【芝居】「睾丸」ナイロン100℃
2018.7.21 18:30 [CoRich]
休憩10分を含み195分。29日まで東京芸術劇場シアターウェスト。 そのあと、新潟、宮城、いわき。
1993年、家を出て行こうとしている妻。その家に学生運動の頃の先輩の訃報が届く。25年もの間植物人間状態で、しかし見舞いに行くこともほとんどなくなっている。妻はその植物人間状態の男と恋人であったが、いまはその後輩と結婚している。
夫は同じ学生運動の仲間に再会するが、自宅に放火しその保険金を手に入れたりして、図々しく居座る。はなすうち、あの頃上演できなかった芝居のことを思い出す。しかし読み直してみるとおもしろいとはとうてい思えない。
訃報の届いた先輩は、実は生きていて、植物状態から回復していた。見舞いを続けていた弟がふりかえらそうとたくらんだ一計だった。あのころの活動資金を稼ぐために、恋人に売春をさせていたことがあかるみになるが、男は女にできることはその程度なのだと反省の色がない。
若い頃の学生運動、そのころのまま生きてはいるが時間が止まっている。それなりに幸せに暮らしてきて、同居している人々のちょっと粗雑な感じはあるけれどちゃんとした生活の日々。しかし喉に刺さった小骨のようにずっと続く気がかりなこと。いつかはと覚悟していても突然の訃報は、その頃のことのフラッシュバックを呼び起こすように回想シーンが挟まります。
あのころのことは懐かしいし楽しかったこともあるけれど、実際にあってみればいい年をしてごろつきと紙一重、決して立派な大人にはなっていなくて。活動の時代の要請といえばそうかもしれないけれど、パワハラもどきに手柄の横取り、つぶさに見ていけば酷いことのオンパレード。植物人間となり過去の人であったからみながそれを封印していたし、そのまますべては葬り去られる筈だったこと。
その男が回復し現れる後半。喜びや嬉しさというより、先立つのはどちらかというと戸惑いとか気まずさで、それはまざに過去の亡霊。妻が売春させられていたことが明らかになり、それに反省の色を見せない男は徹底的に糾弾されるのは現在の #MeToo な感じだけれど、理性よりは明確にボコ殴りさせるのは、ちょっと独特な感じで、しかも小気味よくもあったりして。もっともその娘は別の女をだまして金を貢がせるようなことをしているわけで、因果応報なような感じがしないでもありませんが。
自分の過去を心の中で誇りを持つことは悪いことではないけれど、みんながみんなそうではないこと、ましてや日本が熱かったあのころのような回顧し自慢するということが、いかに無駄で無残なものか。 そうして生きてきたこの家族たちは、もう何もかもめちゃくちゃに破滅していく終幕。 1993年という舞台設定はバブルの綻び、戦後の数十年を無為に食い散らかしてきて、モラルももうめちゃくちゃになったこの家族と人々、一直線に成長しよりよくなるからと信じ封印してきたことも含め一気に崩壊するとき。
そこで始まった崩壊はずっと続き、いろいろ隠していたことが露呈し続けていて、舞台となった、あの無残な1993年からさらに25年経った現在の私たちにもそれは地続きで、何も変わらないどころか酷くなっているとすら感じて暗澹たる気持ちにもなるのです。そういえば、植物状態で25年男を生きながらえさせてきたのは前の世代の遺産というのも、どこか重なるのです。
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