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2022.08.27

【芝居】「くらイよるサ」ボタタナエラー

2022.8.6 15:00 [CoRich]

2019年から3年振りの公演。8月7日までテルプシコール。

夜の公園、夜明けを待つ人々。

  1. 朝日を見る会という二人の会、懐かしエロ店を出す男、議員になりたい女、友人の女二人、フードデリの女など「宵口」
  2. 女友だち、スケバンだったり、尾崎だったりの昔話とか、いろいろ合流してきたり。「夜半」
  3. フードデリバリーを注文したりする常連客により打撃受けるネットカフェ、バカップル風、鬼滅最終巻を読むか迷ったり。「Midnight NetCafe」
  4. 夜明け、朝日から逃げる、走る。ペットの散歩とかジョギングとかの夜明けのあいつらから逃げる。「未明」

市井の人々を丁寧に描く作家ですが、何回かの客演を経て菅間馬鈴薯堂(検索)の雰囲気を纏うようになってきました。夜の公園に集う人々、それぞれの立場が違っていて、なんか怪しげな人だったりがさまざまに交錯しながら、時間を潰している人々の蠢きを描くのです。

終幕がじつによくて、夜の間ずっと闊歩していた人々が、明るくなって出てくる人々に入れ替わる瞬間のある種の切なさ。朝日に向かわず、朝日から逃げるという雰囲気もなんか、普通の人々の繰り返す日常を感じさせるのです。

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2022.08.16

【芝居】「世の中と演劇する The three plays」オフィスプロジェクトM

2022.7.30 19:00 [CoRich]

丸尾聡による演劇企画集団。戦争にまつわる短編2本と、もう1本中編を。100分。7月31日までアトリエ第Q藝術。

茶色以外の猫は処分しなければならない、という法律からそれは犬も含めたペットに広がったが、それ以外の日常は変わらず快適だった。やがて新聞も「茶色」を掲げるものしか残らなくなり、やがて政府に批判的な出版社の本が姿を消したが、その中に居る限りは安心だった。「茶色の朝」(作 フランク パヴロフ /訳 藤本一勇 )
戦争に敗れ占領された国の学校に新任の女教師がやってくる。父親が連れ去られたことに不満を持つ子供には「間違った考え」を持った父親は大人の為の学校に行ったのだと諭す。キャンディーが欲しいと(神の代わりに)指導者に祈るように試させるが子供たちが目を閉じている間に女教師が配っていることを見とがめられるとキャンディをくれるのは神ではない誰かなのだと教える。「23分間の奇跡」(作 ジェームス・クラベル / 訳 青島幸男)
演劇部を辞めた友人を呼び止める演劇部に留まった女子高生。大道具や朗読につきあわせる(2021.9)「明日のハナコ」(作 玉村徹 / 上演台本 丸尾聡)

開幕と終幕、それぞれの芝居の幕間をうめる犬が軽やかに語り繋げます。

「茶色の朝」は見逃していた日頃の些細な変化を止められるうちに止めないとそれは大きな力になり逆らえなくなるどころか、その中に居る限りは安寧が得られる、ということを登場人物の視点で描きます。正直にいえば戦争の物語という触れ込みの公演でこの流れならば早々に結末は判るけれど、じゃあ何処で止められたのかといわれると言葉に詰まるワタシです。自分に危機が迫るまで放置していれば何が起こるか、それは戦争かも知れないし差別かもしれないし主権の制限かもしれない。為政者が正しいとは限らないという気持ちで向き合っていることの重要さ。

「23分間の奇跡」は教室に教師と生徒の一幕という意味では「最後の授業」っぽいけれど、こちらは新任の、つまり新しい体制側の教師の手練手管に子供たちが絡め取られる23分という物語。一本目に比べると最初に警戒感一杯であったとしてもはるかに短い時間で変えられるということの凄みは相手が子供だから、とは限らず、大人だってマルチやら霊感やら、いろいろ日常の中にも潜むのです。

「明日のハナコ」(台本)は何かの忖度、何かを隠そうとすること戦争の2本のあとでは、これが「いつか来た道」に繋がるというメッセージを勝手に読み取るワタシです。

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2022.08.13

【芝居】「ハヴ・ア・ナイス・ホリデー」第27班

2022.7.17 18:00 [CoRich]

第27班の新作。7月18日まで、こまばアゴラ劇場。120分。

不老の薬が配られる「未来の村」。若者に限り居住を許され、過疎地域に設定された特区。ダンサーの女が宇宙旅行の時代まで長生きしたいと移り住んでくる。村内には店はほとんどなく、受付で自身はここには住まず薬を飲んでいない女、村外との行き来ができるタクシー運転手の男、不妊治療を続ける夫婦、使われていなかったラジオ局に住みギターを弾く男などがいる。不老の薬のわからなかった妊娠に対する副作用が明るみになり。

残された時間に焦り若返りを狙う老人ではなく、若者だけに不老をという設定のSF風味。若く輝いている時間のままその時間を続けることが出来たとしたらという思考実験のようでもあり。不妊治療の夫婦の、そのなかば子供を手に入れることへの執着だけが残り止まったような時間、あるいは何者からも自由でありたいと考えているミュージシャンが自死にいたるまでのある種の絶望感。特区という設定のわりにコミュニティが小さすぎて、個人個人のキャラクタで描かれていて、当パンにある「ぐんぞうげき」には正直なり得てない気はするけれど、魅力的な人物で生に纏わるさまざまをギュッと濃縮して描く奥行きは確かにあるのです。ラジオ局のブース、役所の窓口、タクシーの座席、隣家と接する家の前とという場所を組みあわせ、中央に蜂の巣のハニカムを置いた舞台のつくりもその濃縮した感じに寄り添います。

ギターで歌う男を演じた大垣友の無頼な風来坊風情がクールなのに、その心が躓く終盤の奥行き。運ぶ男を演じた佐藤新太の人なつっこさや事故を起こした時のパニックなど、全体にクールな人々の中で生々しい造型が印象的。遊ぶ男を演じた藤木陽一、ナンパで軽く見えるけれど妻が好きすぎるゆえに抱える苦悩とのコントラスト。

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2022.08.07

【芝居】DULL-COLORED POP「岸田國士戦争劇集(赤)」

2022.7.17 15:00 [CoRich]

白組からほぼ一週間を経て。もう一つの座組。まさか両方とも同じで、空の悪魔はどこにあったのか判らない不勉強なワタシですw

動員挿話では少佐夫人鈴子を演じた原田理央は白組に比べると凛としてというよりは人情的な造型。 友吉数代を演じた渡辺菜花は取り憑かれたような人物がより一層と。 かへらじと、では結城少佐を演じた白組の古河耕史対して赤組の東谷英人はより軍人の雰囲気を強く。大坪の親子を演じた越前屋由隆、松戸デイモンも雰囲気がとてもよく。

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【芝居】「ユー・アー・ミー?」TakeS

2022.7.10 14:00 [CoRich]

ラッパ屋の2017年新作を上演。休憩10分込みの130分。10日までラゾーナ川崎プラザソル。

思えば紀伊國屋ホールとプラザソル、客席の奥行きはともかく舞台の間口とかはなんか近い感じ(正確には知りませんが)だなぁと思ったりします。レトロな雰囲気の会社ビル、中央の表示針式のエレベーター前にある立ったままでミーティングする円卓という雰囲気は初演の雰囲気を見事に再現しています。

老舗のアイディア商品会社、二代目社長が変えた社風についてスタバのカップとノートパソコンを携えて立ったままの短いミーティング、という会社。かつてはほぼ社員だった従業員の構成も正社員に加え契約社員も増えて会社が変わってきていて。五十代ぐらいの年代なら身に染みて変化してきた会社と社会がギュッと濃縮された今作。例によって初演の記憶は曖昧だけれど、おじさんたちがかつて生き生きと働き、この歳になって差が付いた感じはラッパ屋ならではと思ったけれど、なかなかどうして。ラッパ屋に限らずこの年代の役者たちが厚いさまざまな劇団で上演されるといいなと思ったりします。二人一役で作られる嘘の面白さは舞台ゆえなので、映像となると別の演出が必要になるなぁとも。

ついていけない五十代を演じた福原毅は情けなさ滲ませつつも、かつてはバリバリと働いていたのに今は昼行灯な造型がとてもよくて。契約社員の開発者を演じた那須野広行は年齢を重ねているのに腰が低く、しかもひどい目に遭いがち、という役を解像度高く。局長を演じた小金井敏邦のイケてる感じも、仲尾玲二の程よくイケてない感じもコントラストが楽しい。

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2022.08.01

【芝居】「きゃんと、すたんどみー、なう。」青年団リンク やしゃご

2022.7.9 18:00 [CoRich]

2017年初演作の5年ぶりの再演。120分。東京芸術劇場シアターイースト。

無い記憶を振り絞って初演の配役と表にしてみましたが、もし間違ってたらご指摘感謝です。

春風舎からシアターイーストと大幅にパワーアップ。物語の大筋は変わらないけれど、謎の生物ピー助はニワトリに尾を付けて恐竜の骨格研究というもの(登場しないけど)に、あるいは大学院生という人物が追加されたりしていて改訂しているようです。例によって記憶力がザルなので、引っ越し業者の側の物語こんなにあったっけな、とかそもそも覚えてないことも多いのですが。

初演も同じだったはずなのだけど、いわゆる『知恵遅れ』の役を普通の役者が全力で暴れる迫真の演技を行うことが、ぎょっとしてしまうようになった自分を見方が変わったなと感じます。それはさまざまな役を当事者が演じるべきだという流れをさまざまな場面で目にするようになってきたということの延長線上にありますが、初演時点ではみじんも感じなかったわけで、あきらかに自分の変化なのです。参考文献やあるいはいわゆる「きょうだい児」の当事者であるという作家(これ何処で読んだんだっけ)の当事者性ゆえにこれでいいのだ、と自分に言い聞かせるように観ていたりします。

開場時点で既に役者がいて、終演後もまだ役者が居続ける中で観客は退場していくというフォーマットは初演のまま。日常からなめらかに地続きにすることで、現実にどこかで同じ事が起きていると感じさせるこの演出はわりと好きだったりします。反面、序盤はフォーカスが定まらない感じでずっと人々を描く事が人物の厚みに繋がるとはいえ、少々不安になるというのも事実なのです。

それぞれに不安を抱えた「三人姉妹」の物語で、劇場が広くなった分、母を亡くし、次女夫婦が出て行くことで、長女次女の二人きりでこの大きな家を維持していくことが大変というリアリティは増していて、なるほど三人姉妹だなと思ったり。この家を出て行ったのは次女ではなく三女であるワタシだったかもしれない、次女の夫が元の恋人だったことと合わせて、この現実は残酷です。それでも三女が支えられるように感じる母親(の亡霊)が、きちんと人を後押しするという力強さのある終盤は今作の本当に良いところなのです。

母親を演じた藤谷みきの「お母ちゃん」な力強さは安心の要。三女を演じた緑川史絵は細やかな人物造型をきっちり。再演で加えられた大学院生を演じた藤尾勘太郎は、次女の夫が大学を追われたけれど、しかしそれは理不尽なのだと人物をニュートラルにする重要な役。社長を演じた佐藤滋のやや軽薄でコミカルな造型は重くなりがちなこの物語の中でほっと一息の瞬間を。

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