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2018.12.19

【イベント】「よろしくマイマザー」(月いちリーディング 2018/12)劇作家協会

2018.12.08 18:00 [CoRich]

劇作家協会のリーディング企画。本編90分ほど。

家族経営の雀荘。元ボクサーや麻雀やたらに強い女子大生、地元のキャバクラ嬢などの常連もついている。父親の死後、母親と長女が切り盛りしてきたが、母親は時折突発的な認知症をまだらに発症するようになってきた。幼馴染の介護士や常連客たちが手伝っているがストレスは溜まっている。長女には婚約者がいる。 ある日、何年も帰ってこなかった次女が東京からもどってくる。母親の認知症にショックを受け、施設に入れることを提案する。

まだら認知症の母親、同居し婚約者や雀荘の客などまわりの協力を得ながらも一人抱え込む覚悟をした長女。そこに何年かぶりで帰省した次女を中心にした物語。気遣われても大丈夫と言ってしまう長女が実は大丈夫じゃないということを妹はわかっていて、しかし日々の認知症のケアを周りが協力してくれているとはいえ既に限界を超えていて。互いに気を遣い合う姉妹だけれど、姉がその本当の気持ちを吐露するあたりが物語のクライマックス。凝り固まっていた姉妹の関係が溶け合っていくようなのです。

決して流行っているとはいえない雀荘の客たちは温かく、しかしぞれぞれ元ボクサーだったり理系のバリバリの研究者だけどキャバクラするかどうか迷っていたり、あるいはもうベテランのキャバ嬢だったりと様々な人々。雀荘にしたおかげで一癖二癖ある普通だったら交わらない人たちが繋がるという利点はあるけれど、物語が必要とする人数に対して少し登場人物が多く感じられるのも事実なのです。

後半のディスカッション。ゲストの永井愛は数々の鋭い指摘。とりわけワタシが共感するのは、かつての権力たる母親が認知症で責任取れない状態になっているところで想いを抱え込んだ妹がそれに向き合うという実に演劇的な状況を使い切れてないことや、プロットを固めて書いた方がいいと思われがちだけれどそれに囚われすぎず、解っていることだけで解らないことを書き進めるのだ、というコメントなのです。

母親を演じた山口智恵はおばちゃん感いっぱいだけれど、時折無垢な可愛らしさを見え隠れさせる見事さなのです。たった半月前に松本で魅力的な芝居を観たばかりの多田香織、妹の役の別の魅力。(誰でも参加できる)打ち上げなどで耳にする、台本はあらかじめ貰うけれど、役者の拘束は当日朝からだけ、というある種の軽さだからこそのキャスティング。もちろん、リーディングとはいえ、短い時間で作り上げる役者の力量の上に成立する企画ではあって、それを楽しむワタシですけれど。

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【芝居】「へたくそな字たち」TOKYOハンバーグ

2018.12.08 14:00 [CoRich]

125分。12日まで座・高円寺。

天ぷら屋を営む男が娘に連れられて夜間中学への入学を決める。不登校や家庭の事情で通えなかった人々が通っている公立の夜間中学で、職人やパート主婦などいろいろな人々が居る。

実在の夜間中学を舞台に、初老の男が途中編入で通い始めた初夏から卒業式までの期間を通して「普通の」中学校ではなく夜間中学に通うざるを得ない境遇であること、しかし読み書きぐらいはできるようになりたいというそれぞれの理由だったり、読み書きができないことの恥ずかしいと思う気持ちをはねのけて通うことの意味を描きます。

モデルとなった糀谷中学校 夜間学級、下町っぽくちょっとがさつだったりするけれど、基本的には真面目に通いたいと思う気持ちを持った人々の暖かい物語。 娘にはできなかったけど孫には読み書きを教えたいと老いてから通うことを決めた天ぷら屋の男、あるいは定職につかないままだったがサイの出産を目の当たりにして進む道を決める若い女など、いくつかの物語が幹となりますが、実際のところ、びっくりするようなことはあまり起こらず、いろんな人々のあり方を描くという感じ。それは山田洋次「学校」やドラマ「3年B組〜」などの雰囲気。

子供ができた鳶の男が夜間中学に通うことを聞かれて警戒したり、わからない言葉を見つける課外授業で威勢のいいはずのトラック運転手が周りを気にして恥ずかしがったりなど、それなりに暮らしては居るけれど、読み書きが出来ないということの引け目だったり、そこまでに経験してきた嫌なことが見え隠れして人物に厚みを与えます。

国語の教師は宿題として「先生に手紙を書くこと」を課しています。自分の字で書いた手紙が郵便で相手に届き、情報が届くというごくシンプルなしかし大きな達成感。携帯・メールの昨今ではもしかしたらそこまでじゃないかもしれないけれど、舞台を1989年とすることでそれを丁寧に避けています。この宿題、終幕で「書いた文字を通して居なくなった人の気持ちを伝える」ということにもなっていて、仕掛けとしてよく効いています。 何より、読み書きが出来ることが人の「尊厳」の一つなのだのだということも印象的に迫ってくるのです。

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2018.12.17

【芝居】「リトル・ドラマー・ボーイ」キャラメルボックス

2018.12.1 18:00 [CoRich]

1996年初演の「TWO」をベースにした改訂作を新作として。2日まで120分。八王子市芸術文化会館いちょうホール。そのあと大阪、東京・池袋。

右手で触れると怪我や病気治してしまう力への注目が加熱して身を隠し方々を転々としてきた男。今は熊本で結婚し暮らしている。ある日幼馴染みからの電話で、小学校の恩師に癌が見つかり余命宣告を受けたことを知り地元に戻り今は空き家となっている実家だった病院に行くと、見知らぬ男が襲ってくる。殺人代行を名乗る男は同業者の男を捜しているのだという。

手をかざすだけで人の命を救う不思議な力を偶然持ち、世間から身を隠して生きていた男がその力を使うたび自分が弱っていくことを知りながら、目の命を助けたい、という主人公の骨格はそのまま、「TWO」では二人で逃避行を続けることになった恋人は今作では物語の背景としては描かれるものの、本編には現れません。男にとってその超能力の起点となる故郷で何が起こっていたかという過去を下敷きに、故郷に舞い戻った男をめぐる物語を描きます。

昭和に拘る殺人代行の男、というキャラクタは去年のクリスマスツアー「ティアーズライン」に現れたのと同じ登場人物を同じ役者によって演じられます。迫力あるアクションを支える要の一人でコミカルさも含め魅力的であることは間違いなく、ひとつの大きなキャラメルボックスの物語世界のサーガを繋げる一部にはなっているのだけれど、正直に云えば、このキャラクタの印象は、どの物語と組み合わせても強烈すぎてどれも同じ世界観になってしまいそうに感じます。どんな料理にまぜてもカレーになってしまう、みたいな。演じた阿部丈二の代表的な役であることはまちがいなくて、この魅力的な人物はむしろ彼の物語を観たい気もします。おそらくスピンオフ、全編これではほぼ一人芝居なセリフ量になる予感もしますが、それはそれ。

そう、「ティアーズライン」から顕著に感じられるのはアクションの充実で、それをきちんとできる俳優が揃ってきたということだとも思います。この一年のキャラメルボックス、この10年ほどのさまざまな演目やその骨格を組み合わせながら、各地に赴くグリーティングシアターや東京でも小さな空間での会話劇など集大成の試行錯誤でもあったと思います。かつてあったようなサンシャイン1ヶ月超えの時代の勢いともいかず、そのわりにはチケット代はその頃から下がらず変わらないということなど、劇団の骨格と筋肉の大改造を感じられたのも、観続けている私にとっての収穫なのです。

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【芝居】「逢いにいくの、雨だけど」iaku

2018.12.1 14:00 [CoRich]

iakuの新作。9日まで三鷹市芸術文化センター 星のホール、そのあと大阪。120分。

小学校の頃、絵画教室の合宿に出かけた夜、同級生の女子とのペンの取り合いで片目の失明をした男子。絵が上手くて期待していた両親。失明させた側の女子児童は亡き母親のガラスペンをこっそり持っていき、それを貸すかどうかの取り合いになっていたのだが、その父親は、失明した側の男子児童の母親と大学時代の知り合いで時々会っていた。女児の母亡きあとその妹が通ってきて育てていた。
年齢を重ね、成長した女子は絵本作家となり賞を受賞した。成長した男子はそのことを偶然知る。絵の道は諦め自動販売機の営業に回っている。その絵がかつて子供の頃に書いていたイラストそのままだと知っても怒る気持ちにはならず祝福したい気持ちではあるが、周りはもっと怒るべきだとけしかける。

幼くして片目を失明し絵を職業にすることを諦めた(かもしれない)男と、その失明のきっかけを作ったが絵の道に進み、絵本の新人賞を受けた女。その絵本がほぼ男がかつてかいていた羊の絵だった、という構図で二人が久しぶりに再会する、という物語。

片目を失明した男の側の周囲は憤慨しているのに、当の本人は大変ではあったけど失明のことも絵を窃用されたこともどこか他人事でそれほど大きくはとらえず。絵本作家の方も窃用を申し訳なく思う気持ちはあるけれど、ずっと心の中に刺さったままなのは、失明させたことをちゃんと謝ってない、ということなのです。時間が経って変化していく人々を細やかに描いているのです。

この一つの事故がきっかけに、それをどうとらえたか親たち二組の男女が離れていくというもう一つの物語。 男児の父親は失明の憤慨と妻への嫉妬に加えて「商品価値が下がる」失望感を露わにしたことで妻との距離が離れます。女児の母は亡くなっていてその妹が母親代わりに出入りしていて、女児の母になりたいと願い結婚も考え始めたけれどその距離感がまったくわからない父親。還暦の今さらになって再び出入りするようになってきたという終幕はその身勝手さに腹立つほどだけど、そこに収まることがいいことなのかもしれないとも思わせる絶妙の空気感で。親たちの間で嫉妬や愛憎の入り交じりが、その「事件」の頃に親たちも一杯一杯だったということを少しばかり意地悪く、しかし細やかに描くのです。

三鷹市芸術文化センター星のホールは実はちょっと難しい劇場で、舞台も客席も天井がやたらに高くスカスカになりがちです。最近の作品は客席を仮設し空間をぎゅっと小さく見せて濃密に見せるノウハウが溜まってきているようですが、今作は客席はほぼフラットな素のまま、かわりというか舞台を目一杯覆うような大きく急峻な大階段で構成。基本的には野球場の客席や河原といった場所を中心に物語を進めます。なるほど、フラットな客席のどこからでも見やすく、しかも舞台の空間がスカスカにならない絶妙な濃密さ。反面、このステップの上り下りの体力のみならず、細やかな芝居をこの気を使う空間で演じることで役者の負担は相当なものになると思います。

片目を失明した男を演じた尾方宣久は悲劇の中心に居るはずなのにどこまでも穏やかでフラットでありつづける説得力。絵本作家を演じた異儀田夏葉は苛まれ続ける濃密な人物の造形が見事、とりわけ泣くのを我慢する表情、そのちょっと強がる感じもとてもよいのです。

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2018.12.14

【芝居】「親展(毒づくも徒然)」MCR

2018.11.25 19:00 [CoRich]

新旧作品集、4本のうち、新作の一本。OFF OFFシアター。12月2日まで。

パンクバンドの4人とそれぞれの恋人たち。元カノの名前を寝言で言って嫉妬され好きということを禁じられた男はパンクの歌詞も書けなくなり、女は男の好きと言う言葉が聞こえなくなってしまう。
彼女の事が好きすぎる男、しか彼女の方がずっとパンクで、男のバンドが中途半端なことが不満。照れくさいことを英語で言うことにするカップル、唯一のバンドの女性メンバーは女性と同棲しているが、あと一歩踏み込まない。

パンクバンドの4人とそれぞれの恋人たちを描きます。過激に見えるパフォーマンスをしたり過激な歌詞を書いたとしても、ステージを降りた日常では恋人がいたりごくありふれたおだやなかな日々を送る一般人であることだったり。あるいは愛する言葉が伝えられないことだったり、想いが伝えられないことだったり。恋人たちはそれぞれの日常も好きだけれど、ステージの上での姿も愛おしいのです。

ワタシの友人はパンクな生き様で居続けたパンクロッカー・シドビシャスを思い出したというけれど、登場人物たちはむしろごくありふれた人々が多く、ごく穏やかな人々だけれど、好き合っているのに、違和感とは違うなにかすれ違ってしまう歯がゆさを感じるもやもや。時にぶつかり合ったりがそこかしこで細かに起こり続け時間が流れて人々は生きていく、という芝居なのです。

べた惚れされる女を演じた三澤さき、その男よりもよりパンクで芯がある格好良さ。見た目に地味っぽい造型の女を演じた石黒麻衣、内面からわき上がる叫びがまたちょっとズレた感じの面白さで印象的。バンドの紅一点を演じた加藤美佐江、ドラアグクイーンのようにエキセントリック。格好良さすら漂うのは新しい魅力。

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2018.12.11

【芝居】「リフラブレイン(毒づくも徒然)」MCR

2018.11.25 16:00 [CoRich]

新旧作品集の一本。2009年初演。ワタシは初見です。

親が行方不明で貧しい中で暮らしている姉弟二人、弟に金をせびる同級生を撃退したり、親の事故死を知り、弟を高校に通わせるために姉は水商売で働いて支えるが、姉が逆上するのが嫌で恋人の誘惑に応じない弟。借金取りは弟を離れた工場で働かせる。26歳までしか生きないつもりだった姉は会社の同僚に告白するところに弟を立ち会わせるが、告白を前に下衆に面白がる男を許せず弟が刺してしまい刑務所に服役する。自分が刺した男は姉と結婚しているが、 出所した弟が借金取りのもとで働くと看守だった男と姉が同棲している。

親に捨てられた姉と弟。口は悪いが互いに支え合うというか互いに依存し合っている関係。特に最初の頃は姉が弟を守り、弟は姉に従うということに何の疑問もなく縛られているのです。親の事故死を知った姉が何の疑問も持たずに弟の進学を支え、恋人に誘惑されても応じないのは姉のせいという弟でもあることが象徴的。

26歳で死んでしまうと信じ切っていた姉が見事に告白以前に敗れ、弟が犯罪者となったことで何かが吹っ切れたのか姉が見事に替わります。人にどう思われても自分が一緒に居たい男と伴にあることを優先し、弟が二番手に。それなのに弟はへの依存からはまったく抜け出せないのです。共依存で閉塞していた関係の片方がなくなっても、一方の依存からは全く抜け出せないままであること、終幕の「パンとミルクセーキ」に拘る弟の姿は、それがまだしばらくは、あるいはずっと続きそうだということを暗示するのです。

姉を演じた石澤美和は理不尽を絵に描いたような絶対的な存在という説得力。弟を演じた小野ゆたかの気弱さやチンピラっぷりという小さな存在、という対比が楽しい。いわばボケ倒す二人に対して、借金取りを演じた澤唯、やけに真面目さという造形できっちりと突っ込む存在を造形。看守を演じた本井博之のダメ男っぷりも久々に拝見して楽しい。

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2018.12.05

【芝居】「櫻井さん(毒づくも徒然)」MCR

2018.11.25 13:00 [CoRich]

新旧作品集、4本だての一本。90分。

ほとんど誰も気にとめない駅前の銅像の前で拳銃自殺した男。刑事たちが背景を捜査する。直前に会話した男、目にしていたはずの刑事たちは思い出せない。死んだ男は仕事もせず家族には詩人になりたいと話していた。雑紙の投稿で一度入選しただけで食える道は見つけられていなかったが、親は占いに入れあげて地元の名士が前世なのだという。男が死んだ現場に建っていた銅像がそれだった。

開演直前、作演の櫻井智也が舞台にあがり、中央にある銅像の台座に収まり、作演自身が銅像、という体裁。しばらくは喋らないけれど、父親や売れた詩人など役はその位置のままで役になったり。 自分が何者かをみつけられていない男の物語。

何者かになれると信じて生きてきているのに、なにもかもがうまくいかなくて、自分が何であるかを見つけたい気持ち。大きく括れば自分探しではあるのだけれど、今作の主人公ははるかに切実で切迫する気持ちで歩むのです。東大生の妹には馬鹿にされ、両親には心配されときに叱られな実家暮らしの日々の息苦しさ。そこなら行けるかも知れないと思っていた一縷の望みな詩作で大人に汚され(いい歳だけど)、自分の拠り所を改めて探さなければと焦り、母親が見つけてきた胡散臭い前世占いに縋らなければいけない絶望感。全体の雰囲気はコメディなのだけれど、物語全体を通してずっと低音で鳴っているような不安と焦りに起因する不穏さがとても印象に残るのです。

後半、「櫻井さん」はバーの主人というもう一つのシーン。刑事たちの日常の一杯で出会っただけの男だけれど、自殺した男に以前会っていたけれど刑事たち自身は覚えてないばかりか、詩を読ませ微妙な空気にされたこと。自殺した男自身も覚えてるか怪しいけれど、おそらくこういうことが日々積み重なって押しつぶされそうになって。同じバーらしい店で銃を入手するシーン。殺された男と同じ役者が演じ同じような造型だけれど金の入手方法などで別人、しかしおそらく同じような結末を辿るだろうどこにでも居るだれもがそうなるかもしれない、というシーンが見事。なるほど自殺した男もこうやて銃を手に入れたのだというある種の種明かしにもなっていて見事なのです。

自殺した男を演じた猪股和磨は気弱で華奢、悩み続ける感じが雰囲気に良く合っています。もしかしたら初演の2011年時点では作演・櫻井智也が感じていたかも知れない焦りを成功者たるとして銅像に収まって見ている構図が面白い。巻き込まれた男を演じた澤唯、悪意なく傷つけ自殺の引き金を引いたかも知れない刑事を演じた篠本美帆がきっちり支えます。年上の刑事を演じた安東信助はツッコミ役の前半の精度がよく、後半の自覚亡く傷つける鈍い男の造型もやけに説得力があるのです。

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2018.12.03

【芝居】「そこまで言わんでモリエール」笑の内閣

2018.11.24 17:30 [CoRich]

京都を経て 25日までアゴラ劇場。 115分。

「アレクサンドル大王」を上演中のモリエール劇団だが作家が契約に反して別の人気劇団での上演を許したことを知る。愛人や妻が女優として劇団の中に居たり、誰を抜擢するか、それぞれに役割をもたせて座組を維持しなければいけない状況の中での事件をきっかけにさまざまなことが噴出する。

いわゆる史実の隙間に挟み込んだ嘘をドタバタ喜劇に仕上げる一本。wikipediaでも読めるような史実ではあって、愛人の人妻、その娘を妻に、別の人妻を愛人にという人となりだったり、若い作家に肩入れして新作で評判を呼ぶ筈なのに裏切られたり、天才子役を寵愛したり。じっさいのところ全員が同じ場所に居るというわけではなさそうな時間軸の操作は感じるけれど、しかし、この劇団が、あるいはモリエールがどういう様子だったかを「喜劇として」感じ取ることができる楽しさなのです。観劇おじさんの描写はオジサン観客の今の姿にも地続きな感じもまた連綿と続くことだなと思ったり。

いちどは終幕したかにみえるけれど、カーテンコールの雰囲気で舞台にあがる作演は、プロレスのマイクパフォーマンスよろしく、いろいろな絶叫解説をするのも楽しい。喜劇は時代性でモリエールの喜劇をそのまま上演すると台詞は鋭く面白いのだけれど、オチがそれほど面白くならないとか、今でもこの時代の喜劇が残っているということのモリエールの凄さとか、twitterのない時代に場外乱闘よろしく他の劇団やあるいは宗教とか政治にも批判に描くということのある種の先進性、なるほど作演が劇団の源流のひとつ、というのもよくわかるのです。

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【芝居】「誰もいない国」新国立劇場

2018.11.24 13:00 [CoRich]

ハロルド・ピンター作を寺十吾が演出。 柄本明の主演も評判。11/25まで新国立劇場小劇場。休憩を挟み145分。

ロンドン郊外の屋敷。酒場で知り合った詩人男を家に連れ帰った老人。口数の少ない主人に気を遣って話しかけ、あるいは自分が友人になろうと提案したりするが、はなしが噛みあったりかみあわなかったり。 やがて若い男と中年の男が現れる。主人の同居人で、実は この家の主人は高名な作家なのだという。

酔って気が大きくなったりちょっとした撹乱な感じ。互いの立場を知らず酒場で意気投合して徐々に互いが見えてくることの緩やかしかしパワーゲームなところもあったりして。そこに老いによって混濁する記憶の混乱。 舞台は奥に向かって緩やか傾斜し、一番奥に別室らしい寝室のベッド。時折上から滴ったり流れたりする水は徐々に溜まり静かな浜辺のよう。水と地上を時に水に足を取られながら行き来する老人。 水は滴り続ける酒のようで、それが緩やかに溜まり、意識がぼやけたりはっきりしたりの行き来や足を取られる雰囲気でもあります。酔っ払いのぼやけた会話のはずなのに、突然それまでに築き上げてきたもののプライドゆえかマウンティング合戦のバランスオブパワーが首をもたげ、しかしそれを引っ込めたりすることもな行き来。

翌朝の光景はそのバランス微妙に変わるけれどやはりそれぞれの立ち位置の優位さを微妙に主張し合う雰囲気は変わらず。それは混濁した意識の中で相手を別人だと誤解していて、過去の悪い行いを白状してもなお、その枠組みが大きくは変わらないということに驚きます。男だからそうだとも思わないけれど、ジェンダー的に男の会話ってそうだよなあという感じは確かに感じるワタシなのです。

しかしこの不条理な目にあったり、共感したりとアップダウンの激しい芝居、会話がぐるぐるする楽しさ、それを支える確かな役者の力を感じるのです。とりわけ主人を演じた柄本明の好々爺な感じや威厳の瞬間、酒の前には平等な人間という感じの人なつっこさ。巻き込まれた男を演じた石倉三郎が困りながら、しかし相手への敬意を終始忘れないで居続ける、というキャラクタによくあっているのです。

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