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2020.09.16

【芝居】「ひとよ」KAKUTA

2020.9.5 18:00 [CoRich]

2011年初演2015年再演の作品。 コロナ対応のための換気休憩15分を挟み140分。本多劇場で13日まで、そのあと eplusでのストリーミングが9/19から23日まで予定されています。そのあと、穂の国とよはし芸術劇場PLAT。

物語の骨格はもちろん変わりません。あの夜に変わってしまった家族の姿を丁寧に、描き出します。 今回の大きな違いは、夫を殺して時効まで逃げ切った肝っ玉母さんを演じた、渡辺えり。久々に戻った家で上滑りするのは物語の要請ではあるけれどそのバランスの難しさ。声量の圧の強さは肝っ玉感がその雰囲気にしっくり美点、ドライバーでのスーツ姿がやけに似合うのは新しい発見。

もう一つの変化は長男の妻を演じた桑原裕子と長女を演じた異儀田夏葉で、再演とクロス(入れ替わり)になっていて楽しい。長男の妻はよりメロドラマな大げさな感じで楽しく、長女の夜の女な感じも楽しく。

変化しない役を演じた役者は座組の安定感。長男を演じた若狭勝也は、吃音というとても繊細な属性の人物をきちんと。新人ドライバーを演じたまいど豊は年齢を重ねた男の深みがより深く。レゲエ風の男を演じた成清正紀はかき回し、笑わせ、ときに泣かせるある種の背骨になっているのです。

コロナ対応としては、席が一つおきの指定で、パーティションも小さいながらついていて、荷物もその開けた席に置くように指示されていて、(乗ったことはないけれど)ビジネスクラスっぽく快適。(劇団としてはたまったものではないだろうけれど)。予定されていたトークショーもQRコードを配布して家で観られるようにしていて徹底しています。

いわゆるチラシ束の配布はないものの、無料で配役表を持って帰れる旨のアナウンス、有料パンフはわかりやすい相関図がありがたい。

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2020.09.13

【芝居】「King of Mask」スクランブル

2020.9.2 20:00 [CoRich]

スクランブルの新作は、コロナ禍のもとでのCM制作の現場をめぐるコメディ。青少年センターHikariで70分。 ゲネ映像+特典映像の配信付き。

コロナの中でマスクのCMを撮る現場。時節柄スタッフは絞られ、厳しいガイドラインの中で撮影が行われているが、 撮影はなかなか進まず、今日はまだ一秒も撮れていない。マスクのデザイナー、代理店、タレントの事務所社長なども 訪れて、あれこれと口を挟む。カメラマンは仕事と割り切っていて。

CM撮影という目標には向かっているものの、金のための仕事と割り切ったり、思いつきで素人が口を挟んで監督の統制がまったくとれなかったり、バーターで押し込まれたのに事務所社長のお気に入りだからと勘違いしてスタッフに手を出そうとする若いタレントがいたり、あるいは恋人を現場スタッフに入れようとしたりと、いろいろ進まない現場。コロナ対策のために示されているガイドラインが細かいのに読んでないスタッフや、禁止されてる差し入れ、あるいは登場人物達がマスクをしたまま舞台上に居たり、あえて外に向かう扉を開放する場面を作って換気に配慮したりと、2020年だからこその制約とアルアルなシチュエーションを物語に自然に盛り込んで進む物語。

CMクライアント社長の思いつきに同調してどんどん勝手に進めるカメラマンは人気・実力のあるタレントだけで進めようとして、バーターの新人をないがしろにして、それに反発してのあれこれ、プライドのぶつかり合いがドタバタというかちょっとイライラが暴発する終盤、後味の悪い幕切れだけど、それもまた作家の持ち味という感じも。

舞台上ではCMの撮影のためのカメラの他に、メイキング映像のための手持ちカメラがあって、特典映像ではこの存在を存分に活用していて、舞台と同時進行でそのカメラに映ってたものという遊び心が幾重にも楽しいし、芝居中の役になりきったままでのインタビュー映像、撮影しているCMそのものも特典映像になっていて嬉しい。配役表はその配信のコメントについていて、映像と合わせるとどの役者がどの役をやっているかがわかる、という算段。劇中で使われるマスクがチケット代わり、ファンアイテムでもあるし、着けたらそのまま出入り自由なチケットなる感じも面白い。

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2020.09.07

【芝居】「終わる」中野坂上デーモンズ

2020.8.15 13:00 [CoRich]

OFFOFFシアター。16日まで。 劇場の外扉を開け、舞台上にサーキュレータを設置して席間を開けての上演。60分。

開演すぐにアフタートークだけれど、その終わった芝居はあったのか?自殺を止めた女、止められた女、子供をなくした女、物書き、司会の女。

実際のところストーリーというよりは、強烈なループをひたすらに繰り返しすことで、「終わる」ことをめぐる変奏曲のように、今の状況のもと、そもそも生まれなかった芝居が終わることを浮かび上がらせよう。それは芝居における終演に限らず、自殺だったり、子供の喪失だったり。6人の役者、それぞれの役に当てられた「終わる」を洪水のようなループの物量で語り続けるのです。

断片で浮かび上がらせようという意図はわかるものの、それを面白がることがなかなかできない自分に気づきます。それは今の状況が心に影を落としているというよりは、理由はともあれ観劇数が激減して、「芝居を面白がる筋肉」が実に弱っているということなのかもしれない、と思ったりもするのです。たぶん、週4本ペースだったあの頃の感覚だと、乗れたのかなと思ったり思わなかったり。

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