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2019.07.31

【芝居】「骨と十字架」新国立劇場

2019.7.15 13:00 [CoRich]

休憩15分を挟み全体で120分。28日まで新国立劇場小劇場。有料パンフの他、カウンターで配役だけを書いた無料の印刷物を配布というのは国立らしい心配り。(高額な公演で配役がパンフ買わないとわからないとか、ねぇ)

進化論を確信し、教えているイエズス会の牧師神父(ご指摘感謝)は問題になり、検邪聖省からの男から尋問されるが、それでも信仰と学問が両立すると信じている。北京への布教という名目で派遣され、調査の日々を過ごすうち、北京原人の頭蓋骨をチームで発見し、ミッシングリングを閉じ欧州に戻る。その発見は、信仰と学問のどちらが正しいかを追い詰めていくことになる。

史実の隙間を旺盛な想像力で埋めていく作家の最新作、新国立という大舞台にワクワクするワタシです。キリスト教の信徒がその教えと進化論という学問にどう折り合いをつけているのだろう、というワタシのわりと昔からの疑問、なるほど、折り合いをつける位置を調整したりはしつつも、その矛盾を内包し向き合っていたり、あるいはその事実を無いものとしていたりという人々のグラデーション。ワタシが疑問に感じていることなど、とっくに彼らは自分の中で真摯に長い時間向き合ってきたのだ、ということを思い知らされるのです。

正直にいえば、役者の交代もあり、プレビューよりもだいぶ短縮されているという話もあり、作家がもともと思い描いていた世界を100%描ききれているかというと、そうでもない気はします。とりわけ、欧州に戻り更に学問をその先にすすめる一歩を踏み出すところでおわる終幕はワタシはもう少しカタルシスでもその先の絶望でも観たかったという印象が残るのです。休憩が入る構成ということも後半への期待が高くなるせいもあるかもしれません。

とはいえ、信仰をどう見ているかを形容する言葉があふれる台詞の圧倒的な力とそれをきちんと描き出す役者の力で紡がれる世界の見え方に圧倒されるのです。たとえば、序盤では聖書は真実ではなく現実の例えなのでは、ということだったり、あるいは天上の神ではなく、水平線に向かって一方的に進化していく先に真実という神があり、神に人間が近づいていくことに対する恐れであったりと、本当の詳しいところは知らないけれど、この宗教を支える人々がどうやって現実の世界や科学と向き合ってきたのかという示唆に溢れていて、人々がまっすぐに世界について真摯に敬意を持って考え続けているという営みの尊さは同じでだということにやっと気づくアタシなのです。

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2019.07.29

【芝居】「サラバサヨナラヨカナーン」waqu:iraz

2019.7.13 18:30 [CoRich]

女性だけで演じられる、サロメをモチーフにして女であることを語る 90分。14日まで青少年センターHIKARI。横浜港の花火の時間帯、ちょっと音は聞こえましたが、終演のタイミングには間に合わず。

  • サロメ、若く美しく、父親にすら言い寄られ、それが嫌で預言者ヨカナーンに会い恋に落ち、しかし罵られフラれ、絶対にキスを奪うと誓い、父親が求める踊りと引き換えにヨカナーンの首を求め手に入れる。皿にのって出てきた首に口づけをする。「サロメって女って」
  • モテる女のさ・し・す・せ・そ「上手な女の作り方」
  • 女として存在したい女(関森絵美)と推してるアイドルと「女の幸せ、夢見る乙女」
  • 妊娠出産、職場の他の女たちの目線、ワンオペ育児に母乳絶対という無責任な他人「I am サロメ/専業主婦」(中谷弥生)
  • 「サンプリング case 12」
  • ひっつめ髪で白シャツ黒パンツスニーカーの女(植浦菜保子) vsインスタ映え第一なファッショナブルな女(竹内真里) 「女として優れているのは」
  • キャリア志向の女(宮﨑優里)、同期の男を超え、収入は夫よりも多く、男たちはプライドが傷つきやすい「I am サロメ / キャリア女子」
  • キャリアと子持ち専業主婦、二人の「女の人生すごろく」
  • かつては乱婚、一夫一妻は効率が悪いのにそうなったのは「Bar ボノボ / 酔いどれ女酒場」
  • 大学の准教授(土屋咲登子)、バツイチで男をつまみ食いする日々、なんでも手に入れたい「I am サロメ / 食卓」
  • 27歳平凡な女(中野志保実) 、上司が認めてくれて嬉しい vs 40歳(武井希未) 家族を知らない娘も母も経験していない興味のあることを手に入れる「I am サロメ / 居場所」
  • 編集者(小林真梨恵)、食事の席がつぎつぎ取られてしまう「椅子取りゲーム / 隣の芝生は青々あおい」
  • 幸せだが社会から必要とされていないかもと感じる専業主婦、子無しであることは不完全だと感じているが、時間は迫っている、とは限らない。モテていても特定の一人に求められたくもあって「Re: サンプリング case12/私たちは踊り踊る、7つぐらいのベールをまとって」
  • それぞれが欲しいものを手に入れたい、手に入れる「I need」
  • 短大生(松尾音音)と准教授、これからの未来、ここまでの過去。知って経験したから踏み出せなくなる、若い時の最強さ「私とワタシの会話」
  • 「curtain call / prologue」

嫌な目にも怖い目にも会いながら手に入れたいものを半ば意地になって手に入れようとした「サロメ」を女と物語に登場する食事、皿をモチーフに、19歳から40歳という設定の12人の女たちの、手にしたキャリアや生活と手に入れたいもののさまざまなせめぎあいのグラデーションを描きます。骨格となるのは「I am サロメ」と題された4本など、それぞれのキャラクタの背景を描く小品。それは見た目や結婚していないこと、子供がいないこと、男に勝っていること、奔放であることなど何かが欠けていると感じる女たちの姿。「ディバイジング」と呼ぶ長い集団創作の期間を経てつくられたものらしく、それはさまざまで実にステロタイプなものもあるし、今っぽいものもあるし、あるいは程度の差があってもみんなが持っているものだったりもして。

細かい物語をスムーズにつなぐ構成は美しく、ショーケースのようにさまざまな生き方と悩みが目の前を通り過ぎるのです。ときにコミカルで情けなかったり、ときに空回りしたり、あるいはやけにツンケンといけ好かない感じなどさまざまなテイストあれど、ダンスを交えていることもあって、その全てが眩しいぐらいに生き生きと繰り広げられるのです。現在の女性たちが感じるいろんな圧力へ耐えたり抗ったり打ち破ろうとする力の力強さゆえなのだけど、よく考えると、言っていること自体がそう斬新に新しいわけではなく、つまりは社会の変化があまりにも遅いという現実に愕然とするのです。

妊娠出産のタイムリミット感をジリジリと焦らせるリズムの緊迫感をまとう「〜7つぐらいのベールをまとって」はもちろん多くの芝居で描かれる感覚だけれど、その先、閉経に至っても女でありつづけそれは一生続くのだときちんと向き合って宣言まで言い切る力強さが実に格好いい。 「I need」は皿とライトで食事をモチーフにしたダンスというかインスタレーションというか。向き合う俳優たちが並び舞台を斜めに一列になるシーン、コの字型の客席の角にたまたま座ったワタシからはそれが一直線に見え、ライトが手前から消され、奥に残るというシーンが実に美しく強烈な印象なのです。あるいは皿と洋服で人形のような二人を演じる「女の人生すごろく」はステロタイプでコミカルで楽しい。

去年の二本立てのひとつ「Closet」(1)から地続きで女たちを描く今作、必ずしも対立の構造ではなくて、いろんな生き方をありのままに、という今作、現在の女性たちの感覚を瑞々しく切り取っていると感じるワタシです。

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2019.07.22

【芝居】「バー・ミラクル(Sweet)」feblabo

2019.7.7 18:00 [CoRich]

110分。DryとSweetの二本立てで8日までシアターミラクル。ワンドリンク付き、全席にささやかながらグラス置き場が設えられているのが嬉しい。

開店前日の店、ビルオーナーの先輩の女と店主である後輩の男。準備をしているところに、ここの前の店主を訪ねる女がやってくる。突然閉店して連絡が取れなくなったことを寂しく思っている。「キール・カーディナル」(作・NOMU)
魔法少女バーの開店前、雇わえたアルバイト三人が集められる。魔法少女になりたいことが条件で、店主はその覚悟を訊く。「夢見る少女でイタくない?」(荒井ミサ)
降霊術をつかう巫女が店主の和風バー、想いを残した死者と会話し成仏に導く。ある日、不幸な事故で亡くなった女が恋心を抱いていた女を忘れられず亡霊となっている女が訪れる。「モーニング・グローリー・フィズ」(ダーハナ)
恋人同士の男女だが、男が女を好きすぎて自分も仕事もないがしろにしていることを危惧して女は別れを告げ、二人はパパ活の関係を続ける。その関係でも二人は会いつづける。「エモくてごめんね」(大逗恭弘)

若い作家の作品を池田智哉が若い役者で演出する、というスタイルのオムニバス。スイートと名付けられてはいても、決して甘ったるくはない4本。

「キール〜」は会えなくなった前の店主への想いを募らせる女に対して、店に残っていたというラジカセとCDを読み解いて前の店主が女に想いを持っていた、と投げかける優しい嘘の話(なるほど、カクテル言葉..)。曲名と名前を紐付けるなどしても、そもそもCDだって今の店主が持ち込んだものだし、というオチは実にあっさり。凝ってはいないけど超短編ゆえの爽やかさを残します。

「夢見る〜」は、魔法少女という夢を持ち続ける女たち、店主はそれを求めながらも厳しさを説いて。努力だったり特別だと思い込む力だったり、変わりたいと思う気持ちだったりがその夢の原動力。夢見る少女のままで「居たい」と「イタい」がかかるようなタイトルがちょっと巧い。キャラクタを極端に振ることでコントラストが面白くなる反面、短い時間ではキャラなのか本心なのかが少々わかりにくくなりがちな気も。

「モーニング〜」は、実らぬ悲愛を抱える二人の女というシリアスめに描く過去と、降霊バーを訪れた亡霊をバーテンダーが優しく包み込むややコミカルめの現在という二つの時間を描きます。二つの場面の前後関係がわかるまでは少々戸惑うし、死んだ女は同じ役者で、生き残った一人を二つの時点で京子・キョウコとして別々の役者になるのは、もちろん構造の面白さのための意図的に狙ったものではあると思うものの、ちょっと違和感を感じるワタシですが、短い時間の中で構造を作ろうとした心意気。

「エモくて〜」は好き合っているのにパパ活の関係、つまり金銭と愛情表現の交換という関係を選んだ男女の物語。恋する関係は人それぞれ、傍から見ればおかしいとしか思えなくても成立してる二人、というちょっといい話をコミカルに描いている、と思いきや、終盤女には恋人がいて、その二人の関係もまたママ活という逆転になっている、とウッチャるのは、なるほどとは思いつつも、必ずしもオチとしてうまく機能してない感じを受けるワタシです。

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2019.07.18

【芝居】「バー・ミラクル(Dry)」feblabo

2019.7.6 20:00 [CoRich]

若い作家の作品を池田智哉が演出するショーケース企画。休憩はさみドリンク付きで100分。DryとSweetの二本立てで8日までシアターミラクル。

縛られた男が目覚めると、殴り殺された男とバーテンダー。何が起きたか覚えていない。オーナーが現れ何が起きたかを「悪魔のかいせつ」(作・萩原達郎)
離婚を切り出す夫、自分の浮気が原因だというが妻は信じない。両方の友人であるバーテンダーが遠くから見ている。本当のことを言い出せない男たち「嘘つきな唇は、たぶんライムとジンの味。」(作・いちかわとも)
忙しすぎて文句を言うアルバイトの女、ぶち殺したいと呟くと頭のなかに「力を与えよう」という声が響く。囁いた悪魔は徳を積み天使になりたいという「力が欲しいか」(作・高村颯志)

ちょっとほろ苦い3本で上演。「悪魔の〜」は、物語としては、バーテンダーの女と客の男がいちゃついているのが気に入らない男が殴り殺し、オーナーがそれを見つけて縛った、という流れなのだけど、男のメタ視点のモノローグが大量にあり、ぐるぐるとかき回されるよう。サスペンスめいている雰囲気だけど謎解きがあったのかなかったのか、それをチャラにするように踊って終わるというのは潔い。男を演じた金田一央紀はちょっと拗らせてそうな雰囲気と、メタ語り口の強さが力。

「嘘つきな〜」は不妊に悩む夫が妻を想い離婚を切り出すが、妻は信じない、が嘘を突き通すというのが物語の骨子。それを見つめるバーテンダーは古くからの友人で何かを言いかけて飲み込んだりを繰り返す。越路吹雪が一つのキーワードで、バーテンダーがゲイでそれを言い出せないまま、彼もまた嘘を突き通したと読むワタシで、シンプルな3人の芝居なのにその奥行に驚くのです。

「力が〜」は毒づいた女に力が欲しいかと囁く悪魔、でもそういうのいらないからと女が取り合わない噛み合わなさ。普通なら力が欲しくて悪魔と取引するというパワーバランスなのに、それが逆転して天使になるために徳を積みたい悪魔が頼み込んで力を与えたいという楽しさ。次のアルバイトはやたらに悪魔に詳しく滅ぼす力が欲しい、とストンと落とすのも楽しい。

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【芝居】「人魚姫」ノックスノックス

2019.6.29 18:00 [CoRich]

休憩15分挟み135分。6月30日まで、すみだパークスタジオ倉。

旅をする老婆と少年。物語をせがむ少年に老婆が昔話を語る。
かつては人と人魚が共存していたが、海を汚し人魚の姿が消えてしまった時代。大きな戦争が起きていて水を争っていたが、人里はなれたその村では貧しいながら日々を暮らしていた。村で唯一の金持ちの家族が手に入れたのは、居なくなったはずの人魚だった。人魚は魔法が使え、それを狙った追っ手もやってくる。

舞台には実際の植物を大量に設え、小規模ながら生演奏による音楽や歌を重ねながらの上演。童話のような世界を「ホンモノ」の質感によって支えて描く物語。人魚に憧れて逃がし匿う娘と母親やともに暮らすネズミやカラスたちとともにしばしの自由を手に入れるが、やがて魔法を狙う武器商人の魔の手が、という童話のようなスタイル。その娘が年月を経て旅をする老婆に繋がるというのはわりと早々に分かる話ではあるけれど、果てしなく長い時間を奥行き深くみせるようになっているのです。

あるいは水槽を介した幻灯の演出は水滴や色の拡散が独特の表現を生み出します。

ネズミ・カラスを一人の俳優が両手に付けたパペットを操りながら掛け合いをするテンポの良さ。まあパペットマペットという前例はあるわけですが。きちんと声色を使い分ける力は、声優でもある藤谷みきの本領が存分に。人魚と娘を抱きしめるシーンの美しさ。人魚を演じた蓮城まことは圧倒的な存在感と歌声の美しさ。母親を演じた舘智子の肝っ玉っぷりも楽しい。逃げてきた兵士を演じた古澤光徳は実直で私達の世界から地続きを担保するリアリティ。金持ちの夫妻を演じた小林至、八代進一やなぞの老人を演じた村上哲也、武器商人を演じた林周一の振り切ったデフォルメは童話世界っぽく。

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2019.07.13

【芝居】「methods」山の手事情社

2019.6.23 18:00 [CoRich]

山の手事情社の35周年記念のイベント的位置付け、自分たちのメソッドで組み上げるアラカルト的な公演。チェーホフ原作の「過妄女(かもめ)」と組み合わせ二週にわたり公演ですが、ワタシはこちらだけ。元劇団員の清水宏がゲスト出演。100分。24日までスズナリ。

(1)清水宏が自分が居た頃の劇団を熱く語る「あの頃山の手事情社」
(2)リズム、アップ、プレイ、アクト、ムーブのバリエーション「ルパム」「ルパム歩行」
(3) まわりで見かけた無名の人々、電気屋の店員、極楽に行きたい人、子だくさんの母親「ものまね」
(4) シチュエーションを決めたフリーエチュード。「グッと来る」瞬間はどんな感じか。食事する風景のご飯粒、玄関で靴紐を結ぶときに傘を女の手にかける、運動部の先輩を応援する女にポースを決める、夜の公演できょろきょろ挙動不審、失敗した新人と一緒に収拾にあたる上司など
(5) そこに演出家めいた男が現れて、めちゃくちゃな芝居を口立てで伝えていく「」
(6) マリーアントワネットの生まれ変わりの女、婚活でちょっとウザい男、一人暮らしで部屋に戻ると「ものまね」
(7) 前半で観客から受けたお題で短編を作る「ショートストーリーズ」。 お題は「仮面ライダー、7:50、ストロベリームーン」。ボウリング場で母を看取った妹と恋人を連れてきた姉、オフィスで前向きっぽく見えるが影では悪口ばかり、浮気された女を励ます心の中の女。
(8) ルパム

清水宏の圧倒的なパワーの(1)、まさにスタンドアップコメディで熱くて、わけのわからないものであれ、という無茶振りなど狂った演出家の現場を面白おかしく。

ルパム(2)(9)と言う言葉は山の手事情社ではよく目にしていたけれど、その意味を実は初めて知った今回。美しく、いわゆるダンスとは違うけれど、ある種の幾何学的だったりちょっとしたマスゲームのような美しさ。 ものまね(3)(6)は、ほんとうにそういう人が居るかどうかよりは、「居そうか」という説得力がすべて。普通にやっても面白くはなりづらく、切実すぎても見世物にしづらく、かといって面白おかしくデフォルメしすぎると、描いている人物への敬意が失われ途端に不愉快に見えてしまったりする微妙さがあって、そのバランスがとても難しく。正直今回の中でもバランスを欠いて感じられるものも。久々に舞台で拝見した水寄真弓の当たり役、キャサリーヌは懐かしく、彼女が演じたマリー・アントワネットの生まれ変わりと信じてる女はさすがの見応えの面白さ。

フリーエチュード(4)はワタシがよく見て居た頃も時々目にしていたもので、大喜利のような瞬発力の面白さ。一種のゲームでもあるので、参加者が互いに面白がり、悔しがる素振りもふくめての楽しさ。

それから続く(5)は清水宏が口立てでセリフと演出をつけていく、一見めちゃくちゃに見えて、しかしそれ全体を通して見せる役者たちの技量。まあそれも全部作り込まれてる可能性もなくはないですが。清水宏のキチガイ演出家といえば20周年のときのjamを思い出すワタシです。「チーズのようなパンツを履いて、僕は一人」というセリフはどこかで聞いた朝日風で凛々しくかっこよく楽しい。

ショートストーリーズ(7)はお題でしばらく時間をかけてつくる、セリフの中に入っていればいいのかとかちょっとルールがゆるい感じはあるけれど楽しく。短い時間なのに、ボウリング場で母を看取った妹と恋人を連れてきた姉の落差を描く一本の見応え。

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2019.07.11

【芝居】「機械と音楽」serial number

2019.6.16 15:00 [CoRich]

風琴工房時代に二度の上演( 1 )、serial numberとなってパワーアップされた三演。140分。18日まで吉祥寺シアター。

モスクワで建築を学ぶ男。共産主義の体現のため、直線や円を多用したロシア構成主義で突出した才能で多くのデザインや模型を発表していく。同僚の女性や数学の才能に秀でた友人たちそれぞれ建築を志していく。共産主義の変容とともに、求められる建築の姿も変わっていく。

実在の建築家・イワン・レオニドフを主役に、周囲の同僚や先人達、共産主義を理想と信じ、その体現のためのロシア構成主義の中心となった人々を追いながらロシア革命の高まりとそれがスターリンの体制により変容する中での戸惑いを描きます。ワタシにとってそれほど馴染みのある題材ではなく、決して希望に満ちた明るい物語というわけでもないのですが、しかし、緩急のつけかた、舞台の美しさなど圧倒的な魅力を放つ舞台に。

2008年の上演では孤高の天才の物語と感じたワタシですが、今作は周りの人物の描写が変わったのか、あるいは役者の多様さゆえか、この時代の変容と理想に翻弄される人々の群像を描くようになったと感じるワタシです。

直線と円、力学的な意味のある線を一本一本引くことが、美しい建築物につながるという理想。対して人々の暮らしのありかたを極限まで最適化しようとする共産主義の理想が相似形になっていると今更気づくワタシです。理想の共産主義の暮らしの在り方は、家族で住むのではなく、男、女、子供と機能によって別れるということと、それを実現するために都市がデザインされるという真剣さとある種の冷たさの相克となる中盤は実にワクワクするのです。あるいは詩人を独占したいと告白する女もまた同じありようで、共産化の理想と「自分を共産化できない」という苦悩と。

イントレで組まれた舞台は美しく、とりわけオープニングで大きな旗を振り派手なパフォーマンスはとても格好いい。その高揚する感じは描かれる時代の中でもっとも人々が高揚した空気感、なるほど。 天才だが不遇な建築家を演じた田島亮はきっちりと真ん中に居続ける力。同僚を演じた二人、三浦透子は(当時の)女だが力強くありたいという熱い想いあるいは詩人を独占したいという共産化できなかったという想いの複雑な人物を丁寧に。数学に強い田中穂先はコミカルさで緩急をしっかり、奥行きのある人物を造形して見応え。共産主義なのに自分の家を建てた男を演じた浅野雅博は人間臭さ、しかし心の中にあるしっかりした芯が見える力。

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2019.07.06

【芝居】「プラヌラ」Moratorium Pants(モラパン)

2019.6.15 18:00 [CoRich]

95分。6月15日が千秋楽。

大人にならなきゃと考え、カラダは元気だが水泳部をやめ学校に行けなくなった女子高生は家に引きこもり心療内科にかかっている。同級生たちは事故で泳げなくなったり、あるいはアルバイト先の大学生と恋人になっていたりと徐々にいろいろ変わりつつ。男子高校生達はまだ子供っぽい。

舞台中央にアクリルの水槽、開場時間からそこをフラフラとただよう女子高生。劇中に出てくるけれど、クラゲは大人でもプランクトンで、その幼生がタイトルのプラヌラで、漂うように生きる大人になりかけの高校生たちを描きます。

大人にならなければと焦る気持ちだけど、学校に行けないことだったり、あるいは水泳に打ち込んでいたのに事故でそれが叶わなくなるのに同級生がカラダはなんともないのに水泳を辞めてしまうことだったり、大学生の恋人ができた女子高生のちょっと背伸びした感じだったり。大人になるということはそれぞれがもつ変数が増えて生き方が分化していくということなのだなという視点。それは成長ではあるけれど、群生から一人になっていくということでもあってどこか寂しさをたたえるよう。

対して男子高校たちの描き方は、トイレに靴を落として大騒ぎという具合で少々幼い感じなのが微笑ましいし、なんかそれっぽいコントラスト。学校にいけなくなった女子高生が幼なじみの男とかつてあるいた運河で久しぶりに再会し、死んでもいいとすら考えていた瀬戸際から引き戻され、前向きに歩み始める終幕は、ごく小さいものだけれど、希望がきちんと見えるのです。

スタイリッシュで、あまりに若く眩しくて、もはやワタシには思い出せないぐらい遠い世界の話とも感じるけれど、いわゆる高校演劇で描くのとはちょっと違う視点に感じられます。ジュブナイルよりは少し上、ハイティーンのこの世代をこういう「等身大」を描くというのは実はあまり見かけない新鮮さがあります。が、まあこの手のものにあまり自分が触れてないだけ、という気がしないでもありませんが。

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2019.07.02

【芝居】「アミとナミ」桃唄309

2019.6.15 14:00 [CoRich]

115分。16日まで、座・高円寺。

大学の頃の友達がいつのまにか妻と別居し孤独死してから墓参を続けている。3人しか来なかった10年目、妻から渡された一冊のノートは詩のようなもの、人の言葉や情景などが綴られていた。忘れたりもしていても、どこか気になっている友人たちはそれぞれにコピーをもち。3人にまぎれて人間界での修行をするタヌキもコピーを手に入れる。
神社の中にあるカフェに集う人々、ハンセン病についてノートに書かれた言葉をさまざまに調べたり読んだり、あるいは感じた言葉を追加したり、記念館や療養所を見学に訪れたりする日々を送る。

ここ数年、ハンセン病を扱う作家のライフワーク的なシリーズ。これまでの二本( 1, 2)では演劇の作り手自身の視点から、興味を持って目にして、影響を受ける人々と、その時代に起きていたことを描きましたが、今作は亡くなった友人が興味を持っていたハンセン病について、そのメモを手にした友人たちを中心に、現在を生きる人々を描くようになっています。このアングルもまた過去に思いを馳せる人々の話。もちろん厳しい現実の物語も。井深八重の日記によるものだと思いますが、土蔵に閉じ込められた娘の描写、当たり前が当たり前じゃないことはほんとうに悲しくて深刻で深いため息をつくのです。

そのノートを起点に調べたり、その時代を生きた人に話を聞く、あるいは井深八重(wikipedia)という史実などドキュメンタリーな要素を交えつつも、幽体離脱やタヌキの修行、カフェ自体が御神体といったファンタジーを自在に交える自由さ。楽屋のようにしつらえた舞台奥に役者たちが待機するなど、メタ的な視点も面白い。かと思えば「6次の隔たり」や「形態素解析」といった理系的な単語が現れるセリフもワタシはたのしくて。

女はこうあれという時代錯誤なタヌキ社会に嫌気がさすとか、配偶者を主人と呼ぶのはやめなさいといった、よりフラットにあろうとする視点。唐突な気もするけれど、よく考えてみたらハンセン病の患者が当たり前に対等に暮らせるようになることと実は同義だということに思いたるワタシです。

老人を演じた山口泰央がとてもいいのです。今は明るく暮らす年寄りの過去の壮絶な体験。それを「みやげ話、いい供養」というあっさりした感じで去っていく軽快さが実にいいのです。

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2019.07.01

【芝居】「garden」(初期作品記録映像上映+リーディング) スタジオソルト

2019.6.14 14:00 [CoRich]

劇団第三回公演の映像に役者による生のリーディングを組み合わせた企画公演。ワタシは初見です。60分。6月14日まで神奈川県立青少年センター・ホールHIKARI。

工務店の親方の家の裏庭。妻は再婚で連れごと一緒に暮らしている。若い社員は中卒で6年目だが勉強が苦手て未だに運転免許がとれない。アラブ人の写真はバブル期から長く務めなじんでいるが、じつはオーバーステイで安い給料で雇われている。ある日、大学講師の職を痴漢で失い父親の紹介でこの工務店で働くことにする。

前回と同様、初演時の映像に現在の役者で上演。リーディングとはいいながら、椅子や道具があったりして動きもついているのも同様。こちらが独特なのはおそらく初演時にはなかった役「山ノ井 史 」の存在で、物語に直接関係しないものの、このリーディングの発表者というか司会者のような立ち位置で登場しつつ、実は字幕をリアルタイムでパソコンで打って表示したり、花火の音を足踏み鳴らして出したり、あるいはパーティのための餃子を仕掛けたりと黒子のような役割。かつての所属俳優の顔をみる楽しさに加えて、過去の劇団の姿を現在から見つめる視点にも感じられるのです。

決して豊かとはいえないけれど少々がさつだが日々明るく仕事をしている人々。会社を兼ねる自宅の裏庭という場所で仕事終わりの息抜きだったり、会話の隙間だったり。楽しげに見える社員たちだが、そこにここで働くことになった場違いな男が交わることでゆらゆらと変化していきます。それはいままで喋れなかった自分のことや会社に対する不満など鬱屈する気持ち。新たに入った男も含めそれぞれの背景がたった80分弱の中で実に丁寧に描かれるのです。

半年ほどが過ぎ、新たな男も馴染んできた頃、それぞれの次のステップが見えてくるような終幕。大学に戻った男が免許に落ち続ける男にコツをまとめたノートを渡すとか、オーバーステイの外国人は半ば駆け落ちで帰国するとか(冗談めかして言う「日本は嫌い」という絶妙さ)、家を出ていた妻が再び戻ってきたり。変化しつつ、しかし皆はそれぞれに暮らしていく希望なのです。

ホールとしてホワイエを整備したHIKARI、その出口の先には長めの良いデッキ。横浜港の花火を観るにはちょっとつらい場所だけど、ホワイエ側で芝居して花火が混じったりしたらまた新たな魅力になりそうと夢想するワタシです。

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