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2018.10.13

【芝居】「Χ(キー)~代入解なき代替可分者の対話」パッチワークス

2018.9.29 11:30 [CoRich]

愛媛の劇団・パッチワークスがはるばる松本まで。深志神社で30日まで。40分ほど。 四国中央に住む主宰、遠く離れた松山の拠点の劇場に居る若い女。役者たるもの作り上げるものを察してほしいという気持ちに甘えるなと若い女が厳しいことを云う。 何のために芝居をしているのか、誰が存在してもいいということを示したいからという切実な気持ちの吐露。高齢者ばかりの町で医療従事者として働き日本に先がなさそうと思ったり、四国を襲う大雨の被害が出たり。あるいは自分自身が病に倒れたり。それでも舞台をつくりたいという気持ちの切実さ。それはやがて弱者は切り捨てようというかつての時代を重ね合わせ。

二人の役者と一人の舞踏家で構成。ちょっと厳しいことを云う若い女性の劇団員という世間とか正論に近い立場の人物を置き、物語全体を貫くのは、どちらかというと自分に対して延々と繰り返す問いかけなのです。なぜ自分は芝居を作りたいのか作るのか、それは「誰もが存在していい=多様性の担保」なのだということ。台詞の上では早々に結論にたどり着いてしまうのだけれど、主宰の男をとりまくさまざまな状況が徐々に開示され置かれた状況の厳しさが見えてくるけれど、それでも貫きたい、という自身の宣言に近い感じ。

高齢者が多い町に暮らし、医療従事者で、芝居の現場へ通う日々はとても遠く、大雨の被害のダメージはとても大きく、しかも自らも病に冒されていて。開示される状況は地方だからというものもあるし、この個人に依るものもあるけれど、なかなかハードで厳しいものばかり。その中で決心を貫くことの困難さ。時に弱気になり時に怒号となって。同じ一つのことを繰り言のように吐露を繰り返すのです。

なぜ「誰もが存在していい」ことを示すものを作りたいのか、というあたり、ヒトラーの映像が重なったりしつつ、ちょっと主語が大きくなる感はあるけれど、今の世間の続く道の先に、こういう事が起こるかも知れないという恐れの気持ちの切実さはとてもよくわかるし、そこに抗いたいからこそ、自分は演劇を続けるのだという気持ちは悲壮感すら漂うけれど、あまりに切実だということが荒削りに迫ってくるようなのです。

正直にいえば、四方囲みの客席に対して、開場中や上演中にいくつか床に投影される映像、とりわけ字幕がついたもの(上演前の諸注意も含め)は、ある一方に向けた字幕しかないのは惜しい。それほど重要な情報でなかったとしても、読めないとか読むのが困難だというのは想像以上に観客にはストレスだと思うのです。繰り返しが多いので四方向に順に字幕出すだけでもだいぶ楽になる気がします。

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