【芝居】「福島三部作 第三部 2011年:語られたがる言葉たち」DULL-COLORED POP
2019.8.25 19:00 [CoRich]
「福島三部作」の第三部( 1, 2)は2011年を描く2時間。8月28日まで東京芸術劇場のあと、いわき。
東日本大震災のあと、原発区域からの避難する人々。動画投稿で炎上する女子高生、放射線被害を理由に差別する友人、子供を育てることに対する不安、風評被害に苦しむ酪農家たち。地元テレビ局が取材を続けるが、センセーショナルな映像や声ばかりに違和感を求めるスタッフも居て。
復興半ばの現在を描く進行形。解決できない数々の問題に直面する人々と、その彼らの想いが必ずしもメディアには伝わるべき事が伝わらないし、風評被害は広がり続けていて。第一部や第二部ではなかばフィクションの物語としての力強い面白さが全体を駆動するけれど、今を描く今作は扱ってる内容自体がとてもセンシティブで、真摯に向き合おうとしているがゆえにそこまで軽やかにはなりきれない感じがします。緊張感ばかりで肩が凝りそうな全体のトーン、半ばに挟まる唐突ともいえるラジオ体操のシーンにワタシは少し救われたりもします。立ち上がってまでは参加できなかったけれど。
被災地の中でも罵り合いであったり放射線被害をめぐる差別があること、それが人々の分断を生んでいるという現状。いっぽうで人々を繋ぐ役割を担うはずの地元局スタッフが、実際のところ悲惨さを延々と伝えキー局の求めるような扇動的な映像を撮ったり、シナリオに沿った偏向した話を作るべきかと悩むスタッフ。語られる「物語は編集で作れる」というセリフはメディアの向き合い方として重い言葉。
舞台奥のベッドに横たわる男性は第二部で町長となった男、報道が求める責任に押しつぶされつつあります。本当に真剣にその土地の発展と維持のために町長を長年に渡り引き受けてきた想いに嘘はなく、妻がそれを認め赦しになるという作家の視線は生きている人に対する優しさの視線。
冒頭、長く揺れる地震を再現したシーン。実際に揺らすことはできないし、あの瞬間、ワタシは東北や関東に居たわけではないけれど、音と光によって緊迫感のある追体験。動画投稿をする女子高生を演じた春名風花は主張する若い女性像が彼女自身のtwitterに重なるようで力強く。報道部長を演じた井上裕朗の被災者と報道者としての板挟みの苦悩の解像度。災害によって妻子を失った男を演じた東谷英人、失ったばかりでなく帰宅困難区域ゆえに探すことすらできない悲しさを吐露する終盤の迫力。
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