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2018.05.31

【芝居】「害虫」劇団普通

2018.5.25 19:30 [CoRich]

27日までルデコ5。90分。

一軒家に暮らす男女は一人の母親の三人の夫たちの子供や連れ子と、新たな交際相手の子供たち。冷蔵庫に入れた食べ物が消える日々、朝起きてくる、あるいは学校や仕事から戻ってきたダイニングに集う。

父親の違う三人の兄弟や連れ子。入れ替わりながら、朝食に何を食べるか、冷蔵庫の食べ物が消える話だったりとか。けだるい日常の雰囲気だったり、喋らなかったりとテーブルについている構成によって変化する関係。無視のようにこっそり食べ物を食べていると云われている長男が来ると明確に雰囲気が変わったり。

小学生前後のころだったり、もうすこし大きくなってからだったりを自在に行き来して、ほとんど帰らないらしい母親で繋がり一緒に暮らす子供たちの風景をさまざまに切り取って見せるのです。

さまざまな関係は提示されそれがくるくると変わる面白さはあるし、終幕で明確に成長した姿には成長というかこの監獄のような家を出て行こうという意思という変化はあるのだけれど、どういう物語なのか、ということ上手く言葉にできなくて戸惑うアタシです。そういう人々を描く事こそが目的だろうとは思いつつ。

作家の主題ではないような気がするけれど、子供だったり奔放だったりで自由に振る舞う男たちと、距離感の差こそあれいちおう生活していこうという雰囲気の女たちという構図。おだやかな筈の長女が疲れ切って帰宅したのに食べ物を要求するばかりの三女と次男にキレるあたりは、長女ばかりが気を揉み働かされているような苛立ちがちょっと見えて面白い。

全体にテーブルを囲む椅子での芝居で、正直にいえば三人居るシーンで二人の表情が全く見えなかったりするのは小さい会場ゆえとはいえちょっとしんどい。 終盤、成長した長女、次男、長男のシーンは一面のガラス張りに回想されたルデコ5の窓際、渋谷の町のビルを借景にした喫茶店という雰囲気で印象的。

長男を演じた澤原剛生が奔放という役柄かどうか、居るだけで圧倒的な存在感があったりするのも新たな発見なのです。

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2018.05.30

【芝居】「堀が濡れそぼつ」MCR

2018.5.19 19:00 [CoRich]

22日までザ・スズナリ

昔は派手だった妻は入れ墨に刻むほど好きだった恋人を亡くし、恋人の友人のちょっと地味な男と結婚した。妊娠しいて夫婦の関係はないが、妻が自慰をしているところを夫がみてしまう。 夫は会社で部下の女性のことが好きだと噂される、相手もまんざらではないがなにがあるわけではないし結婚している手前否定する。 家に押しかける隣人は怪しい霊媒師を連れてきて、妻をマルチに引き込もうとする。出所してきたばかりの夫の幼なじみはほんとうに友達思いだが、連れてきている女はどこかに売られるようで人殺しもなんとも思わない。

妻の自慰とか、最愛の男を亡くしたから結婚したとか、部下の女性からの好意とか、一筋縄ではいかないちょっとヒネた愛情のあり方を核に、ゲスに詮索する友人や同僚、こまっしゃくれた子供と遠慮のない隣人、怪しげな霊媒師などを周辺に配して。

普通いわないだろうゲスな言葉を悪意があったりなかったりなド速球で投げつけるような人物がとても多く、そのうえ盗聴器だったりだまして輪廻を信じさせようとする悪意など、もちろん笑うけれど、麻痺しながら疲弊していく感じもあってなかなかハードな観劇体験ではあります。もともと露悪的な語り口が得意な作家ではあるけれど、今作ではその、嫌な感じの人物が多め。とはいえ、ちょいと人間くさくて(他人である分には)憎みきれない部分があったりもして 総体としては観続けてしまうのです。

妻はインモラルな感じではあるし、台詞は決して少なくないけれど自分の奥底についてあまり多くを語らないように感じます。亡くした男の喪失感をきっと抱えたまま、別の男の子供を宿したことの戸惑いかもしれません。対比するように夫はともかく言葉を重ねています。好意を寄せる部下の女に対して、妻が居るからという世間体に加えて最初は魅力的に感じてないそぶりなのに、はやしたてられたからか、あるいは前から薄々思っていたけれど今更気づいたのか、匂いがという一致点を見つけていって惹かれてしまう人間くささ、妻へと回帰していくゆるやかな変化。物語全体では飛び道具ばかりなのに、その時間軸の中でゆるやかに変化していくこの人物を解像度高く描く作家のたくらみの楽しさなのです。

夫を演じた堀靖明は何事にも真っ直ぐ向き合う男、喋ることが全て正論という説得力。部下の女を演じた異儀田夏葉は、好意を寄せているのに報われないどころか、まわりからも不躾なはやし立てられ方や妻からの言いがかりのように責められたり。それなのに健気さときりりとした格好良さ。この二人が何かの一致をみる二人のシーンが実によいのです。不安につけ込む霊媒師を演じた澤唯は久々に見る怪しさ全開の造型が魅力的。出所してきた男を演じた櫻井智也、殺人を厭わない冷酷さと幼なじみへの愛着とのアンバランス、静かに狂った感じの深み。

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2018.05.28

【芝居】「あたしら葉桜」iaku

2018.5.19 15:00 [CoRich]

2015年作の再演「あたしら葉桜」と、原作となる岸田國士の「葉桜」(青空文庫)のリーディングを組み合わせて。22日までこまばアゴラ劇場。リーディング30分、本編45分。

時代を経て母娘のありかた、時代の背景、恋愛や結婚の異なることをえがきつつも、母と娘の想いの変わらないところを描く二本立て。

リーディングは お見合いをして一ヶ月、返事をよこさない相手に気を揉む母娘。母は相手がちょっと気にいらなかったりするが、娘はまんざらでもない。娘を手放すのも惜しい気持ちの揺れ動き。手を握ってされるままというところで唐突に吹っ切れるような母親。「嫁に行かなければ一人前ではない」という時代に動かされる気持ちと、しかしあまりにあけっぴろげに男を誘うのははしたなくて、男が誘わなければ前に進まないという云ったりきたりが短く濃密に。

本編の方は、時代は現代に設定され、畳の部屋の中央に伏せた雑誌にいるかもしれないムシを囲んだ母娘。そこに居るし仕留めたいけれど直接手を下すのははばかられる感じ、一刀両断にできずにぐるぐる周囲を回るふたり。 時代らしく名前で呼び合いきっと洋服だって貸しあうような感じをコミカルに交え、いろいろやっても出口も結論も出てこないぐるぐる。現代らしく単に嫁に行くかどうか、ということではありません。 娘の相手が同性であることは後半であかされ、母親はもちろんそれでも祝福するけれど、母親の考える「一般的な」プロポーズでないことや「お嬢さんをください」的な挨拶や孫に居たるラインにならないことの母親と戸惑いも同時に。

二つの時代、何がままならないか、ということは変わるけれど、母親の価値観とは少し違っても娘の幸せが一番と自分に言い聞かせるような母親の姿がぎゅっと浮かび上がるのです。

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2018.05.27

【芝居】「粛々と運針」iaku

2018.5.19 11:00 [CoRich]

ほぼ一年前の作品を再演。 28日までこまばアゴラ劇場。P>

二人ずつ三組、男の兄弟、夫婦、縫い続ける二人の女。
実家で母と二人暮らしのフリーター兄と結婚して家を出て会社員となってい働いている弟、倒れた母親、死も覚悟しなければならない段に至って変わりたくない兄と変わらなければいけないと考える弟と。
子供を作らない約束で結婚し一軒家を構えた夫婦、妻は総合職で仕事が好きで子供によってキャリアを手放したくないと考え、バイトから社員とはいえファミレス店長で収入の点で引け目を感じている夫。もしかしたら妊娠したかもれないと告げた妻は堕胎を考えていて。

兄弟と夫婦、二組がもう一人の死と生と向き合い、迷い、ときに言い争いになって進む会話。運針を続ける女二人は、死が見えてきた母親とこれから生をうけるかどうかという胎児の姿。物語では交わらないはずの6人だけれど、後半ではあっさり構造の壁を越えて対比し議論になったりもして、芝居だからこそ自由に時間も空間も飛び越えてつながる話は、生から死という人生、死から生という輪廻でぐるりと一回り、 針を縫い進め、時計の秒針のように時間を刻みながら営んできた人々の暮らしを描き出すのです。

桜が生の象徴に描かれるのが印象的なのです。それは満開の桜は生きていることの象徴でその盛りには切れず、伐採するなら人が忘れかけたころということだったり、その盛りの桜の下にはたくさんの命が埋まり堆積した上で人々が生きているということを丁寧に。

じっさいのところ、初演と今作、ワタシの印象は変わらず。それはキャストが同一ということのせいもあるかと思います。大きな変化があるわけではありません。役者それぞれの芝居が熟成、というのは少しばかりファンタジーな気持ちになったりするワタシです。

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2018.05.24

【芝居】「俺の屍を越えていけ」feblabo×シアターミラクル

2018.5.12 18:00 [CoRich]

2003年の渡辺源四郎商店以来、いくつも繰り返し上演(1, 2, 3) されている短編。20日までシアターミラクル。80分。

地方のラジオ局、リストラ対象者を一人若者たちに選ばせるという社長の命令無茶ぶりな命令。選んだチームについては本人には伝えられないという形ばかりの匿名ではあっても大きくはない会社の中の出来事で、その対象者もみな顔と名前が一致するぐらいの距離感で「いけにえ」を探すという話。それに背くことは事実上困難で、ならばそこに合理的な理由宇をつけて議論していく過程は、直接このグループの中の誰かを選んで自分を守るバトルロワイヤルではないけれど、やりたくないことを仕事として割り切るためで、自分の気持ちを守るための行動なのです。

右肩上がりの成長が疑問なく信じられた時代ならいざしらず、縮小していくなかでどう生き残るかという瀬戸際、迎え入れられた社長の理性的で正しいかもしれないけれど血も涙もない方針で若者達が考えること。 それぞれに忙しくて出入りもあって会話は時折脱線してとりとめない感じもするけれど、会話の中で若者たちは仕事とは何か、年齢を重ね会社の中でキャリアを重ねていくことはどういうことか点描し反芻し、時に議論していくのです。それは時に個人的な恨みだったり恩義、会社にとって必要な人材かなど視点をくるくると変えていくのです。

誰が聴いているのかわからない早朝の番組の常連リスナーの存在、ラジオは聴いている側に一対一ということはよくいわれるけれど、送り出す側ももしかしたらそう思える瞬間がある、というラジオの特性を知り尽くした作家らしい書き方で、ラストシーンのじんとくる感じ。最近ラジオにどっぷりはまっているから感じる新しい感想だったりもします。

年上のディレクター(高木健)、営業(山田岾幡哉)の二人のパワーバランスが物語の背骨で、しっかりとした座組。 正直にいえば、座った位置が悪く、二人の対面シーンでディレクター側の顔が見えないシーンがあって、受けているのに表情がみえなくて、ちょいと惜しい。

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2018.05.22

【芝居】「焔の命--女優の卵がテロリストになった理由」オフィス上の空プロデュース

2018.5.12 13:00 [CoRich]

13日までエコー劇場。

東京オリンピック直前にある劇団が多発テロを起こした。それから数年、初公判のころ首謀者の一人とされた女優の家族をライターが訪れる。劇団内を扇動したのだという論調一辺倒になっていることに違和感を抱き、取材を始める。
学生劇団の数人で旗揚げをした劇団、作演の力が強く根強いファンがいるものの動員は伸び悩み、公演のたびの赤字を劇団員のアルバイトで補填しているが、自分たちはおもしろいものを作っていると信じており、自分たちの作品に観客たちがついてきていないのだと考えている。
もっと作品を研ぎ澄ますために、一ヶ月にわたり人里離れた別荘で合宿稽古をすることを決める。

小劇場の劇団がなぜテロを決行するに至ったか、その醸成される過程を背景に。「女優の〜」はその中でも地味で口数も少ない女を指していて、彼女の視点でその家族やアルバイト先でのそれぞれの立場を交えてフリーライターの聞き取りという形で描きます。

売れてないが故にアルバイト先では応援はされても、女を切り売りすることを求められたり、あるいは純粋な応援とはいえストーカーもどきがついてまわったり。家族もまた、内定を蹴ってまでアルバイトで芝居を続けていることへの風当たり。全面的に支える恋人は自分から切り離してしまうこと。 いくつかあったはずの帰る場所、それぞれの居心地が悪くなっていくことでその範囲がどんどん狭まっていって、それが合宿稽古という閉鎖された空間で集団が暴走していくこと、程度の差こそあれそこかしこにありそうな、団体のありかたの一つ。

売れない小劇場劇団がそれでも続けていくモチベーションは自分たちはいいものを作っているというある種の盲信。作り出すために信じることは必要なことだけれど、度を超したときに起こる悲劇。近くはオウム真理教から少し昔のあさま山荘まで、暴走した集団の中で起きていること、その中で地味だったはずの女がなぜそこから抜け出せなかったかということ強烈に印象づけられるのは、これが過去の話でも単なるフィクションでもなく、現在進行形でも上からの指示で何でもやってしまう、ということがほんとうに頻発している私たちから地続きに感じられるからなんじゃないかと思うのです。

正直にいえば、物語に対して少々登場人物が多いような気がしないでもありませんが、まあそう大きな問題ではありません。

「女優の卵」を演じた福永マリカ、ちょっとおどおどした口数の少ない女性の役はちょっとめずらしい気がします。その居場所を失いたくないからほとんどニコニコしているという造型、美しいけれど哀しい。看板女優を演じた佑木つぐみの造型がちょっと凄くて、盲信と何かを手に入れたいという強烈な気持ちのちょっと怖い感じすら。

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【芝居】「いたこといたろう」渡辺源四郎商店

2018.5.4 19:00 [CoRich]

「イタコ演劇祭」と銘打っての二本立て企画公演のもう一本。6日までアゴラ劇場。そのあと青森。90分。

東北にある地方都市の自宅でイタコを営む女。そこへ小学校で働いているという若い女が訪れる。去年亡くなった母親がここを訪ねるようにいったのだという。

すこし乱雑な感じすらする部屋に大きな祭壇。誰かの実家を訪ねるような日常の中。初めて会う二人は探り探り話をするうちに、それぞれの生き様が徐々に明らかになり、そこに物語が浮かび上がるのです。

ネタバレ

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2018.05.19

【芝居】「愛とか死とか見つめて」渡辺源四郎商店

2018.5.4 14:00 [CoRich]

6日までアゴラ劇場。75分。そのあと青森。

都会にでたきり一度も戻っていない息子は売れない役者をしている。父親の訃報を受け、経産省で働き一緒に暮らしている女性を連れて田舎に戻る。タクシー運転手だった父親はいつのまにか村長になっており、それを支援していたNPOのスタッフに頼まれ、息子は跡を継いで出馬を決める。

原発関連の処理施設をめぐるNPOや近隣自治体のパワーバランス、そこでなぜか村長になった父親。葬式のために戻ったのは芝居を夢見て上京したけどモノになってない男と、東京で出会い事実婚してる国家公務員の優秀な女、という構図で語られる物語。「イタコ演劇祭」という枠組みにイタコという役もあるけれど、台詞のほとんどが近所の知り合いに掛けるような独り言という祖母の存在がこの芝居のイタコなのだと思うのです。

この土地で生まれ育ったのに出て久しぶりに戻って初めてMOX処理施設と近隣の市との関係、NPO組織などの現実を知るぐらいにゆるい関心。知ってもそれに積極的というわけではないけれど、村長の存在が必要なNPOに後押しされて、自分の存在する場所は東京なのかここなのかをゆらぐ感じは、生まれ育った土地から両親と離れて暮らす人にはきっと考えること。ワタシだって数年離れただけでもちょいとは考え、ふれる感覚なのです。

原発廃棄物の処理施設という、すぐには動かないやや中長期の問題があることと、その土地で暮らす人々が買い物にも病院にもいけないという直近の問題もまた現実でその課題に元タクシー運転手の村長が、自ら働くことは、現実の生活で困っている人が居れば、それを解決するために額に汗して働くということの地に足がついた感じ、対して空中戦のように利権で動く隣の市の市長はダースベーダーのような存在にも見えてくるのです。

国家公務員である妻を演じた山上由美子はスーツ姿、思いの外(失礼)クールビューティで新しい魅力、とりわけ終幕はちょいと凛としてカッコいい。夫を演じた工藤良平は、乗せられて出馬というお調子者っぽく見えてしかし真剣に考える姿。祖母を演じた音喜多咲子は見た目こそ若いけれど、見えないものが見えている日常、なるほど魂に近い場所の人々、という「イタコ」の姿。NPO職員を演じた奥崎愛野はヤケに可愛らしく、客席からでもちょいとドキドキしてしまうわたしです(オジサンがごめんなさい)

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2018.05.15

【芝居】「たとえば私の人生に目口もないようなもの、あれこそ嘘の精なれ」平成商品

2018.5.3 19:00 [CoRich]

ワタシは初見の劇団です。7日まで要町アトリエ第七秘密基地。125分。 北海道から引っ越してきて保育士として働く女。学芸会で先生たちの出し物として桃太郎をすることになり、その書き換えをすることになる。好意を寄せている保育士が居ることがバレてしまいそうになり後悔するときにささやきかけてくる声は、「どこまで巻き戻したい?」だった。

序盤はそれぞれの役名にあわせた保育園の職員たちのシャツの色という工夫でわかりやすく。しばらくは引っ越してここに来た女が観察者という立場でこの場所がどういうパワーバランスで成立しているかを描きます。 ふわっとしていそうな職場、ほかの土地からやってきた若い女の視点で描かれるのは、ほのかな好意から不倫関係と修羅場、果ては暴力を伴ったストーカー行為いたる男女のありかたのグラデーション。 職員たちの出し物として上演される桃太郎の登場人物に重ねつつ、桃太郎の稽古が繰り返されすこしずつ変化しながら、現実とその女からのファンタジーめいた見え方の世界を自在に行き来するのです。

さらに、その女が家を出るきっかけとなった、叔父の人生を自分がいることで狂わせてしまったという贖罪の気持ちであったり、戦争に突き進むかもしれない現実と保育・教育という仕事がそれと地続きになっていることを軍服姿の人々で描いたりと、保育園の桃太郎の出し物をするという会話の中に少々唐突に、こまかな断片が入り込むのです。終盤語られる未来は戦争や地震災害という少々絶望的な言葉、そこに向かって暮らしている彼らの日常がそこへの地続きということの絶望。

客席端にいる謎めいた男、クレジットは「いつの間にか主であるように振る舞う」は結局説明されないけれど、彼女の心のなかにずっと居座り続ける、叔父か、と感じるワタシです。

正直にいえば、インスタレーションのように要素を多く詰め込みすぎている感じはあって少々飲み込むのに戸惑います。作家の中ではすべての要素がつながって世界として見えているからこそこの一本にまとめてあげているのだろうけれど、恋愛感情とMetoo、親戚の男の人生への想い、軍服姿などが少々バラバラに点描する感じがします。それが一人の若い女性から見えている世界なのだといえばそうかもしれないけれど、何かもう一つ全体を貫くものがあるとより強固にこの世界が補強されるように思うのです。

5年振りに拝見した野口雄介(1)の切れ味が変わらないことが嬉しく。中心となる女を演じた中井あすみはちょいとストレスフルな役だけれどきっちり物語を背負い見応え。ちゃらい男を演じた大島宏太は人懐っこそうにみえてヒール、桃太郎パートの鬼のコミカルさもちょっとよいのです。

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2018.05.11

【芝居】「731」パラドックス定数

2018.4.30 15:00 [CoRich]

2日まで、シアター風姿花伝。再演ですがワタシは初見。120分。

戦後数年、謎めいた手紙が送られ送り元と書かれた元陸軍医学校跡に集まった人々。大陸で秘密裏の研究を行っていた研究者たちが行っていた残虐な研究が発覚するのを恐れ口をつぐんでいた。医者や研究者それぞれの新しい道を歩み始めていた。 世間では閉店直後の銀行で役人を装い流行病患者が来たとして予防薬を飲ませ行員たちを毒殺した事件が世間を騒がせている。

劇場近く椎名町で起きた帝銀での毒殺事件。戦後間もない時期の謎だらけの迷宮入り事件を起点にしてタイトルの秘密研究の研究者たちが関わっていたかもしれない、という史実の隙間を想像力で埋めるパラ定らしい一本。二液での毒殺など専門的な知識を持ったと思われる手口に731と帝銀事件をつなぎ合わせるのは必ずしも独自の視点というわけではない(参考文献としてクレジットされています)けれど、陸軍医学校跡地の廃屋という誰もいないはずの場所を設定することで、作家らしい自由な空想の会話がみっしりと濃密に。

今となっては非道な研究に関わった人々。その場ではみながそれが正義と考え、あるいは考えないようにしていたけれど、戦後になってそれを深い後悔で良心の呵責に苛まれるもの、あるいはそうなってもなお、あの研究は間違いなく人類を進歩させるために必要な医学の一歩で正しかったと考えるもの。戦時中だから突き進めたということはあるにせよ、研究と倫理の間の考え方がグラデーションのようにさまざまに描かれます。あの時に幹部は早々に逃げ出して、後に残された兵卒たちという対比も見事。

口外厳禁とされそれぞれがそれぞれの道を歩んでいるけれど、高度な毒殺事件とそのころ送られたなぞめいた封筒をきっかけに互いの裏切りを防ぐよう監視のために定期的に集まる人々は、時に互いを揶揄したり生きるために必死だったりの小さな会話を繰り返し。 大陸のあの場所で起きていたこと、それをどう考えていたかということ、 それが非道だとしても、真理を探究するということに対して絶対的な価値を置くことの、ある種のストイックな研究者の真摯な姿勢。とはいえ、それはコントロールを失った研究者の姿でもあって、その人々と倫理的に相容れないと感じて距離を置いてみたりしつつ、食い扶持のためにそれが変わっていく、という後の時代の血液製剤にまつわる薬害被害の広がりの端緒を見るようなシーンもあって、戦後何十年もの間の日本の医療の在り方のある種の暗部を凝縮して地層のように切り口で俯瞰してみせるような鮮やかさが実に見事なのです。

作家の発想はさらにもう一歩、731の研究を進めた結果の二液型の毒薬を更に実験しよう、という力が働いて、平和なはずのこの時代に人体実験を行ったのでは、と踏み込むのです。

もっともリーダ格を演じた関村俊介は観たことのない雰囲気を纏います。表面的な軽口とは裏腹に、優秀な洞察力と冷徹さという厚み。序盤罪の意識に苛まれる男を演じた西原誠吾の這いつくばる感じから終盤に向けて自身を取り戻しさらに行きすぎるダイナミックレンジの広さ。

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2018.05.09

【芝居】「溶けない世界と」mizhen

2018.4.28 19:30 [CoRich]

29日まで、d-倉庫。115分。

知り合いの小さなホテルに籠もり初めて書いた一人芝居を書いた女。俳優志望の知り合いの男に試演させ、その上演を俳優の叔父、その知り合いの小説作家の女に見せる。戯曲を書いた女には聴覚障害があり、ペンションホテルのシェフと不倫の関係にある。ここには長生きしている蜘蛛がいる。
芝居は途中で止められてしまうが、小説家はそれを絶賛すると同時に若い俳優の卵を誘惑する。小説家と俳優は関係があるが互いに恋人も居て距離感を楽しんでいる。

聾者を題材にした芝居で、客席後方にはタブレットを備えた席がいくつかあって、手元に字幕がでる仕掛けも。ワタシは前方席で。

チェーホフの「かもめ」から着想し、男女を入れ替えて紡がれた物語だといいますが、恥ずかしながらその「かもめ」未見なワタシです。物語を作る人、演じる野心家、都会の洗練された人、地元の気のいい人。そのコントラストで人々を群として描く物語に、ふたりの聾者というもうひとつの軸を交えて、分かり合えない溝を描いてるのだと読んでみたけれどどうだろう。

聾者ふたりの間の不倫関係、子供をほしいこと、都会からの二人の愛情とは違う距離感の男女の仲とか、さまざまな距離感である種のインモラルを交えて男女のありかたを提示してみせるのは、まるでたくさんの線を重ねたデッサンのよう。明確にこれを描くということはいわないけれど、浮かび上がってくるものが、どれかはヒットしそうに思うのです。蜘蛛は女の側からの何かの欲望といったものを象徴的に。

若い作家を演じた小角まやは圧倒的にすっくと自立する格好良さ。気のいいおばちゃんキャラはちょいと珍しい気もする百花亜希の伸び伸びとした役の嬉しさ。役者をしている叔父を演じた安東信助は重厚さと軽薄さを併せて描いて失礼ながら存外に良くて、実は一番の収穫だったりします。

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2018.05.07

【芝居】「わたくしごと2本立て[はくちょうたちの、/ closets]」waqu:iraz(ワクイラズ)

2018.4.26 19:30 [CoRich]

昨年、せんがわ劇場演劇コンクールで上演された「closets」(未見)のリクリエーションに、その1シーンを独立させた新作「はくちょうたちの、」を組み合わせた二本立て上演。 30日まで神奈川県立青少年センター。110分。

坂の上の女子校、五人の二年生たち。三階建て、螺旋階段からは男子校が見える。美術教師に恋している、幼なじみに恋している、クッキング部、男子校に恋人が居るバトン部、授業には時給払ってほしい。大学に行くかどこにいくか、働くか、女子校は嫌だし。「はくちょうたちの、」
6人の女たち。何でも揃うイオンが好き、言い寄ってきた男は結婚しているけれどそれで幸せで。兄に負けたくなくて勉強してばりばり働いて結婚したけど仕事と子供どちらかしか選べないの。努力によって手にするキャリアという結果が全て、7cmヒールで颯爽と。ジャージがラクだけどそれじゃもてない友達が合コンに誘ってくれて結婚したらそこがゴールか。美大卒で独立独歩、でも皆から置いていかれているように感じて焦る。男受けよく自分を磨いて選び、勝ち取る。「closets」

いろいろ検索してわかったけれど、アンソロジー形式とはいえ、一本の芝居から派生したとは思えない二本立て。確かにいろんな女たちの点描。ダンスに強みを持つ主宰・小林真梨恵だけれど、今作では彼女だけではなく出演者によるディバイジング(集団創作)によってつくられているといいます。

「はくちょうたちの、」は、女子校の生徒たち、自意識と恋心と、将来に対する不安ととはいえ、まだ何ものでもないから何にでもなれるようなある種の万能感と世間をちょいと嘗めた感じとかがない交ぜになって。全体に白と青、グレーで統一された全体の雰囲気はまあ、年代らしい清廉な雰囲気といえばそうだけど、目がつぶれるんじゃないかと思うほどにアタシにはあまりに眩しい。ちょいと人見知りっぽい雰囲気の中野志保実、イケイケキラキラな雰囲気の佐藤あかりのコントラストがちょいとよいのです。

だいぶ大人、アラサー女たちの「Closets」は対照的に溢れる色。こちらは生着替え的なものもあったりして、眼福でもあるし、ジャージから7cmヒール、ジーンズカジュアルからゆるふわまで様々な衣装も楽しく。

ここまで生きてきた自負心だったり、ある種の諦めだったり、引き返せなくなってる微妙な心持ち。かといって枯れる歳でもなく、まだまだ先はあって、その選択肢は高校生の時のそれよりはずいぶんと狭く、しかし現実的に明確に輪郭が見えているけれど、それでいいのか、ほんとうに手に入るのかという不安はつきない感じもまた、年齢らしい感じがします。

後半のそれぞれのマッチメイク、まるでボクシングのように戦い合うし、勝ち負け決めてるけれどそれは決して一つの生き方じゃなくて、ぐるりと一回り、どの生き方だってちゃんと肯定し、しかしその道のりの厳しさもちゃんと折り込む作家の優しい視線なのです。仕事と子供を選べない女を演じた菊池ゆみこのこつこつ努力な感じ、バリキャリ女を演じた武井希未の胸張って歩く凜々しさ、ゆるふわ女を演じた竹内真里の芯の強さ、イオン好き女を演じた宮﨑優里の堅実な生活感。美大卒を演じた小林真梨恵のボーイッシュで孤独に耐える格好良さだけれど、ちょっと騒ぐようなシーンで彼女に対して女たちが突っ込むようなところも楽しく。とりわけ、ジャージ女を演じた関森絵美が結婚したい一心での一連のシーケンスの爆笑編はちょいと凄く、印象的。

ワクイラズは、星とか宇宙とかというちょっと壮大な感じを詩的に描くシリーズ( 1, 2, 3) と、女たちを描くシリーズ( 1) とがあって、今作は後者の雰囲気。このユニットに限らずまあワタシは女たちの自分語りが大好きだってのはまあ好みの問題なのですが。

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2018.05.05

【芝居】「ツアー」ままごと

2018.4.25 21:00 [CoRich]

30日までSTスポット。50分。

女はガレージからナビを使って車を走らせる。サービスエリアで出会ったのは外国人の女で、近くの湖で開かれる音楽フェスに出演するが置き去りにされたという女。送り届けることを決めるが道を間違えたのか、森に迷い込んでしまう。

たった三人で語られる「ツアー」の物語。女が子供を亡くしたことは後半で語られて、そのもやもやした気持ちを抱えたまま車であてどなく走り、出会った人とまた旅を続けるということが物語の根幹。 なぞの巨大生物に追いかけられたり、空腹がどうしようもなく命の危険が思い浮かんだりというのも含めてのごく短い旅。 序盤はその相手はAI的な会話をするナビであり、中盤からは出会った外国人であり、終盤ではキャンプしながらの旅人であり。

舞台装置はなくて、キャリーカートを自在に使い車にしてみたりという芝居の見立てのシンプルな楽しさ。AIナビが持つさまざまな機能を時計とか双眼鏡とか地図とかバックミラーといった物体で見せるのもちょいと楽しい。どこにでも持って行ける50分というのは実にいいフォーマットなのです。

外国人のとのぎこちない会話、単語だけをつなげて、という基本フォーマットだけれど母国語で独り言をつぶやくときは早口で流ちょうにするということで、その違いをちゃんと見せるのは巧い。

女が旅を通じて何かをふっきり、次の一歩を踏み出すという気持ちに至ったことが軽快に描かれる一本、さまざまに上演が繰り返される予感なのです。

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【芝居】「ネジ工場」タカハ劇団

2018.4.15 17:00 [CoRich]

2012年初演作を再演。

実は初演と変わらない感想なのです。それは三兄弟となぞめいた宅配便の男が初演と同じキャストということが大きな理由な気がします。初演時の自分の感想の熱量がすごくて、付け足すことがなくて、あれ、自分はどうしちゃったんだと戸惑ったりするのです。

突然死が増えているのに、高度で使い道のわからないネジの注文は増え続けているという怖さ。それは戦争かもしれないし、何かの事故の対処かもしれないと思わせます。工場の中は下町ののんびりした雰囲気だけれど、宅配便の男のホラーっぽさ、妹を名乗る女とその恋人のヤンキー感。だけれど、家という場所でまっとうに働き、日々を暮らすということが決して当たり前ではないかもしれない、という感覚は初演よりも強くなったのはあたしが歳を取ったからか。

ちょっと気持ちを病む長男、なんとかしようと頑張る次男、楽しく暮らすことこそ一番と考える三男が物語の核で三兄弟を演じた有川マコト、夏目慎也、山口森広のそれぞれのキャラクタをしっかり鮮明に。板倉チヒロもまた、初演と同じキャスト。脱力系に見えてなんでもやる、ちょっと闇な雰囲気を纏うのも物語のスパイスなのです。あかりを演じた下垣真香は新しいキャスト、鼻持ちならなさだけれど見惚れてしまう美しさという説得力。

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2018.05.04

【芝居】「Farewell(フェアウェル)」松本紀保P

2018.4.14 14:00 [CoRich]

松本紀保のユニット、ワタシは初見です。4月15日までサンモールスタジオ。110分。

40歳になって結婚したのにほどなくして離婚し地元に戻った女。中学の頃の同級生の男が営む喫茶店とその妻が営むスナックでアルバイトをするが、言い寄る喫茶店主にはなびかないし、堕ちた暮らしは受け入れられない。元夫がよりを戻そうと訪ねてくるがその気はない。
まじめそうな男と知り合いになり、雰囲気もいいのでつきあおうと考える。

職場の不倫ばかりでまっとうな恋をしないまま40過ぎで結婚したのにすぐに離婚し、地元に戻ってぱっとしないアルバイトでくすんだ暮らしをしている女を軸に。別れたのに引きずる夫と自己肯定力の低い恋人、喫茶店とスナックを営むげすびた夫婦。少し若い世代のAV嬢の常連客、元夫に恋心を抱いていた後輩、木訥とした新しい恋人らによって描かれる核は、器用に生きられない人々の点描。

終盤で離婚の原因が語られるけれど、それは本当に些細なことで、毎日生けていた花に気づいてくれないことと、変えなくていいなら一足跳びに花瓶を捨てようと思う女とそこまでしなくていいという夫。 大人だからこそ喧嘩らしい喧嘩をしないままに結婚し、穏やかな日々を暮らしていたけれど、この些細な違いがどうしても違和感になって別れを切り出した妻とそれになっとくできない夫。 かといって、次に出会った男は穏やかでやさしくみえるが、一緒になってみれば暴力的で、むしろ冷たい目でみられることが女の魅力なのだといいだしたりもして。

喫茶店とスナックの夫婦はスケベで口は悪いしなにかがさつで喧嘩ばかりしているけれど別れる気配がなかったり、元夫の恋人はどうしても元妻のことが気になってしまったり。中年男女は結婚しても独身でも、あるいは恋人どうしでもそれぞれに積み重なった癖があってなかなか面倒くさいものだということをじつはいろいろな角度で描いていてなかなかにほろ苦いのです。 喧嘩をしている男女はなんだかんだ別れないけれど、喧嘩をしていない男女二組はどうにもうまくいかない感じになっているのはどこか象徴的な感じもありますが、そういうことを啓蒙するような芝居ではありませんから、いろいろな男女や年齢のありかたを点描して描いているというイメージが強いのです。

元夫を演じた伊達暁のカッコイイのにどこか粘着な雰囲気の奥行き。喫茶店とスナックを営む夫婦を演じた久保貫太郎と柿丸美智恵は格好悪い中年という感じだけれど、むしろこちら側のワタシとしては、細やかに描かれた二人が説得力なのです。元夫の恋人を演じた異儀田夏葉、幸せに向かっているはずなのに微妙に幸薄さみたいな雰囲気を纏ってしまう役が多いのはワタシはちょっと哀しいけれど、もちろんきっちりとした造型。AV嬢を演じた斉藤ナツ子は物静かだけど感受性豊かな感じでちょっとふわっとした美しさが似合います。木訥な男を演じた山田百次はそのあとの豹変との振り幅が圧巻で強烈な印象を残します。プロデューサーも兼ね主演となった松本紀保もまた幸薄い造型だけれど強い自己肯定力を持ち続ける力強さ。終盤での長い台詞は圧巻だけれど、これ全部語っちゃうのが芝居というフォーマットでいいことなのか、はちょいと迷うワタシです。

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2018.05.02

【芝居】「誰も寝てはならぬ」feblabo

2018.4.13 20:00 [CoRich]

国道五十八号戦線の10年前の作品( 1, 2)をfeblaboとして上演。 平日20時開演、70分がうれしい。18日までシアターミラクル。

例によってわりと話を覚えていないワタシです。 演劇が滅んだ時代、集められた人々が台本を元に演劇を復活させる試行錯誤、棒読みから、ナリキリ、役者が役との距離を自覚するとか、混じる現実が影響を与えるとか、たどたどしかったり誇張されたキャラな人々が演じる前半。違和感は感じながらも、根幹では演じることの発達史を早送りみたいで楽しい。

【ネタバレ】

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