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2018.09.28

【芝居】「死旗」sumazuki no ishi×鵺的

2018.9.16 19:30 [CoRich]

tsumazuki no ishiと鵺的の合同公演。110分。18日までスズナリ。

山奥の村、男たちは女を奪い、犯し、若くなくなると殺し肉を食べて生きていた。村の大木の下で雷を受けた特別な能力を手に入れた男がここの村の全てを司っている。女のなかの一人は、それでも達観し、村長の女となって、地位を得ていた。
新たに奪われてきた女たち、農村からの二人は男たちに虐げられていた自分の村から逃げてきたが再び、町娘の姉妹は姉が妊娠していて妹は姉のことが嘘にまみれていると感じ嫌っていて。もう一人の女は実は忍者で、愛した女がさらわれたのを追ってきた。
男たちの間でも、一人を愛したいと考え人肉を食らいたくないと考える男や、女を犯すのは怖くてむしろその風貌から男たちの慰み者となっている男は、女たちと村を逃げ出そうとするが、助けを求めた医者のもとでみたのは女たちの死体から組み合わせて作り上げ、死んだ村長の局部も持つ「残美」と呼ぶ人形だった。

うっそうとした森がスズナリ一杯に建て込まれた舞台にまず圧倒されます。序盤ではこの村の粗暴な男たちが女を快楽の道具としてのみならず、食料としても利用するだけの存在として描きます。いわゆるアングラを通り越してスプラッター強めのカルトムービーの様相。殺され食べられてしまうと次の女たちを拉致してくるサイクルで連れられてきた女たち。

村の中でも理性的だったり虐げられる側の男たちと、さらわれてきた女たち、この村の中で権力のある男たちをうまく渡り歩く女などを描きながら、女というだけで搾取されるこの世界を変容させていく女たちを描く物語、ワタシの頭に浮かんだのは映画「マッドマックス・怒りのデスロード」なのです。もっともその変化の要となるのは、殺された女たちの部分をつなぎ合わせて作られた残美(つまり、ゾンビか)と偶発的な雷のパワー、何者をもなぎ倒しながら進むパワー、さらにはその男根から放たれる大量の精液が降り注ぎそれを浴びた男たちが孕むというある種の奇跡というかファンタジーなのです。物理的な力の強さと妊娠という二つの要素が男女のバランスオブパワーを決めることが多いというのは確かに一つの見識で、それを乗り越える力を女性たちが得たときに、時代が変わる、という作家のメッセージを感じるワタシです。なるほど。

どちらかというと演出の領域ですが、この物語を描くに当たり、この世界の酷さを強調するような序盤は評価の分かれるところかもしれません。 女優が胸をはだけたり、極度に暴力的なシーンが多く、男であるワタシが観ていても本当に不快なシーンなのです。作る側のことは想像しかできないワタシは作家・演出・役者の同意に基づいて意図的な強度だとは信じるけれど、繰り返し演じられる舞台で暴力を振るう側も受ける側も役者にストレスがかかりそうな芝居、は心身どちらも安全で適切にケアされていることを願うばかり。それだけの迫力だったことは間違いなく、圧倒的な迫力なのです。ところどころに挟まるコミカルな忍者、医者たちはちょっと息抜きな感じもあって、ワタシには嬉しいリズム。

物語を背負う女たち、とりわけこの村でうまく生きてきた女を演じた川添美和の美しいしたたかさの反面いわゆる名誉男性に近いような危ういバランスの役を力強く。バケモノ、という役を演じた福永マリカ、女性にも愛され残美の顔にもなるという美しさの説得力。忍者の女を演じたとみやまあゆみは凛としてカッコイイ。 女の側につく男たちもまた一つの要素。男たちの手慰みになる男を演じた祁答院雄貴はその可愛らしさが説得力。人肉は食べないと決めた男を演じた今井勝法はちょっと優男な面がでていて新しい魅力。

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2018.09.27

【芝居】「ながれぼしのきもち」キャラメルボックス

2018.9.15 18:00 [CoRich]

110分。24日までザ・ポケット。そのあと、埼玉、兵庫、埼玉。中野のポケットスクエア、発祥のザ・ポケットから20周年記念の公演。

建築会社を辞めたばかりの男に弁護士から連絡がくる。半年前に亡くなった祖父の遺産・瀬戸内海の島にある旅館を相続する意志を確かめるものだった。離れて暮らす一人暮らしの母親は勘当され実家をでていたため、この男は一度も祖父にあったことがなく興味はなかったが、三億円の価値があるときき、売却を考え、現地を確かめに訪れる。
営業していないはずの旅館では祖父と晩年を過ごした恋人がまだ旅館を営業していて、営業を続けさせる代わりに孫娘と結婚しないかと持ちかけ、孫娘もそれをすぐに承諾する。三億円の価値があるのは間違いだと云うこともわかった夜、鳴らなくなったラジオが突然鳴りだし、男の前に親子らしい男女が現れる。

キャラメルボックスの本公演としては破格にコンパクトな小屋のプレミアムな公演。作演が真柴あずきというのも久々な気な気がして嬉しい。

若くても挫折を感じている男が突然巻き込まれる祖父と母の物語。母親は勘当されて家を出てきたと聞かされていて、祖父とは会ったことがなく、自分が生まれる前の祖父と母親の若い頃の物語を目の当たりにするのです。仲のいい親子で跡を継ぐことを信じて疑わなかった二人だけれど、成長につれすれ違い、恋人の存在が二人の間を引き裂いてしまうという時間の流れを描くのです。

この幹となる物語を中心にしながら、その祖父が晩年を供にした恋人とのゆるやかに過ごした日々の話や、あるいは母親と息子の関係だったり、その息子が台風で旅館を守ることを通じ、五年とはいえ建設会社で働いて成長してきて、これからも成長していくことを描くのです。

物語の中での置き場所はちょっと違和感があるけれど、軽口を叩く若い作家、ひょいと出かけたサイン会で仕事仲間を守るために喧嘩を買って、怪我をして帰ってくるというシーンがわりと好きです。売れっ子の小説家が仕事の仲間を守る矜持の美しさ。演じた森下亮は普通にカッコイイのを再確認。

ごく小さなシーンだけれど、祖父と晩年の恋人の何気ない日常の会話はなんということのない日常だけれど、もう失われた会話という背景、コンパクトな劇場での高い精度の会話というぜいたくな空間に見応えと感じるのはアタシがむしろこちら側に近い世代だからか。演じた西川浩幸、石川寛美もよくて、真柴節。あるいはア・ラ・カルトの終幕前、老夫婦の会話のような持ち味。

序盤で結婚話に即答した孫娘の秘密、忘れた頃にその秘密が終幕で明かされます。自分はすっかり忘れていたことだけれど、相手は覚えていた昔のこと、なかば自暴自棄な男だけれどこれまで生きてきたあかしのようなもの、間違いなく、あるということがフィードバックされるのは勇気を貰えるのです。演じた関根翔太、大滝真実がきっちりと物語の主軸を担うように成長していることを嬉しく思うのです。

今作でワタシがとりわけ巧いと感じたのはお手伝いさんとして料理担当という女性を演じた岡田さつきなのです。おだやかさと熱情の振れ幅の精度の高さ、客席との距離が近いからこその繊細な芝居がとてもよいのです。

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2018.09.25

【芝居】「サンパティック☆ブロンコ」Q+

2018.9.15 14:30 [CoRich]

休憩10分を含み135分。ワタシは初見の劇団です。17日までラゾーナ川崎プラザソル。

女だけの踊りの旅一座。さまざまな場所を巡る。蚕と絹が唯一の産業の貧しい国を訪れた一座の一人は、地元で働く若い男と一夜の恋に落ちるが、翌朝、踊り子は一座とともに去る。一年後、再び訪れた一座の女は男に男児を預けようとする。一年前のあの夜の子なのだという。一座には男児は捨て、女児は奪って手に入れるという掟があって助けた一心だが、男は女とその子供とともに、駆け落ちすることを選ぶ。
二十年後、駆け落ちした二人には三人の子供ができて旅の一座を旗揚げしているが、女が元居た一座を避けるようにしちえた。養蚕の村の村長が迎えた妻は民衆の貧しさにもかかわらず、贅沢が好きで、蚕の糞を爆薬の材料とすることを聞きつけ、必要な木材を神の木と呼ばれる大木を切り倒して手に入れ、この国の王に仕える元神父と結託しようとする。近隣の国から土地を奪えばずっと楽になると考えている。

歌やダンスわりと本気に交えた構成。盛り込まれるダイナミックなダンスをいくつも挟み、逃避行を続ける家族の一座、持つ物と持たざる物の格差、貧しい国の生存戦略としての兵器開発などの要素を盛り込みながら、愛情と駆け引きが渦巻く大河な物語を描きます。

女だけの一座を女児の略奪で成立させていることも、にげる人々をおとりに使うことも、武器を手に入れ略奪を画策することも、個々に観ればどうしても善悪があるけれど、それぞれに持っている正義を感じさせるだけの説得力。もっともその描かれ方の深さにはどうしても差があり、すべてが切実なものとして感じられるわけではないけれど、わりと人数の多い芝居では正直それは難しいのもわかります。

舞台中央奥には端切れをパッチワークして柱状に作られたものが物語の鍵の一つとなる大木を模して立てられ、角材で作られた立方体と、それを二つに分割したコの字状のフレームを切替えながら、劇場、一座の団欒、村長の家などいくつかの場所を作り出していきます。抽象的でシンプルな割に見た目ががらりと変わる美点はあるものの、正直にいえば切替えは意外に煩雑で場面の切替えで物語のリズムが寸断されるように感じるのはちょっと勿体ないところ。寸断のもったいなさといえば休憩もそうで、何か理由があるのだとは思うけれど、休憩をなくしてあと10分削って一気に観たいなというのが正直なところ。

ことさらに「社会人劇団」を謳うプロモーションなので、もうすこしサークル発表会的な物を想像していったけれど、失礼ながら思いのほか重厚でパワフルな舞台の熱量、きっちり乗れたのが嬉しい誤算だったりするのです。

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2018.09.21

【芝居】「きっぽ」ぱぷりか

2018.9.8 19:00 [CoRich]

三鷹市芸術文化センターがmitaka nextと題して若手を招聘する企画のひとつ。17日まで。

バツイチどうしで再婚した男女、それぞれに子供を連れて妻の家に住む。妻の側は息子が会社を辞めて無職のまま同居していて、娘と妻の姉も同居しているが、入院している母親の面倒を見ているのはほぼ妻ひとりで。夫の側は一人娘、近所にできた友達は妻の子供たちの幼なじみでもある。近所でゴミ集めのボランティアをしているおじさんとも仲がいい。妻の息子は夫の娘に恋心を抱いていていちゃついている。

東京で何かに破れておそらくは金銭的な意味で女の家に結婚という形で転がり込んだ男とその娘。カメラマンではあるけれどこちらでは仕事なく、そのくせ東京からというプライドゆえかこの土地を見下しているところはあって、カメラを担いで出勤し日雇いの日々なのに金も一銭も入れず、というのが全体の構図。

妻はこの家にずっと住み、一度は離婚を経験しながらも、子供たちや姉との同居に自分の新たな伴侶たちとの同居で自分が理想として描いていた朗らかな家族と暮らしがあって、しかし現実はそれとはほど遠く、肉親はともかく、幸せに欠かせない一つのピースであるはずの夫が、もっとも冷たいことでどれだけ妻が辛く感じるか。とりわけ、終盤母親が亡くなり姉が外食で焼肉に行こうといってるなかで夫がハンバーグを作れと要求する理不尽さはいかほどのものか、と思うのです。

妻が思い描く理想(空想)と、それとはほど遠い現実の境界線を曖昧にないまぜに描くスタイルです。現実の日常にあるわずかなきっかけで切り替わりながら、不満は蓄積していき。この息苦しさの行き着く先、どう収集をつけるかが結構難しいところだけれど、作家は(当日パンフに片鱗があるけれど)抱きしめるように物語を終幕します。つまり、同居する姉も自分の娘も日常として優しく朗らかというわけではないけれど、積み重ねていく不満や疲労をきちんと感じ取り妻を見守っているこの二人が居る、ということなのだと思うのです。

わりと広めに作った中心の舞台、ちゃぶ台が一つ、舞台の外側に、家の外を感じさせる領域。そこに住んでいる人、その少し外側の世界のふたつをするりと行き来し、ときになんの断りもなくふたつの領域をまたぐのも含め、思いのほか違和感がなくてミニマムな道具立てで舞台を広く使う面白さ。

夫を演じた瓜生和成は優しく見えて、終始フラットで居続けるのにヒールで居続ける力。妻を演じた川隅奈保子は脇にいながらきっちりと主役、確かな力。近所でゴミ拾いをするオッチャンを演じた安東信助は優しくぼんやりというイマドキの田舎の町の風景と思わせて、普通にまちなかにある恐怖という振り幅をきっちり。姉を演じた坊薗初菜のちょっと怖い雰囲気だけれど、全体を見渡している全能感がとてもいいのです。

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2018.09.12

【芝居】「大脱走」おのまさしあたあ

2018.9.7 19;30 [CoRich]

3時間近くの名作映画「大脱走」(wikipedia)を独り芝居でぎゅっと圧縮した90分。ワタシは映画未見です。90分。9日まで絵空箱。

百均で買いそろえたという、ちりとりと突っ張り棒で自立させて似顔絵をつけて舞台上に立たせ、それぞれの横に近づいてその役を演じるというフォーマット、なるほど。舞台中央にはこれまた百均のワイヤーラックで二つの塔や塀をつくり、タミヤのドイツ兵やミニカーを並べてジオラマ的に収容所をつくり、サーチライトはLEDの懐中電灯。芝居の一つの方法である見立てを存分に生かした楽しさ。

初めて触れた物語の印象は前半はチームがさまざまな苦労の末成功する、という明るい物語。後半は「俺たちに明日はない」をちょっと思い出すような、無常観なのです。

映画のテレビ放送では前後編に別れて放送されたという長い物語は、前半は脱走を成功させるまで、後半は脱走したあとの物語。史実をベースにつくられたゆえにハッピーエンドではないけれど、時に重く、時に軽快に描きます。圧縮したとはいえ、若くない役者が全編90分を汗だくで息を切らしながら(とりわけバイクシーンは無茶がすぎる)一人で演じきることはちょっと見世物感もあって、それもまたコミカルな雰囲気でもあって観客としては気楽に楽しめる一本なのです。

物語としては全編を演じていますから、ネタバレではあるけれど、たとえば町山智浩のの映画紹介(TBSラジオの書き起こし)に近い感覚で、それでもちゃんと観たいと思うワタシです。あるいは身体での見立てという意味では劇団・惑星ピスタチオも思い出すワタシです。

来年は映画「ゴッドファーザー」を同じような一人芝居で上演予定、というのも楽しみ。今度はちゃんと元の映画観てから行くかなぁ。

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【芝居】「ペストと交霊術」Ne`yanka

2018.9.1 19:00 [CoRich]

3日まで、APOCシアター。105分。

交霊術を使う姉と同居する妹。ペストの流行に怯えていて神から長生きの呪術のために死体が必要だと告げられる。元妻の交霊を求める男と友人の男、死体は手に入れたいが自分で手を下したくない姉妹は自殺しそうな一人として、喧嘩して家を出てきた姪っ子を追いかけてきた夫を選び、遺書を代筆させる。

一つの部屋で起こる一晩のホラーな物語。謎がいくつも示されつつ、それが解決されるというよりは、ゴシックテイストの少し耽美な世界を美しく描き出すのです。何が起こっているかはわかるし、 人々の恐怖や欲や愛をさまざまなバリエーションでショーケースしている、ということは分かるのだけれど、正直に云えば物語の何をヨスガに読んでいけばいいのかに戸惑うアタシです。 物語の起点はペストへの怯えと呪術によって延命を企てる姉妹で、客としてやってくる男性二人、姪っ子夫婦、その使用人たちそれぞれの愛情のありかたへと転調していくのです。男性の二人客は妻と離婚した男と、妻が次に恋人とした男の二人なのにゲイの関係になっているとか、姪っ子夫婦のヤキモチな感じとか、使用人たちは主人たちから隠れて乳繰り合うかんじなど、わりとやりたい放題ではあります。 姪っ子を追いかけてきた夫の死体を手に入れることに決め、なぜかわからないけれど自殺して貰えて、もっと生きていけると思った姉妹なのに、姉があっさり心不全で死んでしまうという無常観が物語全体の雰囲気かなと思ったりもします。

映画「カメラを止めるな」で妻を演じたしゅはまはるみ( 1, 2)は、主役となる姉、きっちりと新劇のような重厚さと時々軽やかに。姪っ子を演じた福永理未は夫が気を揉むことの説得力のある可愛らしさ、メイドを演じた河南由良は意外にフラットでいつづけて、でもいちゃつく感じも楽しい。

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2018.09.10

【芝居】「LOVE Chapter4」シンクロ少女

2018.9.1 15:00 [CoRich]

ドラマのように共通の登場人物で一話完結の物語を連続して上演していくLOVEの第四章。ワタシはchapter1の再放送のみ観ています。

恋人になった武田とユミはまだ浮かれている。恋人の陳さんを追って中国に渡った大岡は結婚し子供ができ、久々に日本に帰国しているが、中国で生活を続けるのがいいのか疑問を感じ始めている。たんちゃんは恋人のはずのヨシノが会ってくれないと気をもんでいる。 ユミの姉のサクラは離婚したが、八戸に住む元夫にどうしてもいいたいことがある。息子・ミサオは八戸に行くのがいやだというので、ユミに預けにくる。が、ミサオは愛は馬鹿馬鹿しいと思って信じていない。

軸となるカップルばかりでなく、複数のカップルの物語を並行して描きます。登場人物は少なくても、複数の人々それぞれのストーリーラインを持ち、それぞれを縫い合わせるように違いを関係させていく、かなり複雑な物語。なるほど、海外テレビドラマのようという形容が凄く腑に落ちるのです。

どうしても忘れられない元カレのことだったり、恋人でちょっと浮かれていたり、子供ができて生活が変化したり、あるいは別れそうになったりということがさまざま。口調が激しいところがあったりしても、それぞれの人物は若くないなりの恋愛の不器用さがそれぞれのキャラクターで造型されていて、シャイだったりどこか頑固だったり、云いたいことが云えなかったり、一時の気の迷いで浮気したり後悔したりという「大人」を描き出す重厚な物語は連続して観てこそ。見逃しているワタシ、Netflixよろしく一気観したい気がするのです。

武田を演じた櫻井智也はMCRにあるような切れ気味とか悪ふざけキャラがなくフラットで居続ける男を丁寧に。恋人・ユミもちょっと体温低い感じなのがリアリティ。その姉を演じた川崎桜はちょっとエキセントリックだけど、どうにもコントロールできない女のちょっと哀しさ。その息子を演じた加藤美佐江は得意な男児キャラだけど、愛を信じていなくて時々鋭い言葉もあったりして印象に残るのです。

一話完結とはいえ、それぞれの関係の積み重ねが必要な物語。当日パンフにはこれまでの三つの物語のあらすじが書かれています。真っ黒になるほどの分量で、とても参考になるし、嬉しい気配りなのです。劇団webにもちゃんとアーカイブしていてとてもよいのです。

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2018.09.08

【芝居】「吐く」aibook

2018.8.31 19:30 [CoRich]

笹峯愛率いるaibookの新作。105分。9月4日まで駅前劇場。

地方都市、アトリエを共有している3人。3人で作った作品が認められて駅前に置かれたりしている。役場や自営業でそれぞれに仕事を持っていて、地元のイベントのポスターを請け負ったり定期的に集まったりしているが、作品にはなっていない。リーダー格の女は作品を作れないことに焦っているが、役場で働く女や理髪店で親と働く男はあまり気乗りしていない。
東京で華々しい活動をしていた芸術家が引っ越してきて絵画用品店で働き生活を始める。リーダー格その作家のファンで、アトリエを共有しようと持ちかける。その母親は一度小説を出版しているが、最近はそれほどぱっとしない。女を使いがちな母親に対しては嫌悪感を持っている。
地元にはセメント工場の建設が計画されていて、雇用が期待出来るが環境を破壊すると反対するものもいる。セメント工場の会社は先行して養護施設をつくっている。そこの所長は会社の御曹司でリーダー格に好意を寄せている。セメント工場の建設を働きかける女性社員は地元の出身で、理髪店の男は何度も告白してはふられている。理髪店を営む親はセメント工場の建設に反対している。

地方都市と暮らしと若くはなくなった人々がアーティストとして生きることはどういうことか、という濃密な物語。東京という憬れがあって、若い頃はその衝動ゆえに楽しく活動することができて、小さな成功があったとしても、コミュニティの中でそれなりに生活をしていくことのしがらみだったり、現実を感じることだったりという温度差が生まれてくること。小さなコミュニティゆえに、一つの工場ができるということの影響が大きく、賛否のポジションをそれぞれがとらなくては生きていけないという現実。

普通の日常、アートをなんとかできるかどうかのもがき、そんな中に現れた東京で人気だった芸術家が現れることで希望を取り戻すリーダー。地元に戻ったゆえに何もかもが珍しく、少しばかりの余裕もあって住民運動に参加したりそれがうまくいかないとワークショップを楽しいと思ったり。彼自身のあらたな拠り所ではあるのだけど、かならずしも巧くいかないことはあからさまで。

ちょっと浮かれ気味のリーダーにちょっと距離を持って見守るメンバーたちや母親。ずっと見守ってきたけれど、終幕に至り、母親が宣告するのです。それは、キレイで純粋な理想ばかりでふわふわと生きている娘への対しての強い叱咤でもあって。芸術に憧れはあっても地元を出て行く勇気もなく、その場所でできることをしようとしている中途半端さだと指摘し、利用できる物を利用して自分をフックアップしていくことが大切と説くのです。同時に、東京からの芸術家はまさにそんな存在にうってつけに見えているだけで、せっかく目の前にその活動を支援し、好意を寄せてくれる余裕のある人間がいるのだから、そちらを取るべきだとも。 それまで娘から嫌われるぐらいの扱いだった母親のこのシーンの迫力は凄くて、目が離せません。演じた山像かおりの圧倒的な力。 芸術で生きていく、ということを現実とどう折り合いをつけていくかということはおそらくは役者や作家といった彼らそれぞれの生き方に直結していて、そのちょっと苦い結末もまた地に足の付いた物語で、それは序盤で語らえる「自分の置き場所」ということなのです。

アートグループのリーダを演じた長尾純子は理想に生きるちょっとふわっとした女性をきっちりと。メンバーを演じた今村裕次郎、菊池美里、セメント工場の社員を演じたもたい陽子はそれぞれの現実の着地点で生きるリアルな人物を。 御曹司の男を演じた若狭勝也はちょっと現実感がないような王子様像にやけに説得力。 東京から戻ってきた芸術家を演じた有馬自由は年齢を重ねて先が見えてきた男のかっこ悪さも含めた姿がちょっといい。  

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2018.09.05

【芝居】「Nf3Nf6」パラドックス定数

2018.8.26 18:00 [CoRich]

2006年初演2007年の別団体での上演2011年の再演に続いて。

先週の公演とはうってかわって、L字型にくまれた客席、黒板となる壁、横長の舞台は初演を思い起こさせます。 捕虜収容所、ナチスの将校と捕虜の数学者。同窓で互いに才能を認め合う知り合いだと気づき、しかし今の立場はずいぶんと変わってしまっていて、しかし命は助けたいという窮余の一策の一部屋のものがたり。

強固と云われたドイツの暗号が筒抜け、その暗号を作ったものとそれを解読したものの対峙。しくみは二人の間で共有できていて、それはどうしてそんなことが思いついた、どうして解読に至ったといった人に対する興味。この戦争がどうなってしまうのかも薄々わかっていて、それなのにまだ捕虜の射殺は続いていて。

ドイツの暗号機械・エニグマ (wikipediacnetwebのシミュレーションは楽しい) を巡る史実に、もしかしたらその作者と解読者が知り合いで再会していたら、という作家の想像力を忍び込ませた物語は息詰まる二人芝居。大学では自分と同じレベルの友人が居たのに、戦場では狂ったキングを担ぎ、実際には自分一人が背負うしかないという気が狂いそうな状況の中、捕虜の中にかつての友人を見つけた将校は救われたのか。もう一つの物語、解読し、おそらく暗号を作り出したのは知人だと確信し、むしろ裏切る方向に解読を遅らせ、手加減していく捕虜の側の物語。解読は間違いなく正義だけれど、親友を助けたいと思うあまりのこと。

終幕近く、チェスや数学は美しい世界、人を殺さない、が人を生かしもしない残酷な学問だという台詞の実感はないけれど、厳しいゆえにできる人は少なくて、だからこその親友だという深さを感じるのです。

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2018.09.04

【芝居】「万!万!歳!-2018ver.-」マグカル劇場 青少年のための芝居塾 / studio salt

2018.8.26 13:30 [CoRich]

2017年作を改訂し、新たなメンバーによる芝居塾の公演。90分。青少年センター・ホール改め青少年センター・紅葉坂ホール。

老人介護施設の日常、静かだけれど小さな諍いとか認知症に起因する無気力などの、老いた人々と介護する人々の現実の姿。職員たちの働き方の問題も混じえて。

何を云っているかわからないような老人たちにも考えていることはあって、内面にあるものを伝えられないだけで、つまりは普通に生きている人なのだというごく当たり前のことを起点に、彼らにもちからいっぱい弾けるような若い時代があるという事実と、戦争から戦後という時代が背景にあったのだということを編み込んだ構成なのは変わりません。 老人たちの妄想あるいは若い職員のうたた寝として表されるその時代は赤紙や空襲、千人針や出征、汽車は兵隊さんを乗せ、という明確に過去の戦争のことだけれど、どこかわたしたちの今やこれからに繋がりかねないきな臭さでもあるのです。 戦争に負けていないと信じていたり、赤紙を配達して回って多くの人を死に追いやったと後悔していたり。その時代を背景にかいくぐって生きてきた人の言葉の重さと、結果としての痛々しさと。

去年は無かった新しい要素は、同性に恋心を持つがそれを伝えられるか、成就できなくても対等な人間として友人として続けられるか、というもう一つの要素。昨今のLGBTQはとても大切な課題だけれど、この物語の骨格に対する要素としてはやや取って付けたように感じるアタシです。

足踏みならしSTOMP!よろしくリズムを刻む一連のシーケンスは今作の骨格となる魅力の一つ、かなりボリュームアップになってる気がするのだけれど、どうだろう。パフォーマンスをきっちり見せる、というのは若い役者のための芝居塾という枠組みの中では明確に見栄えがいい、というのは、モチベーションという意味でもとてもいいことだと思うのです。

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