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2019.07.02

【芝居】「アミとナミ」桃唄309

2019.6.15 14:00 [CoRich]

115分。16日まで、座・高円寺。

大学の頃の友達がいつのまにか妻と別居し孤独死してから墓参を続けている。3人しか来なかった10年目、妻から渡された一冊のノートは詩のようなもの、人の言葉や情景などが綴られていた。忘れたりもしていても、どこか気になっている友人たちはそれぞれにコピーをもち。3人にまぎれて人間界での修行をするタヌキもコピーを手に入れる。
神社の中にあるカフェに集う人々、ハンセン病についてノートに書かれた言葉をさまざまに調べたり読んだり、あるいは感じた言葉を追加したり、記念館や療養所を見学に訪れたりする日々を送る。

ここ数年、ハンセン病を扱う作家のライフワーク的なシリーズ。これまでの二本( 1, 2)では演劇の作り手自身の視点から、興味を持って目にして、影響を受ける人々と、その時代に起きていたことを描きましたが、今作は亡くなった友人が興味を持っていたハンセン病について、そのメモを手にした友人たちを中心に、現在を生きる人々を描くようになっています。このアングルもまた過去に思いを馳せる人々の話。もちろん厳しい現実の物語も。井深八重の日記によるものだと思いますが、土蔵に閉じ込められた娘の描写、当たり前が当たり前じゃないことはほんとうに悲しくて深刻で深いため息をつくのです。

そのノートを起点に調べたり、その時代を生きた人に話を聞く、あるいは井深八重(wikipedia)という史実などドキュメンタリーな要素を交えつつも、幽体離脱やタヌキの修行、カフェ自体が御神体といったファンタジーを自在に交える自由さ。楽屋のようにしつらえた舞台奥に役者たちが待機するなど、メタ的な視点も面白い。かと思えば「6次の隔たり」や「形態素解析」といった理系的な単語が現れるセリフもワタシはたのしくて。

女はこうあれという時代錯誤なタヌキ社会に嫌気がさすとか、配偶者を主人と呼ぶのはやめなさいといった、よりフラットにあろうとする視点。唐突な気もするけれど、よく考えてみたらハンセン病の患者が当たり前に対等に暮らせるようになることと実は同義だということに思いたるワタシです。

老人を演じた山口泰央がとてもいいのです。今は明るく暮らす年寄りの過去の壮絶な体験。それを「みやげ話、いい供養」というあっさりした感じで去っていく軽快さが実にいいのです。

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