【芝居】「D51-651」ウォーキング・スタッフP
2018.6.30 17:00 [CoRich]
2012年初演作をプロデュース公演として上演。 7月1日までシアター711。
初演は観ているのですが、パイプ組のイントラに組まれた舞台、という印象が強烈で、下山事件だとは記憶していても物語を殆ど覚えてない(まあ、たいていの芝居がそう、な)ワタシです。今作は、きっちりD51、正面からのいわばファザード、あるいは回転する機関室などという形で、具象的に作りました。これはこれで印象的。
改めて噛みしめてみると、国鉄のリストラ、謎めいた総裁の死。共産主義の脅威がいわれるようになった時代を背景に、雲の上のトップの悪口を仲間内で言い合う、あるいは職場の環境を改善したいという要求を口にすることすらも、反社会的だととらわれる息苦しさ。戦時中のそれとは違う、また一つの時代の閉塞感。今とは違うけれど、決して良くはない時代な雰囲気に共通点を見いだすワタシです。
1949年の下山事件、さらには国鉄がなくなり何十年も経っていて、その時代もかなり昔のこと。リストラや慢性的な赤字などの背景を実に丁寧に。戦後、満州鉄道から帰還してきた人々で人数が増え、機関士など職種の多様さゆえに転換も容易ではなく、戦後すぐで稼がなければいけない人々。膨れ上がった人員ではもう乗り切れず、リストラを断行しなければいけない背景が、事件に関わった機関士、機関助手、車掌、あるいは刑事や弁護士、役人という人々の会話を通して描き出されます。
一度姿を消し行方不明となったあとの礫死という事件なのに捜査が打ち切られ未解決事件となっているミステリー。国鉄トップの怪死。行き詰まる捜査と閉塞感の中から「犯人を仕立て上げる」ように矛先を共産主義の弾圧に梶を切るのもまた時代の背景なのです。組合員とトップの間での攻防はあっても、葬儀で弔辞というのはある種の人間のつながり、しかしその中身が体制批判が書かれていて読まれなかった、というあたりもぴりりと辛いのです。
帰らぬ人となっている筈の下山総裁本人を思わせる人物は、役人とクレジットされた福本伸一が二役で演じます。心穏やかな人間とそこにかかる重責を細やかに描きます。機関士を演じた俵木藤汰は実によくて、職人気質で情に篤く、社会の裏表も観てきた年輪をしっかり。若い機関助手を演じた大薮丘は木訥さが混じるようにイノセント。車掌を演じた伊達暁はインテリっぽさ、労働組合に入ってるようなインテリっぽさ。警官を演じた石田佳央は権力を自覚しつつもエキセントリックで短気な人物像★、 弁護士を演じた谷山知宏は木訥に見えて内にたぎる正義の想いがちょっとかっこいい。
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