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2023.08.26

【芝居】「熱く、沼る」トローチ

2023.08.06 15:00 [CoRich]

俳優四人によるユニット、トローチ(1, 2, 3, 4, 5) の新作。130分。8月13日までRED/THEATER、9月に有料配信(teket)が予定されています。

いまいち客の入らないスナック、子なしバツイチの50歳のママが住み込みで切り盛りしている。客も少なくなってきてオーナーの暴言も笑顔でやり過ごして酔い潰れるほど呑んだ頃、セーラー服の若い女がこの店のママを探していると訪れるが、それは亡くなった先代の人気ママのことだった。
翌朝、ママが目を覚ますと、昨日のセーラー服の女、昨晩初めて訪れた35年間孤独を貫いているという初老の男、妻を亡くして以来常連となった男の四人も店に居る。ママは覚えていないが、若い女を抱きしめて、肩を組んで歌い、四人で一緒に暮らそうと言ったのだという。

スナックの店である一階と、住み込んでいる二階の二部屋。時間を行き来して描きます。過去の下敷きとして今のママが店で働き始めた先代のママが好調に店を切り盛りしながらも、常連となりつつあった若い男への恋心が完膚なきまでに打ち砕かれる一人の寂しさを。 対比するように現時点を中心として、奇妙な同居をしてコンビニ飯の食卓を囲むようになる人々の過去を点描していきます。ママは子供の頃に父親の愛人へのラブレターを見つけ正直に母親に見せてしまったがために家族離散し、母親から責められるうち何を云われても笑ってやり過ごす癖が付いてしまったこと、妻を亡くした男はママに亡妻の面影を追っていること、35年孤独を貫く男はずっとわだかまっていた気持ちを抱えてこの店にやっとの思いでたどりついたこと。あくまで店の中の会話や語りとしてそれぞれの人物を描きます。「自分の過去を語る中年」のオンパレードで、なるほどスナックという磁場だからリアリティのある自分語りする人々。

店のオーナーや、先代ママの頃の若い作家志望の男、あるいは今のママの離婚した男など、悪人というわけではないけれど、女性(や貧乏人など弱者)に対しての態度や眼差しが前時代的だったり、対等な人間ではない観察対象として扱ってたり、妻を女として見てないということを公然と云えたりという男たちはどちらかというと、上記の人物たちをより深く造形するために機能していて、あたかも建造物を叩いて内部の構造を確認する「打音検査」のよう。

かくも今作は、50歳女のスナックママを中心に、生きるのが不器用な人々を執拗に、しかし時にコミカルに描きだすことに多くの時間を割いていて、それがいちいち見応えを持っているのです。この奇妙な「家族」ごっこは恐らくは一ヶ月ほどで終わりを迎えてしまうのだけれど、「家族」を見失っていた人々が擬似的にでもほんの一ヶ月ほどでも食卓を囲み、コンビニ飯でも美味しいと言い合えた経験があることで、この先、一人でも生きていけるという希望のある終幕に安心する、「この世代」のワタシなのです。

スナックのママを演じた小林さやかは、笑顔でやり過ごす以外の方法が判らなかった人生、しかしこの疑似家族を通じて得た何かの毅然とした強さしっかり、ほぼ出ずっぱりの主役。先代のママを演じた伴美奈子、まさかの若い男に手ひどくフラれるという役付の挑戦、きっちり。35年の孤独を貫いてきた男を演じた青山勝の生真面目なキャラクタが秘めていたことの重大さのコントラストを効果的に(まあまあの段階でうっすら見えてはくるのだけれど)。妻に先立たれた男を演じた堀靖明のコミカルにすら見えてしまう「変態的」な行為の切実さ、しかしそれを見つかったときに押し切ろうとする強引さが楽しい。娘を演じた土本燈子、口ごもるような口調が印象的と感じるのだけれど、思えばこの一年弱で既に三本拝見してるハイペース( 1, 2, 3)、ちょっと注目なのです。

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2023.08.21

【芝居】「2 a.m.」乙戯社

2023.08.06 11:30 [CoRich]

高円寺で定期的に開催されている演劇サロンプロジェクトの企画公演として、短編とリーディング、ティーチインで構成。ワンドリンク付き。8月6日まで、高円寺K'sスタジオ本館。

女が弟を名乗る男と住んでいるが、恋人は弟が亡くなっていることを突き止め心配している。「永遠姉弟ートワキョウダイー」(作・演出/いちかわとも)
女に告白するが、話が弾みすぎてその先に進めない童貞男、その話を聴く女友達。生き物ではなく、椅子になって話してみるのはどうかといってみる「恋人は椅子な人」(作/鈴江敏郎・演出/REN)

「永遠〜」は20分ほど。姉と死んだ弟、姉の恋人という三人の芝居。姉は早々に寝ると云い去って残された男二人。前半で弟の写真がないのは「流された」からなど、予兆はみせつつ。追求しようとする恋人と、それをいなそうとする弟の対話は、弟がここから去らないのは姉を心配しているからで、恋人が守ってくれることを確認して弟は去り、寝られず起きてきた姉、弟が死んだことは理解していて、二人でそれぞれにもう一本ずつのビールは献杯を思わせるのです。

休憩を挟んで「〜椅子な人」も20分ほど。2005年作を。ワタシは初見、リーディングとして。告白して話が弾みすぎてもう一歩を踏み出せない男が女に相談し、相談に乗った女は告白された経験がなくて恥ずかしくて、椅子になってみたり、と書き出して思い出そうとしてもよく判らないと感じるワタシです。いろいろ唐突さでコミカルにしたいのかなと思いつつ、この短編で笑いにするのは演出として相当な企みが必要かなとも思います。物語は男の(別の女性への)告白が巧くいきそう、という終幕、解決してるようなしてないような。

二本の短編の上演後、「ティーチインイベント」と称した演劇交流会の場を設けています。役者たちのインタビューで始まり、観客からの質問という形の場を作ろうという意識は感じます。いろいろな劇団が作り手と観客の対話を模索しているし、対話したい観客は確かに存在するけれど、どういう場がいいんですかね。劇場にパブを作り付けるような雰囲気づくりがドリンク付きなのだろうけれど、舞台と客席という位置関係でやるのはちょっと難しい気もします。今回に限らず。

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2023.08.19

【芝居】「赤を張って、ブルー」おもち食べ放題

2023.08.05 14:00 [CoRich]

女優・沈ゆうこのプロデュース公演。85分。イズモギャラリー

ボタンに糸が通せない姉、帰宅した妹はそれを代わる代わりにアイスを買ってきて欲しいともちかけるが、姉はコンビニに行きたがらない。「針と糸とアイスクリーム」
この姉妹は一軒家を、姉の大学時代の男友達とシェアして家賃を折半している。男は婚活しているが、惚れっぽい割にデートの代金をどうするかとか話が長すぎたりしてフラれてばかり。同窓会が近づいていて、11回フラれている同級生が来るので、そこに「彼女」を連れていきたくて、妹に相談する。「アンチ・ブラッシング」
男が暮らし始める前の前日譚。姉がタトゥスタジオを開業し、大学の時のたった一人の男友達が訪れる。お祝いなのに夏なのにストールとかちょっとズレている。姉は人に舐められないためのタトゥは許せないこだわり。男はタトゥを入れようと考えていて。姉は家賃苦しく、一軒家をシェアしようと提案する。「キャンディとタブー」
休日、3人がリビングに居る。妹は三人の男の「ヒモ」で、大量にチョコレートを貰ってきてシェアしたりしてる。姉は地元の憧れのタトゥアーティストに手紙を書こうとしているが、慰められるのは弱い人間だから、彼を慰めるような手紙は失礼ではないかと逡巡している。「青」

ギャラリーを横長に使い、キッチンスペースからトイレまで(観客は使えないのは痛し痒し)を一室に見立てた場所での役者三人による4本立て。

タトゥアーティストの姉、舐めた態度を取られるのが嫌い、友達少なめ。男三人の家に通うヒモな生活の妹、察しがいいし人当たりもいい。姉の男友達はきちんと働いていて、婚活に勤しむが失敗続き、なのに独身女二人に手を出すでもなく暮らしてる。というそれぞれのキャラクタを描くような日常のスケッチになっています。

「針と〜」は姉妹ありがちな買い物の駆け引き。姉がコンビニに行きたがらないのは、態度が悪い店員だから距離感が気に入って通ってるのに、こんどタトゥの客になって態度が急変するからムカつくというのだけれど、それアイスを買いに行っても行かなくても同じではないかと思ったりするけど、その駆け引きの会話の間合いが楽しい。

「アンチ〜」は「彼女」役として妹を連れて行こう考え、妹は面倒見よく話を聞くという枠組み。妹は男が、パーティとかで人を居やすくしていると見抜き、同級生の横に座るにはどうしたらいいかの指南を考えたり。翌日も話そうと誘ったりして、妹が好意を持ってるようにも見えるんだけど、明確には恋に落ちそうな感じにはしない距離感が心地良いのです。

わざわざここで時間を巻き戻す「キャンディ〜」をここに配した意味はよくわからないけれど、姉の一本気なこだわりと、それを好ましく思う男の心地よい関係。こちらも恋に進んだりしない距離感。

最終話「青」に至っても、姉の一本気、しかしどこか引っ込み思案な感じはそのまま。妹も男もそれを見守っていること。いつまでこの関係が続くかはわからないけれど、四本を通して、男女の間に友情というか仲間であることが成立するという幸せな空間の刹那を切り取るよう。物語としては実際は何も進んでいなくて、舞台が進むにつれて、人物のキャラクタの解像度が上がっていくようで、フィギュアを愛でるような不思議な体験なのです。

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2023.08.14

【芝居】「Sign of the times」オフィスプロジェクトM

2023.07.30 18:00 [CoRich]

還暦間近の丸尾聡が三人の若い作家たちとともに三人芝居として構成する短編集。110分。Paperback Studioで7月31日まで。

前説的に話し始めた男、自分はかつてプロレスラーになりたかったとかなんとか
初老の大学教授の男、女の教え子。教え子は自分の恋心を隠すこともなく思わせぶりな態度だけれど、男は自分を律している。
しばらくしてから、その妹が大学教授のもとを訪れている。姉はあいたくないといって引き籠もっているという。妹はSNSにのった姉の言葉を拾い男を責めるが、男はホテルにはいったが男だけが裸になり女は下着を外すことはなかったといい、指一本触れていないのだという「背中を向ける」(作・吉田康一)
記憶喪失となった劇団主宰の男。妹が劇団の稽古場に男を連れてくる。劇団員の作家志望の女も立ち会っている。男はかつて劇団でパワハラを繰り返していて、その不満から俳優の男が殴りかかったのだという。主宰の男はそれが本当ならこころから謝罪したいというが、「記憶がない状態での謝罪」は心から謝ったことになるのかと指摘される。かといって、記憶が戻って元の性格を取り戻せばパワハラを謝罪することすらしないかもしれない。「もらえるまで」(作・大西弘記)
0と1の間の無限の可能性を表現しうる量子コンピュータ、その無限の可能性ゆえに一歩も踏み出せなくなってしまう量子AI。酒浸りの「物語探偵」は、たった一筋の物語の流れを選び取ることが仕事。量子探偵は10万年に一回のすりぬける瞬間を観察し選び取ることで壁抜けをすることを利用して、量子コンピュータのプログラムとなった物語探偵も10年続れば壁抜けできるはずで、それで物語を「選び取ろう」という。「量子探偵のフレーム密室」(作・小野寺邦彦)

「世相」を謳うタイトル、なるほどイマドキのセクハラ、パワハラ、AIといった言葉が思い浮かぶラインナップ。

「背中〜」はいい歳をした男と教え子の若い女。舞台での描かれ方をそのまま客観のカメラとして受け取れば、女から誘ったように見えるし、二人きりで男は裸になり女は下着を外さなかったとしてもなお、男は無罪放免とはならない感じ。もちろん、最初の「誘ったよう」は、男の側の視点に過ぎずに認知が歪んでる可能性はあるし、二人きりで指一本触れなかったといったって説得力はないわけで。何が真実だったのかを描くというより、男の側から感じた眩しさとちょっとした浮かれ具合にやけに共感してしまうワタシですが、観る人によってずいぶんと感じ方が違うだろうなと思うのです。

「もらえるまで」はパワハラ的な男が記憶を無くして穏やかに変わったがその状態での謝罪は意味があるのか、というある種のパラドクス。その状態でも劇作家なのだから戯曲として書き、許されなかったとしても謝罪を許されるまで続けること、というのは呪いともいえるけれど、一つの考え方ではあります。それはたとえば侵略や戦争といった責任をそれ以降の世代が背負い続けなければいけないのかというのともちょっと似ている感じもします。作家がそれを意図したかはわからないけれど。

うってかわって、ポップでSF風味の「量子探偵〜」。無限の可能性から一つの物語を選び取ることの奇跡を「10万年に一回のすり抜け」の瞬間の観測になぞる発想の面白さ。可能性が多すぎて一歩も進めなかった娘が一歩を踏み出すことを言祝ぐような気持ちになるワタシです。AIとか量子コンピュータといった最先端を、物語を創り出すこと、に落とし込む発想の面白さ。

ほぼ出突っ張りの丸尾聡のさまざま、しかも膨大なセリフな上に派手に動き回り。年齢を重ねたって現役で突っ走るのが頼もしい。江花実里、江花明里の姉妹共演、さまざまな表情も楽しく。

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2023.08.13

【芝居】「スローターハウス」serial number

2023.7.23 14:00 [CoRich]

障がい者施設での殺人事件をモチーフに、被害者の母と犯人の対話劇のスタイルで。7月2日まで東京芸術劇場シアターイーストで90分。

障がい者施設で自閉スペクトラム症の入所者を一人殺して取り押さえられた犯人。被害者も犯人も名前は伏せられ、刑が確定してから10年。自動車整備の仕事で働く犯人の男の元へ、被害者の母親が訪ねてくる。男は毎年「自分を取り戻したか」と母親に手紙を送ってきており、不穏に感じ「止めなければ」という想いで話にきたのだった。男は選ばれ者だけが受け取れるメッセージを受け、障がい者に多くの税金を投入する現状を嘆きよりよい世界を実現すべく行動を起こしたのだという。

大量殺人ではなく、一人を殺したところで取り押さえられたと言う形に変え、未成年だった犯人と被害者の母親という一対一の対話という緊張感溢れる場を設定。そこにオーバーラップするように、殺された息子の施設での様子を、説明役を兼ねる施設職員とのシーンとして描きます。

男をヒトラーに心酔して、自分を選ばれしものと考えて、よりよい世界のためであれば人殺しも躊躇わない、という優生思想のサイコパスだけれど、この一点を除けば極めて常識的な人物として造形しています。じっさいのところ観ているワタシはこれぽちも共感できないけれど、この絶望的な相手に「対話」を挑むのが被害者の母親というアングル。前半では背景となるその息子の様子や説明を交えて。

背景はよくわかるけれど、母親が犯人に対して対話を図ろうというモチベーションは正直なかなか理解が難しいと感じます。後半に至り母親は男に対して「あなたと私、似てないかしら」と問いかけます。十分裕福な家に生まれ、勉強も出来たふたり。男は地元の名士の家に生まれたが成績が下がり叱咤されてからの変化だし、母親は卒業してすぐ専業主婦となり生まれた子供が知的障害とわかり、成長につれ力も強くなり家では看られないと施設入りを決めて「捨てた」という自責。順風満帆な人生のはずがどこかで変わってしまった戸惑いを共感に変えたことの唐突さというか違和感は感じます。が、終幕、息子が一人でおしっこをする音の安心感を感じること、それは「数少ないできるようになったこと」で、その拙さを愛情と捉えること。犯人の男は万能感こそ感じているけれど、傍から見れば未完成な拙さ、それを「抱きしめたい」とまで言い切る感情はなかなか「共感」はできないけれど、追い詰められた切実さからの少し異型な発露のひとつの形なのかもな、と思ったりもするのです。

息子ができる数少ないことはもう一つ。「ローゼンにシール買いに行こうね」「いい子にしてたらね」と決められた定形でしか成立しない「会話のようなもの」。その会話の中身には意味がないことは母親はもちろんわかっているけれど、コミュニケーションらしいことができる数少ない寄す処の切実さ。神奈川ローカルのスーパー「ローゼン」に子供の頃から馴染みのある私、なんかぎゅっと掴まれるよう。

それにしても観客の共感を推進力にするわけにはいかないし、なかなかにハードな題材を扱い、鋭利な刃物のような緊張感のある会話を続ける作家と役者の胆力の凄さにびっくりするのです。よく認識してなかったけれどジャニーズ所属の役者なのだそうで、女性があふれるほど多い客席、しかしこの会話劇のしんと静まり張り詰めた至福の空間を乱すこともなく90分きちんと、というきちんとした客を呼べる役者ってのは大したものだと思うのです。

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2023.08.07

【芝居】「はてのしま」シアターTRIBE

2023.7.16 15:00 [CoRich]

松本市・上土劇場での上演が主な地元の劇団の雄のひとつ。演劇連合会の会長職、小屋主でもあるためになかなか「まつもと演劇祭」枠での上演が叶わない劇団でもあり、久々の大学同窓会が近くであったから、の偶然も嬉しい。

政府に反抗する人間を思想病として取り締まり、隔離療養する施設となっている離島。入所者と施設を監視するために月に一度、船で検疫官が訪れることになっている。長い間、なあなあだったが、訪れた検疫官は女性だが厳しそうな新任者だった。

反体制を取り締まるためと思われる「思想病」とその隔離施設を巡る絶望的な状況を描きます。 検疫官への「接待」の準備をするけれど、検疫官が新任だとわかり何かの秘密を隠そうとする二段構えのドタバタ。絶望しかけた職員たちだけれど、温泉に反応した検疫官(相当な温泉オタクだとわかるセリフの洪水は楽しいけど、ほぼ判らないw)が温泉に行ってる間に時間を稼ぐことに成功するのです。

ここまででも薄々わかるけれど、どうも職員はいても入所者は居ないことを隠しているよう。そのドタバタを続けるのかとおもいや、検疫官もまた国情の変化で入所者を皆殺しにする命を受けており、さらには検疫官自身も思想病の感染が疑われた状態でのミッションということがわかります。

目的をともにして、島を取り囲み待機する軍隊をどう騙して乗り切るか、は少々荒唐無稽に過ぎる感はあるし、「脳に直接語りかけ」て、反応する人々が集うテレパシー的な量子なんちゃら技術とニュータイプっぽい人々のレジスタンス、みたいな大風呂敷なSFも今どきというよりは少々レトロに感じなくはないのだけれど、いえ、ワタシはこういうのんが直撃世代なの、妙にハマって嬉しくなってしまうのです。ランボーとかジェダイとかなんて単語が散りばめられるのもまたよし。

そもそも思想病なんてものはなくて、独裁へ突っ走る政府のありかたと、それに対抗するためのレジスタンスの拠点とその先への一歩を感じさせる終幕は痛快です。そのまま今の私たちというわけではないけれど、何かと何かを置き換えれば、私たちの今の現実から地続きの相似形というふうにも、さまざまに読み解けそう。

検疫官を演じた作田令子は、ドイツ風の軍服で凛々しく、ときに可愛らしかったり怯えたり、とくるくると変わる楽しさ。入所者にでっちあげられるシェフを演じた、にしざわ・あおいは吠え、飛び回る軽快さ、妙に二の腕が凛々しく。この二人が対峙する中盤のシーンが出色で、互いにズレた恐怖感を持ちじゃれ合う感じがちょっと微笑ましい。医師長を演じたちんてんめいは、まさに現実には何も不思議なことは起こっていないSF風味の今作をセリフだけの力で支えるといっても過言ではない説得力。補佐官を演じた宗田つよしの中間管理職っぽさ、雑務員を演じた池田シンのときおり見せる悪ノリ が楽しい。

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2023.08.02

【芝居】「黄色い封筒」青年座

2023.07.07 14:00 [CoRich]

7月10日まで吉祥寺シアター。110分

自動車部品メーカーの労働組合。大規模な整理解雇に反対した労働組合がストライキを行っているが、そもそも合法なストライキ自体が法で封じられており、これまでも会社側はストライキに参加した個人に対して高額の賠償請求訴訟を行ってきたために動揺も広がっている。テレビ局ディレクターが取材に何度も訪れ、運動が続く中、組合員の息子が修学旅行先でのフェリーの沈没によって命を落としてしまう。

韓国で実際に起きた労働争議をモチーフに、運動の一環として韓国で制作された(毎日新聞) のだといいます。高額の賠償請求を背負った労働者に対し、草の根的に人々がもとは給与をいれていた「黄色い封筒」にお金をいれて寄付したという「黄色い封筒運動」を労働者側の視点で労働争議の構図をわかりやすく描くことと、その中に居る労働者たちの葛藤や立場の違いを描きつつ、同時期に起こったセヴォル号の沈没事件を人の生き様に絡めて描きます。

大きく傾いた甲板のような舞台にマストのようにぴんとたった細い一本の柱。労働組合の事務所と思われる場所の物語で、ほぼ組合員のみの出入りで、テレビディレクターという男を入れることで、第三者の視点での語り口を得て描かれます。そもそも合法的なストライキができないという閉塞的な中でも雇用の維持を勝ち取るためにやむにやまれず、それでもストライキをする人々。雇用どころか、多額の損害賠償を背負うハメになるという壊滅的な状況の八方塞がりのこの「物語」が現実の地続きなのだということはワタシを絶望的な気持ちにさせるのです。

正直にいえば、語っているのは戦場そのものの状況なのに、労働者側(と説明のための第三者)でしか描かれないことで奥行きが物足りないとか、セヴォル号のこと(同時期に起きたこととして、これを描かずにはいられないことは作家の切実さとしては理解できるけれど)が少々唐突に感じてはしまうけれど、同じ時代のできごとを、決して他人事ではなく自分の生きる世界の地続きとして感じ取れる物語は、ブラッシュアップを続けてほしいと思うのです。

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【芝居】「おわたり」タカハ劇団

2023.07.02 19:00 [CoRich]

年に一度、海で亡くなった人々を山に葬るため、住民は一晩家に籠もり、人形は一箇所に集めて隠している間、高台に屋敷を構える一族が霊を鎮める儀式をおこなっているという奇祭、「おわたり」。調査のために研究者と友人の作家の女、研究者の助手が訪れる。
作家は最近、死んだ友人の幻影を見るようになっており、この霊能力者に相談を持ちかけようと考えている。

わりと強い縛りを持つ奇祭だなぁと思えば、ネットで漏れ聞くところによると伊豆諸島に伝わる「海難法師」(wikipedia) をモチーフにしたよう。舞台を下田の海が見える高台の屋敷として、単にホラーというよりは、隠された「不都合な真実」があらわになっていく人々の営みを描く物語。

過去の地震の津波で、高台のこの屋敷だけが被災を免れた中で、見殺し人あった人々からの恨みを恐れたゆえの奇祭なのだということが徐々に語られます。ずっと昔の祖先が行った過ちを背負い続けていることは外から見れば狂気だけれど、本人たちにとってはしごく真面目に続けているある種の禊ぎなのです。それを明らかにすることができないまま続けて行くことの苦しさ。これとは別にもうひとつ、作家自身が明かせない秘密がもう一つの物語として並行して語られます。それは亡くなった婚約者の未発表の原稿に書き足して自分のものとして発表し賞を取ったという過去なのです。実際の所関係の無い二つの物語なのだけれど、一つの枠組みの中で起きることを並べて相互に作用させていくと、人々の欲望や願いがない交ぜになってホラー味が倍増しているのだ、ということが後から考えると見えてきたりもするのです。

序盤、信州・松本の駅チカの百貨店で毎年出会っていた男の子の話(の怪談)から始まり、すっかり「御神渡り(おみわたり)」がモチーフになっているかと思いこんで途中まで頭をひねっていたワタシです。思い込み怖い。

研究者を演じた西尾友樹の実直に人を思い、しかし巻き込まれる人間の細やかさ。 洗練された人当たりのいい男を演じた神農直隆の、笑顔の裏に隠れたどうしようもない女癖という欲望と、人を人とも思わないコンプラアウトぶりの造形がモンスターのようで目が離せません。老婆を演じたかんのひとみの迫力、町議を演じた土屋佑壱の少々がさつなガハハ笑いの人好きな感じと隠した使い込みの借金の落差。駐在を演じた猪俣三四郎の、分家ゆえの虐げられた立場を隠した想い。

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