【芝居】「無伴奏ソナタ」キャラメルボックス
2018.6.2 14:00 [CoRich]
2014年の再演と同様の、観客に会いにいく、というグリーティングシアター。 120分。東京、栃木、愛知を経て、長野県・中信地区での高校に向けての芸術鑑賞公演の合間に、まつもと市民芸術館の1ステージ。このあと大阪(地震がちょっと心配ではあります)。
ワタシがいっとき住んでいた長野県・松本市での上演に勝手に盛り上がるあたしです。移動と上演を繰り返すこのスタイルは座組にはつらいかもしれないけれど、芸術鑑賞という形態で初めて舞台に触れる高校生や大人たち、というスタイルはたとえば四季や青年座が巡回の演目を持っているのと同様です。 とはいえ、テレビドラマやアニメで普通に彼らが触れるのとは別の種類の物語で演劇というスタイルの上演に触れられるのは、そのときはつまらなくても体験するということの重要さ。
長野県での唯一の一般向けステージは、1800席のメインホールが満員とはもちろんいかなくて、一階席の半分という感じだけれど、かつて観ていたけれど移住してきたなどの小さな同窓会がロビーのそこかしこである楽しさ。若者だけではなくて、かつての観客へ逢いに行くというグリーティングシアターの姿。ちょっと住んでたワタシが偉そうに言うのはアレだけど、ここの土地柄、知らないモノに対する最初の警戒感みたいなものはけっこう高いけれど、定期的に触れることで良いものが受け入れられていく土地なので、スパンはあっても定期的に繋がるといいなと思うのです。
劇団員が町を歩き、twitterやblogを通じてその土地の事を語るのを眺めるのも楽しいのです。
物語の印象は前回の上演とそう大きくは変わりません。 誕生直後の父親と母親の前段、芸術家たるメイカーたちの森で他の音楽から断絶して暮らしている中で禁断のバッハに触れて転落してしまうまでの第一楽章までは物語の枠組み、それは実に静かで「クリーン」な環境として描かれます。このSFとして描かれる世界がどういうものか、という説明ですが、ここが重く、長く、テンポも良くはないので舞台の流れとしてはなかなか厳しいところ。
猥雑でコミカルで軽快な第二楽章、ダイナーのシーンはにぎやかなカントリー風でコミカルでもあって、見やすい。そのなかで諦められない人間の業によって繰り返されるある種の悲劇の序章で物語が転がります。 その悲劇を経ての第三楽章、工事現場は軽快というよりは人々が生きるための音楽。それはこの場所で生きる人々でもあるし、指を失ってもなお、それを諦められない業でもあって。その場も失ってしまうけれど、作り出した歌は残り、人々が歌い、それを目にするのはクリエイターにしかなし得ない救済なのです。
それぞれの場面の音楽は人類と音楽の歴史という流れというのはワタシには新しい発見。自然の音からクラシック、カントリーミュージックを経てフォークソングというかロック、小説とは異なる、音楽の付いた体験はなるほど、舞台だから、の魅力なのです。 ウォッチャーを演じた石橋徹郎が冷徹な美しさ、カーテンコールの笑顔のギャップ。アメリカに憬れる移民を演じたオレノグラフィ(なんせ大河ドラマ俳優だ)が軽やかで楽しい。ダイナーの主人を演じた岡田達也のコミカルさ、それまでの重苦しさから物語を転がし始める原動力。 現場主任を演じた岡田さつき、なかなか観られない役なのが楽しい。
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