【芝居】「月がとっても睨むから」Mrs.fictions
2019.8.12 17:00 [CoRich]
去年残念ながら公演に到らなかったタイトルを、再挑戦。12日まですみだパークスタジオ倉。120分。
塾帰りの男児、高校生だった女に一週間誘拐された事件、戻ってきた男児は「改造」を受け、大人になり錦糸町の帝王として夜ばかりでなく、雇用から福祉に至るまで街全体を発展させていた。ある日、男がオーナーとなっているラブホテルの清掃員としてやってきた女が、かつて自分を誘拐した女であることに気づく。
子供の頃、少年が好きな女性、いわゆるショタオタの手にかかりながらも成長し町を牛耳るようにまでになった男。誘拐した女はその罪の意識が払拭できないまま各地を転々としていて。その二人が出逢うところから始まります。序盤では余裕に溢れた男が全てを許すといいながら、しかし内心ではそれが許せないか恐怖を未だ持っていたことが自覚されるのです。「改造」(その実は性的にいたずらされた、ことが匂わされますが)されたことで、幼くして性的行為を経験して、倒錯的に根拠亡く万能感を得てこの地位を得た、ということに今さら気付いてその万能感が崩れるのです。逮捕と刑務所を経験した二人、先に出所した男は後から出所する女を迎えるのは、赦したのか、それとも何かの覚悟なのか。
さまざまな「赦し」の物語だという読み取りが多く見受けられます。なるほど、この男女もそうだし、あるいは交通事故で恋人を亡くしながら相手の遺族に金を送り続けるために超人的なバイトを続けている女という二人の関係もまた、認められなくても「赦されるため」に行っていることだし、誘拐を行った女の父親が向上を潰し、娘に合わないままタクシー運転手を続けているというのも傷を心に負ったまま「赦されない」ままの人生を送っている人物なのです。
女性が男児に対してとはいえ性的暴行には違いない出来事。語り口こそ軽いけれど、扱う事象は相当に深刻で軽々しく扱えるものではありません。男児が万能感を持ってしまったという一種の倒錯がその深刻さをオブラートに包み錦糸町の夜の帝王というコミカルな序盤を支えるけれど、それがオブラートだったということをわざわざ自覚させる落差、抑えた描き方ゆえ見逃しがちだけれど、その深刻さを丁寧に描こうという姿勢を感じるワタシです。
「性癖」とどう折り合いを付けて生きていくかという物語でもあります。対象の男児自体には手を出さず、同好の士の間だけで妄想を密やかに楽しんで居たはずのショタオタのコミュニティ。その中の一人が性的な暴力という犯罪に手を出してしまうこと。犯罪者自身も深い後悔をずっと背負い続け、あるいはその周囲も漫画家や刑事などになり、それが自分だったかもしれないと背負い続けること。年を重ね性癖が治ったのか押さえ込んでいるだけなのかは明確に語られていないけれど、すくなくとも各々が社会と折り合いを付けて生きてきているのです。犯罪は許すべきではないけれど、程度の差こそあれ誰にでもある治らない性癖とどう向き合い飼い慣らして生きていくか、ということ、じつはこれもまた深刻なテーマなのです。 錦糸町の帝王を演じた岡野康弘は、このちょっと過剰な昭和感を伴った造形がコミカルで楽しく、しかし怯える人物を繊細にも。誘拐したショタ女を演じた真嶋一歌は影を背負い続ける人物の厚みをきちんと。やたらとバイトする女を演じた山崎未来は軽薄さすら感じる調子の良さの中に潜む生真面目さ。
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