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2022.11.20

【芝居】「左手と右手」小松台東

2022.11.3 14:00 [CoRich]

宮崎の一軒家で暮らすアラフォーらしき男女。若い頃からの知り合いらしい。男は東京に行って戻りを繰り返し、いまは父親の知り合いの電業店で働く。女は離婚してなんとなく男と暮らしている。ときおり女の妹が訪ねてきているが、ダメ男と結婚もせず暮らすことを責める自分も離婚を考えており新興宗教にも通っている。
この家の男の東京時代、居酒屋でバイトしていたときの友人たちが訪ねてくる。一人は独立して居酒屋を持ち、一人はライターを諦め、その店でアルバイトをしているが、地元に戻るか迷っている。
電業店の男は離婚しており、息子はこの町を出たいが許して貰えない。

宮崎ネイティブで紡ぐ作家。日常を暮らしているけれど希望を失いつつあるアラフォーの男女を核にして進める物語の解像度の高さは更に洗練されています。男は東京に出て何も得られずに戻って来ていて、女は地元で結婚し離婚して腐れ縁に近いこの男との日常を暮らしている。電業店の男はここでずっと働き、「こうあるべき」にがんじがらめになっていて、息子にもそれを強いるけれどこの場所に希望を持てない息子は「逃げるような気持ち」でこの場所を出て行きたい。いっぽうで女の妹も結婚は続けているがその家庭から心は離れていて、新興宗教にはまり込んでいて、東京から訪ねてくる男女にしたって、東京にしがみついてはいるけれど、思っていたのと違っているし、いつまで東京に居るのだろうと考えていたりする。

さまざまなバリエーションで「居場所」に迷う人々の迷う姿を細やかに、時に暴力的とも思えるほどの迫力で描いているのです。正直に云えば、ドメスティックな日常を描いてる序盤は焦点が定まらない感じが続くように感じてしまうのだけど、後半になってみると、焦点の周縁を丁寧に積み上げていたのだということがわかります。積み上げて、焦点が定まってからの後半はするするとつながっていって見事なのです。

同居している男女、女を演じた吉田久美は序盤ではダメ男を掴んだ感じなのだけれど、終幕では居場所がなくなったらここに来るように妹に云う「成長」なのか心境の変化なのか、着実に。男を演じた松本哲也の無口で「負けた」男の虚勢が身につまされるよう。電業の男を演じた佐藤達は彼の芸の一つ、紙芝居で見せる人の良さとは真逆の怖さと中年男のいやらしさとデリカシーの無さを煮詰めたキャラクタの濃さ。新興宗教にハマる妹を演じた小園茉奈の逃げ場の無い切羽詰まったリアル。

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