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2023.04.10

【芝居】「SHARE'S (E・F)」視点 (やみ・あがりシアター+劇団肋骨蜜柑同好会)

2023.3.18 19:00 [CoRich]

mu主宰のハセガワアユムによる演劇セレクト・視点によるイベント。全部は行けなかったけれど、二コマだけの一つ目。3月19日まで座・高円寺1。120分ほど。

新婚夫婦、夫両親が移住したあとの実家に住んでいるが、営んでいた蕎麦屋を潰して戻ってきて同居する。姑は嫁に辛く当たり、料理を誰が作るか揉めたりする。「背に描いたシアワセ」(やみ・あがりシアター)
遊女と恋仲の大店の使用人。持ち上がった縁談を断るため受け取っていた持参金を返そうとしたが友人にいっとき貸し付けるが、逆に証文を偽っているといわれて痛めつけられてしまう。濡れ衣を着せられた男は、死を覚悟するが遊女と再会し、二人は心中を決める「恋の手本 ~曾根崎心中~(令和版)」(肋骨蜜柑同好会)

「背に〜」は、 いわゆる戦後の高度経済成長期のような雰囲気の妻と夫のホームドラマ風で始まる序盤。姑はやけに嫁に厳しく、だらりと続くホームドラマ風なのだけれど、徐々にわかるおかしいこと。本当は、祖母・息子夫婦・孫とその恋人という三世代の家族なのに、何かのきっかけで祖母=ワタシは嫁いできたばかりの孫の嫁、という「歪み」が全てに波及していることがわかります。この構造の面白さが今作の真骨頂なのです。

その中で浮かび上がる、権力勾配というか人間関係だったり、あるいはテレビを買う金とか不動産の権利書に対する拘泥が顕わになるのも、やけにリアル。関係の入れ替わりというか齟齬がコメディなのだけれど、認知症の一種ととれないこともなくて、そういう意味ではこんなにコミカルなのにワタシにとっては切実で身に迫る迫力を感じたりもして。元々の嫁と姑の関係は逆転しているというのが象徴的だけれど、子供ができなかったと嘯くワタシに、本当の息子が「あなたは子供を産んだ」と訴えるシーンがちょっと凄い。

現代の話なのに、この嫁にとっての時代は自分の新婚時代であり、花柄のポット、テレビを買う買わないの高度経済成長が織り込まれたような話から入るので、時代観があれれ、と軽く振り回されるのだけれど、思いのほか混乱しないで見られるのは情報の出し方が実に巧いのだと思うのです。四角い舞台の出入り口・ドアを実はくるくると何カ所かを使い分けているのは、どこか不安定さを感じさせているのと同時に、初演(未見)からはずいぶん短くなった上演時間にも出捌けの点で貢献しているのかもしれません。

「曾根崎心中」、実は不勉強でちゃんとは知らないワタシ。今作は徳兵衛・お初の二人を三組の男女で演じます。恋愛工学のワークショップ、という胡散臭い体裁こそ序盤に持ってくるけれど、芝居の大部分はテキストのほとんどは近松のものであり、そこに時には現代語を交え、身体表現としては現代のもので演じるという構成。所作だけでおおまかな話の流れはわかるので、テキストそのものでついていくことを諦めたとしても、物語自体はシンプルなので、近松ならいくらでもあらすじはあとから探せるわけで台詞はもはやサウンドであり音楽でありという感じにはなるけれど、じつは面白くてぐいぐいみせる迫力があるのです。それは、まったくわからない言語の映画を字幕無しでみたときに、たまたま面白いものを見つけた感じ、もっといえば子供のころのセサミストリートな感じ、というか。いろいろ応用範囲はありそうな気がします。

どちらも再演作で、もともとはもう少し長かったのでしょう。60分という括りで見せるのはある種の再編集版の試みでもあって、たとえば高校演劇の展開とか、上演の障壁を下げて機会を増やすためのバリエーションを作るという可能性を感じるのです。

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