【芝居】「ゆらぎ、碧い鳥、」チリアクターズ
2019.7.31 19:30 [CoRich]
神奈川県・小田原市を拠点に活動する劇団の公演。100分。4日までSTスポット。
恋人が出て行き、左手が石になっていく女。
大学の絵本サークルで物語を作るはずだった先輩が逃げ、代わりを務めた親友は才能が花開き、劇団を持ち小説も書いて活躍していているが、親友であることには変わりなく接してくれている。SNSで高校生の頃の恋人を見つけ、会おうと盛り上がるが相手が既婚と知り踏み出せない。出て行った恋人が戻ってきて一夜を伴にするがもう何も感じないし、親友の恋人と夜通し歩いたりもする。同じように手が石になる症状を持つという女からの誘いで会うことにするが、一方的に運命的だと共感を押しつけられるようでなじめない。
コミカルなシーンをまじえつつも、全体の語り口は静か。一つの役が複数の役者で演じられたり、同じ役者が複数の役を演じたりという遷移を継ぎ目なくごく自然に重ねます。さらに主役であるユカリという女の高校生の頃と現在の二つの時間軸が細かく入れ替わったりもするので、正直にいえば、特に序盤では見やすいとはいえないつくりではあります。が、ユカリにフォーカスする形で、複数の役者が重なり合うように一人の女性を紡ぎ出すのはホログラムのよう。なるほど、芝居を通して一人の女が浮かび上がる面白さ。
普通に生きてきたはずなのに、ある日突然自覚してしまう自分のこと。 たとえば電車の中で恋人に肩を貸していた女は幸せな筈なのにその目の奥に何もない、それは自分なのだという中身の無さに気付いてしまう恐怖。それまではおそらく不満を感じても封じ込めてきたこと、先輩や親友たちはあの頃から前に進んでいろんな経験をしていろんなものを手に入れているのに、自分は高校生の頃も今も変わらず、しかも、男や親友という存在があって初めて存在できているのだ、ということを初めて自覚することだったりするのです。 一人の女を描いているけれど、きっと誰もがそういう「ホログラム」の一部の何かを持っているのだ、ということに思い至ると、芝居全体が一人の女を描くことの意味なのだと、勝手に腑に落ちるワタシなのです。
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