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2019.04.25

【芝居】「フラッシュバック」チタキヨ

2019.4.14 18:30 [CoRich]

女優三人と作演の同じ歳4人組によるチタキヨの「40歳記念」を銘打っての95分。14日まで恵比寿天窓.switch。入場時にはチケット代わりにCDスリーブを模した正方形のパンフレット、サイリウムを配り、ワンドリンク制のライブハウスでの上演。

過去の芸能人に密着する番組が次に取り上げるのは20年前、一年の活動期間でシングル一枚だけを発表した三人組の女性アイドルユニットだった。俳優のために立ち上げられた小さな事務所が、時代の流れと目先の運転資金のために女優志望の三人で急ごしらえにつくりあげたものでヒットはしたものの一人のメンバーの意思によって解散していた。一人は再現ドラマ中心の売れない女優、一人はその事務所でマネージャーとなっていて、一人は結婚し専業主婦となっていた。

長い年月を積み重ね、それぞれの仕事や暮らしで自分の着地点というか到達出来る範囲がぼんやりと見えてくる40歳。かつて若くて可愛いことが重要な20年前のアイドルだったということを重ね合わせてえがきます。久しぶりではあっても濃密な時間を過ごした同志は、そのときに互いに目指していたもの、あるいは目指していた物のズレを再確認する数日間を過ごします。かつては何も持っていなくてそれゆえ自由だった女三人、40歳になり決して若いとはいえない女三人、身体の衰えや子供のこと、独り身の将来の不安。

今作はそれぞれの人生が積み上げてきたもの失ってきた物を描くばかりではありません。若い女であるゆえに性的搾取の対象となりがちだったこと、劇中、アシスタントディレクターが戯画的に言う「おじさんパラダイス」という言葉で表される、今でも若者や女性に対して理不尽な世界のままであるテレビ制作の現場を交え、あるいは子供の急病に対して仕事を諦める立場は常に母親でなければならないのか、ということなど、明確にジェンダーと #MeToo という昨今の流れに沿った視点をもってこの20年で変わったこと、変わらないことを濃密に描くのです。女の側が一方的に男を糾弾するばかりでなく、男が明確にそれを反省し謝罪するシーンも実にいいのです。

そういった「主張」は主張として織り込みつつも、一回だけのステージを適当に口パクで仕上げようとする現場に絡め手でたちむかう若いスタッフの成長譚を添え、終幕のステージでは一曲きっちりサイリウム振られる客席を前に一曲のライブというエンタメも目一杯。その後ろに流れる(当時という設定の)PVも格好良く。

物静かな事務所社長を演じた小野塚老が実にいい。若い女性の大切な一年を浪費させたと感じ、きちんと向き合う姿のりりしさ。ADを演じた福永マリカはワタシの観測範囲ではなかなか珍しいはっちゃけた、しかし現在の若い女性という立ち位置が印象的。

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【芝居】「22世紀まで愛して」ボタタナエラー

2019.4.13 19:30 [CoRich]

70分に11の物語をゆるやかに繋げます。アトリエファンファーレ。

1.喫茶店、婚活で出会った二人、物件みたりいい雰囲気。しかし店は騒がしく、女は兄を呼ぶ。兄は兄妹のこと、金が必要だと打ち明ける。
2.客を殴った店員は逮捕され留置所の雑居房に。同室の男は静かに本を読んでいたい。
3.本を読んでいた男は面会に来た姉と友人。示談金を工面できたというが、半生猿の写メを撮ったりもする。
4. 留置所の運動の時間。囲まれ空しか見えない。ジャージ姿の男二人、空や地動説に文句を唱えて盛り上がり。監視している男はスマホばかりみている。
5. (38番) 中3時代、友達が集まる部屋。女性の陰毛を売って大儲けとかで盛り上がるが、母親は勉強しろと容赦なく説教をする。
6. その姉、グレて職員室に呼び出されているが帰される。教師たちは若い頃の自分たちには意味があったと盛り上がる。ゴーゴーバーとかも。
7. 雑居房の二人、一人は学生運動の小説、もう一人は近未来の小説を。寝るとき夢が混じったらいやだなと思ったり。
8. 学生運動の時代、学生たちは新入生の女をもてはやす。上級生の運動にのめり込む女を訪ねて地元の幼馴染がやってきて運動をやめさせようとする。
9. 近未来、産業スパイを疑われた部長、実は超格差社会に憤りブルジョアの会長の暗殺を企んでいたが阻まれる。
10. 会長は別の会社の社長の来訪を受け、昆虫食の取引先が人間をやめてロボット派遣にすればと相談している。
11. 会長宅、クローンで再生された部長を女中に使っている。秘書や部下の女たちも実は会長に憤っているが、暗殺は再び失敗する。ロボット化された昆虫食工場に残った女が試作品を持って訪れる。

ごく短いシーンをつないで舞台を構成します。物語というよりは、ぎょっとしたり、カッとなったり過去の関係が見えたりと小さく気持ちが動くか動かないぐらいのスケッチが連なる感じ。人物や背景は繋がっているものの全体を俯瞰しても何かの大きな物語を描く感じではありません。たとえば映像でなにかのアイテムをキーにしてシーンを繋いでいくような演出のスタイルの面白さとか技術を楽しむ感じです。全体が短いこともあって、ちょっと実験っぽいスケッチな仕上がりは気楽に楽しめるのです。

軽い語り口に感じるけれど、それぞれのシーンで描かれている断片は作家が社会を切り取って見せるアングルなのです。たとえば格差が拡大する一方の社会だったり、わけもわからず一方的に盛り上がって迷惑な身内だったり、美人ばかりもてはやす感じやまったくの善意からくるお節介など。作家の怒りや困惑の視点がこの小さいシーンどれにも感じられて、ちょっと面白い。

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2019.04.24

【芝居】「喫茶ティファニー」ホエイ

2019.4.12 19:30 [CoRich]

105分、アゴラ劇場。

川の先、外国人が多く住む町。二階にあるテーブルのゲーム機がある喫茶店。ほぼ常連客。男女のカップルは元恋人で女は久々に会いにくるが男の下心とは裏腹にビジネスがしたくて、リーダの男を呼んだりするし、カップルの男も乞われて友人をよび出す。店主は入院していて身内の女店番をしている。常連の女性客は奥の部屋に入り浸っていいことが起きたようだ。初めて訪れた女は、カップルの女がしようとしていることを非難して去っていく。

久々に会えた喜びで下心めいっぱいでついてきた男と、それをあしらいつつ「売上」が欲しい女、さらには男の友人を呼び出させたり、上司を呼んだりと絵に描いたようなネズミ講勧誘の場、やる気の無さそうな喫茶店という舞台。舞台上手の別室で何かがありそうだとか下手側にずっといる常連客などゆるく、しかし不穏な空気を漂わせています。この街に外国人が多いと聞いて不安になったネズミ講の上司が周囲に外国人かどうかを訊いて廻る中盤、若い女の客にぞんざいな口をきいたことから、逆ギレした女が大昔からの生粋の日本人だと名乗るあたりで物語の節目が変わります。

いわゆる在日など日本での外国人という背景が徐々に明かされます。日本という国に在留外国人として生まれ、生きづらくいい暮らしが出来ない国だけれどかといって親の祖国にも馴染むこともできないまま、この国で暮らしていて。16歳になれば登録証の所持を強いられたり、隠すために日本名を名乗ったり、あるいは帰化を目論んで結婚しようとして反故にされたり、内定を突然取り消されたり、理不尽だらけだけれどここで暮らすしかない人々。

もう一つの外国人の立場、フィリピンとのダブル(ハーフ)の男は学校にろくに通えなかったりでも日々明るく楽しく暮らしていて、友達のススメだからとネズミ講にも気安く乗ろうとするけれど、人間関係を金に換えることに対しての突然の激昂。あるいは物語の後半では祖母がアイヌだったと大人になってから知らされた女の語り。かつては土人と言われ誰にも云えずにきた秘密を打ち明けられた戸惑い。

日本に日本人としてうまれ、いわゆる普通に暮らしてきたワタシにとっては、さまざまな物語を通して想像することしかできないことだけれど、好き好んで生まれてきたわけではない境遇で理不尽な目にあいつづけること、その閉塞感。互いを思いやる気持ちがあったりもするけれどどこか搾取しようとする関係が見え隠れしたりもする中で暮らしていく人々。さまざまな問題をショーケースのように並べて描いている感はあれど、今の日本の縮図の一つの切り口であることは間違いないのです。

下心な男を演じる尾倉ケントやフィリピンのダブルを演じた吉田庸が造型するある種の軽薄さ、ネズミ講の女を演じた中村真沙海のガツガツと上昇しようとするさまのどちらもそれゆえ置かれた立場の理不尽さをきっちり。その親を演じた山村崇子のぶっきらぼうな感じの奥にあるある種の諦観。婚約を破棄した男の兄を演じた山田百次は理不尽を与え続ける側をきっちりヒールとして演じます。ネズミ講の親を演じた斉藤祐一は薄っぺらな人物を少々コミカルに演じてみやすい。

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2019.04.17

【芝居】「1つの部屋のいくつかの生活(赤:シンクロ少女+mizhen)」オフィス上の空 P

2019.4.6 19:00 [CoRich]

6劇団を2つづつ組み合わせ、60分ずつ上演するショーケース企画。135分。無償の当日パンフには劇団名とタイトルのみ記載で配役表は有償のパンフにのみ記載されています。

女が住む古い家、離婚した男が出て行き女が残る日、女にはこの家に居続けるご先祖様が見えているという。あるいは女は出逢ったばかりの男を初めて家に連れてくる。近所の小学生が時々やってきていて、女に懐いている。(シンクロ少女「メグ The Monster」)

芝居の稽古をする女が見た夢、公園でホームレスの老婆が蹴り殺されるのを見たのに安易も出来なかった「夢路」
可愛くモテる同級生のことが羨ましい女、日記を盗み見て歌手になる夢と先生との恋仲などの秘密を知る「小町ちゃん」
還暦の三人の温泉旅行、三人で盛り上がり、警察官に恋心だったりお盛ん、かつての歌手・小町を思い出す「還暦こまちーず」
ホームレスらしい老婆、若者とタバコを分けあったりしつつ、自分を語り、あるいは蹴り殺されたり「花の色は」(mizhen「小町花伝」)

古い日本家屋の一室、狭い庭を望む掃き出し窓、二階への階段と左右二方向で別室か廊下につながる舞台。6劇団全てが同じセットを生かしてそれぞれの物語を60分でします。

シンクロ少女は、別れる男女と出会い接近する男女の二つの場面にもう一人という二つのシーン。それぞれを細かな断片で別の役者が演じていて、しかも登場しない「姉」の存在が語られたりと、ちょっとミスリードを誘うようなトラップを意図的に仕掛けたりしつつ、やがてその男女は時間を隔てた同一人物で、二人の出会いとその後の別れを重ね合わせて見せていることが判ります。シンクロ少女の最近の作品ではわりと得意な手法ではあります。そこにもう一工夫してあって、出逢う時の小学生と、別れる時の和服のご先祖様という不思議な存在を添えています。なるほど、小学生なら間違いなく成長するわけで、明確には語られないものの、出会いから別れまでにそれなりに長い時間が経ったこと、その二人を見続けていた視線があったことを描くのです。長い時間のなかでゆるやかに、穏やかに離れていく男女を描く彼らの作品の魅力をコンパクトに描き出す一品なのです。

mizhenは、「小町」という女性を軸にした三つの(ほぼ)一人芝居と、三人が一堂に会する賑やかな一本を組み合わせた短編集。「夢路」は老婆が蹴り殺されて何も出来なかった自分を責める女、「小町ちゃん」は美しく可愛いがオンナが垣間見える同級生への羨望と大人を見上げる視線、「花の色は」は一本目で蹴り殺されていた老婆が実は小町で、美しく、成長して歌手になり、しかし今は孤独になっているということ全体を俯瞰するように。その間に挟まる「還暦~」はかならずしも「小町」の物語とはいえないけれど、誰もが知っているほどの歌手だったという背景を描くとともに、全体に一本調子になりがちな一人芝居連作の中でリズムを変え華やかな一本が入るおかげで全体が見やすくなるように課感じます。核となるのが最後の一人芝居で、たしかに迫力と強度を併せ持った物語ではあって、それを補強するために他の三本という感じになってしまうのは致し方ない気はするけれど、二本目のなんか屈折した感じもちょっと捨てがたいワタシです。

このプロデュース公演、無償の当日パンフでは劇団名とタイトルの記載のみで、配役表どころか作演・出演者のクレジットすらありません。クレジット自体はチラシやwebに任せているということかもしれないけれど、費用の問題であれば張り出すだけでも可能かと思います。ショーケース企画では初めて出逢う劇団も多いわけで、役者が自分の顔を売り込む機会を逃し兼ねません。どの役をどの役者がやったかということを知る術が有償のパンフだけ、ややプロデュース団体をけち臭く感じるワタシです。劇団によってはSNSなどを通じて情報を出しているところもありその機動性は評価しますが、それは本来は店子じゃなくて大家の仕事、だと思うのですが、わたし。

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2019.04.15

【芝居】「ぬけがら」Nana プロデュース

2019.3.31 18:00 [CoRich]

2005年文学座で初演(未見)。ワタシは2007年の横浜未来演劇人シアターでの上演を拝見しています。120分。31日までBONBON。

母親が亡くなった数日後、認知症気味の父親と息子が暮らしている。浮気がきっかけで仕事を失った息子に、妻は離婚届へのハンコを迫っている。ある日、父親が急に若返る。

家族をつなぎ止めていた母親を亡くし、仕事も妻も何もかも亡くしてしまった男が、認知症の80歳から10歳ずつほど脱皮しながら父親が若返っていき、やがて自分よりも若くなった父親とも向き合うようになる数日間。終着点からより希望と選択肢が無限にあった若い頃に遡るという設定が絶妙で、死期が近づく父親のアルバムを遡って自分のよく知る父から若く眩しい頃に遡って「会っていく」ことで、息子自身が置かれた冴えない状況とのコントラストを少しばかり残酷に浮かび上がらせるのです。

脱皮した「ぬけがら」が散乱する一室というシュールなシチュエーションがちょっとおもしろい。アルバムの中の父親が部屋の中に浮かび息子を見守ってるようでもあるのです。セミの激しい鳴き声が去るように、父親もなくなった四十九日、心細くなり泣く男の姿は、もしかしたらこれから自分が経験することかもしれない、とずしんと重く響くのですが、それはワタシが前回拝見した12年前にはあまり感じなかったこと。ワタシの変化も感じる一本なのです。

さまざまな年代の男たちのグラデーションはちょっとコミカルですらあって味わい。男が落ち込んでいくきっかけになった浮気相手を演じた、とやまあゆみのねっとりとすがる造形はちょっと凄くて、絡み取られるよう。

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2019.04.12

【芝居】「スロウハイツの神様」キャラメルボックス

2019.3.29 19:30 [CoRich]

辻村深月の人気小説の舞台化、2017年初演で2年を経てほぼ同一のキャストで再演。130分。31日までサンシャイン劇場。そのあと大阪。平日19:30開演が嬉しい。

クリエイターたちが集うシェアハウスを運営する人気脚本家の女性と、そこの住人の一人、かつてバッシングを受けたが匿名の少女の新聞への投稿に救われたベテラン作家の男を軸に物語を描きます。人気作の盗作疑惑がからんだりはするものの、基本的には互いに救われたと思っている二人の人物それぞれの視点から二人が過ごしてきた時間を重ね合わせて見せる物語の厚みは初演と同様に見事なのです。

わりと観た芝居を忘れがちな私ですが、今作は最近のキャラメルボックスの作品ではとても印象深く、物語の構造の面白さに加えて、キャラメルボックスという劇団のベースともいえる「人が人を想う気持ち」を演じることとあいまって、出色な一本といっていいと思うのです。キャストの印象も変わらず、実にいい座組なのです。結果として、初演の自分の感想を見返すと同じ感想で変わらないというのはブログ書きとしては痛し痒しなんですが。

とはいえ、変わったところもあります。いわゆるマスコミのメディアスクラムに対しての作り手の描き方自体は変わってないと思うのですが、2年を経た私の側の感じ方はずいぶんと変化していて、「まだそんなことをしている人々」と感じるようになっています。好きなアーティストの扱われ方、メディアの中にも温度差を感じるようになっていて、変わっていないことの絶望感と、もしかしたら変わるかも知れないという希望の萌芽を、芝居を観ながら思い出したりもするのです。

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2019.04.04

【芝居】「Das Orchester」パラドックス定数

2019.3.23 18:00 [CoRich]

作家が学生時代に上演した舞台を長い時を経て再演。シアター風姿花伝。125分。

ドイツのオーケストラ、実力も人気もある指揮者。鍵十字をつけた兵士が舞台袖に入り込んでいる。 首相が気に入った指揮者はこの楽団を国営として手中に収め宣伝に利用しようと考えている。楽団の事務局長は提案を断りたいが、市からの援助を閉ざされ国営とすることを受け入れる。人気のある指揮者は演奏家の三分の一を占める「劣等人種」の排除を目論む政権の提案は受け入れられないとするが、排除はもう変えられない。

ナチス・ドイツとベルリン・フィル指揮者・フルトヴェングラーとバイオリン奏者・シモン・ゴールドベルクをモデルした史実の構図を借りながらも、物語にはほとんどの部分は固有名詞としては現れず、独裁政権がプロパガンダの一つとしてオーケストラを手に入れる史実を背景にしながらも絶妙に作家のフィクションを潜り込ませて物語を編みます。手に入れられる側のオーケストラの人々、とりわけ「劣等民族」とされたユダヤ人を巡る人々の視点で描くのです。

天才的なソリスト、絶対的な権力を持つ指揮者、その秘書、事務局長、 優秀なユダヤ人を演奏者にもスタッフにも抱えている楽団。よりよいものを作り続けるためにこの人々が必要ではあっても、市からの資金が絶たれ国の直轄になり、ユダヤ人を排除するというきな臭い政権の意向がより強く見えてくると、ユダヤ人の同僚たちを政権の手の届かないところに切り離そうと動く人々。残る人々の生活を確保しなければという想いと、連れ去られる人々を何人かでも助けようという想いとが強烈な熱意となってゆく中盤からが圧巻なのです。

芸術なりスポーツを「美しい国」であるための構成要素として取り込もうとする政権の意向は、しかし劣等とされたユダヤ人排除との裏表というのもまた切ない。芸術も実際のところ、優れているとか、美しいというものももしかしたら権力者の胸先三寸なのかもしれないということなのです。

2時間を超えけっして短い上演時間ではありません。誰にでもわかるけどあえて固有名詞を排除して描くことで逆に、より核となる独裁者と芸術、あるいは排除する側と排除される側の物語がより際立つように感じられるのです。

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2019.04.01

【芝居】「シャダーン!」れんげでごはん

2019.3.17 13:00 [CoRich]

80分。17日まで上土劇場(旧ピカデリーホール)。

ローカル線の踏切。踏切待ちをする男は一年前のことを後悔していた。後から現れた女は一年前ここで死んだ中学時代の友人が自殺だと信じられず、目撃者と待ち合わせていた。中学生の頃、男が面を着け、踏切が鳴る線路に入って祈りを捧げたら、電車が通らないのに遮断機が上がったのを目撃し、男は過去の決断を一年に一度この瞬間のこの行動によって選び直せるのだという瞬間を目撃したのだという。

踏切で一年前に死んだ女をめぐる人々の会話。死んだ女の友人はあまり会えなかったことで変化に気づかなかったことを悔み自殺を信じず、助けようとした男は片腕の機能を失い無職となり行動を悔み、目撃していた男は助けに入れなかったことを悔み。この三人の「後悔」を物語の軸にします。たまたまその会話に巻き込まれた撮影中の鉄オタの男、あるいは死んだ女の同僚で死の前の女の姿を知る女を置いて、死んだ女を浮かび上がらせるように描きます。その女をあえて何箇所かの場面で役者が兼ねて演じ、死んだ女を(首から名前を下げてコミカルに)描くことで、一人の人物がいろんな見え方をするプリズムのよう。

一つの決断をやり直せる「おまじない」という少々オカルトめいた奇妙な男の行動、そしてそれが成功したことで女は列車が迫る踏切に入り死に至るのです。「決断のやり直しのおまじない」が入れ子になってるのが面白いのです。 女が死んでからの一年間、止まったままだった時間が動き出すような終幕、ことさらに派手ではないけれど、地味に動き出す感じがちょっといい。

さまざまな理不尽のありかたを描くのも今作の特徴に思います。幅下かおりが演じた友人の序盤の誰かれ構わぬ噛みつきよう、あるいは加藤吉が演じた鉄道撮影のための言いたい放題、篠原誉が演じた公務員の言われ放題など、理不尽を言う側言われる側、そういうことがある、すこし嫌な感じも実は奥行きに。同僚の女を演じた中嶋美弥子のちょっと正体の見えない感じも楽しく、助けようとした男を演じた小口翔はしかし、ひたすら軽く、諦観な造形もその裏側が描かれることで深い。

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