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2022.04.27

【芝居】「なんとなく幸せだった2022」かるがも団地

2022.4.2 18:00 [CoRich]

ワタシは初見の劇団です。劇団としては三演め。4月3日まで北とぴあカナリアホール。

高校の卒業式が近づく日。放送部だったり演劇部だったり冷めていたり熱い学級委員だったりの同級生たち。恋心を抱いたりカラオケで盛り上がったり。10年経って就職し仕事がある程度身についてきたり。

2012年の15歳、2022年の25歳の2つの時代を描いて、同級生たちが感じてたこと、時間が経って変わったこと変わらないままである人を描きます。 高校生たちの他愛もない、しかし本人たちにはとても大事な恋心と将への漠然とした不安の中の馬鹿騒ぎチックだったり。特に前半の高校生パートではカラオケを中心とした曲がいくつもかかり、歌ってたりしてそういう日々を暮らしていることを丁寧に紡ぐのです。おかしな事をする人がいたり、それに大笑いしたり、あるいは距離をとっていて、大人の女性に惹かれたり失恋したり。いくつかの失恋といくつかの思い出を残した15歳の頃が前半。正直にいえば、ほんとにあらゆるシーンがキラキラと眩しいという感覚で埋め尽くされるアタシです。

後半はそれから10年後で大学をストレートで通れば、卒業の3年後というのがちょっと巧い。大学に進み更に研究者になっていたり、一度は就職してわざわざ厳しい業界に転職したり、進学しなかった頭のいい人のダメさ加減が見えてきたり何か書き物で身を立ててる人が居たり、結婚したり、同棲したり。会社員をしながら楽器をかき鳴らし生計を立てていたり。それぞれが歩み出すこれからの人生の方向が決まったり、まだ迷っていたり。役者になったり

先送りしてきた人生の先に見えたのがこれか、というカップルの話は切なく面白い。コーヒー王子の成長も10年の時間を巧く描きます。

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2022.04.23

【芝居】「Ultimate Fancy Ojisan」短距離男道ミサイル

2022.4.2 15:00 [CoRich]

仙台で2011年に旗揚げした劇団。ワタシは初見です。4月3日まで王子小劇場。105分+出し物。

地球人を守ろうとしている宇宙人の家族。地球人を滅ぼすべきという宇宙人たちと対決している。家族の父親は、ある夜暗い海にUFOをみていた。

客入れの段階で役者たちが客を誘導しつつ前説的なことをして盛り上げ、さらに上演中も写真とか録画OKにしていて。開幕直後に暗い海のドラマチックで静かなシーンで始まるけれど、上演時間の殆どを費やす宇宙人の対決をベースにした大部分は下ネタを含む馬鹿騒ぎだったり、コント風だったりをこれでもかという密度と物量で押し切ります。正直にいえば、これで1時間半となると厳しいなぁとも思ったのですが。

終盤30分弱、この物語がまったく違う様相を見せます。津波で家族を失い、漁にも出られなくなった男。前半では家族を演じていた人物が近所の人々だったり、対決相手だった人物がフィールドワークに訪れた研究者であったことが示されます。厳しい現実から逃避するために妄想の中で作り上げた宇宙人の家族、という彼にとっての「物語」なのです。中年男が思いつくバカバカしいほどの妄想と、あまりに悲しい現実のギャップという持ち味なのです。

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2022.04.19

【芝居】「下品なジョン・ドー 笑顔のベティ・ドー」第27班

2022.3.26 19:00 [CoRich]

125分。3月28日まで王子小劇場。

ダイニングバーに集まり何時間も過ごす人々。カップル、キャリアウーマン、売れない俳優、遊び人たち。 遊び人だった男は改心してクリスチャンになり真面目に過ごす日々だが、その彼女は会社を辞めたあとに裁判員に選ばれ急に意識が高くなる。遊び人時代に連んでいた友だちは今もたまに遊んだりする。生真面目な男はコンビニで会う店員の留学生に恋をするが、言葉がわからないので友だちに翻訳して貰って近づくことを考える。役者の男はともかく女癖が悪いけれど、この常連たちはそれを知って程よい距離感を保っている。とくにこの中でバリキャリ女には恋人がいないが、なぜか友人の距離を保てている。

それぞれの人物がそれぞれの物語を持っていて、それを塊でみせていて、全体としては王道の群像劇になっています。当日パンフの配役表には、何らかのタイトルと役者の名前、という組み合わせで書かれていて、注釈として「これらは役名であり、題名である。」と書いてあります。それぞれの人物を体現するようなタイトルと、実はその下に関係とか特性を添えてあって、秀逸な配役表です。

当日パンフの配役表には、何らかのタイトルと役者の名前、という組み合わせで書かれていて、注釈として「これらは役名であり、題名である。」と書いてあります。それぞれの人物を体現するようなタイトルと、実はその下に関係とか特性を添えてあって、秀逸な配役表なのです。

遊び人だった男と意識高くなりすぎた女のカップルの話は時にゲームマスターなる人物の合コンゲームを挟んだりしてという話、童貞がコンビニ留学生に恋した女とのデートをしたりの物語と、「カイジュウ」のウーバー男の話、クズ男が急に興味を持った友人の女との関係という関係性の妙の話、そこに物忘れの激しい店員が背負っている物語、あるいはふらっと踊る人。物語という意味では最後の一人を除いてみんながきっちり物語を背負っていて、実に濃密です。踊る人、にしてみても物語の所々に姿を見せ、あるいは終幕のカーテンコールで圧巻の声量を見せたりと舞台全体の魅力を何倍にもアップするのです。

「カイジュウ」を演じた目崎剛が圧巻のちから。何かに憧れて抜けたけれど、優秀でしかし元の場所には戻れなくて、貧しい暮らしを頑張る切なさ。鈴木あかりが演じたバリキャリの振り幅、望んでこうなってはいるわけではないけれど、しかしこうなってしまっているという閉塞したループ感。もりみさきが演じた物忘れ激しい店員の終幕、オタマトーンのシーンの切なさ。「音楽が鳴れば歌うし踊るんだ」と題された役を演じた服部美香のセリフゼロでの存在感も。

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2022.04.18

【芝居】「phantasma alley」wakka

2022.3.26 15:30 [CoRich]

ワタシは初見の劇団です。50分。3月27日まで王子スタジオ1。

言葉を紡ぐ者が生産者と呼ばれ、そうなれない者を無産階級と呼ぶ世界。残すことを禁じられた父の形見の書物を手放さない青年。成長しそろそろ生産者の側となるべきだと促されるがなかなかそうなれないでいる。

言葉を紡ぐことができるのは成長し生産者であることであり、それはブルジョアという階級だけれど、大多数の人は無産階級だという世界。舞台には机と椅子があり座っていたりはするが、何人かの役者は床に寝ていたりという感じで、会話というよりはそれぞれが言葉を喋るということで世界を紡ぐことで舞台を成立させようという企みだと感じます。

この世界からどういう物語を読み取るかはなかなか苦労するワタシです。成長し社会に出て行こうとする青年を軸に、生産者になれるかの苦悩や不安だったり、自分の置かれた富める階級から出て都会で無産階級の大勢の群衆の塊との「統合」なる一種の破壊と革命を夢想する、という風に読み取ったワタシです。大量の台詞は詩歌のように聞こえることを意図してるのか、とはいえ、一句一句を噛みしめる詩歌とはことなりどうしてもフローとして捉えることが強いられるある程度のボリュームがある舞台では置いてけぼりを感じるのです。

富める側の階級で成長してきた青年が都会に出てきて、無産階級に触れて動揺し時に爆発するような感覚は、ワタシには実感としては感じられないのだけれど、都会に人が集まり始め体制への反抗ということが現れた1960年代の日本という雰囲気を纏っているように感じるのです。実際の舞台はそんなことなくて、乱雑でダークな感じなのでそう対比されるような世界を組みあわせているのは不思議に感じたりもするのです。

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2022.04.17

【芝居】「Moon Knight~ある月の夜の物語 Ver.2022~」ベイサイドシアター

2022.3.25 19:30 [CoRich]

ネオゼネレイタープロジェクトの2001年初演(未見)、2015年作を三演。横浜ベイサイドスタジオでのベイサイドシアターと題して。3月27日まで。

人里離れた場所らしき屋敷の一室、テーブルに向かい合う女ふたり。テーブルの駒を動かし、ときにダイスを振ってその結果で地球上のどこかで災害が起こる。この世界の命運を握るゲーム盤はすなわち世界を征服できると考え刺客たちが送り込まれてくる。

再演もベイサイドスタジオでしたが、今回は普段からベイサイドスタジオとして使われている部屋での上演。今までは稽古場やあるいはリーディングや一人芝居などやや簡易的な使われ方でしたが、今作はシンプルではあるものの舞台を作り込んでの上演。年齢を重ねた女優二人(咲田とばこ、松岡洋子)での会話はとても長い時間ここにいたという設定の説得力を持ち、ちょっとスノップさを感じさせる会話の厚み。執事を演じた小金井敏邦は人なつっこさが勝る印象でこの役では新しい見え方。三人の刺客を演じたおのまさしは、かの一人芝居企画 (1, 2, 3)のあの暑苦しさをややマイルドに、しかし多彩で癖のある三人のバラエティの楽しさ。

去った一人は花になる、という終幕。圧巻の迫力をこの小さな場所で。

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【芝居】「明日のハナコ」『明日のハナコ』上演実行委員会東京神奈川

2022.3.21 15:30 [CoRich]

2021年9月に福井県で上演された高校演劇祭の中でただ一本だけ恒例のケーブルテレビでの放映が中止されることで全国的に注目を浴びるようになった(詳しい経緯など)戯曲が全国でリーディングなどで上演されているなかの一本。今作では東京と川崎での初上演。3月21日までラゾーナ川崎プラザソル。90分。女性2名をメインに据えた「明日組」と男性2名の「ハナコ組」を交互上演で、ワタシはハナコ組を。 台本も無料公開されています。

高校の演劇部の女子高生、通りかかった演劇部を辞めた友人を呼び止めて、大道具とか朗読とかに付き合わせる。やがて次の演劇祭にむけた物語の構想を話す。それは1948年の福井大震災から始まる、ばあちゃんから聞いた物語。

恒例だったはずのテレビ放映から外されたのは原発を否定的に扱ったから忖度した結果と邪推されるような台本。過去から遠い未来に至るまでの長い物語をコンパクトに問題点と人々の想いを並べた上で、しかし自分たちが今参加している演劇祭も、あるいは演劇をつくるための電気も原発に依存しているのだという自省。さらには高校生が演じることで、未来は変えられるという強いメッセージを持つのです。正直に云えば、終幕があまりに「若者への希望」重すぎないかとは思いつつも、きちんと。

まあイイ年齢の男性二人が女子高生を演じるというのも思いのほか違和感はありません。いろんな場所で演じられることで広がる可能性を感じる一本なのです。上演がコンパクトに可能ということの意味はもう一つあって、権力が潰そうと圧力をかければむしろ広がるという、悲しむべきだけどきちんとそういうパワーが人々にあるということの頼もしさを喚起させるのです。

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2022.04.15

【芝居】「マリーバードランド」やみ・あがりシアター

2022.3.19 18:00 [CoRich]

やみ・あがりシアターの新作。110分、3月21日まで北とぴあペガサスホール。

南極で行われる結婚披露宴。そこに突然恋人が新婦を奪いに現れる。
旅行会社とウエディングプラン会社の若手社員二人が結婚することをきっかけに始まった合同プロモーションを目論んだ披露宴。さらに雑誌とのタイアップで盛り上げ、パッケージとして営業に繋げようと考え多額の資金をつぎ込んで社運をかけている。この二人でなくても、出席者の中から結婚するカップルを選んでもいいから、ともかく南極で結婚式を挙げたという事実がどうしても両社には必要で、結婚して3年別れなければ大金を支給すると聞いて、出席者は俄然盛り上がる。

シャンデリア風の天井の設えという場所。公共ホールゆえに、おそらくは披露宴とかにも使えるように想定した設計なのでしょう。それを逆手に取って披露宴会場という設定は、いいところに気がついたなと思うのです。

この結婚式が破綻する、しかも大金が貰えると聞いて、あっという間にねるとん紅鯨団(古いね、今風に云えば婚活パーティ)状態に。優しい若い外国人男性、遊び人的な男、真面目で仕事が好きな女、運動能力抜群な男、金が大好きな男、圧倒的に若い男、解像度高く目を付ける女子力高い女、あるいは離婚を決めている夫婦。

正直に云えば、紅鯨団以降はさまざまなシチュエーションをギュッと押し込んで少なくはない役者たち(披露宴だからまあまあ人数必要ですが)にきちんと見せ場をつくるがためにやや無理矢理な場面もあったり、ちょっとダレる感じは否めません。 しかし新婦は新郎と結婚したいのだと言い切る。終盤。 新郎ははすでに愛情は冷めているが、それゆえ新婦が不幸になるのだとしても、いや不幸になっても結婚すると言い切る新婦の決意。アイスケーキに赤いワインをかける終幕。大騒ぎのなか、唯一ひとつもブレずに貫いている新婦 大騒ぎのなか、一つ貫いている新婦、世間体とかショーマストゴーオンという大人の事情なんかものともしない強さがカッコイイのです。

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2022.04.04

【芝居】「怖え劇」劇団スポーツ

2022.3.19 14:00 [CoRich]

劇団スポーツ(1)の新作。 110分、王子小劇場。3月21日まで。

劇団の稽古場、ゴーストレストランを舞台にした芝居の稽古。若手ふたりにとっては初めての新作、休んでいた劇団員も久しぶりに復帰している。ややパワハラ気味の店長、行き違いが重なり配達員に土下座を要求するという場面、若い女優はどうしてもその場面ができず、作演は強く当たる。

芝居の稽古に没入するあまり、役者の認知が歪んでいく感じ。役者のバイト先なのか、劇中劇の稽古の稽古場なのかの線引きが曖昧に描かれている序盤はそのような役者側から見えている線引きの曖昧さを感じさせます。稽古場で壁とする場所をことさらに強調したりするのも堆肥となって面白い。

中盤に至り劇中劇とされる場面で不幸な行き違いが重なり配達員に誠意という名の土下座を強要するゴーストレストランの店長、という場面。それを演じる役者がどうしても演じられないことで作演が考えずに従えと言い放ち圧力をかけることが重なります。稽古場の方はさらに、告発によって上演がなくなることを恐れた役者たちが、ときに前よりは丸くなったとか、自分たちも経験してきたということで事なかれに隠蔽するという場面は、客席全体をも気まずく、恐怖に陥れるのです。

映画や芸能の現場で近年とみに告発されるようになってきた昨今、ワタシが芝居の題材としてみるのは初めてな気がします(本数が減っているので、単に見逃しているからかもしれませんが)。その場に居合わせることの恐怖とそれを隠蔽することが暴力を振るう側とおなじだということを鋭く突きつけ感じさせるのです。

その後に続く本番のシーン。件の土下座の場面にいたり、若い不器用な男の役者は突如アドリブでガパオライスを作り、他の役者もスタッフをも巻き込んで桜吹雪のなかで大団円に向かいます。止めようとする作演は芝居の第四の壁に阻まれ入れずしかし花見に向かうシーンに至り作演もかつての日を思い出すのです。なんか力技でのハッピーエンドではあるけれど、その前の稽古場のシーンが二重構造で辛かっただけに桜の舞うベタなシーンが逆に効果的に前向きな気持ちになるのです。

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2022.04.03

【芝居】「プルーフ/証明」DULL-COLORED POP (A)

2022.3.6 16:00 [CoRich]

ダルカラが何回も上演しているマスターピース( 1, 2, 3, 4, 5, 6)。 Hipと呼ばれるA、Musicと呼ばれるB、Mirrorと呼ばれるCの3つのバージョンを全く違う役者で交互上演。 3月13日まで王子小劇場。

何度も同じ芝居をさまざまな演出や役者で見られることの豊かさを感じるほど何度も観ているのはワタシにとって初めてなのです。物語の骨格はもちろん変わらないけれど。

父親を演じた大原研二はポップさをまとう印象で新たに見えた役の切り口であり、役者の顔なのです。妹を演じた大内彩加は天才という世の中に慣れていない若い女性、しかも勉強が出来たはずなのにそれを断ち切られた中で自分で道を切り開いたけれど、それが認められるか分からず、あるいは心を病んでいると思われているという絶望の細やかさを広い振れ幅で演じるのです。姉を演じた大塚由祈子はキャリアで忙しく働くのに、ちょっと抜けている感じがちょっと珍しい役の造形。大学院生を演じた宮地洸成は時に色気をまとい、時にきちんと研究に向き合う真摯な姿の説得力。

時間が経って自分の立ち位置が変われば感じることも変わるわけで、今作においては介護が身近に迫ったワタシにとってはそこに自分を重ね合わせる発券が面白くて。

大原の父親はポップで新たに見えた役の顔 大塚、んー。ちょっと抜けた感じかしら 大内、天才、引きこもりな感じか 宮地 若い。 まあ、こんなに見てるのに割と覚えたてないのは相変わらずのワタシ。 介護が身に迫る

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