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2018.12.17

【芝居】「逢いにいくの、雨だけど」iaku

2018.12.1 14:00 [CoRich]

iakuの新作。9日まで三鷹市芸術文化センター 星のホール、そのあと大阪。120分。

小学校の頃、絵画教室の合宿に出かけた夜、同級生の女子とのペンの取り合いで片目の失明をした男子。絵が上手くて期待していた両親。失明させた側の女子児童は亡き母親のガラスペンをこっそり持っていき、それを貸すかどうかの取り合いになっていたのだが、その父親は、失明した側の男子児童の母親と大学時代の知り合いで時々会っていた。女児の母亡きあとその妹が通ってきて育てていた。
年齢を重ね、成長した女子は絵本作家となり賞を受賞した。成長した男子はそのことを偶然知る。絵の道は諦め自動販売機の営業に回っている。その絵がかつて子供の頃に書いていたイラストそのままだと知っても怒る気持ちにはならず祝福したい気持ちではあるが、周りはもっと怒るべきだとけしかける。

幼くして片目を失明し絵を職業にすることを諦めた(かもしれない)男と、その失明のきっかけを作ったが絵の道に進み、絵本の新人賞を受けた女。その絵本がほぼ男がかつてかいていた羊の絵だった、という構図で二人が久しぶりに再会する、という物語。

片目を失明した男の側の周囲は憤慨しているのに、当の本人は大変ではあったけど失明のことも絵を窃用されたこともどこか他人事でそれほど大きくはとらえず。絵本作家の方も窃用を申し訳なく思う気持ちはあるけれど、ずっと心の中に刺さったままなのは、失明させたことをちゃんと謝ってない、ということなのです。時間が経って変化していく人々を細やかに描いているのです。

この一つの事故がきっかけに、それをどうとらえたか親たち二組の男女が離れていくというもう一つの物語。 男児の父親は失明の憤慨と妻への嫉妬に加えて「商品価値が下がる」失望感を露わにしたことで妻との距離が離れます。女児の母は亡くなっていてその妹が母親代わりに出入りしていて、女児の母になりたいと願い結婚も考え始めたけれどその距離感がまったくわからない父親。還暦の今さらになって再び出入りするようになってきたという終幕はその身勝手さに腹立つほどだけど、そこに収まることがいいことなのかもしれないとも思わせる絶妙の空気感で。親たちの間で嫉妬や愛憎の入り交じりが、その「事件」の頃に親たちも一杯一杯だったということを少しばかり意地悪く、しかし細やかに描くのです。

三鷹市芸術文化センター星のホールは実はちょっと難しい劇場で、舞台も客席も天井がやたらに高くスカスカになりがちです。最近の作品は客席を仮設し空間をぎゅっと小さく見せて濃密に見せるノウハウが溜まってきているようですが、今作は客席はほぼフラットな素のまま、かわりというか舞台を目一杯覆うような大きく急峻な大階段で構成。基本的には野球場の客席や河原といった場所を中心に物語を進めます。なるほど、フラットな客席のどこからでも見やすく、しかも舞台の空間がスカスカにならない絶妙な濃密さ。反面、このステップの上り下りの体力のみならず、細やかな芝居をこの気を使う空間で演じることで役者の負担は相当なものになると思います。

片目を失明した男を演じた尾方宣久は悲劇の中心に居るはずなのにどこまでも穏やかでフラットでありつづける説得力。絵本作家を演じた異儀田夏葉は苛まれ続ける濃密な人物の造形が見事、とりわけ泣くのを我慢する表情、そのちょっと強がる感じもとてもよいのです。

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