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2019.10.30

【芝居】「なかなおり/やりなおし」イチニノ(第24回 まつもと演劇祭)

2019.10.6 12:00 [CoRich]

茨城の劇団、ワタシは初見です。信毎メディアガーデン。まつもと演劇祭、ワタシ的にコンプリート最後の一本。

公務員だった女はこの街が好きでコンパクトシティを実現すべく奔走していたが、政争に巻き込まれ、「すべてを忘れることにした」と書き置きを残して抜け殻になってしまった。その娘はこの街が嫌で出たが、タウン誌の取材で友人をつれて訪れる。何も変わっていない落胆もあるが、母が想っていた街を感じる。

かつては理想の実現のためにガッツリ働いていた母親、この街が嫌で出たのに、半ば仕事で友人を連れて訪れると「外の目」で気づかなかったこの街を感じながら。現在の母親はアルツハイマーを思わせる造型で、この母娘が過ごし、あるいは離れて過ごしてきた年月を感じるのです。

タッパの高い劇場、シンプルに空間に余白を残し、ときにはしゃぎ、ときにコミカルだったりもする芝居をたった四人で作り上げるのです。あちこちに旅をして上演しているという劇団、コンパクトで、しかし劇場に合わせて上演できる柔軟な芝居、なるほど名刺のようにあちこちでポータブルなのに見応えのある芝居。

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2019.10.29

【芝居】「花火みたい 2019」いるかHotel(第24回 まつもと演劇祭)

2019.10.6 10:00 [CoRich]

2000年初演作 のエピソードを整理し、1時間に短縮した上演。まつもと市民芸術館 小ホール。

結婚を決めたカップルが叔母の家に報告に訪れる。女の母は幼くして亡くなっている。河原を歩く途中、和服の女に線香花火に誘われる。
その叔母の家の娘は漫才志望で友達と二人、反対する母親をなんとか説得して大阪に出る。
芝居を辞めて田舎に戻る女、4年の筈だったがもう14年。周囲は引き留めるがその意思は堅い。その部屋を不動産屋が訪れる。

以前は4つのエピソードで休憩込み3時間だったものを、結局3つのエピソードで1時間に再編成。以前の記憶は曖昧だけれど、それでも詰め込んだという感じではなくて、全体のながれはゆっくりで、そして優しいのです。

カップルが出逢った浴衣の女にみた幼くして亡くした母の面影。それが幽霊かもという疑念はあとであっさりと否定されるけれど、そう考える気持ちを守ろうという優しさ。あるいは、夢破れて故郷に帰る女のさまざまな想いと、同じ部屋にこれから入ろうとする漫才志望の若い女。かつての自分を重ね合わせるようなある種の眩しさを感じるのもまた、過去の自分に対する優しい視線とも言えると思うのです。

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【芝居】「ゴースト・プラネット2」サムライナッツ(第24回まつもと演劇祭)

2019.10.5 19:30 [CoRich]

まつもと演劇祭でのビジター枠、地元(とはいいながらけっこう離れてる)駒ヶ根の劇団は、もう常連と言ってもいい貫禄。まつもと市民芸術館 小ホール。

温泉を訪れた陰陽師の男と女、温泉旅館の若女将はその幼なじみたちと記憶が異なっている。天狗の祭られた神社で神隠しに巻き込まれる。

陰陽師が不思議な出来事に出逢うというシリーズの続編。問題を解決するというよりは不思議な出来事に寄り添い、あるいは解説を加えるという物語は、ミステリーじみた道具立てにもかかわらず、フラットで静かに進む会話劇なのです。途中挟まる一曲だけ、踊りありなカラオケ風場面はちょっとテンションが変わる楽しさ。

彼らが「大劇場公演」と呼ぶ1000人規模の地元大ホールでの公演に対して、このような「小劇場公演」はフラットな会話こそを重要視した公演で、その二つの顔を持ち合わせることがこの劇団の持ち味で強さなのです。

地元に伝わる白い天狗、その神隠しにあった子供とそのときの手鏡、子どもの頃に埋めたタイムカプセルをめぐりそのときに起きたことと、それが再び手許に戻ること、その土地で起きている不思議なことにただ寄り添う陰陽師の姿はフォークロアなものに対しての作家の敬意なのです。それは自然豊かな駒ヶ根で暮らしている作家、劇団というありかたと無縁ではないように思うのです。

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2019.10.25

【芝居】「404 not found」空想≠カニバル(第24回 まつもと演劇祭)

2019.10.5 18:00 [CoRich]

まつもと演劇祭、地元長野の劇団。深志神社天神会館。

松本に何百年も住む旧家の娘は家を出たいが許されない。先輩に相談したところ、先輩が住むシェアハウスに入居を決める。実は大家がこの女の曽祖母で隠していた秘密がバレることを恐れ、追いだそうとする。

白一色の衣装、アップテンポでポップな曲やリズムに乗せた繰り返し、レーザを含むこりに凝った照明など、今回の演劇祭の中で最もポップな仕上がりの一本。物語はシンプルで、家を出たい大家の孫に秘密がバレるのを恐れた住民が進まない議論を繰り返したり、旅に出ていたスナイパーが大暴れしたり、ねこたんに耽溺したり。音と光の洪水でスタイリッシュに、謎めいた秘密をめぐるドタバタを描くのは気楽でポップな楽しさ。

アニメネタ、あるいは会場となった深志神社や松本城、地元の有名人・草間彌生やなどをネタにし、あるいは地元のスーパー・デリシア店舗の並びが星形になってる奇跡とか、演劇祭の他の劇団の名前をネタにしたりなどの盛りだくさんに詰め込まれているのです。

住人の四人が延々と、しかし全く進まない議論を何度かするあたりのギャグ漫画っぽさは、とても彼らの持ち味を感じるのです。そうたくさん観てるわけではないのですが。

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2019.10.24

【芝居】「田園に死す」幻想劇場◎経帷子

2019.10.5 16:00 [CoRich]

信毎メディアガーデン1階ホール。

亡き母という詩は嘘で、母親は生きている。子供の頃の母子二人の生活、家には大きな時計があった。少年はサーカスの女に唆されて駆け落ちを企む。

寺山修司の同名の詩集 をモチーフにした一本。映画もあるようなのですが未見です。wikipediaでストーリーをみる感じではけっこう忠実で、映画監督が撮った自伝映画の中の少年時代の妖しさ、家出しようとする母離れの気持ち。駆け落ちは失敗に終わるし、母親は生きていて一緒に暮らしている。YouTubeでネタバレとして挙げられている映画の終幕、食事する中で家の壁が倒れると新宿の雑踏の中、というシーン、今作ではメディアガーデンの裏側が空き、生活を営む人々の向こう側へ物語の中の人物達が飛び出していく格好良さ。

タッパの高いメディアガーデンを目一杯使い、イントラで組まれた装置もシンプルで力強く格好良い。場所の制約でロスコが焚けなかったそうだけれど、それを感じさせないほどにパワフル。演劇祭でホストとしてさまざまな新しい場所や劇場でいわゆるアングラ劇を作り続けてきている蓄積と挑戦の力なのです。それは真新しいメディアガーデンという場所を確かに使いこなし、しかも外に開く終幕は松本という町に彼らの芝居を溶け込ませていくのです。

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2019.10.23

【ミュージカル】「去年の夏」イエース(第24回 まつもと演劇祭)

2019.10.5 14:30 [CoRich]

神奈川からのミュージカル劇団。上土ふれあいホール。

病気療養のため海辺の町に引っ越してきた女子高生。地元の高校生たちとバンドを組みひと夏を過ごし、卒業するが、それぞれの道を歩む。

若い男女たちが眩しいひと夏を過ごし、しかし一人は不治の病で亡くなり、それぞれの道を歩み挫折も経験し、しかし十年たっても暮らす残された人々という物語はシンプルで一直線に進み、びっくりすることは起こらないのですが、ほぼ全編を通して歌で表現し、それを圧倒的な声量をもって小さな空間で演じることはある種の物量戦。決してミュージカルが得意ではないワタシですが、その物量に圧倒されるのです。

同じ劇場で大学生たちが絶望で塗りつぶされた物語を演じ、大人たちがキラキラとした青春を演じる、というめぐり合わせのコントラストもちょっとおもしろい。

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2019.10.21

【芝居】「旅行の話」猫の会(第24回 まつもと演劇祭)

2019.10.5 13:00 [CoRich]

三年ぶりの劇場公演、埼玉からの猫の会は、やはり三年ぶりの松本、上土劇場

高校のときの友達で温泉旅行に訪れた旅館。手違いで予約が入っておらず、大広間にたった三人で泊まることになって、学生の頃の話を酔っ払って。それぞれに年齢を重ねている男たちは、社長になったが家族と別居していたり、教師で子供が生まれたばかりだったり、長い間フリーターだったが今はコールセンターで働く男だったり。演劇部だった三人の頭に浮かんでいるのはここに居ないもう一人の男のことだった。

三つ敷かれた布団、ちゃぶ台には酒やスナック菓子など、一通り飲んだあとのまったりな時間。上土劇場はそこそこに広い舞台で、遠くを見渡しながら「畳の海」というセリフがとてもよくて、それがたとえ小さな会議室だったとしてもそれで大広間を出現させる演劇の奇跡を生むのです。温泉旅行もかっこ悪いオヤジたちの楽しさがあふれるようで楽しい。年齢を重ねそれぞれに家族や生活があって、そこには不倫の匂いや教え子に手を出してたりとか、あるいは若い部下たちとの北斗の拳や「わかりみ」という言葉のギャップなど、とめどない話。

やがて、かつて演劇部だった三人、ひいては彼らを呼び寄せたようなもう一人の思い出話。演劇に真剣で卒業後も食えてないにせよ仕事にしようともがいていたのに心を折ってしまった男のこと。三人の思い出話に出てくる修学旅行から自由を求め脱出する話はタイトルにつながるのです。生きているオジサンたちが死んでしまった同胞に想いを馳せる空間、大広間という何もない場所だからの静寂の瞬間と、やたらに明るい曲に合わせて浴衣姿で踊るコントラストが鮮やかなのです。

セリフで出て来る「ガイアの夜明け」を放映しているテレビ東京が松本では映らない、というのはまあご愛嬌。大きな問題ではありません。この三人のツアーを、あちこちで観たいと思うワタシなのです。

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【芝居】「反生」信州大学劇団山脈(第24回 まつもと演劇祭)

2019.10.5 11:30 [CoRich]

まつもと演劇祭での信州大学の劇団、山脈(やまなみ)の公演。上土ふれあいホール

中学生になって夜尿症が林間学校でバレて、同級生たちに苛められる。が、それは始まりだった。

何かいじめられるきっかけがあって、その辛さを大人である母親に訴え受けた教師の対応が結果的に何の解決にもならない、頼りにしようとした友達すら助けにはならない、という絶望が全体を覆うような物語。希望のカケラもないといえばそうだし、憎悪の連鎖ということでもあり。

客席にいる役者と舞台上の役者が議論のようなものをしたり、終幕ではただ客席で観ていただけで何も助けなかった観客に向き合い半ば罵倒するつくり舞台ゆえ。

国立大学でしかも専門に進めば広い長野県内さまざまに散らばるという大学の特性は演劇というサークルの持ち味を継続するのは難しいのも事実で、去年は既存の高校演劇戯曲を上演するなど、毎年役者も演じられる演目もかなり変化しています。役者という視点で観れば、もちろん粒が揃っているとは言い難いし、役者を志して来るというタイプの大学ではありません。その中で切実な気持ちをどう表現するかということ、県外からの大人の劇団と劇場を共有しホスト側として向かい入れるさまざまなスタッフワークも含め、確かな力なのです。

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2019.10.17

【芝居】「モザイク症候群(シンドローム)」ぱすてる(第24回 まつもと演劇祭)

2019.10.5 10:00 [CoRich]

まつもと演劇連合会が主催する初心者向け演劇ワークショップ「ぴかぴか芝居塾」の17期卒業生有志によるユニット。芝居塾なので講師となる経験者も交えた上演。60分。上土劇場(ex. ピカデリーホール)

人の記憶が見える医師の男、いつも夢に出るのはマネキンを道路で倒しそれを避けようとしたバスの横転事故で、そのとき亡くなった5人が頭の中にそれぞれの人格として残っている。同僚の医師が離島で病を治す巫女を調査しに出かけるのだという。その巫女は夢にも現れ探して欲しいと訴えていた。島の村人たちは巫女を殺そうとするが、全てを止めるために、男はやりなおしたいという。

いわゆる多重人格を持った男と、過去の事故のトラウマ、謎の巫女をつなぐ物語。軽薄なセクハラ医者だったり、看護師として付いているのに実はその男の謎を解き明かそうとする研究者だったり。

巫女に迫る危機、それを回避するために10年前のあの事故を起こさないようにやりなおしたい男の医師は、事故のきっかけになったマネキンを倒したのは、あるいはそのバスの運転手は誰だったのかということまで遡ります。些細な行き違いがマネキン、事故と連鎖するのを止めるために、マネキンを倒した女の心のわだかまりを肉親からの手紙で解きほぐして、歴史を変えるSFまで盛り込んだ物語、実はかなり複雑な上、芝居塾の卒業生公演らしく、誰にも見せ場がちゃんとあるということも含めて、60分の上演時間には濃密に物語が詰め込まれています。

若い人がSFを読まなくなってずいぶん経つ、というのはまことしやかに言われるけれど、わりとガチにSFをきちんと若い人が演じるのが、ちょっと嬉しかったりするオヤジなワタシです。

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【芝居】「じん、じん、じゃん」ヨコハマ☆ファンキー・モンキー・マン!!! (第24回 まつもと演劇祭)

2019.10.4 19:00 [CoRich]

2019年のまつもと演劇祭の最初を飾る演目、横浜からのビジター枠。40分、深志神社天神会館。高松・カブフェスでも上演、ツアーを予定。

男二人が喪服で話している。子どもの頃からの友達の二人の片方の妻が病に冒され、生前葬を開くことになったために集まっている。その妻にもう一人の男がかつて恋をしていて。

生前葬を行う女の夫とその友人という中年男ふたりの物語はごくシンプルで、かつての想いがわきあがってきたり、死にゆく女への溢れる想いがとめどなかったり。男泣きだったり、柔道の投げ技を果てしなく繰り返したり、広い畳の部屋の中を自在に走りまわるおじさんたち、ちょっと情けなかったり格好悪かったりする姿がむき出しになるのは、ちょっとコミカルでちょっと暖かいのです。

同じタイトルで3月で横浜で上演された物とは全く別の物語で、高松・カブフェスなどツアー向きに作っていて、野沢菜などご当地物を入れたり、ご当地の言葉だったりの茶目っ気も。高松では20分ほどで上演された物を倍近くに伸ばすなど、わりと時間が自由になるように作られています。 正直にいえば、同一タイトルで全く別モノを見せられると少々戸惑うワタシです(「~編」ってつけるとか)

深志神社天神会館をまつもと演劇祭で使用するときは通常一階なのだけれど、今作は二階の大広間の畳に座布団を敷いた状態をほぼそのまま使っていて、なるほどこれならツアー向きで応用範囲が広そうです。

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2019.10.10

【芝居】「願いいろいろ(A)」桃唄309

2019.9.28 19:30 [CoRich]

カフェ形式で飲食も提供しつつの80分。RAFT。ワタシは(A)バージョンのみ。

女優二人、歌とダンスと三味線で「荻窪姉妹の『願歌』」
横浜港で大道芸をみていたら、棒を投げてと頼まれる。頼まれると断れない「佐藤達のかみしばい」
開業予定のグランピングのモニタ募集に来た女二人は会社を辞めたばかり。案内するのは突然頼まれたらしい外部のフリーランスweb制作者。設備どころかプレハブ小屋しかなく、テントは外国語マニュアルでわからず、携帯は入らず大雨も降り道が崩れ「ざ・きゃんぷ41」

「荻窪姉妹」は女優・西山水木の歌とダンス、山口智恵の三味線からなる民謡風デュオ。洋楽カバーや琉球風の音階にチューニングしたり、ジェストダンスを交えたり。公演タイトルの「願い」がさまざまに歌われて濃密な一本。

「~かみしばい」は新作。頼まれると断れないという性格、棒を投げるだけなのに真っ直ぐ投げる練習をしておけば良かったと頭の中がぐるぐる。しかしそれが奇跡的にうまくいったりする、ほんの短い時間の頭の中の時間の流れを引き延ばす、まるで巨人の星の投球シーンのよう。成功の瞬間思わず拍手してしまうワタシw。

「きゃんぷ」は女三人、お洒落なグランピング施設の建設前の見学、みながいろいろ酷い目にあうけれど、それをたった二畳の場所で。連絡取れず、助けも来ず、食糧が尽き掛けて。結局は助かるのだけれど、カフェやりたいとか、そのwebページ作りたいとか、やりたいことで自然と親友となるように盛り上がりる、ちょっとだけ前向きな話。

なかなか3パターン全部というわけにも行かない私の昨今、しかしビール片手にしかしどこかのんびりした気持ちで眺める芝居の楽しさはまた格別でもあって、また折りを見て通うのです。

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【芝居】「ミクスチュア」贅沢貧乏

2019.9.27 19:30 [CoRich]

100分。芸劇での「芸劇eyes & eyes plus 2019」の一本。

性欲がわかない男、男が怖いけれど心を許して抱きしめたい女、男女二人で暮らしている。清掃員の仕事で入っている地域センターでは週一度のヨガのレッスンに近くの大学院生やフリーター、主婦が通っている。インストラクターは居らず、声と音楽に合わせてそれぞれにしている。廻りは住宅地だが野生の動物が出没している。

行政サービスとしてのヨガを堂々と享受している台が院生や主婦といった人々、それを支えているのは生活するために働く清掃員。同居する二人は異性だがいわゆるカラダの関係は無くてそれはいいバランスなのに、突然尋ねてきた姉はいわゆる男女の関係だと誤解する息苦しさがあったりと、「生活」を細やかに描きます。対して、ヨガに通う人々の生活の場面はほぼ描かれず、暇つぶしや友達との会話のための日々。格差ともいえますが、サービスの現場と享受する人を少しばかりの悪意と優しさを持って描く舞台。

作家が用意したもう一つの仕掛けは地域センターに紛れ込む野生の生物。一般人が追い詰められるぐらいの猿な感じ。遠くにあれば可愛いし市街地に出たと聞いても他人事だけれど、目の前に現れると何か危害を加えるというわけではないのに、囲んだり果ては殺してしまう、殺してしまったのにその後始末は「清掃」の仕事だとしてしまうこと。自然や野生との境界線に暮らしているのに、そういう身勝手な人々に距離を置いたような作家の視線。その身勝手な人々に割かれるセリフの上での時間は結構長いのだけれど。清掃員の二人とヨガの人々という、表面化しないある種の対立構造を野生生物を登場させることによって、より強化してみせるのです。

正直に云えば、芸劇eyesやTPAMなどの、行政から資金をふんだんに入れた「意識高そうなアート」な演目は歳をとったからかちょい苦手なワタシです。今作は、身の回り5mでもなく、かといってあまりに俯瞰した括弧に括られたアートでもなく、地に足を付けた作家の視線は確かなのです。

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2019.10.09

【芝居】「病室」普通

2019.9.27 14:00 [CoRich]

全編茨木弁によるセリフで125分。空洞。

父親が倒れたと聞き実家に戻る娘。四人の相部屋病室には同年代の男たちが入院している。父親は歩行と発声の麻痺、他には車椅子だったり、ガンだったり、わりと若い男だったり。それぞれに家族が来たりしている。

作家の故郷、茨城の言葉で全編が演じられます。となれば思い出すのは「にんじんボーン」 (1, 2, 3, 4, 5, 6, 7) で、コミカルでときにバイオレンスな理不尽さが独特の雰囲気を持っていました。今作はもっと体温の低い会話劇で、入院し「弱った」男たちの風景は年齢ゆえの繰り言や物分りの悪さや弱気があってずいぶん雰囲気が異なります。が、回想シーンでは妻や子どもたちを振り回し、怒りをぶつける理不尽な元気だった頃の男たち。なるほど10年前に観ていた理不尽なバイオレンスの感覚。もう少しリアルに描くとこうなるのか、とも思うのです。俗に「怒りっぽい、理屈っぽい、骨っぽい」の「水戸っぽ」といわれる気質(今調べました)、本当にそうなのかはよく知らないけれど。

今作では2つの時間を対比して描くことで、若い頃の理不尽さと歳を取ってからいいところが出てきたり、弱って愚痴っぽかったり、そうなって周りの家族が変化したり変化しなかったりというコントラストが鮮やかに現れるのがいいところで独自の雰囲気を醸し出します。

若いと思っていた役者が、もちろん実年齢とは随分違うけれどきちんと老人をリアルに演じていることに改めて驚くワタシです。 病室の主のような、癌を患っている男を演じた用松亮は、諦観した柔らかさで自分よりはましだと他を気遣うけれど、相手がどう思おうが自分の言いたいことを言ってしまう老人特有のリアルさ。看護士が妻に見える瞬間(舞台奥からの照明でパジャマ姿が透けてやけに女を感じさせる、を作演自身が背負う覚悟)の生きるという気持ちはやけにシンクロしてしまうオヤジなワタシなのです。 今は怒らないことにしているという男を演じた渡辺裕也は畑仕事はまだできるから面倒を見るよ、という優しさだけれど回想シーンの理不尽さはまさに物語の軸に。妻と娘が見舞う言葉と足の麻痺を患った男を演じた澤唯、セリフのテンポが持ち味の役者だけれど、それを封印されたような感じだけれど、きちんと人間が立ち上がる様をあらためて。この中では若い病人を演じた折原アキラはまた、まだ若いゆえに、離婚を考えるむすめにまだアテにされてもという頑張る気持ちの細やかさ。

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2019.10.04

【芝居】「ジョン・シルバー」唐ゼミ

2019.9.23 14:00 [CoRich]

唐組の名作・三部作(未見)を、その意思を受け継ぐ唐ゼミで連続上演という企画。私は一本めのみ。横浜・みなとみらい地区の日本丸メモリアルパーク内の特設テント。

海賊だったジョンシルバーと暮らしていた女は彼の義足を携えて彼の帰りを待っている。双子の女、床屋、紳士、小男たちに出会い、波の音の中で彼の事を思い出す。やがて、三人の軍人がシルバーを名乗って現れるが、それはシルバーではない。

居ない人物への想いは日が経ちさまざまな人に出会う中でより強い物になっていくけれど、同時に遠い日の出来事は夢のなかの出来事のようでもあって、本当の出来事だったのか妄想だったのかがないまぜに語られていきます。いわゆるアングラ芝居なのですが、ワタシは世代はそれより随分後、たまたま触れているのも、つかこうへいぐらいなので、唐十郎の世界にきちんと触れるのは初めての体験。過去に観た芝居を思い出し、ああなるほどあれはこういう系譜の上にあるのだなということが改めて思い出されるのです。

どこか露悪的だったり、人懐っこかったり、あるいは何かを欠損していたりという登場人物の造型はまさに昭和のもので、今っぽいアップデートをしているわけではないけれど、直情的なパワフルな感じと、あるいは記憶の中の大事なものを繰り返し愛でるような内向きな感じが同居する世界の描き方は、なるほど人々を引きつけ、そして今でもそれが受け入れられているのだ、ということが納得できるパワフルさなのです。

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2019.10.02

【芝居】「悪魔を汚せ」鵺的

2019.9.15 19:00 [CoRich]

2016年初演作、ほとんどのキャストはそのままに再演。115分。サンモールスタジオ。

子供三人がこういう造型でこの役者によって演じることができるのは最後だろうという作家の意図で、短い間隔での再演なのだそう。 なるほど、ぎゅっとした空間で時に怒鳴り合い、妙に諦観が混じり合う物語の嫌な雰囲気はそのままにで、初演の駅前劇場に比べて間口が狭く感じるサンモールスタジオのある種の穴蔵感は、この物語の嫌な空気を何倍も濃密に感じさせる装置になっているのです。

この家の家長のような長女はずっとこの家を守り続けるという責任感ゆえか血縁、子孫について常軌を逸した拘泥。ずっと観ているうちになぜかネトウヨが思い浮かぶワタシです。その婿養子は何もしないという定款、次女はずっと苛ついて金切り声を上げ続けるストレスフルな造型、その婿養子はあくまで丁寧にあろうとする序盤から途中でキレて粗暴になるダイナミックレンジの広さ。長男はこの異常な家系を絶やさなければならないという気持ち、妻もまた遠縁でつながる血縁を知る絶望、その「嫁」はあくまで普通の人である、家族の中では観客から地続きの唯一の存在。唯一の外部の人間である会社の総務部長は仕事をきっちりこなすけれど、人として守るべきものがある、一縷の望み。

全員が苛つき怒鳴りあい、あるいは怯えている家族の中で育った子供たちは、それに反発し、あるいは諦め、あるいはそのまま受容してサイコパスに濃縮してしまったように育っているのです。家族達の酷さの中で育った子供たちはそれぞれに心をすり減らして、結果正義に思える行動すら、悲劇、さらには憎悪の連鎖を生むのです。子供たちを演じた祁答院雄貴、福永マリカ、秋月三佳は初演と引き続き、観ていて心配になるほどに(芝居としてはちゃんとケアされていると信じてるけれど)

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2019.10.01

【芝居】「あつい胸さわぎ」iaku

2019.9.14 19:00 [CoRich]

iakuの新作。110分、9月23日までアゴラ。そのあと大阪。

芸大に進んだ娘と母親の二人暮らし。高校は別だった幼なじみの男と同じ大学に通い始め、顔を合わせることも多くなる。母親が勤める縫製工場の若い女は母娘と親しくしていて、姉代わりに相談に乗ったり、小説など娘が芸大に進む影響も与えている。
縫製工場に関東から係長として男が赴任してくる。独り身の男に、社長は取引先からのサーカスのチケットを渡して一緒に行くように薦め、母娘、同僚の女、係長、そして幼なじみの男も一緒に行くことになる。

高さの違う段をいくつか組み合わせた舞台、細い柱で上方に絡んだような赤い糸が人のつながりのようでもあり、血管のようで、生々しい生を表しているようでもあります。

恋心を抱いていた幼なじみの男に中学生の頃に胸をからかわれ、大学に通い始めた歳まで恋人がいたことがなく、しかし大学の課題で小説を書くことになって恋愛経験がないことを改めて悩むようになった娘。再会した幼なじみの男に恋心を抱いているけれど、その男は母親の同僚である年上の妙齢の女に向いていて、一夜をともにして。一方で母親も赴任してきた上司に淡く恋心を抱きと、たった5人しか居ないのに、ひとびとの関係は濃密につながりあうのです。

前半の会話は 母娘のある種の家族ゆえのうっとうしさも、あるいは姉代わりの若い女を含めた三人の信頼も感じさせる軽口が混じり合い軽快に進みます。職場で新たに迎えた上司に対する警戒感からなじむ感じもとてもいいのです。 後半に進むにつれ、母娘の恋心は儚く叶わないうえに、娘に早期の乳がんが見つかる不幸が襲い、内容は重苦しく。しかし、支える関係であったり、娘も「文章を書く」ことでしっかりと自立していこうという成長を感じさせるのです。手術などどうしていくかという結論が明確に語られるわけではない結末だけれど、この母娘は大丈夫、と思わせる力強さがとても頼もしい。

一部では婦人科系の、と呼ばれる作家ですが、今作もその例に漏れず、三人の女性がとても細やかに描かれ、スパイラルを描くように変化し成長していく物語はミニマムなのに幾重にも重なる物語をつくりだしているのです。 娘を演じた辻凪子は幼さすら感じさせる序盤から、苦難を経てきちんと成長する人物をきっちり。妙齢の女性を演じた橋爪未萠里は若い男を惑わす色気を纏い、なかなかにヒールな役回りだけれど筋はきちんと通すさっぱりとした造形もとてもよく。幼馴染を演じた田中亨は若いゆえに欲しく、しかも手に入るだけの美形という説得力。上司を演じた瓜生和成は心機一転ゆえに更に敬意を持って人に接する人の良さと、それなのに好意に気づかないラフな感じが同居する奥行き。今作でとりわけ目をひくのは母親を演じた枝元萌で、少々雑なおばちゃんから恋する女の臆病さまで広いダイナミックレンジを繊細に。

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