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2018.08.14

【芝居】「九月、東京の路上で」燐光群

2018.8.4 19:00 [CoRich]

関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺にまつわる調査・考察をする同名のblogとそれをまとめた書籍を原作とした舞台化。5日までスズナリ。145分。

千歳烏山・烏山の神社に集まる人々。虐殺された朝鮮人を悼むために植えられたとつたえられる椎の木が13本あったがそれが4本に減っていて、オリンピックをめぐるクラウドファンディングへの応募にその復活を求めるものがあったために調査するために集まった。その虐殺の足跡を辿る。
国会議員に自衛官が「国民の敵」と発言し咎められるが、それは確信犯で、シビリアンコントロールを弱めることが正しいと信じている。
烏山神社の椎の木が更に切られ、虐殺の歴史を快く思わない人々が忍び寄る。

関東大震災の時にデマによって朝鮮人・中国人が虐殺されたとする記録を訪ね歩くblog・書籍をもとにして、自衛官のシビリアンコントロールの問題を重ね合わせて描く、いま、ここで再び起こるかも知れない悲劇を現在からの地続きに描きます。名作・CVRから続く報告劇のスタイルなのです。

明確な悪意だけではなく、普通の市民達も震災の不安の中で虐殺する側の輪に加わってしまう集団心理や、一度発せられた公的な誤報はすぐに訂正されてもそれが行き届かないこととなど、あの震災の時に同時多発した悲劇をほぼ時間通り、それぞれの場面を描いていきます。史実として聞きかじって知識としては知っていても、ほんとうに些細なキッカケで起きること、あるいは彼らを守るためのいくつかの救済策が意味をなさないばかりか逆効果になってしまうことなど、起きたことを緻密に描くことで、私たちもいつ加害する側にまわるかもしれないという懸念を直接感じ取ることができるのです。

いぽうで、自衛官とシビリアンコントロールの問題は、虐殺のいくつかの現場で起きた軍による「討伐」と重ね合わせ、虐殺を加速する暴力装置として働く機能があることを描きます。終幕ではフェンスに囲まれた市民たちがシビリアンコントロールを無くした自衛官の暴走、それに追従する人々という形で、私たちが加害される側にまわる恐怖も強い迫力で訴えるのです。

ヘイトする側は、正義と考えて加害する側にまわるのは簡単に始めるのに、ささいなきっかけで自分が加害される側に貶められることを想像できないという両方の側面をきっちりと描いているのです。ワタシ自身がいつそうなってしまうかもしれない、と少し怖くなったりもするのです。現在がそうなってしまわないようにきちんと過去に学び、無関心ではいないようにすること、生き残ったものたちの義務なのだという強いメッセージなのです。ワタシにしたって、無関心を装うことがかっこよくてそれでも大丈夫だった時代は既に過去になっていること、ちょっと自覚しないとな、と思うのです。

議員や正力松太郎を演じた大西孝洋の迫力と少しコミカルな人物造型の圧倒的なリアリティ、自衛官を演じた荻野貴継のマッチョで冷ややかな目線の恐怖かと思えば迫害される側も演じるコントラストもよいのです。

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