【芝居】「パンとバラで退屈を飾って、わたしが明日も生きることを耐える。」趣向
2022.12.24 11:00 [CoRich]
コロナ禍で書かれた2021年作を再演。ワタシは初見です。東京の風姿花伝での上演は12月25日まで、兵庫での公演は中止に。
コロナ禍で家に集まり、戯曲「人形の家」「三月の5日間」「サロメ」を持ち寄り、読み合わせをする人々。描かれた登場人物を共感したり糞だといったりしあう。友だちを連れてきたりして続ける。
読み合わせをきっかけに、再び繋がって集う人々、コロナ禍関係無くそもそも生きづらい人も混じっている。サロメの登場人物、ヨカナーンを(戯曲で読み合わせして)「支援団体の人みたい、説教するし」という台詞が秀逸で、もちろんそれぞれの立場ではあるけれど、彼らがそう思っていることをこの場所だから云える場所。むしろ肩寄せ合わない、踏み込まない、さらりとした人物。心地よい居場所ともちょっと違うある種の緊張感を持った人々が集える場所の重要さを端的に描くのです。
登場人物の名前はアルファ、ベータと名付けられていて、当日パンフには、一言で人物の見た目(髪の色や髪型、着てるモノなど)が書かれているのが記憶力ザルのワタシにはありがたい。ひたすら明るいピンクの髪の女性(アルファ)を演じた三澤さきは、性的虐待の過去を内包する強いコントラストが明暗を繊細に。安らげない家を出て一人暮らしを始めた女性(デルタ)を演じたKAKAZUはすらりと背が高く、裕福な家をわざわざ出て行きたい理由の襞。しかし手作り4品、冷食NGとか有るかも知れない現在の問題もきちんと。正義が時に暴走するおかっぱ頭(オメガ)を演じた大川翔子、決して大きくはない背丈で飛びかかるような勢いに驚くワタシです。もうずいぶん長いこと拝見してる役者の安心感。ワタシが勝手に作家を投影する主催者を演じた伊藤昌子(イプシロン)、物語の中では全体を包み込むような存在なのに、彼女もまた不完全だったり何かが欠落している造型の人物を描くのが作家、自分にも容赦がない(と勝手に思うワタシ)。
生きづらいこと、生きていくことを耐える、ということ。パンは生物として生き、バラは心で生きるというタイトルに戻る終幕。 ワタシの観た回は更に手話通訳者が3名舞台の上で登場人物に混じり、手話をしながら、という演出は、さまざまな人々が集う場所、というこの物語の説得力。
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