【芝居】「梨の礫の梨」iaku
2018.5.27 15:00 [CoRich]
ワタシは初見の女性二人芝居は濃厚な仕上がり。60分。
行きつけのバーで話す40過ぎの女。バーテンダーと話しているが、いつの間にか知り合いのような若い女が隣に現れる。
立ちのみのカウンターを模した二人幅のテーブル、客席側にバーテンダーが居て、二人の役者はバーテンダー、つまり客席に向かい合って話すスタイル。マッカラン10年のボトル、グラス。 40過ぎの常連らしい女、電車での座り方のマナーに我慢がならず意地の張り合いとなっている、いわゆる関西のおばちゃんの日常会話風で始まりながら、隣に現れた知り合いらしく何か確執のある女との会話に徐々に落とし込まれていきます。若い「永遠の27歳」はスキップして35歳になりたいといい、独り身の40女は唯一恋人と暮らした30代に戻りたいけれど、その恋人は自殺したらしいことが語られ、それから恋をできなくなっていて。
ネタバレです。
序盤でははっきり言わないけれど「永遠の27歳」で亡くなり、自殺らしいこと、残された女はそれも恨んでいることがわりと早々に語られます。若い女が自分の娘で若くして自死したことの後悔の念かと思いきや、徐々に違和感を感じるうち、それは入念に作られた誤読でくるりとひっくり返ります。終幕に向けて若い女が若くして亡くなった母親で、幼くして一人残された女が成長し、一人で老いていくことを覚悟しているところだということが示されます。
幼くして残され苦労というよりはひどい十代二十代を経て、母親の歳はとうに越え、三十代で掴みかけた恋人さえも、ふたたび自殺によって失い、恋人を作ることも怖くなり独り身であることを覚悟した女。ここまで生きては来たけれど、それを絶つ勇気がなかったからだ、しかしもうやめよう、と考えている初老に近づく女の姿は切実。決して同じではないけれど、浮かれてばかりもいられない年代という点でぐっとくるところがあるほろ苦さ。
祖母に連れて行かれた「サーカスの映画」(「道 La Strada」(1954, 日本1957))を引いて、何にでも価値はあるという言葉を置き、それを引き留めようとする母の懸命さ。それは母の姿なのか、本人の心のなかで作られた幻影なのかはわからないけれど。
終幕でボトルを入れて帰宅する希望。 二本入れて一本は十年寝かせ、安物を高級品に熟成させるのだと強がる感じが、弱みを吐いたとはいえ自分の足で立って歩いてきた女の力強さを象徴的に描くのです。
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