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2019.12.29

【ミュージカル】「HOKUSAIラプソディア」劇団MMC (墨田区民ミュージカル)

2019.12.14 19:00 [CoRich]

葛飾北斎の晩年、錦絵から肉筆画の時代と庶民の暮らしを描く墨田区民ミュージカル、90分。江戸東京博物館・ホール。

晩年の北斎は娘との長屋暮らし、二人とも生活に頓着なく、身の回りの世話をする小僧、いよいよ片付けがどうにもならなくなると引っ越しを繰り返し。町人たち、木遣りや纏、祭りで賑やか。娘達は役者絵に心奪われ、男達は芸者遊びやお座敷芸、幇間や都々逸。

北斎の晩年、常に絵を追い求め続け、物語を主軸に。周りの物語、町人たちの木遣りや纏いなどわりとキッチリした発声、あるは軽やかなタップをふみながら賑やかで華やかなダンスで祝祭感を盛り上げます。あるいは芸者遊びなどお座敷芸や都々逸も楽しい生活。終幕近く、あと10年、いや5年あれば完璧な絵を描けただろうという心の叫びを歌い上げると圧倒的な迫力なのです。いわゆる市民ミュージカルだからとちょっと期待値低め(すみません)で観たけれど、いやいやどうして、祝祭感溢れ、人物もきっちり造型する厚みを持つのです。

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【芝居】「Butterflies in my stomach」青☆組

2019.12.14 14:00 [CoRich]

2013年に女優7人のユニットOn7の旗揚げに書き下ろされたものを作家の劇団で上演。ワタシは初見です。7歳から77歳までを77分、と7づくし。

祖母を亡くし泣きじゃくる7歳、転校生に恋するが亡くなってしまう17歳、家で開かれた誕生会で妊娠を告げる27歳、娘が生まれた37歳、家を出ていた父の危篤を知り会いに行く47歳、娘も家を出て夫との二人きりの生活に戻る57歳、夫が同窓会で不在の日バスを乗り継ぎ出かける67歳、夫に絵本を読んで貰いゆったりと77歳。

子供の頃から伴侶に看取られるまでの10年おきの7パート。元々は半ばリーディングのような上演だったようですが、こちらはそれぞれの年代を一人の役者が演じ、周りの人々を他の役者が演じ、時に役者が手振りのダンス、ポーズを決めたり、あるいは風の音、ふわっ、ぶくぶくぶく、という擬音までも役者たちの声によって創られる舞台なのです。

短い上演時間なのに長い人生をやや早送りで、しかし確実に年齢を重ねていく一人の女性造型していくのです。子どもの頃は亡くした祖母に涙し、恋をし、妊娠し結婚し娘が生まれるまではまあいわゆる典型的な感じ。そのあと夫と二人きりの生活になって時に苛つき、しかし外を元気に歩く感じ、夫が同窓会で外出したときに久しぶりの一人の外出、バスを乗り継ぎ春を見つけ、しかしちょっとどこだか判らなくなる不安さ、そしてゆっくりな歩み。夫に看取られなくなっていく時に再び好きだった絵本を読んで貰い、ぐるりと一回りする輪廻な雰囲気。なるほど、大人のための絵本なのです。

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【芝居】「フィクション」JACROW

2019.12.7 19:30 [CoRich]

120分。駅前劇場。

オリンピックから3年後、不景気が続いている。 蒲田のプレス工場。業績は悪く社員のリストラが行われる。社員と結婚しているが出て行ったきりの社長の妹が4年ぶりに戻ってくる。
木更津のコンビニ、やめていた深夜営業を復活させようと本部が提案している。ギャングを店主が更生させたアルバイトの頑張りで業績が上向いていて、店主の娘との結婚を考えている。
札幌、旅館を営む父親が無くなり四十九日に集まる親戚。父親の補助で豊洲にイタリア料理店を開いたが、オリンピックのあとは厳しくなっていることは見透かされ、旅館を継がないかと持ちかけられる。

盛り上がったオリンピックの3年後、不景気から脱出できない日本の蒲田、木更津、札幌(+豊洲)という3つの場所を聞き取って上演、という体裁。景気は悪化の一途を辿り生活は悪くなっているけれど必死に生計を立てる方向を探っている人々を描きます。現実を下敷きにしたような雰囲気をまとっているけれど、これはまだ始まってもいないオリンピックの先で私達の生活が更に悪くなっている未来を作家が描いたものを、あえて「フィクション」と名付けているのです。

一つ目は蒲田のプレス工場、不景気ゆえのリストラの標的を在日にというのは蒲田という土地の雰囲気も含めステロタイプともいえますが、それは現実かもしれないという説得力。出ていった社長の娘を待ち続ける社員の男、戻ってきた女には別の子供が居ても、それも含め受け入れるという男は包容力とも不器用とも言える微妙なバランス。

二つ目は木更津のコンビニ、いわゆるストリートギャングの男をバイトとして雇って店主が目をかけ戦力になっている安定系なのに、娘とその元ギャングが恋仲を超え子供ができて結婚となると動揺する店主。深夜営業を止めるかではなくて、止めたのを復活させるかというのも未来っぽい。

三つ目は札幌のバス停。四十九日から帰る次女とパートナーの男、見送るのは教師の長女とバツイチで結婚した男。父親が亡くなり旅館を誰が継ぐかという切実な気持ち。東京の豊洲でレストランをしている二人が継いでくれないかという本音、豊洲の店の客も減りという(あるかもしれない)風景を絶妙に織り交ぜるのです。札幌のマラソンにではホームレスが追いだされ、沿道で亡くなった無縁仏の話もありそうなのです。終幕直前、赤い傘と白いバックで日の丸っぽいのです。

終幕、蒲田のプレス工場に戻ってきた娘の夫は木更津のコンビニ店主の兄で、市役所のついでに二人で訪れる。次は俺(てつ)より強い男(3歳のダイヤ)に会わせるというのはちょっと上手い。

プレス工場で妻の帰りを待っている男を演じた近江谷太朗は実直な中年男の繊細な造型。コンビニ店主を演じた谷仲恵輔はある種の諦観と面倒見の良さの初老の雰囲気が巧い。

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2019.12.28

【芝居】「殊類と成る」肋骨蜜柑同好会

2019.12.7 14:00 [CoRich]

130分。12月10日までGeki地下Liberty。

気がついたら見知らぬ駅のホームに立っていた男は物乞いにタバコをねだられる。子供の頃は天童とまで言われ人を見下していたが、今も実家住まい。詩作を志すが書けず、同級生からも遅れた気がして劣等感。 あるいは自信たっぷりの男、同僚の女教師や女生徒たちからも人気があり、女生徒を家に招き入れたりもするが、人との距離のとり方はわからない。

中島敦の「山月記」(青空文庫)をモチーフにしたような主人公。当日パンフによれば、同じ作家の「狐憑」(青空文庫)や役者たちと会話し作り上げた創作を交えて、群像劇のように描かれます。

時空間が激しく移動し、幾つかの物語が絡み合って進むので幹のように委ねられる物語が中心にあるわけではないので物語を期待すると戸惑う感じ。主役となる二人はときに傲慢さ、不遜さであまり近づきたくない感じではあるけれど、その裏側に隠した人との距離のとり方などの不器用さや、それゆえ人が離れていくことや成長できないことなどが見えてきて。

後半、山月記のように過剰な自意識の男が走り虎になるシーンは強烈な疾走感があって、印象に残ります。終幕は時間が経って花見での再会、平穏な日々に人々が戻った感じ。そこから繋がり作家自身がキャットクオークから花咲かじいさんよろしく桜の花びらを撒く感じは、ちょっとズルいけれど楽しい。

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2019.12.24

【芝居】「女友達」タカハ劇団

2019.12.6 19:30 [CoRich]

95分。7日まで空洞

義母が倒れたとの報で東京から病院に寄り夫の実家に駆けつけた女。実家にはヘルパーの女が待っているが、それは高校の頃の友達で十数年ぶりの再会だった。東京の女は高校の頃の夢を叶え広告代理店に勤めてるといい、ヘルパーの女は名古屋でしばらくアパレルの仕事していたが地元に戻っている。高校の頃、文化祭で三人で芝居をつくっていた女は二階で引きこもっているという。

地元を出て東京の代理店勤めと地元に戻って介護職になって久々に再会する女友達というコントラストで始まる序盤。勝ち負けという感じではないし職業に貴賎無しではあるけれど、引け目を感じたり見栄をはったりみたいな微妙な距離感が生まれている二人は、あからさまなマウントをとったりはしないけれど、微妙な距離感でどこかよそよそしい感じでもあって。

二人の同級生だったという女は実は義母の娘で、引きこもりになってここの二階に居る、というちょっとホラーめいた展開が面白いし、あからさまな嘘を取り繕うとするぎこちなさもそれっぽい。かつて三人は文化祭で芝居を作り、その過程で二人の会話を書き起こしていた引きこもりの女。今の二人の微妙な距離感のように「誰でも演じてる」のだから、自分の書いた会話で芝居を演じよう、と半ば脅すのもちょっとホラーめいた展開だけれど、長い時間が生んだよそよそしさを演じてる芝居に例えるおもしろさなのです。

東京のバリキャリという夢ゆえの見栄、アパレルという夢を叶えたが地元に戻り介護職パートというちょっと見下した感じ、あるいは離婚したシングルマザーと不妊治療中など、時間が経ち立場が変わり、中には女性故の難しさもあって。思わず漏れる「若ければ馬鹿にされ、歳取ってると馬鹿にされ、何これ、呪い?」という台詞が上手い。

さまざまに変わる二人に対して、親に無視されたがため、あるいは二人にメールを送っても返して貰えなかったがたためにその時間に留まり続けてしまって何も「変われなくて」引きこもった女のコントラスト。「ワタシには二人みたいなことは何もない」といい、それを「恥ずかしい」と言わしめてしまうこと。たった三人の出演者で、この奥行きと振り幅。コンパクトなマスターピースを新たに加えた作家なのです。

三人の女優が実に魅力的。 東京に住む女を演じた異儀田夏葉、代理店で働くというちょっとした見栄を張る後ろめたさの陰影の見事さ、地元で働く女を演じた高野ゆらこ、序盤の低すぎる物腰と友達だという関係になってからの対比の振り幅。引きこもりを演じた高羽彩はぎこちなさを通り越して、すぐバレる嘘から無茶振りのしすぎのキチガイじみた造型が物語をかき回し、しかしそこに至る背景をきちんと背負うのです。

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【芝居】「下山と帰国」くによし組

2019.12.1 16:00 [CoRich]

60分。東中野バニラスタジオ。

学校に行きたがらない兄と妹。兄はあちこちの山の登山、妹は海外を点々としてときどきメールを送ってきている、と思っていたが。

学校にも通えず、一度は山や海外に出ていった兄妹だが、実はある日ふたりとも実家に戻ってきて、部屋や物置に隠れ引きこもる生活を送っている、という構図の物語。父親は「家族よりも大事な物を見つけて」家をでてしまっていて、残された母親は二人の子供が送ってくるメールに従って買い物や日々の面倒をみていて。成長しても母親に寄生する生活をおくる家族はやがて母親が耐えきれず家を出て残された二人が久しぶりに顔を合わせ、しかし外に買い物に出かけることもできない生活能力がない二人の絶望的でしかしどこかコミカルでぎこちない姿の切実さはときに滑稽でもあるのです。

兄妹の他に、受付の女性が兄のかつての恋人だったり、あるいはMCと呼ばれる、おそらくいじめられた男(自殺した兄の友達、しかも妹の方と初めてセックスした相手)という4人の役者によって演じられます。

中年の引きこもりが取り沙汰されるようになった昨今を思い起こさせる題材ではあるけれど、登山と世界旅行にいちどはでかけて、しかし続けていると嘘をついてその実、引きこもっているという構図はおもしろい構図なのです。それは危ういバランスの上に成り立っていて、かんたんに崩れ去るのです。

他人にとっては滑稽な二人だけれど、当事者にとってはまさに生死を賭けた必死。当たり前に生き抜くことができない二人の絶望を、しかしあまり深刻にしすぎない程度のライトさで描く作家のちから。終幕、「ただいま」の言葉ひとつが持つ希望、しかしそれは問題を最終的には何も解決していない、いわば惰性の日々が戻ってくるだけということでもあるのです。

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2019.12.15

【芝居】「シゲル」うめめ

2019.11.30 15:00 [CoRich]

初めて拝見する劇団です。90分。BUoY北千住アートセンター。

一年ぶりに帰った女。実家は草で覆われ、祖父の認知症は進み、母はテニスをやめていて近所の主婦達の噂話が気に障る。妹には恋人ができて世界を変えると豪語する自称社長と婚約している。女は家族に伝えなければいけないことがあった。

主人公である帰省した女だけを女性が演じ、他は女役も含めすべて男性が演じるというスタイル。もちろん出落ち感な女装もあるし、やってることは突飛なことも数々あるのだけど、会話自体はどちらかというと現代口語演劇風というか静かな語り口で奇妙なバランスを持っています。

妹の恋人は「ビックリハウス」なるビジネスで世界を変えると豪語してるのに未だ踏み出しても居ないどころか中華料理屋のアルバイトの日々なのに成功を信じて疑ってないとか、それをカモフラージュするために白塗りの部下がフラッシュをところどころ浴びせるとか、父の死んだ兄の名前を書いたTシャツを着てて祖父が勘違いするとか、そこかしこが奇妙で突飛なのに、観客の視点である主役も含めてまるで夢の中の出来事のように、戸惑いはするもののそれを受け入れて、描かれている全体の世界はとてもおだやかなものになっているのです。 あるいはタクシーに乗った時に畳敷きを運転手が掃いているとそれは運転中、みたいなちょっと面白いルールがそこかしこで楽しい。

終幕近く、白塗り男が家族を「こいつらまともなやつ一人も居ない」罵倒するけれど、父親が一生懸命に生きていると食ってかかり、違和感はあれど家族なのだということを確認するよう。写真を撮るラストシーンはまさに象徴的。

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2019.12.10

【イベント】「世界が私を嫌っても」(月いちリーディング 2019/19)劇作家協会

2019.11.24 17:00 [CoRich]

小説家、平林たい子(wikipedia)にインスパイアされた物語。ぼぼ120分の本編に戯曲ブラッシュアップの為のディスカッションを1時間ほど。日曜日の開催は珍しい。今回は新劇系を中心とした幅広いプロフェッショナルで読み合わせるというのも至福なのです。

園遊会に呼ばれた作家。地元・諏訪では女が勉強してと揶揄されたりしつつも、親友もまた色んな思いを抱いて上京したりする。男と同棲したり、大陸に渡ったり、子供を亡くしたりなどの体験を小説に描く。成功してなお、まだ書き続ける。

不勉強にしてワタシは知らなかった実在の人物を評伝劇のように描きます。諏訪の駅と東京を舞台に描き、女だてらに勉強が揶揄される時代、そのなかで強く育つ女性を描くのです。wikipediaにある範囲でもかなり史実に誠実に忠実だけれど、今作は本人たちの名前ではなく、別の名前をつけています。ディスカッションで訊かれた作家は、フィクションと史実の割合や時系列の並べ替えがどこまでなら現実の人物の名前を織り込んでいいのかの塩梅が判らないのだといいます。ゲストの作家(詩森ろば、マキノノゾミ)はこれに対して、人物への敬意を持ったこの描き方であれば大丈夫だろうと示すのです。若い作家に対して、ノウハウが渡される瞬間を目撃した満足感。或いは上演を前提に考えると、着替えや妊婦への変化など、どう実現するかを前提に考えるというノウハウもまた渡されるのです。

創作したという人物、三吉が実に魅力的。小作人から駅員見習い(運転士のはずが)、東京で刑事、見張りのはずが融通を効かせてやがて隣に住み、見守る、という役割は時代を超え全体を縫い合わせ、見守るような人物。勝手に作家の視点と感じるワタシです。

劇中の台詞「To live without Hope is to Cease to live.(希望を持たずに生きることは、死ぬことに等しい。)」あるいは、 諏訪郡歌など、知らなかったことが盛り込まれている物語は、いろいろ後から調べてしまうアタシ、いくつかある芝居の面白がり方の一つなのです。上諏訪駅を何度も利用したワタシ、駅舎の感じも思い浮かべるような雰囲気の会話の楽しさ。パワフルな人物像も現れるよう。

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【芝居】「HUSBANDS, WIVES, DREAMS」文月堂

2019.11.23 20:00 [CoRich]

三つの物語を二つずつ組み合わせて上演。ワタシは最初の二編、「HUSBANDS」と「 WIVES」のみ。nakano.f。90分。

ジャズを諦めた男、妻の不在に一時帰国中の妻の妹と逢引する。アメリカで成功していて再びNYで仕事をやらないかと誘ってくる。かつての仲間たちが集まってくる。かつて成功していたはずの男の自殺に感化されて仕事を辞め絵を描くことに決めた51男は別れた妻への想いをつのらせる。売れない役者を続ける妻を支える男、妻が映画のオーディションでいいところまで行っていると耳にするが相談されないことに怒っている。「HUSBANDS」
女の店で知り合った仲良しの三人でのハワイ旅行。今回は離婚した女の新しい恋人が同行している。孫が居る女、独り身の女と恋人、役者を続けている女。一人が事件に巻き込まれて怪我をする。「WIVES」

一つの店に集っていた三人の男と三人の女。二組の夫婦と、離婚した男と離婚した女、そして恋人や義妹。どちらかの夢をもう一方が支えるという夫婦のありかた、あるいは諦めたはずのことを年齢を重ねて再開するということ。年齢を重ねたからこそのリスタートだったり、あるいは支える・支えられるの関係を諦める潮時のこと。作家や役者の実年齢に近い感じで、しかし何ものにもなれなかった、市井の人々に向ける視線の優しさ。

ワタシの観た二編は男たちの側、女たちの側それぞれの背景、あるいはつながりを説明やいくつかの事件や混乱の種を配するものの、物語としての結末は示さず、ドラマで言うCM前で切り離したような感じ。両編に出ていた役者が未見の一編に揃っているところをみると、最後の一本が何らかの解決編になっていることとは思いますが、ワタシは観ること叶わず。実際のところ、三本目を観ないと何も解決しないし一本だけ観ても阿面白いとはならない今回の構成、三本全部組みあわせても90分、役者は何らかの形でどのステージにもほぼ全員居るように思いますから、ステージ数や観客数を稼ぐためだけに設定した今回の上演形態はあまり褒められたものではありません。そういえばダブルキャストでステージ数を稼ぐようなのも両方観ないことが増えてきたワタシです。

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2019.12.05

【芝居】「『Q:A Night At The Kabuki』inspired by A Night At The Opera」野田地図

2019.11.10 19:00 [CoRich]

クィーンのアルバム「オペラ座の夜」に着想したという180分(休憩15分込)。10月の東京、大阪、福岡をめぐり再び東京芸術劇場・プレイハウスで12/11まで。

平家の男と源氏の女、壁で隔てられた二人。一度は休戦になったが傲る平家に反旗を翻し再びの戦禍の中、平家の男は名もない一兵卒として戦場に向かい、最前線の野戦病院では尼となった源氏の女が働いて再び出会うが互いに知ることなく戦争は終わり、負けた平家の男たちは寒冷地に送られ過酷な環境で命を落としていく。

源平の物語を下敷きに、ロミオとジュリエットの構図、更には日本人のシベリア抑留を思わせる史実を重ね合わせて重厚に描く物語。更に、ロミジュリの二人を若き日と年齢を重ねてからそれぞれに配しています。(松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳)

若気の至りのように出会い、惹かれ合った男女。年齢を重ねてからの二人からの視点はやや俯瞰的で、それは時に滑稽さすら持ちます。二人を隔てる二つの戦争、その中ですれ違う僅かな瞬間の積み重ねはこの二人の愛情の深さを作ります。

二人の愛情が育まれ、戦争が終わってハッピーエンドになるかと思いきやそうは行きません。極寒の地で抑留され強制労働の日々を送る男、女は忘れたわけではないけれど、手の打ちようがなく過ぎゆく時間。戦争が終わり日本が復興から成長に向かう姿と、シベリアに限らず戦争から抜け出せない人々の写し絵のようなのです。

帰国の船に乗ることもできず現地に置き去りにされた男、戻る友人に伝えた言葉。友人は女にその言葉を伝えないまま、30年も経ってしまうのです。パーティ続きで伝え忘れたと嘯くけれど、その言葉を貫く絶望ゆえに友人は伝えることができないのです。「愛するにも体力が要る」それを続けることができないほど衰弱しきっていて、もう愛していない、ということばの重さ。

30年という年月はベルリンの壁が崩れてから今年までの年月に等しく、なるほど源平を隔てる壁が崩壊してから、ということに、こちらも重ね合わせるのです。

深く、思い問題提起の物語だけれど、いっぽうでクィーンのアルバム「オペラ座の夜」にインスパイアされ、全曲を使っているという謳い文句はもちろんそうなのかもしれないけれど、あんまり物語に関係ない感じを受けるワタシです。

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2019.12.02

【芝居】「てんらんかい」天明留理子=旭堂南明 講談&ひとり芝居

2019.11.9 19:00 [CoRich]

講談師・旭堂南明としての活動を始めた天明留理子の一人芝居企画。 講談仕立ての「りく~忠臣蔵異聞」と一人芝居「マクベス夫人」の二本を短い休憩を挟み80分。目白・ゆうど。

松の廊下のあと、遊女を貰い受けるといい妻・りくを母とともに豊岡へ戻し離縁する大石内蔵助。りくは密かに遊女を訪ねる。「りく〜忠臣蔵異聞」
夫の武運を祈る夫人の前に三人の魔女、子は産めないと引き換えに夫の出世を約束するが、後継を心配するようになる「マクベス夫人」

ひとつは講談、ひとつは一人芝居という形にはなってるものの、着物に演台という講談のスタイルは、どこかゆるやかに溶け合うよう。

「りく」は、敵討ちをさとられないために遊び呆け遊女を貰い受けるとまでいった大石内蔵助のエピソードを主軸に据え、妻として名高いりくの視点で描きます。後日出家をすることになるが、その遊女に密かに会いに行く道すがらで訪ねた寺の尼に、は時空がぐるりと歪み、後の香林院に繋がり輪になるように、史実にフィクションをするりと紛れ込ませる手際の良さなのです。

シェイクスピアのマクベスで夫の背中を押して悪事に手を染めさせたという描かれ方ですが、夫の出世が遅れることを気にして、自分が子を産めなくなることの引き換えとして魔女との契約で夫を出世させようとするのです。物語の中で名前が呼ばれず「マクベス夫人」という呼ばれ方をすること、名前で呼ばれていればこんな悲劇はなかったかもしれない、という終幕は講談の語りっぽさを醸し出すのです。

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