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2019.05.29

【芝居】「やまいだれにやまいだれ」久保と人間

2019.5.18 18:00 [CoRich]

活動休止中のクロムモリブデンの作演、アオキヒデキ名義で100分。19日までサンモールスタジオ。

夫にDVをでっち上げて離婚した女は脱獄囚を匿っている。元の夫が売れてテレビに出ているのが癪に障り、10代のアイドルとのスキャンダルを再びでっち上げようと目論む。悪いことを考えると生き生きするのだ。

犯罪をでっち上げようとする女と巻き込まれる元夫、悪いことを唆す脱獄囚、アイドルとストーカー男など、一癖どころか捻れて屈折しまくった人々。序盤こそ少々変わったぐらいの話だけれど、殺された男の網膜に残った残像で犯人がわかったり、といったぐあいに後半に向けて大量でしかもぶっ飛んだ情報が増えて世界がぱんぱんに膨らみきっていく、という世界を作り上げます。

実は脱獄囚といっていた男は再婚した夫だった、もしかしたらそれは妄想かもしれないと明確にはワタシにはわからなかったけれど、どちらにしても大人である二人が共依存しあってこの世界を作り上げているというすこし病的な、しかし哀しさも滲む構図なのです。

スキャンダルを起こすとワイドショーが殺到し、過去の配信作も配信停止、それはおかしいじゃないかというやや批判的な視線はここ数ヶ月の間にワタシも感じたこと。ちゃんと取り込むのも作家らしいのです。

必ずしも音響や照明の派手さがあるわけではないのだけれど、破綻しそうなギリギリのところを攻める物語とそれを作り上げる役者たちの力量。物語として決してすっとワタシの頭に入ってくるわけでは無いけれど、ドラッグのように癖になる、というのはまさに青木節。休止してしまった劇団だけれど、そのテイストの芝居をプロデュースし上演するということの愛情がほんとうに溢れているのです。

悪いことを考えるのが楽しい女を演じた松本紀保、人が良さそうに見えるルックスに対して考えることの酷さのギャップという面白さ。元夫を演じた村上航は汗だくで巻き込まれ困惑する感めいっぱい。アイドルを演じた國吉咲貴はこういう可愛いさ目一杯のいでたちは珍しく、それなのに喋り方がいつものとおり、ちょっともっさりというコントラストが楽しい。

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2019.05.27

【芝居】「死んだら流石に愛しく思え」MCR

2019.5.12 15:00 [CoRich]

115分。スズナリ。

金網とモノトーン、ちょっと不穏な雰囲気、中央に机があり、その幅で黒いカーペット状の帯が舞台奥から客席まで貫かれています。

2015年初演の初演からかなり手を加えたといいます。ワタシでもわかる変化点は、この猟奇的な夢を見ているのが男性から女性になっていること。自分はもう誰にも愛されないかもしれない、という不安は初演の中年のおじさんは優しいキャラクタではあっても、やはり哀しさを感じさせる造形になったのに比べて、若い女性が演じると、まったく違う意味合いを帯びるのです。初演がどうだったか覚えてないけれど、自分の中に発見した殺人鬼の影、それを他人に悟られたら、というややファンタジーめいた、しかしそれはいろんな要素で起こりうるな、とも思うのです。

初演と同様、連続殺人犯・ヘンリー・リー・ルーカスの話を下敷きに。母親からの虐待、それゆえに母親を殺してもなお自分の中から湧き上がる暴力、あるいは出所後に知り合ったもう一人のシリアルキラーや天使と呼ぶ女性の存在などの史実を巧みに織り込みます。そういう男の話を夢に見る女、自分の中に発見した殺人鬼ゆえに自分は愛し愛されて「普通に」生きていくことができないのだ、という苦悩という2つの階層で進む物語はインパクトと深い絶望で丁寧に描かれるのです。

終幕近く、大量のグレープフルーツを潰し、あるいは口にしたりというシーンが強烈な印象。人を殺しその肉体を切り刻み時に口にするというおぞましさと、目に見えている果物のみずみずしさや爽やかな香りとのギャップ、映像では作り得ないシーンの描き方なのです。

二人のシリアルキラーを演じた川島潤哉、奥田洋平はどこか対象的な二人のコントラストを鮮やかに。天使と呼ばれる女を演じた後藤飛鳥は初演同様の安定。夢に悩まされる女を演じた笠井幽夏子は初演とは性別が違う新たなキャラクタを物語に。

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2019.05.23

【芝居】「背中から四十分」渡辺源四郎商店

2019.5.5 19:00 [CoRich]

2004年、弘前劇場で初演、2006年に渡辺源四郎商店で再演(未見)されたものの三演。95分。青森のあとスズナリで6日まで。

海に近いホテル、男女二人の予約だが男が先に到着し案内される。女は遅れている。窓の下は海、時間を持て余した男は女が到着するまでの間、マッサージ師を呼ぶことにする。マッサージ師は来たがフロントや女将は心配でならない。マッサージが始まる。
男は自分のことを語る。妻の実家の精肉店を継いで最初はよかったが、ショッピングセンターやコンビニが打撃となり妻も娘も去って、自殺を考えネットで知り合った女と自殺を企てた今晩、女はおそらく来ない。
マッサージ師も夫に逃げられ、マッサージを覚え稼げるようになり、あるいは客を誘いさらに稼いでいる夜に子供が溺死していて、あるいは一緒に死んでもいい、と考える。

不躾で横柄な男性客、同室の女を待つ下心っぽさなど下世話な限りの序盤。単に時間つぶしのために呼んだマッサージ師は普通に丁寧に接客だけれど、他のスタッフが尋常でない心配の限り、マッサージが始まり、男がもうここで死のうとして、しかし待っている女も多分来ないことがわかり自暴自棄になっていること、あるいはマッサージ師の女も幾多の困難を乗り越えてきたけれど子供を失った失意。もう死んでもいいという二人が密室でいる時間、少ない言葉の中の濃密さ。

死のうとしていた男がマッサージを受け、居眠りをはじめ、女は一人飛び降りようとしているところを起きた男が呼び止める終盤のシーン。男は女の背中に触れマッサージを始める、背中に人の手が触れ温めていくことで死のうとしていた気持ちが生きようとすることに切り替わる体験、明確には云わないけれどそれを女にも施そうとするこのシーンはごくシンプルで象徴的。ぞくぞくとする瞬間を創り出すのです。

男性客を演じた斎籐歩は序盤の憎たらしい横柄さが徐々に溶けていくような造形。マッサージ師を演じた三上晴佳、看板女優の彼女がこういう積み重ねた人生という説得力を得るほどの年齢になったと感慨深く、しかもこの芝居きっかけに資格まで取得して、というのがかっこいい。

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2019.05.20

【芝居】「フェアウェル、ミスター・チャーリー」theater 045 syndicate × 820 製作所

2019.5.2 19:00 [CoRich]

130分。神奈川県立青少年センター HIKARI。5日まで。受付の位置が今までより奥でホワイエ的な場所もあり、出口の方向も変えられています。

かつてアメリカ人が監督し日本人のライターや役者で製作した映画はごく一部でカルトな人気があって、横浜の川沿いの寂れた映画館で上演されるものの、客はごく少ない。監督、ライター、役者の子供たちが偶然その映画館で出逢う。街ではカジノ都市構想を掲げた市長が人気を集め計画が進んでいて、映画館の場所は地上げの標的になっている。港にはカジノ船が停泊していて、そこにいる黒幕をつきとめるべく、若者達が向かう。

横浜・野毛界隈、大岡川沿いのジャックアンドベティを思わせる映画館などノスタルジー溢れるかつての横浜の猥雑な雰囲気。そこにカジノ誘致をめぐる行政や利権を巡る影をきっかけに、古い映画の関係者の子供たちが次の世代として、巻き込まれていく物語。

過去の映画とその子供たちを中心に、少しばかり探偵・濱マイクを思わせるハードボイルドな話かと思っていると、巻き込まれるように廃止されなかった東横線桜木町駅や伊勢佐木町の松坂屋が存在している、という並行する世界に迷い込んだ若者達がカジノ船に向かう、という中盤。終盤ではそのカジノ船での銃撃戦からの破滅的なラストへと。 街の雰囲気や過去への多大なリスペクトがこれでもかと詰め込まれ、たしかにその要素の多さで立ち上がるハマの雰囲気はとてもよいけれど、後半になって出てくる超弩級アクション大作のような情報がともかく多くて消化不良な印象で、精度がもうすこし、あるいは全体が整理されていてほしいワタシです。

映写技師を演じた今井勝法は熱い演技で走りきる。軍人を演じた中山朋文は冒頭の英語の台詞がカッコイイ。女優を演じた洞口加奈は凛とした美しさ、ホームレスや市長などいくつもの役を演じた佐々木覚の多彩な人物造型、城戸啓佑のタヌキオヤジ感の一癖二癖、千葉恵佑の突っ走る気持ち溢れる若さ。

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2019.05.16

【芝居】「舞い上がれ、レジャーシート」マチルダアパルトマン

2019.4.30 14:00 [CoRich]

65分。すむぞう外苑前スタジオ。5月12日まで「ばいびー、23区の恋人」と一ヶ月間の交互上演。

なかなか書けずに焦る作家の男を後輩たちが毎週ピクニックに誘いに来るが、トラウマがあって行く気にならない。居合わせた編集者はピクニックに誘われハマってしまう。作家の兄も口説いた女をピクニックに誘おうとしている。誘いに来ている後輩たちは男女で男が女に下心がある。いよいよなんとかしようと、「ピクニック師匠」を連れてくる。

ピクニックをめぐるトラウマを持つ男と、そのきっかけとなった「伝説のレジャーシート」を中心に、ピクニックに連れて行きたい人やピクニックに全てをつぎ込む人々、あるいはピクニックを口実に恋を成就させたいなど をめぐる物語、そこに恋心が絡んだりはするけれどじっさいのところかなりシュールで不条理な感じ。ピクニックに拘る人々しか出てこないし、ウチ一人は落とし穴を掘ることがピクニックの醍醐味だ誤解しているけど誰もそれを指摘しなかったり。ピクニックに連れてってくれるからその男と一緒に居るけどほんとうは別の男が好きだったり。ピクニック原理主義なのに、みんながバラバラなベクトルの評価軸なので何も交わらないのだけど、しかし彼らはそこにいて、楽しそう。

あまり物語が何かを解決したり物語ったりはしなくて、その多幸感すら感じさせる世界の人々を箱庭のように描くことこそが、池亀三太節のひとつの魅力なのです。

一ヶ月に及ぶ旗揚げ公演。ワタシが観た回の後には1Fで劇団会議を公開で行うというイベント付き。アルコールも提供されたりしつつ、残り期間をどう告知し集客に繋げていくか、とりわけイベントでどれだけ盛り上げていくか、というような会議を。イベントによって劇的に観客が増えるという気はあまりしないけれど、この場所にずっと一ヶ月滞在してやっていく、ということはアウトリーチの一つの在り方ではあって、試みとして面白いのです。

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【芝居】「ばいびー、23区の恋人」マチルダアパルトマン

2019.4.30 11:00 [CoRich]

65分。すむぞう外苑前スタジオ。5月12日まで「舞い上がれ、レジャーシート」と一ヶ月間の交互上演。

いろいろあってバイト先の金を持ち逃げして友達に借りて返したものの、その友達に促され二人で23区に一人づつ居る恋人に別れを告げる旅に出る。

僅か1時間ちょい、23区全てを回りはしますが、前半は背景を盛り込んだり手厚いので全て平等というつくりではありません。各区の雰囲気や名所を盛り込んでまあともかく23区すべて、沢山の恋人との別れで物語を紡ぐというロードムービー(舞台だけど)を女性のバディで描くというワンアイディア。

仕事が三日以上続かなかったり誕生日だったり、婚姻届を出そうと盛り上がっていたり、別れ話のあとでも漫画の貸し借りの話したり。時に人物はもはや描かずタワーやら名所を盛り込んでほぼスルーだったり、包丁を突きつけて縛り上げたりなヤバさなど緩急が短い上演時間にあっているのです。 恋人を一人の男性俳優が演じるというのは舞台の身軽さだけど、もし映像にすると、現実の23区の風景とともに、もしかしたら、これとはまったく別の魅力が出るようにも思います。けっこう使えそうなアイディアで、身の回りのごく狭い世界のことを、しかしよくわからないスケール感で描く面白さだし、まあロケもそれほど大変そうじゃないし。

さまざまあれどちゃんと別れていくプロセスがまさにバディ感、それが達成されてもあっさり、お腹空いたから食べに行こうという乾いた感じもどこかカッコイイ。

「致命的な貞操観念のゆるさ」というあおり文句、つまり友達と恋人の閾値がずいぶんと低い女、というある種のだらしなさだけれど色っぽさは物語自体は持ち込まなかったのは短く、カラッとした物語の仕上がりによくあっています。それなのに序盤で「バイト先でワタシが注文取ると必ずつゆだく、といわれる、という微妙なエロ」を言われることで、ちゃんとそういうことはあるのだ、と匂わせる人物造形にするのも巧い。演じた松本みゆきがその絶妙なバランスを背負います。突っ込むポジションとなるバディを演じた宍泥美の巻き込まれながらとことん付き合う親友な雰囲気がよくて。恋人たちを演じた池亀三太はどれも体温引くそうなのはご愛敬だけれど、必ずしも大騒ぎにしない、その別れのプロセスを描くと云うことには合ってる気がします。

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2019.05.14

【芝居】「ランチタイムセミナー」ジャブジャブサーキット

2019.4.27 18:30 [CoRich]

1997年初演作を22年振り再演。4月29日まで、スズナリ。105分。

武装グループに占拠された大使館。人質の拘留は長期間に及び、人質たちは持て余す時間を麻雀などについやしたり、勉強会のようなことをしたり。あるいは武装グループと会話を日常的に交わすようになっていた。外では突入による解決を図る計画が進んでいた。

1996年のペルー大使館占拠事件。初演時すでに大人だったワタシですが、当時じっさいのところ断片的な単語の覚えはあってもどういうことが起きていたかはあまりわかっていなかったワタシです。いまさらながらwikipediaの記載、あるいはきちんとアーカイブがあるまともだった時代の外務省のページを読み耽ると、大使館の中で人々がどうしていたかを丁寧に、しかし存分に想像力を働かせて史実の隙間を描いた物語だとわかるのです。 あくまで内側の視点、外で何が起きていたかは多くのアーカイブからわかるけれど、その情報が見えない内側で人々がどうしていたかを描くことに拘ることで、外側で起きている緊迫感とは明確に違う内側のどこかゆるやかな時間、突入によってその外側との緊迫感の落差が露わになることでその二つの時間の流れが同じ場所に並行してあったという事実を思い知るのです。

占拠していた側の殆どは亡くなり、一年後廃墟となったその場所で人質だった一人がそこに居た人々と不思議な時間があったことを思い出す終幕。明確にあのときに心が通じたような気がしたけれど、しかし立場の違いは明確に生死を分けたし、そこを埋めることは出来なかったという事実は冷酷に存在しているのです。

初演のころとは随分時代が変わりました。ネットなどのコミュニケーションの手段は格段に増え、テロはもっと先鋭的になりました。長期間の占拠と限られた外界との通信手段という条件の中、それゆえに成立したゆるやかな会話など、武装勢力と人質たちという敵対するはずの関係ですら真剣に向き合いコミュニケーションを図っていたのだということはある種牧歌的にすら感じられるのに、それをうらやましくすら感じてしまう自分をみつけるのです。それはあまり言葉を交わすことを真剣に向き合わないワタシも含めたイマドキ、私たちは進歩してるのだろうか、と思うのです。

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2019.05.07

【芝居】「気持ちいい穴の話」きらら

2019.4.20 16:00 [CoRich]

熊本、福岡での公演を経て21日まで王子小劇場。90分。

耳かきの店。不動産で鳴らした男が流れ店長になっているがこの店に長く勤めるアルバイトの女が店のことを手ほどきする。店の事務所に住み、オーナーの女だという噂も絶えない。若くはないが歳を偽って働く女、その女を指名して店に通いつめる客。

5人のごくコンパクトな座組でほぼ出ずっぱり、箱馬というシンプルな装置という、きららのスタイルは今作でも。不動産営業を居づらくなって辞めて短期の雇われ店長として働く男、長く働く女とのバディ感、彼らに限らず、年齢が高くてもここで働く女、入れあげて通い詰める高卒資格をとろうとしている中年男など。決して裕福ではなく社会の片隅でひっそりと暮らす人々を風俗ほどあからさまでもなく、とはいえ絶妙にグレーゾーンで片隅感あふれる場所を舞台に描き出します。

不動産営業で鳴らしたが一時の雇われとして店長になり、そしてやめていく男は、派手な外の世界から一時的にこの「片隅」に降り立ついわば外の視点でワタシたち観客に繋がります。この店に出入りする人々の世界はいわば格差からなる「箱庭」で、女たちはこの世界で折り合いを付けて生きていこうという感じのいっぽう、客の男は高卒資格を取り正社員への道を手に入れようとこの箱庭から出ていこうとしているけれど、別の客を殴ってしまいます。物語では警察が呼ばれるところまででどうなったかは描かれないけれどもしかしたら箱庭から出損なってしまったのかもしれません。あるいは元の外の世界に戻っていく店長をちょっと好きだったと女が囁くのも、この世界に引き留めようというふうでもあります。

物語で明確にそう語っているわけではありませんが、現在のワタシたちの地続きに確実にある格差のコントラストを描き、しかしそこに何かを声高に言い募るわけではなくて、実に淡々とそう生きる人々が居ることを、この小さな座組のシンプルな舞台で描くことは絶妙なさじ加減なのです。

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【芝居】「偽義経冥界歌」新感線

2019.4.20 12:30 [CoRich]

12:30 休憩25分を挟み3h35。大阪、金沢を経て21日までまつもと芸術館大ホール。来年、東京、福岡での公演も予定されています。

追われた源氏の子孫、牛若を匿う東北・奥美の国。丁重に扱われる立場をいいことにわがまま放題の牛若だが土地の人々が大切にしている先祖を祀る祠に火を放とうとして殺される。殺した男は成り代わり義経を名乗り源氏の元に向かうが嫡子ではないために冷たく扱われる。嫡子である次男が心優しく、跡継ぎと認められている。 義経は戦場に赴き源氏の将として戦果を上げるが、遠く奥美の父が謀反によって殺されたことを知り急いで故郷に向かうが義経自身も殺されてしまう。 巫女はこの土地を守りたいが、内部からの謀反、源氏の思惑により奥美は劣勢を強いられる中、大陸から渡ってきた女の歌声により義経が、そして先祖たちが次々に蘇る。奥美の国を守るよりも死者たちの支配を目論んで亡者たちは暴れる。

奥州の藤原三代記という史実を物語の起点に、義経が東北の一族の成り代わりだったとい歴史上の仮説(けっこうそういう説あるよう)を巧みに織り込み、やがて大陸からの女の哀悼の歌によって死者が蘇り、あるいは同じ歌によって世界を支配しようとする亡者から人々を守るというファンタジーで物語を紡ぎます。久しぶりの「回らない」新作の新感線、迫力あるチャンバラをスピード感あふれる展開で笑いも多く交えてド派手なエンタメという満足感を間違いなく得られる一本なのです。

義経に成り代わった国衡を演じた生田斗真はあくまでポジティブで明るく、しかし若く疾走する感じでもあって格好良く。父親を演じた橋本さとし物語の幹になるどっしりとした迫力で演じきり印象に残ります。正室かつ巫女を演じたりょうはりんとして美しく、きっちりチャンバラで存在感。時にボヤキ漫才よろしくツッコミながら物語を語る山法師を演じた山内圭哉はコミカルばかりかとおもえば決めるところはパシッと決まる格好良さの落差がとてもよいのです。

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2019.05.02

【芝居】「1つの部屋のいくつかの生活(青:鵺的+かわいいコンビニ店員飯田さん)」オフィス上の空 P

2019.4.13 15:00 [CoRich]

オフィス上の空のショーケース企画。青と題されたパートは鵺的、かわいいコンビニ店員飯田さんの組み合わせで休憩10分を含み145分。吉祥寺シアターの千穐楽をなんとか拝見。

四人姉妹の夫たち。浮気をきっかけに揃って妻たちは離婚を切り出す。男たちは芝居してたり無職だったりと離婚を渋る。浮気の相手は四人姉妹の父親が他の女に産ませた子で外国人であることを理由に認知しておらず、それを恨みとした嫌がらせだった。その姉は堅実に生きているが来ないはずが突然訪れる。(鵺的「修羅」)
お茶の間風のリラクゼーションスペース。格安宇宙旅行の旅客たち。精神的に不安定な妻を連れた夫は浮気をしたりもしている、カップルの女はどうしても性欲が湧かなくなった相手に別れを切り出すが男は諦められない。大浴場の湯沸かしが故障して不便だが、船長はもっと重大な危機の故障を隠している。目的地への到達は難しく、地球に戻る決断をしないといけないが言い出せない。(かわいいコンビニ店員飯田さん「我がために夜は明けぬ」)

日本家屋の一室を模した舞台装置を共有し、そこでそれぞれの劇団の作品を上演するという企画。鵺的は離婚や浮気をめぐる話。かわいいコンビニ~はなんと宇宙船のレトロなリラクゼーションスペースの人々というまったくことなるシチュエーション。

「修羅」は大きな家を持つ四人姉妹がその夫の浮気を理由に離婚を言い渡す場面。浮気相手は四人姉妹の異母姉妹の恨みによるもの、さらにはその浮気相手がもう一人の異母姉妹によって刺し殺されるというまさに修羅。更に夫たちは殆ど働いていないとか、妻の側にも浮気の事実があったりとそこかしこにある不都合な事実。経済的には妻たちが男たちを養う図式で別れたくない男たちがごねまくる前半、父が浮気したために男を徹底的に信用してない妻たち、隠したい異母姉妹や妻たちの側にも浮気があったりと混乱する中盤、さらに浮気相手が刺され、手仁平を帰しこの家族から逃げようとする男たち、あるいは女たちも全てを失いそこから始めるしかないという終幕。

4組の夫婦の事情という実は少々人数が多い物語だけれど、刺激的で時に行きすぎるぐらいデフォルメされた物語、癖が強くくっきりと造型された人物のおかげで見やすくいのです。修羅場ゆえに露呈されるみっともなさのショーケースを描く作家の細やかさ。男たちが小劇場の役者で碌でもない男たち、小劇場演劇という世界を少々ディスるという自虐ネタはご愛敬。浮気相手を演じた赤猫座ちこ、その姉を演じたハマカワフミエ、少し遠めのワタシの席からは瓜二つっぷりがすごい。なんてことがわかるのも、この企画の中でこの劇団だけが配役表を公開しているおかげ。その機動性と柔軟さもマル。しかし、主催団体は今後もこうなんだろうか。

「我がために夜は明けぬ」は悲劇的な状況が起きている船とそれを隠そうとしているスタッフたち、何も知らない客たちの馬鹿騒ぎやすこし間抜けな日常の中に徐々に浸食する不穏さというタイタニック的シチュエーション。夫婦の間の浮気やドラマチックな愛情、恋人たちの別れ話のいざこざなど、どこにでもありそうな、正直どうでもいい話の数々はそれを支える脆弱なインフラの上に乗っている砂上の楼閣たという構図がちょっとイマ風で面白い。とりわけ、吹き出した煙が大浴場の湯沸かし器だったとわかり機材を理解していないと攻められる船長のシーンが秀逸で、人間が造り出した技術なのに技術の進歩に人間は追いつけず、操縦どころが機構もボタンの意味も知らないと開き直るのです。エンジニアの端くれだったと思っているワタシにしても、暮らしているインフラの全てを把握してるなんてことはあり得ないし、それを単に目の前の責任者を叩くだけのことしかしないし、出来ることを考えようとする素振りすらない、ということがイマドキっぽいなぁと思ったり、そこが描きたいことかどうかはわかりませんが...

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