【芝居】「老いと建築」阿佐ヶ谷スパイダース
2021.12.5 13:00 [CoRich]
阿佐ヶ谷スパイダースの新作。なぜか地元のKAATではなく、ずいぶんと久々のまつもと市民芸術館小ホールで。コロナ禍以来、初めて関東圏外へ脱出しました(ワタシが)。135分。大千穐楽。
大きな家。年老いた女が一人で暮らしている。中央に座る大きなテーブル。足が弱り二階三階にあがらなくなっていて、一階で暮らしている。夫のアトリエだった部屋を留学生に貸して家を維持してきた。その命日だと集まる人々。娘は滅多に寄りつかなかったが夫とは別れ、母の介護に通うようになり、息子は自由で若い恋人を連れてきたりする。
三世代の人々、住んでいる老婆(=「わたし」)の夫(=「あなた」)の命日前後を物語の主軸に据えてはいるけれど、同時に舞台に居る役者たちが同じ時間の人物というわけではなく、家の中と外の境界も曖昧で、観客は時間も場所も境界がぼやけて振り回され溶け合う感覚。
時間軸順にむりやり並べて見ると、妻と夫はこの家をどうするか建築士に相談して暖炉と薪ストーブで言い争い、安心だと思っていたら夫の浮気が発覚し、夫の死後にその仕事を継げたとは云えないけれど不自由なく暮らし、娘と息子を育て、それぞれに自由に暮らし、あるいは孫が訪ねてきたり。この物語を細かいピースに分割してシャッフルすることでこの家にまつわる事実、関係、雰囲気を徐々に観客に開示していくという手際が実に見事だと後から感じるワタシです。
同じ家にずっと居て、しかしもう入らない部屋があったりするという家の中の薄暗い場所のように、これまでの人生の影が重なりあい、ところどころ、不意に見え隠れすることがシャッフルの効能。 老婆の視点が中心になるけれど、ときおり娘や孫の視点に変わるのはちょっと面白い。短いとはいえない上演時間だけれど、さまざまな枝葉が丁寧に描かれることで醸し出される重厚さを生むのです。
娘が夫と別れるいきさつも、もう一つの物語。忙しすぎて家族を顧みない夫が娘だけは溺愛しすぎる事で芽生える不安。それをくみ取り娘を弟に預け、母親(老婆)が決断し夫と浮気をしたことにして別れさせること。何を最優先に考えるかのそれぞれの視点がぐるぐる回るのです。
歳を取りつつあるワタシはそろそろ切実になる介護のあれこれが身に迫るのです。親子だけでは成り立ちづらい会話をヘルパーという第三者が入ることで話がまとまる感覚だったり、家に取り付けられた手すり(役者が棒を水平に持ち、手すりになるのは秀逸)を頼りに歩くようになる母親の姿だったり、それなのに介助を嫌がる感じだったり。断絶状態から介護のために通うようになった娘が母親の手を取る終幕は巡り巡って着地する安心なのです。
阿佐ヶ谷スパイダースだからの安心な役者陣。弟を演じた富岡晃一郎は記憶力が薄い(ワタシは勝手に親近感w)けれど、押さえるところは押さえていつつふわふわと生きる感じが絶妙。若い恋人を演じた木村美月との切実な生き急ぐ感じのバランスも面白い。語り部というわけでもなく、見守る人として機能する建築家を演じた伊達暁は作家の視点を担うようで丁寧で安心。別れた夫を演じた(作家も兼ねる)長塚圭史は物語後半の圧倒的な悪役を担う責任。母親を介護する娘を演じた志甫まゆ子も実に説得力のある造型。
ワタシにとってなにより印象的なのは老婆を演じた村岡希美なのです。初めて拝見したのは「カラフルメリイでオハヨ97」の頃で、若くスピード感のある役者という印象だった彼女だけれど、今作では身体は弱っていてもきっちり考えて決めて行く老人を説得力を持つ役者になったという感慨。そりゃ四半世紀にも届けばワタシも彼女も変わるのは当たり前ではあるんだけど。
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