2021.7.11 19:00
[CoRich]
大逆事件 (幸徳事件)を題材にした2011年作の再演。私は初見です。2時間18分。7月8日までシアタートラム。アーカイブ配信は8月15日まで。
爆発物所持によって逮捕された男たちをきっかけに、天皇暗殺を企てたとして次々と逮捕される社会主義者、アナキストたち。大逆罪として大審院での一度だけの裁判を前に、非公開の予審が行われる。元老の筋立てによって事件の方向が決まるが、予審判事として呼ばれた一人はそれに疑問を感じ始める。
歴史にはとんと疎いワタシ、事件の名前ぐらいは知っていても、どんな背景の事件で、それが現在ではどう解釈されているなどは殆ど知識無く拝見。おそらくは史実の隙間に一人の創造した人物を入れて語られる物語なのです。当日パンフに挟み込まれた解説は有り難く、現在の裁判制度と異なるところなど背景と年表がとても理解の助けになります。現在から見ると非現実な感じすらする思想に心酔していた人々と、体制への反逆を極端にまで恐れ社会主義・アナキストたちを徹底して一掃しようとする政府の方針という構図。一掃するためには、という形で事件を作っていく大勢の男、大審院や検察、元老といった人々が体制の側。
実際には何十人もの被告を今作はたった一人の女性だけを被告側の人物として舞台に乗せます。
大勢の男たちが、ある者は食い扶持のために、あるいは出世のために、あるいは体制側として何の疑問もなく政府があらかじめ描いた絵図に従って組み立てられていく「事件」を目にして一人疑問を感じる予審判事と、被告の女性を軸に物語が進みます。しかし、被告の多くは死刑や獄死となる結末。
いくつかの机を組み上げ壁にしたり、あるいは広げて宴席を作ったりとシンプルな装置が印象的。壁となったときはそれなりに高さがあって、つながれ歩かされる囚人たちの絶望感であったり、あるいは壁が客席に向かってくる雰囲気は、わたしたち観客を圧迫するような息苦しさすらかんじさせるのです。
史実をもとにしながらも、体制への忖度を軸に動く人々と、それに押しつぶされる人々の姿。100年以上前のことといえばそうなんだけど、大戦を経て憲法まで変えたこの国の姿が実はあんまり変わってないことを感じる今この瞬間に上演されることは、劇団の企みなのか、単なる偶然なのか、と思ったり思わなかったり。「自由とは自分の顔を持ち、名前を持ち、何に依存することもなく自分の足で立ち、自分の頭で考え、話すこと」と言い切る女の台詞はおもく、ずしんと気持ちに響くのです。
(良識派の)予審判事を演じた西尾友樹は体制と良心の板挟みになる男の、しかし力強く立つ力をしっかり。被告の女を演じた堀奈津美はどこまでもぶれず凛とした振る舞いはその他の人々に対して超越した神々しさすら感じさせるのです。検察の独りを演じた島田雅之もまた良心と体制の板挟み、しかし屈服する悲しさが溢れるのです。
最近のコメント