【芝居】「誰もいない国」新国立劇場
2018.11.24 13:00 [CoRich]
ハロルド・ピンター作を寺十吾が演出。 柄本明の主演も評判。11/25まで新国立劇場小劇場。休憩を挟み145分。ロンドン郊外の屋敷。酒場で知り合った詩人男を家に連れ帰った老人。口数の少ない主人に気を遣って話しかけ、あるいは自分が友人になろうと提案したりするが、はなしが噛みあったりかみあわなかったり。 やがて若い男と中年の男が現れる。主人の同居人で、実は この家の主人は高名な作家なのだという。
酔って気が大きくなったりちょっとした撹乱な感じ。互いの立場を知らず酒場で意気投合して徐々に互いが見えてくることの緩やかしかしパワーゲームなところもあったりして。そこに老いによって混濁する記憶の混乱。 舞台は奥に向かって緩やか傾斜し、一番奥に別室らしい寝室のベッド。時折上から滴ったり流れたりする水は徐々に溜まり静かな浜辺のよう。水と地上を時に水に足を取られながら行き来する老人。 水は滴り続ける酒のようで、それが緩やかに溜まり、意識がぼやけたりはっきりしたりの行き来や足を取られる雰囲気でもあります。酔っ払いのぼやけた会話のはずなのに、突然それまでに築き上げてきたもののプライドゆえかマウンティング合戦のバランスオブパワーが首をもたげ、しかしそれを引っ込めたりすることもな行き来。
翌朝の光景はそのバランス微妙に変わるけれどやはりそれぞれの立ち位置の優位さを微妙に主張し合う雰囲気は変わらず。それは混濁した意識の中で相手を別人だと誤解していて、過去の悪い行いを白状してもなお、その枠組みが大きくは変わらないということに驚きます。男だからそうだとも思わないけれど、ジェンダー的に男の会話ってそうだよなあという感じは確かに感じるワタシなのです。
しかしこの不条理な目にあったり、共感したりとアップダウンの激しい芝居、会話がぐるぐるする楽しさ、それを支える確かな役者の力を感じるのです。とりわけ主人を演じた柄本明の好々爺な感じや威厳の瞬間、酒の前には平等な人間という感じの人なつっこさ。巻き込まれた男を演じた石倉三郎が困りながら、しかし相手への敬意を終始忘れないで居続ける、というキャラクタによくあっているのです。
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