【芝居】「福島三部作 第二部 1986年:メビウスの輪」DULL-COLORED POP
2019.8.10 18:00 [CoRich]
福島と原発をめぐる3つの時代を描く「福島三部作」の第二部(1)。2時間。いわきのあと、28日まで東京芸術劇場シアターイースト、その後大阪。終演後のトークショーは白井晃。
公金の不正を糾弾し町長になった男。元は反原発の活動に携わっていたが、稼働から15年経った原発は町に雇用や補助金をもたらし止めることは選べなくなっていて、安全性を御旗に補助金を更に町に引き入れることを期待される。
1986年、チェルノブイリの事故のあと原発事故が大きな影響を起こすことを人類が目の当たりにした瞬間。たまたま大きな事故が起きていないため「日本の原発は安全だ」という神話を唱える以外の言説が封じられ、原発を止めるよりは補助金を当てにしたほうが望まれるという現実。
前半、町長の失脚の混乱を収束するために担ぎ出されたのが、元は原発反対派の男。主流ではなかったけれど、その人望を見込まれ、しかしもう原発からは抜けられなくなっていることが、原発を稼働させつつ危険性を匂わせることでより多くの補助金を引き出す装置として組み込まれるのです。男の内面では矛盾を抱えながら、しかし町の現状を維持し暮らしていくために良かれと思ってそれを受け入れ、「変節」するのです。中盤の「サマータイムブルース」、それを思わせる忌野清志郎っぽい、あるいは自分の内面を隠すための仮面のようなメイク。後半はその「仮面」のまま、もはや彼は人形のように「日本の原発は安全です」と繰り言のように唱えるのです。裏と表がひとつながりの「メビウスの輪」は象徴的なタイトル。
物語の語り部はこの家で飼われていた犬。序盤では晩年を迎え死が近づく時期。後半では死んだ後、この土地にそれまで生きて死んださまざまが見守っているという世界で、変節した男を「土地が」見守るように描くのです。それはチェルノブイリも含めた過去に学ぶこととリンクするけれど、私たちはそれを怠って「日本の原発は安全」だと盲信してきてしまった、と思い至るのです。
犬を用いてちょっとコミカルでファンタジーな要素、あるいは派手な音楽。なるほど、徳永京子、あるいは作家自身が語るように三つの時代に分けて、このパートでは「小劇場という演出スタイル」をなぞるように。三部作それぞれが物語だけでなく、演出のスタイルをも変えて描き出すことが、この豊かな体験を生むのだと思うのです。
愛犬・モモを演じた百花亜希は語り部であるだけでなく、その場面場面の緊張感を自在に操るよう。妻を演じた木下祐子、肝っ玉が据わってダイナミックでコミカル、なかなか観られない大騒ぎが楽しい。町長への立候補を勧める自民党議員秘書を演じた古河耕史は、物静かに見えて言葉巧みに人を操る食わせ物をしっかりと背負い、もはや怪演の領域。眼鏡の有無でキャラクタを豹変させるというのも、いわゆる「小劇場的」なわかりやすさとコミカルを併せ持ち、物語のテンションになるのです。
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