【芝居】「虹をみたかい?」文月堂
2018.11.3 19:00 [CoRich]
4日までMOMO。110分。
子供から高校生ぐらいまで子供を預かり家族のように育てる保育施設だった家。園長は妻を亡くし、自分の娘も施設の子供たちと一緒に同じように育て、いつでもみんなが帰ってこれる実家のような場所だといって育てていた。秋祭りを目指してお芝居を作って上演したり、タイムカプセルに大切なものをいれたりしていた昭和最後の年。
30年が経ち、園長からの手紙で「30年目の誕生日」を兼ねて集まる誘いを受けた入所者だった人々は成長しそれぞれの生活を送っている。手紙を出した後に園長は急逝し、その娘も家を出ていて空き家となっているこの家を売りたいということが伝えられる。
親と離れて暮らすざるを得ない子供たちのそれぞれの事情。ネグレクトや経済的な理由などそれぞれだけれど、その子供たちが30年を経て大人になった姿。子どもの頃の一生懸命さと純真な感じ。養子などの形でこの場所から羽ばたいても、それぞれに成長する過程での生きづらさを経験しています。実の親を反面教師に、「普通の家庭でいい母親になりたい」とか「結婚して幸せになりたい」、あるいは「技術を手にして仕事できちんと生きていきたい」と真剣に考えれば考えるほど、なかなかそうなれない焦りも一方ではあったりするのです。それでもそれぞれに成長して、大人になっていわば里帰りのように集う人々の姿。
物語はこの「里帰り」の人々を軸。それは、この施設でかつて育っていった子供たちが、成長し大人になって、苦労はしたし大出世とはいえないまでも、それぞれの生活を営んでいる人々と、それと対比するように、あの頃はいわゆる「普通で何もかも持っている」人々が、成長して結婚離婚を経験して何物かになろうともがいたり、金持ちだったのに踏み外して這い上がれないままホームレスになったりという人々のコントラスト、ちょっとほろ苦く。
何者かになろうともがく女はまた、この施設のオーナーの娘でもあって、実の娘と施設で預かっている子供たちが同じに扱われることの不満、いえなかった言葉を30年ぶりに発することで溶けていく気持ちでもあって。
昭和最後の年と平成最後の年、30年を経た二つの時間軸を舞台に交互に語られます。髪型や服での幼さの演出はあるにせよ、実際のところいい歳をしたおじさん、おばさんといった世代の役者たちが演じる子供の頃の姿は、最初は出落ち的な笑いが起きたりもしながらも、やがてどちらの時間でも自然に行き来するのです。それは自分が子供の頃の幼なじみが大人になっても変わらない姿に「見えている」ような、そんな感覚が蘇ったりもするのです。それは目一杯のテンションで年齢を重ねた役者たちが子供を演じることの楽しさでもあるのです。
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