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2024.07.21

【芝居】「水彩画」劇団普通

2024.6.22 [CoRich]

全編茨城弁による家族の物語を続ける劇団普通の新作。100分。すみだパークシアター倉とカフェを挟んで反対側、すみだパークギャラリーささや、初めて行きました。

カフェレストラン。娘夫婦と父母。知人の絵画個展の帰り。二人暮らしの父母は耳が遠かったり、やや喧嘩気味だったり。どうするか気を遣ったり。
若いカップルは結婚式の打合せの前日。友人は地元で教師になったのにいろいろ捨てて上京している。男はずっと地元で親を置いて出るなんて考えられないという。

中央に長方形の舞台、それを囲むように四方に客席。二つの短辺にはライトが設えられ、劇場入口と反対側が店の入口、という設え。

東京がすごく遠い訳ではないし洒落たカフェがある地元で暮らす人々、老いていく夫婦と見守る娘(または息子)夫婦というのは、ここしばらく作家が描き続けるモチーフ。初老で認知機能や記憶や暮らしがやや不安になったり感情が高ぶりがちになったり、折り合いを付けるために我慢したり折れたりしがちなパートナー。自分の親を観ていても感じる、日本中どころかおそらく世界中でいままでもずっと起きていたことだけど、老いていく家族たちの話を自分ごととして捉えられるようになったのは自分がこの歳になったから。

母親は自宅の欠けたカップを気にしていると口に出し、娘は店内にある(やや高価な)カップを買ってあげようかと提案し買うことになり、しかし父親が何か気に入らないのを察して、母親が娘夫婦に押しつけるという、あーあ、などんでん返しが実に見事なリアリティ。前半で、母親が自分だけの水を汲みにいけず、父親が水が欲しいと決定するか、あるいは自分以外の娘やその夫のため、という形を取らないと水を汲みに行けないメンタリティのありかた、耳が遠くなった父親がおそらく以前より一層頑固になり母親への当たりもキツくなる軽度認知障害っぽい感じで、親夫婦のその時代の関係や老いることによって変化してきたこれまでと、それを見つめる娘夫婦が持つ違和感というか苛つきが手に取るよう。

いっぽうのカップルはこれから家族になる二人という対比する形ではあるのだけれど、地元をでて東京に出た友人の話を交えて、地元を出ることあるいは残ることのラインを未だ少し先の親の介護などもうっすら見据えた形で描きます。当日パンフやトークショーで語られた作家自身が高校まで居た地元ではネットもなく、その土地を出たかったという当時の痛切な想いを描き出すよう。いままでの老いた家族の物語に加えて、このもう一つの若者たちのラインを加えたことで、時間軸を広げて若い世代にとっての地元と親の話にリーチするような厚みが生まれたのが今作の特徴なのです。

舞台端に設えられたランプが点灯するとこれより前あるいは後の娘夫婦とカップルそれぞれの自宅でのシーン。もうすこし背景を足すような感じだけれど、最後にランプが付いたシーンでは、帰宅後に結局押しつけられたカップをめぐり、親夫婦との関係をめぐり少しモメかけ「自分が何が欲しいのかもう判らない」と涙ぐむシーンは親の前では見せない感情が顕わに。この会話で親夫婦との距離感を修正するような感じでもあってリアル。

娘を演じた安川まりの苛つき不安になる視点と感情の細やかさ。父親を演じた用松亮はこの劇団での老いた父親を鉄板で。囲み舞台で表情が見えないシーンもあるんだけれど、その向こう側の観客の大受けで想像する楽しさも。母親を演じた坂倉なつこも気になることをちょっと余計な一言を言っちゃうみたいな解像度が高くて細やか。

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