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2018.09.28

【芝居】「死旗」sumazuki no ishi×鵺的

2018.9.16 19:30 [CoRich]

tsumazuki no ishiと鵺的の合同公演。110分。18日までスズナリ。

山奥の村、男たちは女を奪い、犯し、若くなくなると殺し肉を食べて生きていた。村の大木の下で雷を受けた特別な能力を手に入れた男がここの村の全てを司っている。女のなかの一人は、それでも達観し、村長の女となって、地位を得ていた。
新たに奪われてきた女たち、農村からの二人は男たちに虐げられていた自分の村から逃げてきたが再び、町娘の姉妹は姉が妊娠していて妹は姉のことが嘘にまみれていると感じ嫌っていて。もう一人の女は実は忍者で、愛した女がさらわれたのを追ってきた。
男たちの間でも、一人を愛したいと考え人肉を食らいたくないと考える男や、女を犯すのは怖くてむしろその風貌から男たちの慰み者となっている男は、女たちと村を逃げ出そうとするが、助けを求めた医者のもとでみたのは女たちの死体から組み合わせて作り上げ、死んだ村長の局部も持つ「残美」と呼ぶ人形だった。

うっそうとした森がスズナリ一杯に建て込まれた舞台にまず圧倒されます。序盤ではこの村の粗暴な男たちが女を快楽の道具としてのみならず、食料としても利用するだけの存在として描きます。いわゆるアングラを通り越してスプラッター強めのカルトムービーの様相。殺され食べられてしまうと次の女たちを拉致してくるサイクルで連れられてきた女たち。

村の中でも理性的だったり虐げられる側の男たちと、さらわれてきた女たち、この村の中で権力のある男たちをうまく渡り歩く女などを描きながら、女というだけで搾取されるこの世界を変容させていく女たちを描く物語、ワタシの頭に浮かんだのは映画「マッドマックス・怒りのデスロード」なのです。もっともその変化の要となるのは、殺された女たちの部分をつなぎ合わせて作られた残美(つまり、ゾンビか)と偶発的な雷のパワー、何者をもなぎ倒しながら進むパワー、さらにはその男根から放たれる大量の精液が降り注ぎそれを浴びた男たちが孕むというある種の奇跡というかファンタジーなのです。物理的な力の強さと妊娠という二つの要素が男女のバランスオブパワーを決めることが多いというのは確かに一つの見識で、それを乗り越える力を女性たちが得たときに、時代が変わる、という作家のメッセージを感じるワタシです。なるほど。

どちらかというと演出の領域ですが、この物語を描くに当たり、この世界の酷さを強調するような序盤は評価の分かれるところかもしれません。 女優が胸をはだけたり、極度に暴力的なシーンが多く、男であるワタシが観ていても本当に不快なシーンなのです。作る側のことは想像しかできないワタシは作家・演出・役者の同意に基づいて意図的な強度だとは信じるけれど、繰り返し演じられる舞台で暴力を振るう側も受ける側も役者にストレスがかかりそうな芝居、は心身どちらも安全で適切にケアされていることを願うばかり。それだけの迫力だったことは間違いなく、圧倒的な迫力なのです。ところどころに挟まるコミカルな忍者、医者たちはちょっと息抜きな感じもあって、ワタシには嬉しいリズム。

物語を背負う女たち、とりわけこの村でうまく生きてきた女を演じた川添美和の美しいしたたかさの反面いわゆる名誉男性に近いような危ういバランスの役を力強く。バケモノ、という役を演じた福永マリカ、女性にも愛され残美の顔にもなるという美しさの説得力。忍者の女を演じたとみやまあゆみは凛としてカッコイイ。 女の側につく男たちもまた一つの要素。男たちの手慰みになる男を演じた祁答院雄貴はその可愛らしさが説得力。人肉は食べないと決めた男を演じた今井勝法はちょっと優男な面がでていて新しい魅力。

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