【芝居】「クチナシと翁」ホエイ
2024.3.17 14:00 [CoRich]
思えばホエイとしての旗揚げを拝見したのもアゴラでした。この劇団のアゴラでの最終公演。95分。3月17日まで。
大広間のような場所、昔は巨大な藁人形で行う祭りだったが、観光振興の一環として大量のカカシでそこそこ人気となっていた中に直撃したコロナ禍。久々に再開しようとしたらやる気いっぱいだった二人は認知症になっておぼつかない。
町起こし隊として移住してきた芸術家、家を出たきり顔を見せなかったが離婚し乳飲み子を抱えて戻ってきた男、15年引きこもりだったが親が認知症になり介護のために家から出るようになった男。
山を守りたいババは山を売りたい家族と喧嘩してビニルハウスで暮らしているが、山を見に行って足をすべらせて亡くなってしまう。
この場所で暮らしている人、出ていくひと、戻ってきた人、あるいは定住するよそ者、葬式はあってもそれほど大きな大事件は起こらないけれど、この場所で生まれ老いていく人も、芸術家として行政の金で来る人も、あるいは出ていったのにここに戻ってきた人もそれぞれの人生、それぞれに暮らしてる日常を描きます。
お手軽な町起こしとして日本中で試され失敗しまくっている「かかし祭り」のビジョンのなさ加減、それでも賑わいがなつかしくて半分諦めながらも続けようとする老人たち、町起こしで行政の金で移住してきた芸術家もいい人ではあるが町が望む賑わいを起こすほどの力はなく、行政だって増える害獣をすべて片付けるだけの余裕はなくなっていて。老いていく田舎あるいは日本の縮図というと単純にすぎるけれど、それでも生きている人々を解像度高く描く作家の確かな力。
首都圏で生まれ育ったワタシに本当のこの世界が理解できるわけではないのだろうけれど、 解像度の高さはたとえば認知症、突然激昂して警察に電話しろというが数分後には忘れてる老人(山田百次)とか、この場所を捨てたのに戻ってきた男(武谷公雄)が困っていれば黙って助ける(河村竜也)とか、生きるために熱意なく役所で働いている(赤刎千久子)ような感じとか、どこかでみたような風景、それを殊更に強調しなくても、万事がこんなふうにリアリティのある場として作り上げられる座組なのです。
成田沙織は一段上のネイティブ津軽弁の強度が顕在、芸術家を演じた斉藤祐一の優男ぶりの説得力、引きこもりを演じた中田麦平が老いて家を出る不安と希望とが入り交じる解像度。とりわけ老婆を演じた三上晴佳が舞台にいるまま薄暗くなったとおもったら娘に変わっているシーンと、その両方に違和感がない稀有な役者をみられる幸せ。
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