないのと同様なリアリティがあります。男の側は機械を使っているというのも巧くて対比になっていくのです。ディストピアの話になりかねないところを恋心を中心に描くことでどこかほっこり。それに頼らず歩いてみようという終幕は前向きです。

「2」はとくにその数字自体には意味はなさそうだけれど、何かが気になってしまうことが人々に伝播していったり、新しいともだちができたりという日常の変化。どこかパズルゲームのような、あるいは細かくカット割りされたショート動画のような感じでもあってなんかぼっと観てしまう感じがちょっと癖になる。要らない好意というのは特に女性にとってはリアルなんだろうなと思ったりも。

「絵はがき」は2012年上演の短編の続きだそう。滅び行く世界で家族というには微妙に遠い間柄で同居する人々、この場所を離れ海外に渡るために歩いて目指して出て行った男女が、みたいなはなしだけれど結果一人だけ戻ってきてという後日譚。過去を思い出してやりたいことをやってしまってる男と、その工程の日々をこれからどう安全に清潔を保って生きていけるかを考え支え続ける女の心のすれ違い。安全ということがとりわけ身近に感じる昨今にキュッと差し込むような物語。

紙芝居である「〜エール」は結局のところ一夏の恋心と、弁当をかくして引き出しにしまい込んで母親に怒られた話というのを並行して描くどこか甘酸っぱいような、子どもと大人が同居するような物語。転校生のエールエリ、がまあティッシュにかかってるわけだけど、恋心が絡んで描かれた物語、じつはもうちょっと生々しい男子学生の思春期の話じゃないかと思ったりするワタシの心は多分汚れています。

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2025.09.15

【芝居】「三國志」おのまさしあたあ

2025.9.4 19:00 [CoRich]

おのまさしが大作を上演する一人芝居シリーズ。2008年コレドシアター初演、2010年横浜中華街・同發での再演を経ての三演め。ワタシは初見です。110分。9月6日まで南青山MANDARA。

人気のない中国文学史の最終講義、来週はテストだといって語り始める。

もちろんキチンと読んだことなどないワタシです。結局気になって、配信で「NHK 100分de名著 #239〜」やら「新解釈 三国志(2020年)」(日テレの孫悟空を思わせる怪作)で観てしまうワタシです。

序盤の桃園の誓いや三顧の礼ぐらいまではうっすら知ってはいてもソコ止まりで、立体的な三つの国の物語として理解してなかったのです(情けない)。三国志の序盤、劉備が亡くなるあたりまでを、還暦のオジサン(失礼)が一気に一人で演じきる凄み。人物を演じ分けるために髭をさまざまにデザインして付け替えるというアイディアは楽しく(おのまさしーと)てわかりやすい。ホワイトボード一つにすっと書いたポンチ絵で傾城(=美女)を示すのもシンプルで楽しいのです。

都心一等地に位置するライブハウスである南青山MANDARAは、フード、ドリンクもちゃんと。嬉しい。

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2025.09.13

【芝居】「われわれなりのロマンティック」いいへんじ

2025.9.4 14:00 [CoRich]

三鷹市芸術文化センター 星のホールが選び、次世代を紹介するNext枠のひとつ。120分。9月7日まで。

大学のフェミニズム研究会で知り合った男女。互いに好きだとはおもうが恋ではなくて付き合うということにはならない。コロナ禍の中社会人になってゆるく繋がっていようとマンションの隣同士に住んでいる。 女は編集者になりライターの男とともに、カメラマンの女も加わってセクシュアリティについての本を出そうとしている。故郷の茨城で事実婚をしている友人たちの話を聞いたりもしている。 男は教師になり、同じ学校で高校生のためにセクシュアリティについてのさまざまな取り組みをしている司書の女と知り合う。 フェミニズム研究会の同期の女はお笑い芸人になるがレズビアンの自身の性指向とのギャップを感じている。

フェミニズム研究会を起点に性自認と性指向のさまざまな組み合わせを持った人々がギュッとつめこまれた人間関係、そこには恋愛や性愛の意味合いでのロマンティックが、何次元の軸があるかわからないぐらいの多次元なグラデーションで存在しているのだということを丁寧に細やかに描きます。

アセクシャル(性的なことを感じない)とデミセクシャル(強い絆を感じる相手にだけ性的魅力を感じる)の男女を軸に描いてはいて、もちろんこれだって彼らの「ロマンティック」なのだけれど、まさに生活がかかっている地方在住で家父長制に縛られるテロセクシュアルのカップルの別れであったり、レズビアンの女性が男目線のジェンダー観が今なお色濃いお笑いを目指している矛盾とかこれでもか、と詰め込んでいます。

たいていの物語を男女の性愛+友情+所謂ホモセクシュアルぐらいで紡ぐことができた時代は、いまから思えばシンプルで牧歌的だけれど、今作ほどに「ロマンティック」に対する解像度が低かっただけかもしれないということがよくわかります。今作のようにそういう人たちが存在しているということを丁寧に描くだけでもこのボリューム。それに加えていわゆる「伝統的」な「シスジェンダー(性自認と身体的性別が一致)かつヘテロセクシュアル(性指向が異性愛である)」側であってもポリアモニーやアセクシャルだったり、あるいは自分のジェンダーに対して気持ち悪さを抱えていたりと、ほんとうに千差万別で一筋縄にステロタイプには描けないということこそが今作の描きたいことなのかとも思います。

今作は、物語の上ではあまりセクシュアリティについての単語を多用しないものの、わかりやすさのために配役表ではセクシュアリティを示すカタカナ語で細かいラベル付けすることによって判りやすくなった反面、さまざまな要素を真摯にすべて書き込んだために、要素が多すぎると感じたりもするのですが、今作はまさにそのセクシュアリティを主題に据えてできる限り解像度を高く描く事で「という現実」を箱庭のような密度で描きだし、さらにそれを単に「多様性」という言葉で思考停止せずに考え続けることの真摯さ。彼らの持ち味であり美点なのだと思います。

レズビアンの女性に好意を寄せられたバイセクシャルの女性がその好意は嬉しく感じながらも「女二人で生きていくことが幸せそうだと感じられない」というのはこの物語のなかでもとりわけ深刻な話で非正規だったり男女の所得差だったりという現在の私たちの暮らしが変わらず旧態依然であることを端的に表します。

茨城から上京してきた女を演じた小澤南穂子は、コミカルな序盤から自分の頭で考え続ける人物として出突っ張りの凄み。伴に生きていく男を演じた小見朋生はおだかやかである種の理想的な男な造型は何となく女性の作家ゆえと感じるワタシです。お笑い芸人を目指すレズビアンの女性を演じた百瀬葉は序盤でずかずか踏み込む無神経かと思えば時にかき回し、しかし恋心の繊細さで印象的。ノンバイナリーなカメラマンを演じた飯尾朋花はどちらかといえばジャージのような姿が多いのに、やけに色気を感じてしまうシス男性ヘテロセクシャルのワタシですが、これは意図して作られた造型なのか、ある種の役者の個性なのかはどうなんだろう。バイセクシャルの司書を演じた冨岡英香は好意を感じているのに踏み出せない機微を細やかに。

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2025.09.08

【芝居】「夏の夜の夢」theater 045 syndicate

2025.8.21 19:00 [CoRich]

横浜の劇団045 syndicate がシェイクスピア・夏の夜の夢をがっつり上演。KAAT神奈川芸術劇場 大ホール 8月24日まで。130分。

いわゆる「夏夢」をわりとのそのままの世界観できっちり上演していて、大幅な改変や翻案を加えてはいないのだけれど、女性たちを意識的に強く自立したいものと描いていたり、職人たちの芝居の稽古の描き方では演出で強い言葉を使うことが忌避されなければならないことを少々コミカルに描いていたりと現代的な立ち位置の味付けがなされていますが、妖精たちのシーンは可愛らしく、ファンタジックに彩られていて、全体としてはポップな色合いの祝祭、という雰囲気になっています。なるほど、当日パンフで「上演は祝祭であれ、物語は野蛮に裏打ちされている」というのはこの上演のポップさと、ヒポリタがアマゾンからの「力づくの略奪と流血の果てに行われるもの」つまり婚礼の場だということはすっかりいままでの観劇では見落としていたワタシです。そう思って探してみればBBCがシェイクスピア没後400年に制作した2016年版(U-next)には随分そんな雰囲気が盛り込まれています。(こちらはみんなタブレット使ってたり、現代風の洋服などまあいろいろ違いますけれど)

そういう意味では若者たちのパートだって、ハーミヤは自立して親に反抗し勝ち取ることがもっと明確だし、ヘレナは馬鹿にされて怒っているをちゃんと超えて毅然と(しかしときおりコミカルでチャーミングに)という造型になっているのもBBC版と本作で共通に感じられることなのです。

職人たちの劇中劇がおもいのほか端折られずちゃんとした芝居として描かれるのもちょっと珍しい気がします。稽古場の権力勾配への配慮みたいな味付けはちょっと今風。妖精たちがアイドル風だったり、町人たちがリヤカー引いて通路に現れるのも祝祭感か。

上演台本の波田野敦紘(820製作所)は当日パンフで「五本の日本語訳(小田島雄志、河合祥一郎、松岡和子、福田恆存、大山敏子)を参照し、できる限りそのいずれにも似てない日本語となる」上演台本にしたといいます。翻訳が数多くある海外戯曲であれば、原文からあらたな訳をつくるのではなく、多くの訳の中から浮かび上がる日本語での捉え方を捕まえて物語を紡ぐというのは面白いと思いますし、それがポップな色合いを帯びている一つの要素だとも思うのです。今作では職人たちの言葉が私たちの今の言葉に近く、貴族や妖精たちの言葉は詩的で歌うようという対比も楽しい。その中で「生きてなんぼ」と言い切る終幕は力強く響くのです。

貴族や町人たちはアロハをまとい、妖精たちはややアメリカンな雰囲気という衣装も祝祭な感じ。アロハがヨコハマ風かというと微妙ではあるけれど、リトル沖縄とも称される地域を鶴見に抱えるという意味では横浜の市外局番045を劇団名に掲げる彼らの矜恃の一端なのかもしれません。

妖精の女王タイテーニアを演じた笹野鈴々音は小さい体型でコミカルかと思えば凄みの振り幅。ロバに化けさせられてしまう職人ボトムのコミカル、ギターもカッコイイ。演出する職人クインスを演じた中根道治の生真面目なプライドがコミカル。ヘレナを演じた難波なうやハーミアを演じたモハメディ亜沙南はきっちり現代的に力強い造型で頼もしい。イタズラ好きな妖精パックを演じた今井勝法はオジサンな見た目なのにそのうち妖精に見えてしまう不思議。妖精の王オーベロンを演じた中山朋文との丁々発止も楽しい。

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2025.09.05

【芝居】「発表せよ!大本営!」アガリスクエンターテイメント

2025.8.15 14:00 [CoRich]

2019年の駅前劇場での初演作を再演。ワタシは初見です。8月17日までシアターサンモール。130分。9月1日から21日まで有料のアーカイブ配信(Confetti)があります。

1942年6月、ミッドウェー海戦の戦果が大本営に伝えられたが、思わしくない結果に内部で動揺が広がる。海軍作戦部は士気の低下を招くとして被害を少なく、戦果を多く発表するようにといいだす。いっぽう軍務部はあくまで正確な情報を伝えるべきだという。間に挟まれた報道部は原稿の落とし所を探った末、縮減した原稿を作成する。陸軍は独自に正しい戦果を入手していて、それを手に入れた新聞記者は大本営発表が正しいものであるか疑問を抱くが、大本営は記者個人に働きかけて、結果、縮減された大本営発表がなされてしまう。
町の甘味屋では学生が看板娘に一目惚れしている。学生の幼馴染みは自分の心を伝えることができず、後押しをする。看板娘にはかつて許嫁がいたが、南方で命を落としていることを知る。

設定されたトークショーによれば、いわゆる公表された「大本営発表」はミッドウェー海戦の発表の前のぼんやりした潜水艦の戦果も含めて史実どおりで、内部で数字の改竄のための部署内の対立があったというのも史実のようです。その史実を骨格に、なぜか市井の人々の小さな恋を描いたりしつつ、内部であったであろうドタバタをあくまでコメディとして描くのです。全体がコメディと聞いていたとはいえ、ミッドウェー海戦といえば大敗を喫して大本営発表に改竄が行われるようになった起点で、戦後になった今ふたたび亡霊のように改竄が日常茶飯事になってしまっているということ、つまり現在の「新しい戦前」につながっているわけで、目の前のドタバタでこれでもかと笑いを詰め込んで客席が沸いていても、どこかそれには乗り切れないワタシなのです。とはいえ、この題材で堂々とコメディとして描き、しかもそれを戦後80年の敗戦の日めがけて上演するという心意気は堪能するのです。

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2025.09.01

【芝居】「意味なしサチコ、三度目の朝」かるがも団地

2025.8.8 19:15 [CoRich]

かるがも団地が2021年に王子小劇場で上演した初演作を同じ役者陣で再演(当パンの当時の王子スタッフへの謝辞もすばらしい)。ワタシは初見です。8月11日まで吉祥寺シアター。110分。

元は八王子の地下アイドルで今は派遣社員で働く女、秋田・能代の実家の団地が取り壊しになるから引っ越しの荷物をまとめてほしいと父親から催促されて上京以来初めて地元に戻る。地元の友だちは新聞社に勤めたり、結婚したりしている。
あの時のもう一人の友だちはもう居なくなっている。団地の取り壊しの署名を集めている男が通りかかったりする。

上京はしたものの今ひとつ花開かず日々を暮らしている女、何年も帰ってなかった地元に戻り、地元に残った小学校のころからの当時の友だちの変わったこと、変わらないことのさまざま。イオンが出来ていれば変わっていたかもしれないけれど、反対運動の結果つくられることはなく、人が減り続けているという場所。当時そのままに残っていた団地を舞台に、しかしそれが取り壊されるというノスタルジーを起動力にして、心の中にずっと残っていたことが浮かび上がるのです。

高校卒業で地元に残っていれば人生の最初の転換点、ぐらいの24歳のライフステージ。上京して東京に出て地下アイドルの夢破れ派遣で働く女は、その王道のタイムラインには乗っていなくて、東京と地方だけが理由ではないけれど、自分だけが前に進めていない、と感じている感覚を描く前半。さまざまな困難があってそれでも地元に残り暮らしていた親友との思い出を並行して描くうち、彼女が自死していることが示されます。三回忌を迎えるここに至るまで前に進めなかったのはその親友が死んだからでもあり、それゆえ気持ちが前に進めなくなってしまっていたのだ、ということだったりとも感じるワタシです。

八王子の地下アイドル時代に、一度はその親友が上京して会いに来たというエピソードが長く離れていた二人の最後の若い女性のしかしぼそぼそと喋る距離感が絶妙で、しかも最後の邂逅でもあるというのがとてもいいのです。さらには、その後の親友の様子を「市役所の担当者」という「おじさん」が彼女を見かけて会話するというシーンはとても巧くて、自死直前までの様子をきちんと描き切ることで人物の解像度が何倍にもなっているのです。さらにはその「おじさん」が賛同なんかほぼ得られないのに団地の取り壊し反対を訴えているのが、その「生きていた証」を残したい気持ちゆえなのだというのが本当にセンチメンタルでグッとくるのです。

前説ではいつものように、スピーディに進めるために「靴の脱ぎ着は省略して」と人笑い取るけれど、あれ靴脱ぐシーンないんじゃなかと思ったりするのはご愛敬。(あったかもしれん)。

地元に久々に戻った女を演じた波多野伶奈は繊細に、等身大な24歳という解像度が瑞々しい。 市の担当者を演じたフジイヨウヘイの静かな、しかしやや挙動不審な感じが可愛らしささえあって印象的。 親友を演じた村上弦はパワフルで感情がとても豊かな造型のイノセントな感じから、八王子に現れたときのちょっと大人びた感じ、さらには行き詰まりやっとの思いで歩いているという終盤にいたるまでのダイナミックレンジの広さに本当に心奪われます。

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