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2018.03.31

【芝居】「プープーソング」劇団きらら

2018.3.17 15:00 [CoRich]

熊本の劇団・きららの東京公演。105分。18日まで北とぴあ・カナリアホール。

葬式や結婚式、恋人などを代行する仕事をはじめた男。ある結婚式で同業者と見破った男は何かと世話を焼きたがり、事務所を通さないオイシイ仕事に誘われる。
女は一億を当てた宝くじの引き取りと兄の葬式を天秤にかけて宝くじをとってしまったことを後悔している。もらった金はわずかな間にほとんど亡くなっている。やっと結婚できた兄の妻に謝罪しにいくのについてきてほしいという。ずっと一人暮らしだった兄が住んでいた実家はもうかなり痛んで来ていて、近隣は空き家にすることも許さず、残された若い妻は離婚したいのだという。もともと仕事が長続きせず専業主婦にしてもらうことを条件に結婚を決めたのだった。

主宰の挨拶から緩やかに始まる芝居、素舞台に並んだ箱馬、全ての役者が舞台上にずっと居続けて、少ない人数で自在に場面を切り替える劇団の持ち味はそのまま。兄が住み残ったた実家のしまい方を核にしながら、残された嫁、顔を顔を合わせづらい妹、その踏ん切りを付けるため依頼した代行業の男たち。 ごく少ない人数のそれぞれの背景を鮮やかに折り込みながら、ごく短い時間で濃密に語る物語は味わい深いのです。 それは 東京に出てバンドを追いかけていたら何も成し遂げられないまま30を過ぎ父も兄も亡くした後悔を持つ女、マルチ商法で騙した人々を救うために借金を背負った代行業のイケメンの男、スタントの役者だが怪我を治すために代行業をしている年上の男、あるいは明太子を作る仕事を手始めにあらゆる仕事でバグり専業主婦になることで生き延びた未亡人の女。それぞれにちょっとぶっ飛んだ背景で笑わせながらも、それぞれの事情の中で懸命に生きる人々を実に丁寧に描くのは作家の優しい視線。コミカルなシーンも多く肩の力は抜けながらも、多様な生き方をする人々がいる社会のある種の多幸感すら感じるのは、世間が多様性を許しづらくなってると感じるからかもしれません。

挟まれる物語もそれぞれに面白くて、妹と妻が亡くなった男がこのぼろ屋で何を考えて暮らしていたのだろうと想いを馳せるシーンだったり、年上の代行業の男がピンサロで火事に遭い自分だけは助かったが40人の女の子が亡くなったこと、その客の一人の行動がとりあげられ罰にあったのだという心無い噂話に怒ることだったり。それぞれに一本の芝居になりそうな断片なのです。

久々に実家に戻る女を演じたオニムラルミはちょっと情けなく親しみやすい造型で物語を展開。イケメンの代行業の男を演じた寺川長はマルチというバイトをしていたのにいろいろ背負い込んでしまういい人な感じ。年上の代行業の男を演じた高松良成は飄々として、しかし売れないまま年齢を重ねた役者の負い目、あるいはピンサロの話への怒りの人間臭さも良い味わいなのです。残された若い妻を演じた、はまもとゆうかのエキセントリックな造型だけれど、可愛らしく目が離せない魅力。作演を兼ねる池田美樹の軽やかになたたずまいが安心感。

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【芝居】「あるサラリーマンの死」タテヨコ企画

2018.3.14 19:30 [CoRich]

18日までGaleri KATAK・KATAK。そのあと大阪。100分。

初老の夫婦が二人で暮らす家。会社員の夫は貢献したのに遠い職場にされたことが不満。妻がわりと浪費していることを支えている。近所には高校生で出産した娘とその夫と年頃に成長した孫娘が住んでいて日頃から行き来がある。
家出ばかりしていた息子が久し振りに家に戻ってきていて、父親ははそれがちょっと不満だ。

「セールスマンの死」(wikipedia)を種にしつつ、昭和から平成の時代、ある家庭の親と子供たちの物語。

だいぶ前にここでの公演をしていた経堂のギャラリー、改装したよう。外に向いた大きなガラスから外のアプローチを庭に見立て、その外側の塀や道を歩く人も見えて借景に。奥にぎっちり客席だけれど高低差はあって見やすいように思います。家のリビングと庭という物語の設定にぴったりと合う場所なのです。

子供二人を育て、今は二人で暮らす初老の夫婦、妻は卓球だ海外だと浮かれているけれど自分は遠い職場まで満員電車に揺られる日々のつらさ、貢献してきたはずの会社の扱いもわりと冷たくて不満の溜まる夫、飄々と日々を楽しむ妻、近所の娘夫婦と孫との行き来の安定、そこに戻ってきた忘れていたはずの長男がふらりと戻るが無職のまま、が物語を動かす原動力。

会社員として勤め上げることこそが善と信じる夫、定年は過ぎて辛いといいながらも金は必要で、という序盤。無理して買った住宅ローンということはあるけれど、そこまでして遊んでいる妻を支えようというのは、かつて自分が単身赴任したときの浮気の後ろめたさ。息子は偶然それを目にしてしまうことで家を出ることが決定的になって、娘は若く妊娠してちょっとやんちゃな男と結婚してと波乱含みだったけれど、定年を過ぎる頃になって、徐々に家族の形になってくる少しハッピーなはなし。かつての浮気にしたって、妻はとっくにお見通しだけど、それを荒立てずに暮らしてきたのだとわかるスパイスもよいのです。

自分にとっては目標だった厳格な父親に対して、定年過ぎても今でも働いて辛い自分、あるいは思うように息子を育てられなかった自分。会社での貢献も認められないということを思い知らされる数日。その男に父親の亡霊が見えるようになってきたりするなかで、間違いはあったかもしれないけれど自分が生きてきたことが良かったと受け入れられるようになるという作家の優しい視線。

この物語の定年前後の世代と、その息子たちの世代のちょうどまんなかあたりの世代のワタシとしては、どちらにもどんぴしゃではないけれど、どちらとも程よく近く感じる世代。まあ子供が居たりはしないわけですが、わたしは。正しいとされる価値観がわりと均一で高度経済成長の時期をバリバリと働いた世代と、価値観が多様化してたとえば会社で働くばかりじゃなくてアルバイトが主でも漫画を書いてそれが認められているという一筋縄でいかない生き方の世代と。あるいはもっと厳格だった親の世代と。並行してあるいは対立させて、大きく動いた日本の三世代を濃密にしかし俯瞰してみせるようでもあるのです。

定年を超えて働く男を演じた西山竜一は苦悩する男の細やかな描き方が印象的。時にテンションでいわゆる宴会男の瞬間も面白い。妻を演じた舘智子は若い頃、現在の初老の鮮やかな切り替わりが見事。娘を演じた藤谷みき、きっちり母親というのは実はちょっとめずらしいかもしれないけれど、実にナチュラルにきっちり。家出していた男を演じた青木シシャモ、父親との距離感を掴みかねる造型がよいのです。厳格だった父を演じた、矢内文章きっちりとトラディショナルでしかもちょっとお洒落で品のいい紳士がカッコイイ。

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2018.03.28

【芝居】「地上10センチ」ガレキの太鼓

2018.3.11 18:00 [CoRich]

18日までアゴラ劇場。90分。

健康診断で病気が見つかり、余命五年と宣言された男。いままでのぱっとしない人生、自分が主役の葬式ぐらいは参列者を感動させてみんなの印象に残りたいと考え、何もかも取っ払って斬新な葬式を開きたいと葬儀屋に相談する。

序盤では友人の葬式という身近さからスタートして、全然見送る人のいない葬式で健気に独り喪主を務める女子高生にいたたまれない気持ちになるという体験を起点に、限られた余命を知った男、自分の葬式について想いを馳せるという物足りの骨格。

妻や兄弟たち、友人たちや葬儀屋までも巻き込んで、「斬新でどこにもない新しい」葬式で、参列者を感動させたいという気持ちの暴走。葬儀屋が語るそれぞれの儀式の意味を小ネタ的に挟みながら、「斬新な」とは何かを考えているよう。もしかしたら、これは別に葬式に限った話しなのではなくて、芝居という芸術だったり、小説とかだったりが、承認欲求や自己顕示欲として発露したもので、クリエータ誰もが、世界のどこにもない新しいものを作り出してみたいと考えることとの相似形に見えてくるアタシです。

伝統的な葬儀の型が持つ安心感に収束しがちなのは、芸術だって過去を踏まえたものの安心感の相似なのかと思ったりもします。今作はその収束と斬新の行き来の苦しさを作家が思考実験するよう。頭の中で解決しきらず、要素を全部並べて人を動かし眺めて考えているような雰囲気を感じるのです。それは悪いことではありませんが、その過程の苦しさをそのまま出したような感じはあって、一生懸命にそれぞれのアイテムや行われることに意味を真剣に考えて付けているけれど、結果的には、そう斬新とも云えない葬式で、単なる乱痴気騒ぎな感じにもなっていて、終幕事故で死んだ弟は伝統的な葬式のままだったりもして、そういう意味では葬儀は、そうそう一足飛びに斬新な感動なんてものは生まれにくい

役者はそれぞれが複数の役を演じます。 葬儀屋を演じた日比野線は戸惑いがあっても元気で前向きな男を好演、印象に残ります。 死期が近い男の元カノを演じた小瀧万梨子は、男の妄想の中の理想、さっぱりとフラットな関係のままでいようとする強い意志が格好良く、なにより妄想をもたれ続けるということに対しての説得力が圧倒なのです。

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2018.03.25

【芝居】「何しても不謹慎」箱庭円舞曲

2018.3.11 14:00 [CoRich]

13日まで駅前劇場。

東北の町内、商工会館の会議室。正月七日に開かれている七日市実行委員会の月例会議。今年は委員会メンバーの若返りが図られ、3月の会議では盛り上がらない祭りを止めようという話でまとまりかけるが、翌月の会議を経ていつのまにか開催が前提で話が進んでいる。気が進まない担当者や嫌な思いをする人がいるなら開催すべきではないと強硬に主張するメンバーがいたりもする。
大きな被害はないものの、近くの山が噴火し噴石に当たったメンバーが死んでしまったりもしている。開催可否が紛糾し全町民へのアンケートを実施するまでになるが、その結果も賛否僅差で、賛成のまま進もうとする

きっちり格好いい仕事の現場を描くことが多い (1, 2, 3) 作家ですが、今作はちょっと雰囲気が違います。小さな町、イベントの実行委員会の人々、盛り上がるでもなく、止めるという決議もあっさり覆ったり、ぐだぐだに踊る会議。ごく小さいコミュニティの中だから会議の議題だけではなくて、日々の生活にも密着していて、不倫を疑われたり、あるいはみんなが知ってる女癖の悪さだったり。そこに外部から引っ越してきた人もまた、ゆるやかにその場所で生きていくために変化していったり。

序盤ではそのイベント自体を無くすと言う結論だったはずなのに、 だらだらとした会議を何回か繰り返すうち、結論がひっくり返ったり、噴火によって被害を被ったりと状況は徐々に変化して。貸したくない駐車場も貸すことになったり、終幕ではほぼ前回と何も変わらないだろうイベントが行われる当日、不思議と連帯感と達成感は得られたり。きっと来年もまたこんな感じなんだろうなと思わせます。

青年団の名作「忠臣蔵」( 1, 2, 3, 4, 5)で描かれるような ゆるやかな合意形成の日本人っぽさが目立つけれど、小さな町ゆえの 噴火や高齢化に伴って店を閉じたりコミュニティが縮小していくということと言う点では 「未開の議場」(1)や 「そして怒濤の伏線回収」(1) にも出てくるような要素も多く散りばめられます。 それは痴呆が入ってもう刃物を持たせられなくなった美容師の母親のことであったり、 引っ越してきてお洒落なドーナツ屋を始めたけれど迷走してトンカツ屋になったり、あるいは この小さな町の中でのバイセクシャルの存在感など、硬軟取り混ぜたアイテムが興味深いのです。

進まない会議の幹になっているのは、人々の意見をすべてくむことはできないし、聞いて気にしていたら何も進まない。ある意志をもって、他の要素も多すぎる。かといって、少数意見をばっさり切り捨てるほどには大きくないコミュニティ。そういう中でどう合意形成するか、あるいは合意形成のためにどこまで人々がバックグランドやルールを共有できているかということだったりもして、自分に引き入れて考えると実際の処、ワタシだって変わらないなぁと思ったりするのです。これが正しいという啓蒙でもないのが、ワタシの視線と同じ高さにあるよう。

母親の美容院を閉めることを決めた独身の娘を演じた辻沢綾香は実に現実の生活を送っている、という説得力のある造型。鷹揚だけれどちょっと偉そうな米屋を演じた久保貫太郎はオヤジっぽさが楽しい。 口調がイラッとするけれど父親を単身介護してるという一面もあったりする若者を演じた佐藤修作の口調の苛つかせかたがちょっとすごい。独身でモテる商工会職員を演じた若狭勝也は、その爽やかさと裏腹の女癖の悪さがヤケに説得力だったりもするのです。その相手の女を演じた藤田直美の華やかさも印象的。

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2018.03.21

【イベント】「ポイズン・グローリアス」(月いちリーディング / 18年3月)

2018.3.10 18:00 [CoRich]

神奈川県立青少年センター。本編90分。とディスカッション、全体で180分ほど。

金のない人々に仕事やすみかを提供し、常連客となったスナックに集まる人々。常連客が大雨で死に、風邪薬の大量投与で毒殺される。二人ともスナックの女性従業員との偽装結婚をしていて殺人の疑いがかかるオーナーは、入場料をとる有料の記者会見を繰り返している。
新たな訪れた若い男は間違って迷い込んだが、天涯孤独だという男を、自分も孤児だといい、迷い入れる。

どこか既視感があるなぁと思っていたら、本庄保険金殺人事件(wikipedia)を題材に。だめだめな常連客(オーナーを追及する記者を兼ねる)、豪快な親分肌のオーナー、内縁の妻であるママ、偽装結婚をくりかえすフィリピン人従業員が登場して描かれる物語。ディスカッションでも語られたけれど、外部からの視点となるのは、訪れた若者という構図。

金のためなのか快楽のためなのか、あるいは孤児という過去に起因して世を恨んでなのかはわからないけれど、ディスカッションが進むうち、作家によれば元々はここにオーナーの母親の物語があったものをあっさり削ったのだといいます。作家によれば、何かの理由によって月雨後かあれるのではなく、一人の男が残虐を重ねるうちに自分を突き動かしてるものが「無」なのだと気づくということを描きたかったのだといいます。 帰宅困難地域にある孤児院の墓碑銘とか、ホステスと関係を持とうとするオーナーなど、サスペンスっぽい断片はあるけれど、それが物語という形に結実しないと感じていたけれど、この作家がいう「無」を描きたいのだということなのだということには気づかず。一点だけそれを匂わせるけれど、どちらかという全体の雰囲気はサスペンスなのです。

このイベントは観客と作り手たちのディスカッションによって戯曲をブラッシュアップする前提で行われているというのが前提だけれど、それが必ずしもうまく機能しないこともあるのです。それは質疑があまり通じないことが起きたりとさまざまだけれど、今回に関してはあまりうまくいってない感じがあります。作家には明確に書きたいものがあって、それを一人で思い悩むのが楽しいのだろうな、と思わせる感じ、なのはまあ私の感想ですが。

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【芝居】「ゴミくずちゃん可愛い」ぬいぐるみハンター

2018.3.4 17:00 [CoRich]

4月から芸術監督となる池亀三太の2012年初演作を王子・飛鳥山公園にある飛鳥山野外舞台で二日だけ夕暮れ時に上演。90分。4日まで。

ゴミ捨て場のような場所で生きる人々の物語、どこからか流れ着いたり、ここで生まれたり。戦場カメラマンが降ってきたり、座り込みしていた大企業の社長など、ごみくずのような場所で強く生きる人々の物語。 物語としては初演とあまり変わらない印象、それよりも場所の違いによって見え方がずいぶん変わることに驚くワタシです。

前日までは寒く、翌日は夕方から大雨の狭間、ちょっと肌寒いぐらいの奇跡的な夕方。日暮れの時間帯にあわせて変わっていく空を借景に。マイクを使っているとはいえ、声は拡散し私が座ったやや後方の席からは遠く、こじんまりとした箱庭を眺めているよう。 オープンスペースゆえに空間を制圧するという形にはならないし、「ゴミ溜めのような場所」でもなく夕暮れという時間を描くわけでもないので、物語の雰囲気に対して場所があまりプラスに働いていないというのは痛し痒しではあります。

それもこれも、初演時を覚えてない割には、なんかあの濃密さが好きだったのだなぁと思い返すのです。芝居の記憶がわりとザルなワタシですが、自分のblogを読み返してみるとところどころ思い出したりするってことは、あの王子の空間がわりとワタシに印象的だったということだなと思い起こしたりするのです。

カメラマンを演じた安藤理樹の戸惑う感じ、見守り続ける立場の安定感。宍泥美の格好良さにしびれます。

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2018.03.17

【芝居】「彼の地Ⅱ」北九州芸術劇場P

2018.3.4 13:30 [CoRich]

北九州芸術劇場のプロデュースとして再演もされた桑原裕子作演の土地を描くシリーズ、新たな物語。 (1, 2 ) 北九州のあと、4日まで、あうるすぽっと。このあと豊橋。145分。

北九州の町。数年ぶりに戻ってきた女。スナックで働いていた母親は借金も多く、兄弟や近所の子供たちと片寄せあって一緒に住んでいたが、町を出ていた。出迎えにくるはずの兄弟とは会えず財布をなくしてしまう。
この町を初めて訪れた男は女の財布を間違って持って去ってしまうが、その女が指定したうどん屋にそれを届ける。この町には製鉄所で働くために家を探しに来た。
製鉄所で働く兄弟は競い合う。口は悪い。職場のマドンナにあこがれているが彼女は上海への赴任が決まり喜んでいて、若い女性が減ると職場のたくさんの男たち落胆している。
殺人の罪をかぶり出所した男は兄に会うが、刑務所に入るときに渡したはずの大金も実家も失っている。兄はその殺された男の妻に金を渡し続けていた。その女は観光ガイドとして働いている。
東京の男が出張のついでに醤油工場で働く友達を訪ねてくる。この町のくすんだ感じが我慢できないと云うが、実は彼も逃げてきている。 その友達は東京の男のことがまぶしく、義足の女と働いている。この土地のことを自慢したくてしょうがない。
船着き場で働く女は向こう岸で働く恋人となかなかあえない日々が寂しい。
閉園したスペースワールドでアルバイトして居た女子高生はそのショックが癒えないままの日々を暮らしうどん屋でアルバイトしている。うどん屋に訪れた警備員の格好をした客がスペースワールドで人気だったキャラクタのアクターだったことに気づく。そのアクターは月の石とコスチュームを返す決心をする。

北九州を舞台に群像として描く物語。 物語として語られる人々はこれまでの二本とは全面的に変えていますが、市井の人々を描くというフォーマットはそのままです。そこには幸せや焦りや一生懸命が濃密に詰め込まれているのです。 炭坑や製鉄所で働く男たちの荒っぽい雰囲気、この町を出て行きたい若者もあるいここでずっと暮らしていくことを疑いもしない人々と。炭坑亡きあと寂れつつある町にあった、大きな遊園地が閉園したことを物語の骨格に。

多くの登場人物、行き交いあう人々、群像としてしか描く人々の生活と想いの数々。複雑に積み上げ組み合わせた話は、ストーリーラインに沿った一本の道ではなく、「そういう空気感の時代と場所」の点描を無数に連ねて奥行きを描く手法なのです。小さなストーリーが細かく刻まれるので、(ここまでのシリーズと同様)ちょいと複雑にすぎる感じはするのだけれど、その場所に作演が滞在しその場所に住む人々と作り上げる世界の深さはこれまで同様、しっかりとしているのです。

これまでの「彼の地」と同じフォーマットではあるけれど、それはKAKUTAにとってのエポックだった浅草・花やしきでの公演「ムーンライトコースター」もまた、いくつもの人々の物語と想いが交錯して描かれる話で、作家・桑原裕子の描く世界のもっとも得意なものの原点がここなのだ、と今さらに思い返すアタシなのです。

東京から訪ねてきた男を演じた竜史のいけすかない感じとその内側の鬱屈、おっちょこちょいで人なつっこい男その実引っ越してくるエンジニアを演じた岡田一博のコミカルさ奥行きが印象的なのです。(実は当日パンフをみても役名が覚えられないアタシには役者がはっきりしないので間違ってるかも知れないけれど)、出所した男と迎える男の軽妙な会話が楽しく、演じた金子浩一と上瀧征宏は、やらかしてることの重みに説得力。船着き場で働く女を演じた矢田未来は元気良さ、健気な感じも可愛らしい。東京から来た男を演じた竜史の拗らせた感じ、マドンナを演じた多田香織はキャリアな雰囲気を纏うのはちょっとめずらしい。戻ってきた女を演じた高野由紀子はこの群像劇の中でしっかりと背骨になるように、この地域のことを包含し背負う役どころだけれど、きちんとそれに応えています。女子高生を演じた吉田紗也美の伸び伸びと潑剌としたパワーと怖い物のない雰囲気はこの年代をきちんと演じていて楽しい。

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2018.03.15

【芝居】「今度は背中が腫れている」あひるなんちゃら

2018.2.25 13:00 [CoRich]

5日まで駅前劇場。80分。

会社の休憩室。 中堅の男子社員、本人は気づかないが突然背中が大きく腫れている。医者に行くように勧めるが、自分が休んだら会社が回らないと思っていてそれを渋っている。出世に出遅れている同期の男は自分の背中も腫れれば出世するんじゃないかと思っている。
背中が腫れる症状、医者は悪い病気ではないし感染しないというが、会社の中の他の人々にも同じ症状が現れるが、他の人々は少し休むだけであっさり治ったりするが、最初の男は頑として休む気はない。なんせ自分は凄い伝説の男なので休むと会社は回らない、という。

会社の休憩室に入れ替わり立ち替わりな人々の2,3人ぐらいの会話で進む物語。 突発的に背中が腫れるという出来事をきっかけに、会社で働いてそこで役にたっていることがほぼ唯一のアイデンティティな男、周囲の状況から休めば治ることが判ってもそれが変わらず、周りを貶めたりはしないけれど、そこまで優秀じゃないのに本人はいろんなことが自分の手柄だと信じて吹聴して、まわりはちょっと揶揄したりはしてもそこまで強くは指摘しないぐらいに、齟齬がそのままずっと続いているということの、ゆるさと不幸と。

何かを訴えたりが趣旨の芝居ではないけれど、ネットで言われがちな「自分は有能で休んだら会社はすぐに立ち行かなくなる」という自信。 上演期間中は、いわゆる「働かせ放題」法案の時期でどこか絶妙にリンクして感じてしまったアタシです。

3-4人程度の会話がつながる構成で、女たち3人の会話、今作に限らず好きなフォーマットなのだけど、わりと趣味も仕事に対する姿勢もバラバラで、おそらくはいつでも一緒というべたべたした感じではなくて、どこの気が合うのか傍目にはわからないけれど、程良い距離感で信頼している人々の会話が実に楽しい。

とはいえ、そんな会社があるかもしれない、そういう人が居るかもしれないこと、働きすぎとか会社のなかでのんびりな雰囲気ということなど、コミカルで誇張があっても、やけに説得力をもってぎゅっと箱庭のように現実にリンクした世界を描く確かな作家の力なのです。

背中が腫れ続けた男を演じた根津茂尚は、根拠なくフラットに自信を持つ男がやけに説得力。切れ気味につっこむ男を演じた堀靖明は得意技なキャラクタの安心感。 何にでも噛みつきがちな女を演じたワタナベミノリ、ぼんやりに見えて実は仕事はできる女を演じた田代尚子のずれっぱなし会話が楽しく、それを困り顔で包み込む石澤美和の安定感。 若い男を演じた澤原剛生、微妙に身体も視線もぎこちないけれど目が離せなくて、青山円形に突如現れたナイロン100℃大倉孝二を思い出す私です。その男と絡む女を演じた宮本奈津美は、笑顔と愛嬌で男たちに混じって人気があるという感じの説得力、やけにかわいらしい。

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2018.03.11

【芝居】「人魚 〜死せる花嫁〜」

2018.2.25 18:00 [CoRich]

海辺の村、廃仏毀釈の時代。長期にわたりやまない嵐をおさめるために続けられている人身供養の犠牲となったのは父親が犯した罪を理由に海に投げ入れられようとする女だった。恋仲の男はそれをくい止めることができなかったが、女のことが忘れられず、再び三ヶ月後に猛威を振るった嵐で打ち上げられた死体を恋している女だと確信する。寺に伝わる書物をもとに、木材や綿、鑞をを使って死体を蘇生し、恋人を永遠に自分のものにしようとする。

当日パンフにあるカール・フォン・コーゼルを調べてみると愛するあまり墓から掘り出した女の死体をエンバーミングを繰り返した男の実話。その物語に着想を得たような、愛情故に常軌を逸した行動に走った男の物語を核に、人魚の肉の浮浪節伝説や廃仏毀釈の時代背景で、人身供養が続けられた漁村の人々を描きます。

その村で培われたローカルの伝承の伝統。孤児だったり「つかいものにならない」とされた女を間引くように人身供養する決まりだけれど、有力者は、知恵遅れとされた娘を人身供養から避けようとするなど、人々のパワーバランスによって恣意的に使われている感じで、まあ、それを今時のニュースと重ね合わせて読み解くのはちょっと無理があるかという気もしつつ、重ねてしまうアタシです。

正直に言えば、ワタシにとってはわりと物語が一本道、確かに純愛だということはわかるけれど、この物語にどう向き合えばいいか戸惑います。演劇祭期間中限定で開設されているラウンジに初訪問してみると、そこの観客、とくに女性客からは貫かれ繰り返される純愛の物語だということこそを評価する声もあったりして、なるほどそう感じるのかと思ったりもするワタシです。

ヒールをほぼ一人で背負った実力者を演じた島田雅之、悪の化身のようだけれど娘を全力で守る落差の造形。住職を演じた鈴木利典は声質が本当によくて、役に対する説得力が圧倒的で印象に残ります。

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2018.03.09

【芝居】「ゴスン」KIMYO

2018.2.25 16:00 [CoRich]

実在した脱獄魔・五寸釘寅吉(wikipedia)の評伝劇。 25日まで王子スタジオ1、75分。そのあと愛知。ワタシは劇団初見です。

伝説の脱獄囚が晩年、その脱獄の経験を語り継ぐ。 西川寅吉は幼い頃、ばくちで叔父を失った。賭場の親分を恨みに思い、 妻子が居るが、脱獄を繰り返して本懐を遂げようとする。

舞台を挟み対面の客席。ほぼ素舞台、和服、ふんどし姿の役者たちが語る評伝劇。事実は小説よりも奇なり、物語にしちゃできすぎぐらいの話しを、軽やかにときに講談仕立てで親分肌で堀の中にも味方がいっぱい居たりして、人間臭い人物像を描くのです。

殺された叔父の恨みを果たすために脱獄を繰り返し、逃げるためとはいえ義賊っぽいところもあったり、そのうえ五寸釘を踏み抜いたまま十数キロ逃げたという伝説など、そもそも世間の評判になっている時点での脚色も混じっていそうだけれど、ヒーローのように扱われていたということが見えてくるのです。

男臭い脱獄囚を女優が演じ、妻を男性の俳優が演じるます。その逆転が虚構な感じで、講談のような楽しさとリズムの一端を作っているようにおもうのです。 ロビーの作れない構造の劇場、開場時間中にアクティングスペースでチケットを売り、まわりで前説っぽく威勢のいい声で盛り上げます。小さい空間で、キレのいい語り口の雰囲気には良く合っていて、どこか大衆演劇の香りもして楽しいのです。

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2018.03.07

【芝居】「疫病神」ピヨピヨレボリューション

2018.2.25 13:00 [CoRich]

25日まで北とぴあ・つつじホール。105分+終演後にイベント。

可愛らしくうまれ、ハッピーに生きてきた。演劇をすることが好きでも最初の劇団はいろいろあって抜けることになったけど、新しい仲間と立ち上げた劇団は楽しいし、少しずつ手応えは感じてる。
酒を飲むのが好きで暴れて記憶をなくしたり、認めてくれなくて寂しい気持ちになったりするけれど、まわりのみんなは優しい、でも、寂しかったりする気持ちはどんどん溢れて、自分の心の中に「疫病神」を見つけてしまう。

可愛く生まれ幸せに生きてきた女、今は幸せだけれど、心の中にあるどす黒いものの存在に目をつむってきた女。それは酔っぱっていたり他人への承認欲求だったりという形で噴出し、その結果、精神科の診療を受けると決めたことで見えてくること。

治療だったり、その「疫病神」を退治しようというのではなくて、そういう種があり、そういう形で表出するということを自覚して、うまくつきあっていこうという物語は、エンタメの爽快さは抑えてでも、こういう心のことを誠実に描こうという作家・右手愛美のまっすぐな視線。

そのどす黒さのきっかけとなったのは、古巣の劇団で今は売れっ子の脚本家、腕はいいけれど女癖がわるくて、その毒牙にかかったこと。昨今、あちこちで見えてきている #meTooな社会の流れを取り込んだ形にもなっています。

このあたり、小劇場の演劇界隈でも無縁ではないということが(ワタシが男だし、一見の客だから気がつかなくて)最近になって露見してきたことでもあって、わりと自然にしかし緻密に組み立てられています。可愛らしいことが武器になる女優という役割を基準に、かつて所属していた劇団、その嫌な思いをしかけてきた男の作家は今では売れっ子になっていて、そこから飛び出した自分がやっているのは全力だけれど売れているかどうかでいれば見劣りしている劣等感。 それよりも彼女を傷つけるのは、元の劇団に未だ残っている女性の演出家なのです。作家がそういうことをしていたことを知っているのに、そこで食っていけるから、自分にはたまたまふりかからなかったから、その毒牙にかかる女たちを見て見ぬ振り、つまり見捨ててしまうのです。誰かの実体験なのかまったくの創作なのかワタシは知る由はないけれど、やけに説得力のある構図なのです。それは今年の米・アカデミー賞の少々オーバーなほどの雰囲気にも近い物語なのです

作家を兼ね、パリピから病的なところまでのフルスイングな右手愛美はきっちり主演を。医師を演じた渡邊安理、人を安心させるような声の説得力が役に良く合っていて。名前がちゃんとわからないけれど、ドラアグクイーンの役者はわりと外形的ではあるけれど、きっちりパワフルで相談できる幼なじみという細やかさも。「疫病神」のチームの男性の俳優もまたパワフル。

しかし、あの北とぴあ、上層階の眺めのいい部屋は会議室な雰囲気だったけれど、下層階にあるホール、こんなにもきっちり劇場だとは、ずいぶん王子に通ってるけれど気付かなかったアタシです。客席でちょいと気を遣いつつ、劇団グッズのシャツを着て、ペンライト(色が変わる、しかも劇団オリジナル)を控えめに振る前方ブロックの観客が微笑ましい。

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2018.03.05

【芝居】「ひかりのおもさ」ユニークポイント

2018.2.24 19:00 [CoRich]

ユニークポイントが静岡県・藤枝市に移住し、開設した白子ノ劇場のこけら落とし公演。2月24日まで。70分。

クリスマスイブのリビング、仕事ばかりで家庭を省みなかった夫と、子供ができてから専業主婦だった妻。娘は成長し家を出ている。新幹線で恋人を連れて挨拶にくるというのを待っている。 警察に勤め、日々の犯罪に向き合う中で外国人が急激に増えることに懸念を持つ夫は、娘の恋人が在日韓国人と聞き動揺する。ずっと働きすぎを心配していた妻だが、定年を前に仕事を辞めのんびり暮らしたいと言い出す夫に妻は戸惑う。仕事を始めたばかりで休んで長期の旅行にはあまり乗り気ではない。
雨は激しくなってくる。夫は酒を飲んでしまった。妻は車で娘を迎えにいくことにする。

娘が上京し夫婦二人で暮らしている家。仕事ばかりで家庭を顧みることがなかった夫と、子供ができてからは専業主婦だった妻。夫の定年が近づいたこと、妻が仕事を始めたことが重なり、子供が居なくなったことが確定した二人のこれからの生活が大きく変化する兆しを見せる夜。長く暮らしていた夫婦で互いが考えていることが見え隠れする風景。

一つは恋人を連れてくる娘。在日で帰化しないこと、あるいは生活保護の受給割合が高いことなど(警察官らしいといえばそれらしい)、ちょいと右よりなイデオロギーとの戸惑い吐露する夫。ヘイトや排斥こそしないけれど、その戸惑いをそのままフラットに描くのはいわゆる小劇場の領域ではちょっとめずらしい気もして戸惑いますが、一人の人間が生きてきたそのままを描くということかもしれません。

妻の提案で、ろうそくの火を挟んで互いに秘密を打ち明けるということをするけれど、なにか大きな盛り上がりをするでもなく、しかし夫は仕事を辞め旅行でも行きたいと打ち明け、妻は始めたばかりの仕事でそれにはあまり乗り気でないことが明確になります。定年近くなって見えてくる、時々悩み相談みたいなものが見え隠れする風景。 熱中していた仕事から離れていざ何をしたらいいか判らない男と、そんな夫だけに期待することはとっくにあきらめて、自分なりの世界をつくりはじめている妻とのズレ。ワタシの年齢のせいか、ごく自然に、しかしずんと重みをもって描かれるのです。

【ネタバレ】===========

酒を呑んで運転ができない夫、雨の中、妻が慣れない運転で迎えに行くことになって、普段だったら夫が助手席に同乗するのにそれをしなかったこと。終幕近くになり、ここまでの夫婦の会話は、娘の恋人が初めて訪れる晩の回想であることが明かされます。どうやら娘が孫を連れてきたと思われる台詞があって、孫が生まれてはいるけれど、妻は亡くなっていて、男が一人で暮らし続けていることがわかるのです。

定年が近づきこれから夫婦の時間を、と半ば勝手に夢想していた男、ズレが生じそれをすり合わせるという過程を経ることもなく亡くなった妻。声高に嘆いたりはしないけれど、数年経ってもなお、その晩のことをきっと繰り返し、一人思い出していることの男の受けた傷の深さを感じるのです。

ラストシーン、一人舞台に残る男。その娘や孫は声だけで、すのこのように隙間の空いた壁の向こう側。強く照らされた照明の方からの声。それはもうちょっと自分には眩しすぎて見える娘や孫の未来だけれど、そこから取り残されたような男の心のコントラストが見えるようなのです。 定年というわけではないけれど、もしかしたらこの劇団の移住にともなって主宰の作家が妻との間でもしかしたら交わしたかも知れない、何かのズレのようなものが色濃く抽出されているのかなと思ったり、思わなかったりなのです。

劇場の場所は静岡駅や藤枝駅からは少々遠く、最寄りの藤枝駅からでも徒歩では40分弱、むしろクルマでの移動に便利なバイパスの方が近く、しかしこの場所自体は商店街の一角。夜の訪問だったけど、こんどはもう少し早い時間にちょっと立ち寄ってみたい感じでもあるのです。

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2018.03.02

【芝居】「このBARを教会だと思ってる」MU

2018.2.13 19:30 [CoRich]

26日まで駅前劇場。105分

酒場の静かなバー、マスターが一人。 ・バーで姉に結婚資金を無心している妹。金を貸す気持ちに傾いた姉だったが、妹の友人が近づき、金を貸さないように頼む。結婚資金というよりは、元カノ写真を残していたことに怒り婚約者の浮気を疑い探偵に金をつぎ込んでいるのだという。「【第1章】妹の救済」
・帽子作家を夢見る小動物系女子のアルバイトを目当てに集まり帰宅拒否と嘯く常連客四人。それぞれに帽子をプレゼントされるが、そこに差があったり悲喜こもごも。しかしそのアルバイト女子は店を辞めることをマスターに託した手紙で常連客に伝える。「【第2章】帰宅拒否組」
・マスターが客の話を聞く告解が評判になり店は繁盛している。同じビルの上の階にあるガールズバーはハロウィンで盛り上がり、そのコスチュームのままのキャストたちが盛り上がって告解したいと店を訪れる。ガールズバーで新人の女は盛り上がりすぎて倒れ困ったママは便利屋に頼んでその女をこのバーに連れてくる。それは婚約者を疑い続けているあの女だった。「【第3章】現実じゃない方」
・婚約している女と姉が再び店に居る。婚約者を疑って捨てた蝶の標本をマスターが用意して、もう一人が訪れるのを待っている「【第4章】秘密を以て秘密を制す」

カウンターとソファーのシンプルなダイニングバー。物静かなマスターはギターを弾く妻を支えるためにこの店をやっていて、がつがつと稼ぐ気はない。そのバーに訪れる人々を三つのステージで描きます。

「妹〜」は結婚を決意したのに婚約者を信じられない妹、浮気調査につぎ込み、その背景を姉に伝えた友人というのがその浮気相手。この物語の流れがどの短編にも組み込まれていて、繁華街の便利屋の男がその浮気調査を請け負うことで距離をぐんと縮めていたり、その女がガールズバーで常連客の人気となり盛り上がりすぎて倒れたり、元の鞘に戻れるようにマスターがいろいろと暗躍したりと全体の背骨をなすのです。 不器用で不安定でどうしても振り切ってしまう婚約者の女、それを見守る大人の男であるマスター。何をするわけではないし、少なくとも芝居の上では直接の会話だってほとんどないけど、見守り陰で助けようという心意気が全編を紡ぐのです。

「〜拒否組」は癒し系な可愛らしい系の女と盛り上がる常連客、プレゼントのアンバランスに一喜一憂したり、互いに牽制し遭ったりしたり。一人の女を巡りそれぞれの男たちが好かれたいし、しかし自分が一番になりたい気持ち。妻子持ちでも、なんかその男たちのコミュニティの中で盛り上がってしまうこと。 女子が少ないコミュニティの中ではどうしてもありがちな姫の存在の問題は古今東西、その距離感のある種の気持ち悪さだったり、でもそのただ中であればそれに流されちゃうというのもなんかわかる感じ。その手のがっつく男たちの造型がちょっと若さを感じたりもするのです。

白眉なのは、その去ったはずの女が再び戻り、ちやほやはされて別れを切り出したのは自分だけど、その中に本当の愛はあったのかを知りたい気持ち、そのちょっと捻れた心持ちはなんかとても人間くさくて、このワンシーンでぐっと奥行きを感じさせるのです。

「現実〜」はさまざまなハロウィンコスプレの女たちで賑やかに。主婦や学生、漫画家などそれぞれの日常はちょっと地味だけれど、ちやほやされて現実とは違う仮初めの姿でいることで違う自分が見えてくる楽しさというか。そういうことを女たちがするガールズバーという場所を守る気持ちに溢れるママ自身は若い便利屋の男への恋心に拘泥し身を焦がすのです。

「秘密〜」は婚約者を疑っていた女、しかしその関係を修復させる場をつくろうというマスター。これもまたバーという交錯する場の「機能」なのです。ラストシーン、外でたばこを吸うマスターが軽く会釈するだけなのだけど、待ち人来る、という希望を感じさせるさわやかな幕切れなのです。

マスターを演じた成川知也は、口数少なくそこに居るだけでも絵になる長身、ちょっとシャイな感じもよく合っています。婚約者を演じた福永マリカ、ワタシは鵺的まわりの怖い感じの役ばかり観ているけれど、この普通に可愛らしい笑顔も今さらワタシにとっての新たな魅力。姉を演じた古市みみは、離婚して一人で生きる決意、しかし妹を心配する気持ちもきっちり。常連客の一人を演じた橋本恵一郎のちょっとカッコイイ感じも楽しい。ガールズバーの地獄ナースコスプレを演じた真嶋一歌は男気溢れる造型でカッコイイのです。

当日パンフ、セルフライナーノートがないのは残念だけど、役名と役者名、それぞれのキャラクターを短く説明している配役表がアタシにはありがたいのです。

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