【劇作家大会】60分で世界を描くPart1 -高校演劇コンクール作品への挑戦
2019.8.16 12:00
大分に続いて間を開けず、信州・上田で開催の日本劇作家大会2019上田大会。
駅からほど近く、大きなショッピングモールの喧騒に隣り合いながら、ほどよく静かなサントミューゼ、環状の回廊のような空間に劇場や会議室を繋ぐ施設。ドーナツの空間にあたる中央は開放された芝生敷き、回廊も半分は屋根だけだったり足がつけられる親水池のような場所。ゆったり、ぜいたくにつくる空間なのです。
少々受付に手間取り、サントミューゼのプロムナード(回廊)で行われた開会式のテープカットならぬ蕎麦カットをちら見、音を聞きながら。
タイムテーブルはわりと迷うものが裏表になっていたりして、去年の「フートボール〜」で急に高校演劇熱が高まったワタシ、高校演劇を主題にしたセッションの一つ。60分という長くはない時間で物語を描くということは構造としてどういうことかという座学と、ブレスト的に断片を書き出して物語に紡ぎあげるというワークショップを組み合わせた3時間。ワークショップ的なものだということはパンフにも全く記載がなくて、参加して初めて参加型と気づいて躊躇しつつ。
学校教育の中で演劇を置く意味を解くこと、それは表現のちからでもあるけれどむしろ「人の話を聴く力」から「友達を、ひいては自分を尊敬し好きになる力」を醸すのだという位置づけ。物語を描くためには才能はあるにこしたことはないけれど、すくなくとも教育の中であれば「才能は分析でき」それは「論理的で優しい」もの、ものを創るときにうまく行かなかったとしても人格否定ではなく「なぜできないのかと分析」でき、それは高校卒業後の自分が得たいことを得るために「分析できる大人=スペシャリスト」を見つける手がかりになる。それは漠然と夢を叶えたいと願うだけ、あるいは応援するとか無理と切り捨てる根拠のない愛(もちろん感謝すべきもの、と一言加え)に囚われずに、進む道を手に入れる武器になるのだという一連の流れ。教育、とりわけ大人になりつつある高校の現場でどういう意味があるのかとわかりやすく。
続くグループワーク、ごく短い時間の中で枠組みを与えつつ、グループ名を決めさせ、あらかじめ示した要素を提示してグループで順に出し合うことで起承転結の要素をつくることを体感させます。輪になったメンバーが順に与えられたことに思いついた言葉を加えていくことで物語をつくるという流れが楽しい。うまくつくられていて、状況を示す「起」は1割、その状況が少しづつ変わる日常の振れ幅を描く「承」が実は8割ぐらいを占め、そこまで来た振れ幅よりは圧倒的に大きな変化が起こる「転」と、それによって初めの状況からどう変化したかを示す「結」が合わせて1割という割合の話。ハリウッド曲線と呼ばれるとか、あるいはこういう物語の構造に注目することで、印象批評という理不尽がさけられるはず、という成長途上の子どもたちを守りつつ成長させるための目配り。それは、おそらくは高校演劇の大会の現場で審査員による「印象」だけで批評がされることへの危惧であって、子どもたちをきちんと成長させる正しさに満ちた視線。
3時間でわりとクタクタに。単に観て消費するだけのワタシだけれど、物語を作り、芝居を作り上げる力を教育するということはどういうことか、という確固たる視線の一つを体感できたのは新鮮な体験なのです。もっとも、宿題として与えられた2日目以降でリーディングやワークショップの題材にするための短編の提出は、ごめんなさい。提出せずじまいでした。
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