« 【芝居】「僕らの力で世界があと何回救えたか」タカハ劇団 | トップページ | 【芝居】「わかろうとはおもっているけど」贅沢貧乏 »

2019.02.23

【芝居】「シェアハウス「過ぎたるは、なお」」渡辺源四郎商店

2019.2.9 19:00 [CoRich]

青森のあと、11日までこまばアゴラ劇場。

シェアハウスで暮らす人々。若かったり歳を重ねたりしているけれど、この敷地内から出てはいけない規則になっている。
新しい技術によって核廃棄物から高い効率でエネルギーを取り出す技術が開発され普及し長いあいだ動き続けるロボットの動力として使われていたが、危険性が発見され、ロボットたちはシェアハウスに半減期まで隔離されている。
厳格な父の息子二人、亡くなった母の代わりに育てるというミッションを帯びたロボット。二人はそれぞれ芸術に憧れていたが成長して一人は軍隊に、一人はテロリストとなっていて長い間会っていないが、偶然、その兄弟が母だったロボットに会いに来る。軍人は壊滅した他国を再生させる労働力として、テロリストは目的を果たすための爆弾として、この敷地内から連れ出そうとしている。

大きな窓が客席側にある眺めのいいシェアハウスのリビング、中央にソファ。入居者は中年だったり若かったりとバラバラ。のんびりした時間が流れているのだけれど、徐々に、老人ホームのようで施設からも出られず、どちらかというと亡くなるまでの時間を潰すための場所だとわかります。人間の補助の為に作られたロボットが人間の寿命よりはるかに「過ぎたる」ほど長い時間動き、作られてから不具合が見つかってもロボット三原則に従い自らの身を守るわけで壊すわけにも行かず、いわば「動く放射性廃棄物」のように静かに半減期を待つ、という世界なのだと云うことがわかります。

母親がわりとしてロボットに育てられた息子たちと、その育てたロボットを軸に物語が進みます。子どもの頃は絵など芸術の道に進みたいといっていた息子たちだけれど、それを許さない父親のもと、長い間会えなかったあいだに世間はきな臭く、一人は軍隊、一人はテロリストという対立する立場になっていて。ずぶん久しぶりに母親に会いに来たかと思えば、そこには利用しようとする気持ちがあり。

人間の寿命にだけではなくて、安全性の担保という意味でもまだ私たちの手に余る技術を使ってしまって押さえ込んだりやり過ごすために多大なコストと時間がかかるようになること。今の核廃棄物の処理施設のありかたの映し鏡のようでもあります。廃棄物そのものにロボットという形で感情を持たせ、しかし人間を責めるでもなく、ただただ過去の記憶を繰り返し愛でるまま、長い長い時間をやりすごしていくということ。終幕、世代が変わり、子どもの頃の絵描きになりたいという気持ちを実は息子たちが持っていたことがわかるのは、ずっと過去のことだけれど、救われた気持ちになるのかどうか。

青森に拠点を置くナベゲンは押しつけられがちな核廃棄物の行方に対して継続的に作品を作っています。たとえば2012年の「ロボむつ」もそうで、無垢で居続け不安を持つこともない「お世話」を信条とするロボットに対して、今作は自身が放射線の危険性からその場から出られない理由となっていて新たな視点なのです。

|

« 【芝居】「僕らの力で世界があと何回救えたか」タカハ劇団 | トップページ | 【芝居】「わかろうとはおもっているけど」贅沢貧乏 »

演劇・芝居」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【芝居】「シェアハウス「過ぎたるは、なお」」渡辺源四郎商店:

« 【芝居】「僕らの力で世界があと何回救えたか」タカハ劇団 | トップページ | 【芝居】「わかろうとはおもっているけど」贅沢貧乏 »