2020.11.23 12:00
[CoRich]
やみ・あがりシアターの新作。王子小劇場で11月23日まで。110分。
公演の当日早朝、劇団の主宰兼作演の女が殺された。合鍵を持ち第一発見者となった劇団員の女優が捜査に協力するために、被害者になりきってその日までの行動を追う。
アクリル板で囲った「密室」は上演の途中幾度となく壁ごと開いて換気されたり頻繁にマスクを付け外ししたりとコロナ禍を意識したような装置。事件を調べる内に一癖二癖ある格安アパートの住人たち、外国人で怪しいと思いきや片言ながら交流していたり、美少女として見えているけれどあまりに口うるさい老婆をそう見えることにして心の安寧を得ていたりと、被害者自身も癖のある人物であることが見えてきます。
犯人を捜すように描かれるまわりの人物たちの姿は、やがて演劇の関係者たちへ。劇団員とふたりきり、濃密だけれど過剰に厳しい演出の姿勢とそれを不満に思う女優だけれど、傷つけ合いながら互いにどこにも逃げられないエコーチャンバーのような関係を互いに認め合っていたり、
唯一の友人と思う舞台監督の男が結婚して感じる喪失感、大学の頃に知り合ったちょっとよく思う男との関係は公開するものになっていたり。
あるいは恋をしてないことでいい芝居が書けないんじゃないかという焦り。貧しくは無かった中庸な生育環境、他の人がバカに見えてしまうある種の傲慢さの自覚。周りの人々を描きあるいは彼女(を劇中演じる女優)自身に語らせることで、死んだ女の姿が削り出されるように徐々に輪郭が見えてくるのです。後半、密室殺人と思われた物語は、実は自殺なのだと明かされます。動機は「太陽が眩しかった」のと同じように「照明が眩しかった」と嘯いてみせるし、時間を稼ぎつつ眼球の臓器提供という唯一の希望を満たすためとややこしい理由を付けたりするけれど、
それはそこまでに描かれた彼女に堆積してきたこと、彼女自身のめんどくささが反響し合って自殺という臨界に到達したように感じるワタシなのです。
作家自身のほんとうの姿がどこまで物語に溶け込んでいるかはもちろん知る由はないけれど、そういう面倒くささの片鱗はこれまで描いてきた物語でも薄々感じるのでまったくの創作というわけでもないのだろうとおもいます。ミステリーとしての完成度というよりは、そういう面倒臭い人物を時にコミカルに、ときに深く描き出す濃密な空間なのです。
女優を演じた加藤睦望、劇中で主宰を演じる内に同一人物に見えてくるちょっと不思議な感覚。隣の外国人留学生や好意を持っていた舞台監督、大学の頃の同級生の男などさまざまを演じた目崎剛は決して広い振り幅ではないのだけれど、逆にそれが彼女からある種の好意を持ちそうな男に通底するものを感じさせて面白いのです。
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