2024.5.18 14:00
[CoRich]
作演出の西山水木と俳優の松岡洋子によるユニット。
演劇を見てすぐ配信するぶらゲキのエピソード7(spotify, YouTube など)に当たって嬉しいワタシw。110分。5月19日までザ・スズナリ。
ある雨の日、一人の女が首を吊って死のうとするが失敗する。橋の下で暮らすホームレスの女の住処を壊してしまい、女はホームレスを連れて広い屋敷に戻る。
屋敷では息子と二人きりで暮らしている。いい年になった息子は動画配信で稼ぎたいが再生回数は伸びていないのに母親はいつも褒めてくれて、逆にそのせいで進路に迷い続けている。
敷地の一角に建つマンションの最上階では、女の夫が愛人とその娘と暮らしている。かつては4階建ての有名なレストランのシェフだった男は金の卵と言われ上京し就職した会社を逃げ出してレストランに拾われ、そのあと、愛人は娘とともにホームレスのところを拾われ、住み込みで働くようになっていた。先代が亡くなり男が倒れ、愛人が介護していて屋敷にはもどらなくなっている。
屋敷に住む女にはかつてもう一人娘がいたが、弟を助けようとして川の事故で幼くして亡くなっていて、その声を聞きながら長い時間を過ごしてきた。「拾ってきた」ホームレスの女が一緒に暮らすようになる。もう、亡くした娘の陰膳はしなくていいと決心する。
スズナリの舞台側に高さの異なる舞台を左右に造り、中央に音響照明卓側へランウェイのように張り出す舞台。その両側にも客席を設えて、コの字型に。驚きの声を多数見かけました。ここまで大掛かりは初めてだけど、空間を縦に使うといえば、トリのマーク(通称)(
1,
2)
を思い出すワタシです。
死のうとしている女に偶然「拾われた」ホームレスが目にした、富裕層の一家の姿。拾った女は幼くして亡くした長女の姿を追っていたり、長男はモノにならない動画配信の日々で迷い、夫は愛人と同じ敷地で次女と暮らしていて。豊かな資産を持ち生活には余裕がある上に広大な敷地にいるからこの危うい関係ばかりでも安定しているようで、積極的にここから抜けようとは想いもしない人々。
いびつな家族の物語を縫い合わせるのが作家が長い間続けている「ジェストダンス」や日本舞踊といった踊りなのです。次女が大学で出逢うのが「一人踊る女」。自分のパワハラで人々が離れていったことを自覚して人目に触れないように一人で踊っているのだけれど、パワハラをしても踊りたいという思い、表現すること自体は止めなくていいし、海外留学という形で見えない場所で踊り続ければよいと肯定するというのは、クリエイターが持つある種の欲望をあまりに肯定的にあからさまに描いていて、少々危ういと感じるワタシです。あるいはさまざまなしがらみを思わせるゴムバンドでぐるぐる巻きにされながらも踊り続けるなども止められない欲望で、なるほど欲望の形は人それぞれ。
どこか世間とは距離がある感じである意味ぼんやりと生きている女、人との境界=リンカクの曖昧さ。共感力が高すぎて、本人のことではないのに人のことで泣いてしまうとか、感情が表に出なかったホームレスだった母娘が人の共感を目にして感情を手に入れるなど、それぞれの人としてのありようが変化していくのです。
家族の話、現在の社会の問題などたくさんの物語。さらには、娘を思わせる人形の操り、かと思えば本水を使った豪雨、(山の手事情社の)四畳半を思わせる空間を狭く使う舞踏、日本舞踊、ジェストダンス、あるいはこれも山の手事情社風の無茶振り演出家っぽいシーンがあったりと、ともかく盛りだくさんで、物語も演出も時間の割に詰め込んでいて、満腹で歩けないぐらいにくらうワタシです。
この家で暮らす女を演じた松岡洋子の、世間から乖離してふわふわと浮いているような(チラシでも感じる)説得力。拾われたホームレスを演じた倉品淳子は、距離を詰めたり冷静だったり、あるいは無茶振りのテンション、様々な物語をつなぎ止める背骨のよう。愛人を演じたあさ朝子の、謙虚よりは卑屈に居てしまう立場の解像度。踊る女を演じた永田涼香、ダンスを拝見するのは初めてだと思いますが孤高な感じが印象的。ヤングケアラーの女を演じた桑田佳澄の献身的なありようを自発的に感じさせてしまう説得力。息子を演じた喜田裕也の卑屈な造形が印象的、介護される男を演じた龍昇の、しかし一瞬元気な時代のシーンとの振り幅。
最近のコメント