【芝居】「トリガー」ユニークポイント (演劇と映画って何が違う?)
2018.11.11 13:00 [CoRich]
80分の本編を全編上演後、そのうちの3分ほどのシーンを撮影・編集して映画として上演することを通して、演劇と映画の違いを体感するワークショップ的な4時間半。学習院女子大学・やわらぎホール。ワタシはたぶん初見です。
母親が認知症になりその介護のために実家である団地に戻ってきた夫婦。認知症が進み、冷蔵庫や棚を鎖で塞ぐほどになっている。しばらくは妻も長距離の通勤をしながら支えてきたが、家の匂いにたえられないと、東京に戻ってしまい別居が続いている。
上階には子どもの頃から行き来のある親戚の親子が住んでいる。ある日、母親がかつて働いていた施設で育ちお世話になっていたと、教え子が母親を訪ねてきて、その家で介護の手伝いをすることで居候するようになるうち、上階の親戚とつきあうようになる。
まず演劇での上演。
家を離れて親が歳をとり、介護が必要になるという時間の流れと、元々他人だった配偶者から義親をどうとらえるか、世界の見え方の違い。介護の負担が全て外からの収入を絶たれた専業主婦たる嫁に課せられていたかつての時代から、妻が経済力を持ち、むしろ稼いでいるから介護をしないと宣言できる自由を勝ち得たこと、別居し別の男の存在など、やや批判的な視線は混ざる気はするけれど、どちらがより収入を得ているかという絶対的で批判しがたい尺度を物語にもちこむことでそれを封じるのは巧いと思うのです。
母親が徘徊すること止めるため冷蔵庫に巻かれた鎖はかなりショッキングな描写であるのみならず、終盤では母親の死をその時点では明確には語らなくても、その鎖を外すということ(と、ぐらぐらしていた奥歯が痛みとともに抜けるということと合わせて)でごくスムーズそうとわかる、巧い「装置」として働いているのです。
その映像化。
別居した妻が別の男とともに久しぶりにこの家を訪れ、一刻も早く離婚届を手に入れて東京に戻りたい、という後半の場面を。男がある意味壊れる「トリガー」となるこのシーン。
たった3分のシーンを作り上げるために、監督はこの場面に自分の解釈を入れて描くという説明、たとえば夫の背中から妻と男を撮り、二人の背後から夫を取るという枠組みでどういう印象を観客に届けたいかという意図を伝わるようにつくること。あるいは編集を前提にして物語の流れとは関係なく効率のために時間とはバラバラに撮ったり、どの大きさで撮るか、「ちょっと嘘をついて」と言いながら実は立ち位置をかなり大胆に変えたり、怖く見せるためにどの高さの視点から撮るかなどの様々の工夫の数々。カメラからストレージに送り込んだものをリアルタイムでPC編集出来るというテクノロジーがあってこその見せ方、そのスピード感と合わせて、実に面白いのです。
その映像はYouTubeにもアップロードされていて、オリジナルの編集と視点を変えたもう一つの編集で違う印象がきちんと伝わってくる、という面白さで、勉強にもなるし、楽しい時間なのです。 -->
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