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2019.06.26

【芝居】「4fish」ユニークポイント

2019.6.9 19:00 [CoRich]

75分。9日まで白子ノ劇場。

ある地域、4つの高校の演劇部教師4人。互いの作品を観た上で大会に進ませる一本を選ぶための会議。民話をもとにして創作した再演の人気作、戦争をしていたことも知らない生徒が日本の戦争を調べ物語として書き上げたもの、ラブコメっぽく面白くわかりやすいもの、ちょっと難しく敬遠されがちだけれど深いテーマを内包するものなどさまざま。それぞれの教師の思惑も混じり合って。

東西南北と付けられた高校、地元にはかつて同じように東西南北の地名を冠した高校があってという遊びも折り込み、私立校、進学校、伝統校、いわゆる底辺校という学校ごとのカラーと、それぞれの高校の作品の特性を組み合わせた四本の作品を順に生徒たちの感想と教師たちの話し合いというスタイルで進みます。どれも生徒の創作によるものでいわゆる「高校演劇」の典型っぽいいくつかのスタイルで、テキストを演じるという演劇そのものというよりは、生徒たちが歴史や社会の問題を調べ創作するという教育の側面も意識したものになっているあたりや、わかりやすいものが正義なのかということや、上演でのハプニングで生徒がどうなったかなど高校演劇にも詳しい作家のさまざまがきっちりと詰め込まれ。

これを高校生が作り、演じ、観るという物語をわかりやすく色付けされたそれぞれの高校のカラーを通して箱庭のように外から眺めて笑ってみるのは簡単です。が、それはわりと老若男女問わず、あるいは地方と東京というわけでもなく私たちの地続きの問題だとも思うのです。進学校のそれは東京でやたらと芝居を観て小難しい物語も面白がる(ふり、も含めて)ワタシに地続きだし、戦争すらも知らないけれど事実にきちんと向き合うということだったり、いわゆる伝統に乗っかって無難にやり過ごすという感覚だったり、派手でトレンディ(古いね)な物語が人気を博すということだったり。隣りにいる人々が自分と同じように世間をとらえているとは限らない、というバリエーションの今の日本の感じ。それでも、ちゃんとそれぞれに敬意を持って意見をやりとりする、ということの姿勢。人と人が向き合うということがこんなに美しく感じられる、ということはフィクションではあるけれど、現実がどれだけだめになってるかという裏返しで怖くなったりもするのです。

決して広くはない劇場、会議というシチュエーションなので仕方ないとはいえ、座ったらほぼ位置が変わらないので中央付近以外の席では顔が見づらいのは正直あるけれど、会話のという音声だけでもちゃんと面白いのは物語の力。新任の演劇部顧問を演じた古市裕貴は聞き手という立場でフラットに私たちに地続き。進学校の演劇部顧問を演じた山田愛は正しくあるべきという美しさ、融通の効かなさも含めて凛として。百周年を迎える学校の演劇部顧問を演じたナギケイスケは世俗につながる感じの気楽さ。いわゆる底辺校の演劇部顧問を演じた泉陽二はひたすら明るく、この場所でできる教育に向かい合う真摯さのキャラクタを。教師という軸があるおかげで、すくなくとも表面的には敬意をもって会話をするというフォーマットは穏やかできちんと会話ができる空間。これもなかなかできるとは限らない昨今を逆に感じ取ってしまうワタシです。

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2019.06.24

【芝居】「風の奪うとき」TOKYOハンバーグ

2019.6.8 19:00 [CoRich]

95分。9日まで「劇」小劇場。 ネット販売会社の地下倉庫、出入りの業者の男が検品し、ここの担当社員の女も一緒にいる。男は子供二人、女は妊娠していて結婚の予定があるなどの世間話をしていると、警報音につづいて大きな衝撃を受け、閉じ込められる。幸い倉庫に物資はたくさんあるが、何週間経っても、助けは訪れない。

「風が吹くとき」(wikipedia)にインスパイアされたらしく、おそらく壊滅した外界と隔てられた空間に生き残った男女二人。こちらは若い男女で、それぞれに家族が居るが連絡が取れないというシチュエーション。放射線に対する構えはしているものの、核兵器かどうか、あるいはその影響は明確には語られません。どちらかというと他人が隔絶した中でどう過ごしていくかという変化を描いているように思います。最初は危険を感じて動かず、臭いが気になったり、肉欲的な意味での寂しさ、外に出るための試行錯誤、あるいは外の状況を知っての絶望と、それでも外を目指すことを選択する二人。

「〜吹くとき」は明確に核戦争のあと生き残る人々に降りかかる悲劇を描いているけれど、こちらは男女の距離感の変化と希望を持つ終幕。叶えられないかもしれないという分を織り込んだとしても、若い男女の距離感の変化を描く舞台として核というアイテムがちょっと大きすぎるように感じるワタシですが、これはかなり人によって異なる意見になりそうな気はします。

愛情とはちょっと違うけれど、もしかしたら地球上にこの二人しか残っていないということをどこか自覚しているような空気感があるのは、この手の話として珍しい描き方。劇的な状況で悲しい気持ちはあってもなお、二人の関係は穏やかで実に優しい空気が描かれるのはやはり作家の持ち味かなとも思うのです。

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2019.06.21

【芝居】「妄想コピー / 父の声が聞こえない」螺旋階段

2019.6.8 15:00 [CoRich]

螺旋階段の過去作と新作を組み合わせて100分。9日までスタジオHIKARI。

父と仲違いし家を出て4年の男。従姉妹の結婚式で久々に家族にあったが、挨拶をした父親は声が出なくなっていてショックを受ける。「父の声が聞こえない」

人気小説家の兄弟。ヤクザをモデルにしたヒット作だが、モデルとなった男が自分だとバレると因縁をつけ、続編で全く別の人物になるようにその登場人物を書き直させようとする。男はいい人になりたい、刑事になりたいと無茶振りをする「妄想コピー」

新作となる「父〜」を先に上演。声が出なくなった父親の姿にショックを受ける息子、それでも父親が何を言おうとしているかは理解できて、結婚式では無様な「音」を出すけれど、家族の前では声を出さないという虚勢を張っていることに気づいた息子のさらなるショック。必ず自分より上にいたはずの父親が弱々しく、虚勢を張っているという事実の重さ。自分がいい歳になって親の老いにいつかは気づきショックを受けるのは誰にでもいつかは訪れるもの。落胆や仲直りをややはっきり言葉にしすぎる感じは否めないのだけれど、若い作家が若い観客に向けて(なんせ青少年センターだ)短編で描くというなかでは一つのやり方という気もします。ストレートにいい話を丁寧に描く目線の優しさ。

再演となる「妄想〜」は小説家兄弟を脅すヤクザが無茶振りの小説を書かせるけれど、それが徐々にいい人とか宇宙人とエスカレートしていく中で、小説の中の虚構と現実が溶けていく感覚。正直に言えば、起点となる「ヤクザの脅しで書いてる続編」だったり「いい人になりたいという欲求」などの設定がすぐには飲み込みづらい感じではあって、短編だからこそたぶんそれはもっとぶっ飛んで「そういう世界」を力技で押さえ込んで突っ走って欲しいところ。虚構と現実が溶けていって、居るはずのヤクザも、兄弟の兄も妄想の中の住人なのだという後半の怒涛のスリリングさが、かつてのSFショートショートのような味わい。現実の役者が演じるので妄想の中のものであることのコントラストが欲しい気はするし、前半にその不穏さが垣間見えてもいいかと思ったり、思わなかったり。口調の面白さ、短編だからこそのスピード感のあるコミカルさが持ち味なのです。

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2019.06.17

【芝居】「らぶゆ」KAKUTA

2019.6.2 18:00 [CoRich]

本公演としては約2年半の休止期間を経ての新作公演、初めての本多劇場。休憩挟み150分。

刑務所の受刑者だった男たち。そのうちの一人がひょんなことから福島の広い土地と空き家を相続することになった。そういえば刑務所の中でみんなから可愛がられていたまっすぐな男は、そんな田舎の土地でここの仲間たちと暮らしたいといっていたことを思い出す。それぞれが出所しそれぞれの暮らしをしていた。逮捕をきっかけに離婚し会うことも叶わなかった娘が突然家出してきた投資詐欺の男、通っているパチンコ屋の老女に何かと世話を焼いている模造薬の売人の男、恋人からの暴力と搾取から逃げてきたのは性転換手術を受けて女となった元受刑者たちの田舎暮らしが始まる。
その土地の隣では兄妹それぞれの夫婦、と親戚の女、フィリピン人で嫁いできたが今は離婚している女たちが農園を営んでいる。農家の経験がまったくないままの都会からの移住者たちと徐々にうちとけていく。

ここ十年ほどのKAKUTAはままならない大人たちのほろ苦さと生活の力強さとほろ苦さが同居する物語を描くようになってきていて、休止を経た新作は客演陣のパワーアップ、とりわけ役者の年齢と芝居の広がりにより物語の強度を更に手に入れたと思うのです。

ちょっとびっくりするほどのバラエティに飛んだ、しかも決して少なくはない登場人物たちそれぞれに丁寧に物語を用意し群像劇として、「生きていくしかない人々」を細かく、時に豪快でコミカルに描いていきます。

東京の人々は犯罪によって歪んでしまった生活から徐々に立ち直る人々。基本的には凶悪ではなくて、何かのボタンの掛け違いが生んだ結果を償っている人物たちを描きます。それは思春期のすれ違いがちな親子、子を亡くし残された老女と見守る男、LGBTとそのまわりの人々、面倒をみていた老人から土地を相続した男など、びっくりするほどのバラエティ。唯一回想シーンにしか登場しない自死した男はこの土地を夢見ていて結果としてこのバラバラな人々をゆるやかにつなぎとめる、というファンタジーを交えつつフィクションゆえの振り幅の見応え。

福島で生活する人々はこの場所で一族を率いなければならない男であったり、そこに半ば婿養子のように同居する立場が難しい妹の夫であったり、役所で文句言われながら働いている男であったり、望んでいた子供を生むことができなかったり田舎に馴染めない女、いわゆるフィリピン妻、修道士を辞めることになって流れてきた女であったりと、代わり映えしない日々の生活の中での閉塞感を感じている人々。東京の人々のある種の派手なバラエティとはことなる、いわばミクロな視点でのバラエティ。その2つの視点の人々を物語の中で同居させピントを両方に切り替えながら描く奥行きの深さの見応えは、もう十分に実力のあるKAKUTAが更にステージを上げたと感じさせるに十分なのです。

生きる人々を丁寧に描き、最初はぎこちなかった人々がなんとか回り始めたかと思ったころにこの「都会もん」の正体が明らかになりそうになったところで、舞台はもう一つの不穏さをまといます。311という特異な事象を物語に持ち込むことは、ここまで広げまくった物語を一瞬で転換するという機能があるにしても、時間があるていど経った今だからこそなおさら相当に繊細な問題で、正直に言えば少々強すぎる現実を持ち込むことに多少の違和感を感じるワタシです。それでも、この転換点が生きていこうという意思が強調されるようにも思うし、意図的ではないにせよ、ここまで続いてきたユートピアがこの人々の過去がバレて糾弾され人の手で壊されるよりも、災害とはいえ大きな力で壊され、事情をしってもなお互助する人間らしさを残しつつこの場所がゆるやかに解体されたということに安堵する自分を発見したりもするのです。

パチンコにふける老女を演じた松金よね子は子をなくして時間を持て余す悲しさをきっぷの良さで隠す奥行き。その女を気にかける男を演じたみのすけは軽薄にみえて贖罪の気持ちの芽生えのグラデーション、その気持を受け止める元修道士を演じた異儀田夏葉は、母なるということばがぴったりの包み込む広さをきっちりと。娘を持て余す父親を演じた小須田康人は不器用さが勝る造形で人物を作り印象的。フィリピン妻を演じた桑原裕子は少々飛び道具な感あれど、悲しさも慈悲も兼ね備えつつ劇団の復活の祝祭感すら感じさせるのです。

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2019.06.16

【イベント】「さくらと、私と、黒し雫」」(月いちリーディング 2019/6)劇作家協会

2019.6.1 18:00 [CoRich]

リーディング本編60分の上演を含み、全体で3時間ほど。

ルームシェアしている風俗嬢二人。男に捨てられ同僚の家で暮らすようになって二年目の日。

二人の風俗嬢。家主の一人は離婚し子供も亡くしていて風俗の道に。若い一人は親から捨てられ自分はヒトから必要とされていないという感覚でセックス依存だけれど風俗に来てそれがなくてもいいという客に感激しという二人。それぞれの背景が徐々に露わになっていき、片方の婚約者がもう一人の離婚した元夫で、しかも婚約した女の名前が亡き娘の名前など、少々都合が良すぎる感はあるものの、開示のタイミングが巧いのか、それほど気になる感じでもありません。もっとも、その関係が露わになることによって二人の人物や関係がどう変化していくのか、ということこそが観たい、というワタシの感覚では少しそこが物足りさを感じます。

上演後のディスカッションでは、出逢わない筈のふたりが出会い変化するというバディものと類型化したり、登場人物の出捌けは残った人物が何をいうか関係がどう変化するかを描くことが機能なのだというゲストのコメントが面白く、月いちリーディングの贅沢さ。

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2019.06.14

【芝居】「父の骨」(初期作品記録映像上映+リーディング) スタジオソルト

2019.5.31 19:30 [CoRich]

劇団旗揚げ公演(未見)の映像に役者による生のリーディングを組み合わせた企画公演。60分。31日まで神奈川県立青少年センター・ホールHIKARI。出入り口が変わり、ホワイエのように使える場所が設定されるようになりました。

三兄弟の父親が亡くなった葬儀のあと。二人きりで同居していたが引きこもりの長男にかわり、喪主をつとめた次男は水商売で働きそこそこ成功してる次男、高校を中退し清掃業をしているがもっといい仕事につきたい三男の二人は、家を出て父親とも没交渉だった。長男をサポートするボランティアの男が時々出入りしている。

父の葬儀で久々に会った三兄弟。引きこもりの長男とサポートするボランティア、そこそこ成功している次男、日々に不満のある三男という四人の男たちで描かれる物語。子どもの頃の「いじめられる側」「いじめる側」が尾を引き中年になっても引きこもったままあの頃からあまり進歩していなかったり、あるいはそれを克服したり。なんとか社会には出ているけれど学歴を得なかったことをここで後悔し選び直したいと考えたり。年齢を重ねても過去の何かが尾を引き前に進みづらい悩みや行きづらさを描く前半から、あの頃に恋心を抱いていた「まんじゅう屋のマリちゃん」が離婚し出戻って地元にいて、さらにこの家にやってくることになります。年齢を重ねて置き去りになっていたと感じていた彼らが、些細な恋心でざわつき、もしかしたらやっと前に進めるかも知れないという幕切れは、少しの希望が見え隠れするのです。「青少年」向きというよりは中年の心に届く物語。

母親を「あのヒト」と呼ぶ関係性、「はりつけ」とよばれるイジメの現場でいじめられていた長男とボランディア、いじめる側に立っていた次男というなかば捻れた関係など、60分はぎゅっと濃密な時間なのです。

初期作品を映像で映し、時に早送りしたり微妙に停止させたりしつつ、役者は手に台本を持ってはいても動きもついていて単なるアフレコにならないような工夫が楽しい。映像は決して鮮明なものではないあたりが時代を感じさせたりはしつつも、今は劇団に居ない役者の懐かしい姿を目にしたり、初演時の役者に対する「本人割」を設定し当時の役者を久々に客席で見かけたりと、勝手にワタシの中で同窓会的楽しさを感じたりもするのです。

引きこもった長男を演じた野比隆彦、ここ数作の役の広がりで楽しみに。次男を演じた浅生礼史はちょいとばかり乱暴だけどちゃんと年齢なりに成長した男の姿、じつはちょっと珍しい役と感じるワタシです。

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【芝居】「カケコミウッタエ」日本のラジオ

2019.5.25 19:00 [CoRich]

太宰治の「駆込み訴え」(wikipedia)をモチーフにした物語、105分。有償パンフには青空文庫版と今作両方の戯曲を掲載してボリュームがあります。2日まで三鷹市芸術文化センター・星のホール。

巻き込まれるように「健康道場」という集会。「おひかりさま」を信じ、集まった人々は自分の話を皆で聴いて自分を高めている。 物見遊山で参加している女、まきこまれるように知り合いの男もイヤイヤながら参加している。

魅力的だと思った相手に尽くし尽くしつづけたのに報われず裏切り者と呼ばれてしまったユダの独白で綴られた原作を現代の男女に置き換え、相手のことを周囲の人々がみな信奉して言葉に出しているのに、相手に対する行為も疑問も口にすることなく内面でどんどん「拗らせて」いってしまう自分の心持ちの変化を描きます。元々は一人称独白ですが、それを周囲の人々も含めた群像劇に投影するというスタイルは独特の面白さを醸すのです。

聖書に明るくないワタシです。合コン相手のヤンキー兄妹、あるいはこの男に好意を寄せている姉妹、地方議員やそれを信奉しのめりこむ男など、聖書に現れる誰かなのかはよくわからないのですが、それでも魅力的で人間臭い人々の群像劇の面白さもきちんと描かれていて楽しいのです。

最近の「星のホール」では珍しく、客席はごく緩やかな傾斜のみ。いっぽうで緞帳を半分以上下げたままで奥行きを制限し、幕の前に組み上げた舞台を使うというスタイル。天井がほんとうに高くスカスカになりがちな空間なのだけど、幕を下ろしておくというワンアイディアで密度が上がる、というのは新鮮な驚きでもあるのです。

魅力的な女を演じた宝保里実、奔放で人々を引きつける人垂らしの説得力。裏切った男を演じたフジタタイセイは久々に拝見するけれど、内面の困惑から憤り、拗らせ方など物語の芯を貫きます。ヤンキー兄妹を演じた岡野康弘・豊田可奈子はスジを通すことを何より重んじる人物をコミカルに。道場主宰を演じた安東信助の脱力したようなしかし真摯でありつづける人物なのに微妙に怪しい造形が楽しい。この道場で交わされる「やっとるか」「やっとるぞ」「がんばれよ」「よしきた。」という一連の挨拶はちょっと癖になるワタシです。

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2019.06.10

【芝居】「じぶんのことでせいいっぱい」菅間馬鈴薯堂

2019.5.25 15:30 [CoRich]

75分。ワンズスタジオ。戯曲が公開されており、過去作もきちんとアーカイブされています。

西日暮里駅を見下ろす公園、夜な夜な集まってダンスを練習する老若男女。そのうちの一人の老女には願いがあって、お世話になった今は亡きあの人にもう一度会いたい。神社の石をいれかえたりする言い伝えなど、いろいろ試してはいるが。終電後の駅に忍び込んで落書きをすれば出会えると信じた老女は、ある夜それを決行する。

若くはない役者も含めて激しいダンスを交えて、しかし スケッチのような小さなシーンの積み重ねます。一見バラバラで繋がりがないけれど、ダンスに集う人々、市井の冴えない人々の人間臭い姿、恋心、人への想いなどが積み上がります。これら一連のシーンとは全く異質、戦時中満州に一人行くことを決めた夫と残る妻がわずかな配給を積み立てて鶏鍋屋に向かう間の二人を描くシーンが重なります。老婆が満州で身を守るために借りられていた子供、そのひとなのだとわかるのです。

歳を重ねてもダンスで元気いっぱい、仲間もたくさん居るし、仕事も続けているけれど、人生の残りも少なくなり始めた年齢に至り、これまでの自分の人生を振り返ろうという気持ち。

あるいはこれが最後の別れかもしれないと考えた夫婦の鶏鍋屋へのみちみちち、あるいは帰国して数年ぶりに再会するふたりのことと現代。2つの時代を行き来しながら描かれる物語の奥行きの広がりがとても大きいのです。

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2019.06.05

【ミュージカル】「Ukiyo Hotel(トライアウト)」Ukiyo Hotel Project

2019.5.24 19:00 [CoRich]

作家・河田唱子がさまざまに形を変えながら上演を続けている、横浜の娼婦・メリケンお浜を題材にした物語。来年のミュージカル上演に向けてのトライアウト。鮮やかなweb版パンフレットもカッコいい。

100年前にあった娼館、ウキヨホテル。漁村で生まれ子供の頃から男たちの目を集めていた少女は村を出て行こうと考えている。外国人に買われ、暴力を振るわれていたある日、主人を銃で撃ってしまう。野心を持った男と出会い、娼館を開き、自身は看板となっていく。身の回りの世話をする少女は海で入水自殺をしようとしているところを止められ雇われる。 更に大きく評判を取ろうと考えた男は、作家を呼びさらにエログロを打ち出して行く女自身はそれをどうとも思わないが、メイドの女は違和感を感じて娼館を辞め新聞記者になったある日、ウキヨホテルで「性の決闘」が開かれることを知る。

実在した「キヨホテル」をモチーフにしたフィクション劇画「淫花伝・本牧お浜」を再構成して舞台化、という触れ込み。作家はこのキヨホテルをめぐる舞台を、 2015年の短編2017年のレビューショーミュージカル2018年の朗読劇 などさまざまな視点で描いてきました。もはや作家のライフワークといってもいいかもしれません。今作は2020年に長編ミュージカルという新たな挑戦のトライアウトと位置づけられます。

100年前の出来事、現在生きる老婆が思い出す当時の人々が死者が蘇るがごことく繰り広げるミュージカル。ショーあり心情を歌い上げる曲もありと、セットこそシンプルですが、試験版というわりにかなり本格的な仕上がりになっています。

描く舞台によって、お浜の人物そのもの、あるいはまわりの人々もかなり違うように描かれていて、実際のところ実在のお浜やキヨホテルなどのいくつかをモチーフにしているだけで創作がかなり入っているよう。それは今作が原作としてあげる劇画そのものもかなりフィクションのようで、史実の隙間を埋めると云うよりは史実とは異なったことも含めて物語を作り上げた、ということは念頭に置いておいたほうがよさそうに思います。

虐待を受ける少女が殺人とはいえ男に刃向かい、パートナーを得て娼館を立ち上げ、しかしエログロの波に狂気を持って、しかしあくまで他人から命じられたのではなく、すくなくとも自分の意思でその狂気に身を投じているというメリケンお浜。対比するように孤児院で育ち虐待を受け、メイドとして雇われることで救われ、新聞記者となることで女性の自立に目覚め、他の女性も救わなければならないと使命感に燃える女性・ヤエという二人の女性を軸にして物語がすすみます。

とりわけ、「女性の自立」は実際のところこの時代のものというよりはずっと現代的で私たちの視点に近いもの。過去の出来事を現在の視点で断罪することになりかねない危うさはあるものの、それでもこのウキヨホテルの一連のプロジェクトの中では初めて取り入れることで、この物語を今の私たちの時代と地続きのものとして描こうとする作家の意思を感じるワタシです。おそらくそういう女性は存在しないわけで、史実とその隙間を描く手法では得られない、「つくりものだから」こその可能性を感じるトライアウトなのです。

セリフの一つに「本当の歴史は残らない」というのがあって、エロなど世俗の取るに足らないと思われたものの中にこそ、その断片は隠れているという強いメッセージを勝手に感じ取るワタシです。それは現実の私たちの暮らしや歴史の動きがちゃんとアーカイブされないのではないかという昨今のワタシの絶望になんかリンクしたのかなと思ったり思わなかったり。

伝説の娼婦メリケンお浜を演じた関谷春子は美しく豊かな表情の見栄えと何もかもがピシッと決まるかっこよさ。メイドから記者になる進歩的な女性を演じ語り部も兼ねた野田久美子は老婆から少女、職業婦人と变化をきっちりと。ホテルのオーナーを演じた菊地創のキマったかっこよさと強烈な上昇志向のギラギラな感じ、もう一人の語り部を兼ねた車夫を演じた田中惇之は序盤から客席を急速に一体にしていく人懐っこさとパワーが魅力。

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2019.06.02

【芝居】「ナツヤスミ語辞典」キャラメルボックス

2019.5.19 18:00 [CoRich]

5月末で劇団の活動休止を発表したキャラメルボックス、結果的に活動休止まえ最後の一本。1989年初演の人気作、劇団員全員のアンケートにより一番再演したい作品の再演ということの意味を今更噛みしめる120分、26日まで俳優座劇場。劇団サイトでは戯曲(1,2)も公開されています。

足を骨折し役者の仕事に不安を感じている男。産休代用教師だった頃の教え子たちから夏休みに体験した不思議な出来事の手紙を受け取る。

携帯はなくフィルムカメラだからこその心霊現象が現れたりと明確に二昔まえの時代、登場人物の造形はくっきりと輪郭があり明確で、張った声で上演されるスタイルも小劇場ブームまっただ中という雰囲気を纏います。が、それは決して古くさいわけではなくて、当時の若かった作家自身を映すように、何物にもなれないかもしれない、時間だけはやたらにある「ナツヤスミ」という状態の焦りが色濃く、あふれ出すような気持ちが舞台を満たすのです。

コミカルで、ちょっとおしゃまで元気いっぱいな中学生女子という年齢感が絶妙で、今はまだ何物でもないけれど、何にでもなれる、未来には希望しかないという潑剌さがほんとうに眩しい。主役グループ、対してちょっと意地悪な感じのグループというシンプルな対立する構造も実に若い作りだけれど、年齢が行ってるワタシ、それがむしろ楽しかったり。「ナツヤスミ」状態の男とのコントラストが対照的なのです。何回かは拝見してはいるものの、スタンダードにストレートな上演は実は初体験。こんなにも面白かったか、と友人が興奮して喋るぐらい、本当に多幸感あふれるあの舞台は、もちろん物語のもともとの圧倒的な力、幅広い年齢が支えてきた劇団の役者やスタッフたちの結実が作り出したのか、とも思うのです。サンシャイン劇場ではなく、少しコンパクトな劇場という劇場の選択も今作のクオリティに対してはプラスに働いているように思うのです。

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