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2024.07.31

【芝居】「神話、夜の果ての」serial number

2024.7.14 14:00 [CoRich]

serialnumberの新作。宗教二世を巡る90分。7月14日まで東京芸術劇場シアターウエスト。

宗教二世で殺人を犯した男が拘置所に拘束されている。検察は起訴を準備しているが、国選で選ばれた弁護士はなかなか叶わない接見の機会を得たいと足繁く拘置所に通い担当の精神科医と会っている。
男はかつて母親が宗教施設に連れてきて、子供だけの隔離した施設に預けられた。家族や血縁を思う愛着を罪と考え、世界全体が一つの家族とする教義を叩き込まれる。同じ施設の女児はやがて、教祖以外とは許されていない「交尾」を自ら見つけ出して男と行い、それが見つかって女は絶望して自死する。

一つのベッド、奥にはジャングルジムという何もない空間。男の物語が基本で、通い続ける弁護士が聞き取る形だったりで進む物語。 宗教と子供といえば日本人にはオウム真理教や統一教会を思い浮かべるけれど、ネットで見かけた感想のカンボジアのポルポト政権時代というのもなるほどと思い出すワタシ。子供を徹底て隔離し、理想的な次の世代を育てて次へ繋げるためと大人たちは真剣に考え、理想に邁進するけれど、何かがほころんでしまうこと。今作においては女性はメサイア以外とは許されない「交尾」を、メディアや噂話として取り入れるのではなくて、自分の中から沸き起こる本能として見つけ出してしまうという生物のしての強さが突破口になるのは新しい視点。彼女の物語としてはあまりに悲しい結末だけれど。そのほころびは男に連鎖し逃げ出し、犯罪を犯して拘置所に勾留されるという次の綻びを生み出すのです。

物語本編とは正直関係無いのだけれど、拘置所の刑務官を演じた杉木隆幸の物語が圧巻なのです。夜勤の間に妻が独身寮の男とカラオケで知り合い浮気して居なくなった、と男に愚痴をこぼし、しかし妻を引き留めたい気持ちは目一杯で、拘束できる方法を男に相談したり。執着の凄さに戦慄し、しかし男に抱きしめられる瞬間、ライティングでベタに「救われてしまう」一瞬で、なんか原初の宗教をみているような、しかし大笑いしそうになるワタシです。いや、これ凄い。

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2024.07.28

【芝居】「逃奔政走」フジテレビジョン

2024.7.13 18:00 [CoRich]

アガリスクエンターテイメントの冨坂友が手掛けたフジテレビ放映の2回の生ドラマのうち、3月放送の「生ドラ!東京は24時-Starting Over-」を前日譚とする都知事をめぐるコメディ。135分。 7月16日まで三越劇場。そのあと京都。正直に云えば、有償のパンフがないと配役が分からない(サイトは主要キャストのみの配役表のみ、かと思えば劇場内に掲示も見つけられず)のは、少々けちくさい、と思ってしまう小劇場どっぷりなワタシです(すみません)。

NPO法人で活躍しテレビのコメンテーターなどを経て、生きやすい県政としがらみのないクリーンさを掲げて初当選した女性県知事。3年半を経て任期の終盤。知事室奥にシャワー室を新設しようとしていることが議会で問題になっている。既存のシャワー室が壊れていることにしようと画策したり、リークされた官製談合の事実を隠そうとしたり画策する。それもこれも、働きやすい、暮らしやすい生活を実現すことを鳴り物入りで公約に掲げた知事を守りたい一心でだった。

任期終盤を物語の起点として、シャワー室の新設をめぐる「小さな」ほころびを追求される議会を乗り切ろうと小さなその場しのぎの嘘を重ねたり、証拠となるSNS投稿をコントロールしようとしたり、答弁をのらりくらり交わしたり。物語が進むうち、しがらみがなくクリーンだった筈の知事が当選直後から公約実現のためとはいえ、大物政治家に抱き込まれ、特定の業者との癒着が始まっていて、それが続いていることがあきらかになります。その場しのぎの嘘や方便を重ねるシチュエーションコメディーなんだけど、逃げ場がなくなって公設秘書に罪を被せたり、PCの音声データのハードディスクをドリルで破壊したりと、現実の鏡写しのような解決策で、正直コメディとしてはセンスが無い現実を取り入れてしまうことで、現状の政治のありかたを批判的に描こうという意図はわかるけれど、かなり微妙には感じるワタシです。

正直にいえば、公設秘書の扱いで後味が悪かったり、無理矢理すぎるなど、コメディとしては完成度はたとえばこれまでの「SHINE SHOW!」 (1, 2)などに比べると、高いとは言えないのです。が、政治家が綻びをごまかして逃げ切るのでは無く、都民に向かって自分の過ちを告白し、抱き込んできた大物政治家の癒着を暴露して正しい道を歩もうという終幕の(現実ではワタシは寡黙にして最近の例を一つも例を知らないので)理想、つまり観客に向かって訴える「政治家は監視し続けなければ、何らかの不正をしていく、諦めずに監視を続けなければならない」というあまりに青臭い正論を、ある意味作家のある意味の成功であるはずの、この三越劇場とツアー(そこが京都、しかも早々に売り切れた)で、このタイミングで上演する(誰かの)意思が、もう、なんか凄い。

生ドラマ二つを経ての舞台主演となった鈴木保奈美のコメディエンヌとしての間の素晴らしさ、終盤のキリッとした美しさの説得力。大物政治家を演じた佐藤B作の人たらしな造形、物語ではヒールであり続ける強度が凄い。副知事を演じた相島一之の滅私奉公であり続けることと、終盤のリークに繋がる不倫旅行の人間っぽい感じ。都知事に担ぎ上げた私設秘書を演じ、ドラマターグも務める中田顕史郎の一癖も二癖も持っている、しかし彼の理想がある説得力。作演の劇団の役者をツアーも含めてきちんと役を付けているのは嬉しくなっちゃうワタシですが、自叙伝のライターを演じた淺越岳人がこれだけの出番?と思えば、文芸助手にクレジットされていて喜ぶワタシです。

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2024.07.24

【芝居】「還暦にピアス」こはるともえ

2024.6.29 14:00 [CoRich]

青年団関連の女性三人(田崎小春, 南風盛もえ, 岩井由紀子) によるユニット、旗揚げ。6月30日まで、アトリエ春風舎。60分ほど。

ルームシェアする二人の女。300歳の魔女・マコが家にいると、30歳のカホが予定よりも早めに帰宅する。男との誕生日デートはすっぽかされたのだという。二人はサイゼで出会い、ナプキンを借りようとする女に魔女が手をかざすと瞬間で効くことをきっかけに打ち解ける。魔女は家がないといい、警戒はするものの、結局男と同居する部屋に魔女を泊め、結果的に男とは別れ二人のルームシェアをしている。

春風舎にコの字型に客席を配置して、床で暮らすようなルームシェア。散らかってる感じは気持ちのとっ散らかり具合、と思うのは穿ち過ぎかもしれません。

女性二人のとりとめない会話、というフォーマット。実際のところ、それぞれの人物の意見の交換というより自分の中での悩みや思索を巡らせているという感じ。ただ、10倍くらい寿命が違うであろう二人がその過程を覗き見たり提示したりすることで、違いを対比させて対話に昇華しているとも思うのです。 「実家に帰ると母親は祖母を亡くしてから元気に暮らしているが、親に孫を合わせなきゃいけない、と「思わせられる」プレッシャー」などいわゆる結婚適齢期や恋人や親や子供といった悩みをそれぞれに語り、いっぽうで「300歳でも生理があるという魔女は200年の出産適齢期があって絶望はしない」という一生の時間軸を伸び縮みさせる飛び道具、そうなると「子供が老いてから自分が死んでいく」価値観、あるいは「魔女界は子供は皆の子供として育てるのが当たり前」という社会のありかたの違いをこれでもかと突っ込んで違和感を生じさせ浮かび上がらせるというのは発明だと思うのです。

とはいえ、あくまで舞台上にいるのはおそらく30歳ぐらいの女性二人、外はイロイロ大変だけど、警戒しないで会話出来る安全な場所で話すことが出来る場所での緩い(中身は別にして)会話の尊さ。もっとも、身体としての男を持っているワタシにはもしかしたら語っている本当のところは理解できないのかもしれないけれど、こういう芝居に繰り返し浸かることでしか感じ取れない何かがあるのではないか、と思って、たぶんこれからも足を運んでしまうだろうワタシなのです。

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2024.07.22

【芝居】「生ビールミュージカル」宇宙論☆講座

2024.6.23 14:00 [CoRich]

オリジナルミュージカルを上演する宇宙論☆講座が2019年に上演(未見)した出演者も観客も生ビール飲み放題ミュージカル。140分。6月23日まで下北沢・スターダスト。

死んだ娘の葬式。祖父は定年退職で貰ったカメラで孫娘の股間をとり続けてきた。葬儀に訪れた野球選手は顔なんかよりも股間を観たい、という。家族はもともといろいろあけっぴろげだった。幼なじみの男子は子供には辛い「わさビーフ」を、大人になったら一緒に食べようと約束した。二人は再会しカラオケに行き、二人で生ビールを初めて飲んで娘は幸せを感じる。が、娘は下戸の家系で泥酔して川に流され水死体でみつかった。

舞台上手端には生ビールサーバ、下手側には音響卓やキーボード、舞台には段ボールが溢れている設え。開場時点でまあまあ呑んでる役者たち、千鳥足で登場したり、段ボールに突っ込んで崩したり、キーボードの台や音響卓を破壊したりと、物語の流れやセリフこそありそうだけど、いろいろ荒っぽい仕上がり。まあ、その物語もずいぶんと荒っぽいんですが。

なるほど折り込みには、あのゴキブリコンビナート(観劇歴30年弱にして未見)が入っていたり。あるいは、葬式でJPOPをアレンジして演奏することはアーティストは望んでないはずで、CDそのままかけろと息巻く父親、JASRAC(CDの演奏はそれだけじゃ完結しないはずだけど、変わったのかしら)を気にして全力で止めようとする皆だったりと芝居の楽屋話のような細かいくすぐりを大量に。

ずっと無言で無表情のまま死体であり、回想シーンにしても他の役者に動かされ、他の役者が声を当てるという流れだった娘が、幼なじみと生ビールを初めて飲む瞬間、笑顔に溢れてセリフもあってぱっと華やぐことが、ミュージカル要素で、ここに向かって全振りした構成。終幕、大量の紙吹雪など勢いとパワーで押し切るのも、なんか涙ぐんじゃうのは多分ワタシが歳を取ったから(意味不明)。 心残りは前日飲み過ぎて、飲み放題のビールを2杯ぐらいしか呑めなかった、のはまあ自業自得。

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2024.07.21

【芝居】「水彩画」劇団普通

2024.6.22 [CoRich]

全編茨城弁による家族の物語を続ける劇団普通の新作。100分。すみだパークシアター倉とカフェを挟んで反対側、すみだパークギャラリーささや、初めて行きました。

カフェレストラン。娘夫婦と父母。知人の絵画個展の帰り。二人暮らしの父母は耳が遠かったり、やや喧嘩気味だったり。どうするか気を遣ったり。
若いカップルは結婚式の打合せの前日。友人は地元で教師になったのにいろいろ捨てて上京している。男はずっと地元で親を置いて出るなんて考えられないという。

中央に長方形の舞台、それを囲むように四方に客席。二つの短辺にはライトが設えられ、劇場入口と反対側が店の入口、という設え。

東京がすごく遠い訳ではないし洒落たカフェがある地元で暮らす人々、老いていく夫婦と見守る娘(または息子)夫婦というのは、ここしばらく作家が描き続けるモチーフ。初老で認知機能や記憶や暮らしがやや不安になったり感情が高ぶりがちになったり、折り合いを付けるために我慢したり折れたりしがちなパートナー。自分の親を観ていても感じる、日本中どころかおそらく世界中でいままでもずっと起きていたことだけど、老いていく家族たちの話を自分ごととして捉えられるようになったのは自分がこの歳になったから。

母親は自宅の欠けたカップを気にしていると口に出し、娘は店内にある(やや高価な)カップを買ってあげようかと提案し買うことになり、しかし父親が何か気に入らないのを察して、母親が娘夫婦に押しつけるという、あーあ、などんでん返しが実に見事なリアリティ。前半で、母親が自分だけの水を汲みにいけず、父親が水が欲しいと決定するか、あるいは自分以外の娘やその夫のため、という形を取らないと水を汲みに行けないメンタリティのありかた、耳が遠くなった父親がおそらく以前より一層頑固になり母親への当たりもキツくなる軽度認知障害っぽい感じで、親夫婦のその時代の関係や老いることによって変化してきたこれまでと、それを見つめる娘夫婦が持つ違和感というか苛つきが手に取るよう。

いっぽうのカップルはこれから家族になる二人という対比する形ではあるのだけれど、地元をでて東京に出た友人の話を交えて、地元を出ることあるいは残ることのラインを未だ少し先の親の介護などもうっすら見据えた形で描きます。当日パンフやトークショーで語られた作家自身が高校まで居た地元ではネットもなく、その土地を出たかったという当時の痛切な想いを描き出すよう。いままでの老いた家族の物語に加えて、このもう一つの若者たちのラインを加えたことで、時間軸を広げて若い世代にとっての地元と親の話にリーチするような厚みが生まれたのが今作の特徴なのです。

舞台端に設えられたランプが点灯するとこれより前あるいは後の娘夫婦とカップルそれぞれの自宅でのシーン。もうすこし背景を足すような感じだけれど、最後にランプが付いたシーンでは、帰宅後に結局押しつけられたカップをめぐり、親夫婦との関係をめぐり少しモメかけ「自分が何が欲しいのかもう判らない」と涙ぐむシーンは親の前では見せない感情が顕わに。この会話で親夫婦との距離感を修正するような感じでもあってリアル。

娘を演じた安川まりの苛つき不安になる視点と感情の細やかさ。父親を演じた用松亮はこの劇団での老いた父親を鉄板で。囲み舞台で表情が見えないシーンもあるんだけれど、その向こう側の観客の大受けで想像する楽しさも。母親を演じた坂倉なつこも気になることをちょっと余計な一言を言っちゃうみたいな解像度が高くて細やか。

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2024.07.16

【芝居】「雨とベンツと国道と私」モダンスイマーズ

2024.6.16 15:00 [CoRich]

ほぼ一ヶ月の公演を3000円、高校生以下1000円という設定というのも評判の110分。6月30日まで東京芸術劇場シアターイースト。

コロナ禍以来味覚も戻らず半ば引きこもりだった女。脚本を学んでいた頃の昔の知り合いに声をかけられて映画撮影の現場の手伝いに入る。声をかけてきた女は自分をモデルに脚本を書き、主演する映画を撮るための監督を呼んでいた。その監督は、引きこもりだった女がかつて居た現場をパワハラで仕切っていたが名前を変えてここに来ていた。

引きこもりだった女が見たパワハラの現場とそこで出会った女優との日々と、そのオールドスタイルの監督がすべてを失い呼ばれた撮影現場で問題だらけの状況の中で生まれ変わろうと考え過ごすこと、声をかけた女が脚本として描いた亡夫との日々、という3つの柱を交差させ、時間軸を前後させながら描きます。それぞれの語りの始まりを「五味栞の話」「坂根真一の話」「才谷敦子の話」とわかりやすくタイトルを掲げ、それぞれの過去と現在を描くのです。

物語の主軸に感じられがちなのは、パワハラとものづくりの現場のあり方を巡る「坂根真一〜」です。失敗をして改善し生まれ変わろうする監督の気持ちには嘘はないだろうし、しかしどうにもならない現場を回すためのスキルとして自分にはパワハラめいた叱咤しかないということにも絶望するというのもリアルです。パワハラに対して観客がどう受け取るかについての調整は難しいところだと思いますが、音声流出によってパワハラが告発されるとなると、大声によって、というのは判りやすいとは思うのです。

「才谷敦子〜」の物語は2つの時代をブリッジする役割を持っているとともに、彼女のこれまでを自省する物語。自分のやりたいように決めてきて、夫は黙って文句も言わずについてきて農業を始め、コロナ禍で販路開拓に都内に出かけた夫が感染し会話もできないまま亡くなり、残された単語が列挙されたメモをもとに書いた脚本、という創作の原動力。しかし追いつかない脚本家としての能力(が監督を追い詰めるわけだけど)。何かの許しを求めてゴールのない思索を続けることの辛さ。

序盤に物語へ誘う「五味栞〜」の物語。監督と脚本家との関係を足がかりに構造を早い段階で示しておしまいかと思えばさにあらず、もう一つ、女優との物語は彼女が心許せる女友達を手に入れた嬉しさにあふれ恋心を自覚するセリフなしのシーンが実に甘酸っぱく美しい。もう一つは、この3つのとっ散らかった物語を仕舞う役割。まあ、全速力で走る若い男、という力技ではあるのだけれど。

五味栞を演じた山中志歩、引っ込み思案と恋心のダイナミックレンジが鮮やか。女優を演じた生越千晴はかっこよく理知的で正義を断行するポジションをしっかりと惚れられる説得力。才谷敦子を演じた小林さやかは人当たりよく、しかし気づかないポンコツを持ち合わせ、それゆえに持つ亡夫への追憶の奥行き。監督を演じた小椋毅は強面で、しかし穏やかに変わろうと噴火しそうになる自分を押さえつける強さ。亡き夫を演じた山憲太郎は穏やかでしかし消えていきそうな存在感なのに、二役で演じた56歳のほぼ素人の俳優が、監督に対して刃向かうのは監督の二面の鏡写し。カメラマンを演じる西條義将は職人肌の説得力。音声スタッフと助監督を演じた津村知与支、実は裏の音声流出など裏の姿とともに、コメディとして楽しく潤滑油になる確かなちから。朝ドラ「虎に翼」俳優でもある名村辰、ラストで走り続けるシーンの若さを見ながら、 (たぶん)二兎社「新・明暗」の佐々木蔵之介が全力で腕立て伏せをしたをの拝見したのを思い出したのだけど、あれ、これだったのかなぁ。気がするんだけど、どうだろう。

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2024.07.13

【芝居】「地の面」JACROW

2024.6.15 [CoRich]

JACROWの新作は、積水ハウス地面師詐欺事件(wikipedia)をベースに、不動産会社内部の権力闘争を男性の俳優だけで描く120分。6月23日までシアタートップス。

戸建事業の売上も権力も圧倒的な不動産デベロッパ。社長が目を掛けているのに立場が弱く派閥としても弱小なマンション事業のもとに、不動産業界ではかねてから注目だった都心一等地の元旅館跡地を売りに出すという話がもちかけられる。成功すればマンション事業の大きな成果になる案件で、仮登記し、支払をすませ、所有権を得ようと急ぎ手続きをしたが、売買が成立しなかった。地主になりすました何者かに騙されたことに気付く。

なんで大手デベロッパがいともたやすく騙されたか、と評判になった事件をもとにはしているけれど、事件の現場で何が起こったかではなく、事件を引き起こす背景と、事件によって起こる社内抗争の悲喜こもごも。 社外取締役こそほんの少し出てくるけれど、完全に社内の男たちだけで描きます。 当事者たちは至って真剣だけれど、それを見物する私たちには滑稽にみえるのです。それは、ところどころに挟み込まれる「踊る」男たちの姿が象徴となるのです。

仕事の地位とか派閥とか、そういうことは早々に諦めちゃったワタシだし、不動産業の中で何が起きているかのリアルはわからないけれど、まあ会社員であればそれに価値を感じて血道を上げる人がいることが居ることだったり、優先順位とか価値が微妙に歪むことのリアリティは感じるし、それを誇張しコミカルに、喜劇に仕上がったと思うワタシです。

現実の事件はそれとして、いとも簡単に騙された「種明かし」だったり、正直が売りの不動産会社を立ち上げる、という終幕は、それ自体に意味はないけれど、ちょっと一区切りをつけて終幕というのはどこか落語のよう。

戸建て派の会長を演じた佃典彦のラスボス感、対抗する社長を演じた谷仲恵輔の追い込まれ足掻く感じとヤケにカッコいいダンス。法務を演じた芦原健介は、まさに可愛い顔してあのこ割とやるもんだねというフレーズが頭に浮かびます。騙された担当を演じた小平伸一郎の真面目で巻き込まれる感じがとてもいい。

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2024.07.12

【芝居】「くらやみ坂のグッドバイ<2024>」麦の会

2024.6.9 14:00 [CoRich]

1947創立の横浜の市民劇団の初代代表・高津一郎の手による作品、初演がいつだか、何演めかも調べられなかったけれど。1992年、2003年には上演しているようです。「毒薬と老嬢」を翻案。120分。6月9日まで、のげシャーレ。

くらやみ坂ちかくにある洋館。代々、監獄医や調剤、町医者などを行ってきた。その洋館で暮らす老いた姉妹。日本軍の将軍だと思い込んでいる姪と三人で暮らしている。大きな洋館を持て余すように、貸間ありますの貼り紙を見て時々身寄りの無い老人たちが訪れるが、いつの間にか次々と姿を消している。
小説家の親戚の男が妻と娘との会食の合間に訪れ、洋館で何かが起きていることに気付く。

映画版の(wikipedia)読むと、映画版では外部の目である親戚の男からの視点で描かれていることが判ります。麦の会による今作は、横浜でかつて処刑場があった「くらやみ坂」を舞台にしたこと、映画では大統領と思い込んでいる人物を将軍と思い込んでいる人物への変更ぐらいじゃないかと思います(旧日本軍の将軍を(今作では)女性が演じるのはご愛敬ではあるけれど)。映画も喜劇らしいし、終幕で呪われた血筋と主人公の関係がハッピーエンドに向かうラストも含めて。

大勢が出てきて大混乱に陥る物語は、正直にいえばそれぞれのの役者の位置付けが覚えられなくなってしまうお年頃のワタシですがカラーで描かれた家系図(それぞれの役の手書きイラスト付き)がありがたい。子供やシニアをふくめて満員になる「大衆演劇」がきちんと機能していることが(関係無いのに)誇らしいワタシです。

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2024.07.07

【芝居】「デンギョー!」小松台東

2024.6.8 18:00 [CoRich]

2013年初演作、2021年再演(未見)を経ての三演め。6月9日まで三鷹市芸術文化センター・星のホール。120分。

例によって初演の記憶は曖昧で観始めて、徐々に思いだしながら観たワタシです。作家の家業がデンギョーさんだった、という話は何処で見たんだっけな。10年弱を経てワタシも歳をとり、劇団チラシの惹句から永六輔が消えたりするのも時間の流れ。

詰め所で入院して時間が経ち戻る気配のない電気工たち。東京から元銀行マンを役員に据えて次の体制を整えつつあるトップとの確執。濃密なコミュニケーションと、そこでも存在する管理職と現場の溝。びっくりするほど物語の骨子もワタシが抱く印象も変わらないのです。それは組織というものがそうすぐには変わらないということでもあるし、恐らくは(未見の)再演を通して時代に合わせた部分と、時代とズレていてもあえて残す部分のバランスをもつチューニングの力だと思います。

大きく変わった、とワタシが思うのは、作演を兼ねる松本哲也が、初演では確か営業部長で、ヒールと物語の整理と緩急のバランスを一人で担っていたのだけれど、今作では(おそらく再演からだろうけれど)瓜生和成にヒールを任せ、それいがいの部分を夫婦の一人として分担するという形にしたところだろうと思うのです。信頼出来る役者を仲間として劇団化するというのはこういうことなんだろうな、と外野の一人として思うのです。初演からでいえば、東京からの役員を初演で演じていた佐藤達は今作では現場の叩き上げ、しかも切られるかもしれない外注さん、というポジションに。濃密な悲哀を細やかな解像度。役の属性が変わったという意味では初演では元は引きこもりだった若手(たしか中田麦平)が、今作(吉田電話)ではおそらくADHDという属性に。意図はわからないけれど、役者に対するチューニングかな、と邪推するワタシ(余計なお世話)。

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2024.07.06

【芝居】「かれこれ、これから」ONEOR8

2024.6.8 14:00 [CoRich]

年齢を重ねた劇団のこれから、かもしれない物語。6月9日までシアタートップス。120分。

スタッフ付きのシェアハウスに集う人々、タバコを何処で吸うか、気になる異性がいてデートに出かけたいとか結婚したいとか。

個室のあるシェアハウスの中にある、小上がりやテーブルを設えた体裁の共用スペース。有り体に言えばサービス付き高齢者向け住宅という設定なのですが、あえて説明はしないまま物語を進めていて、若い役者たちが入居者の老人を若者の所作で演じているので、少なくとも観始めの時点では若者たちが暮らすシェアハウス風に見えるのですが、シェアハウスにしてはスタッフが常駐してたりするのが違和感で、じゃあ「S高原から」風のサナトリウムかというとそういうわけでもなくて。もっともわりと速い段階で、実は入居者の老人たちだと判る程度には親切設計なのですが。いっぽうで劇団のベテラン勢はほぼ、入居者の子供で時々訪れるという構成。

老いてもなお、恋心を抱いてデートに行ったり、結婚したいと言い出して子供たちが混乱したり。老人たちだって恋する気持ちがあるし、結婚を考えたりもするし駆け引きをしたり。あるいは施設の中のお化け騒ぎに端を発する一連の騒動もまた、原因となる認知症の入居者が気持ち悪いことをしても許す気持ちもまた恋心なのです。あるいは夫婦での入居者、若い女性の入居者にヤキモチを焼く妻もまた。 そういうことが起こりうる現実を高い解像度で目配せしながらも、少しばかりの誇張を加えてあくまでもコミカルに、ときおりペーソスを交えて群像劇として楽しめてしまうのは、実は自分が年齢を重ねて「そちら側」に近くなってきたからだよなぁと思ったりもするのです。

ベテラン勢で唯一入居者を演じた恩田隆一の乱暴な物言いと、古株の入居者を演じた異儀田夏葉の掛け合いが素晴らしい。ほれぼれ。

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