【芝居】「白象」ヤリナゲ
2017.12.24 14:00 [CoRich]
「試験」と題して物語になる以前の「問い」を提出する企画の一回目。24日まで十色庵。50分。
自分は(作家の)越ではなく、浅見だがと名乗る男が箱に入れられ拘束されている。演劇をしている自分は、演劇をすることが社会の役に立つということをいわなければならない。あるいは知的障害者に間違われる自分は健常者でありたいと願ってしまう。
当日パンフによれば、障害者施設での殺害事件を思考の起点に、英語の「白象」が「役に立たないもの」(wikipedia)という意味を持つこと、演劇はそもそも役に立つのかどうか、役に立たないとしたら存在してもよいものかを自問自答するように進みます。
拘束される男、あるいは部屋で一人居る女はどちらも作家である越を名乗り、思いを巡らせています。時に劇団の仲間が誘いに来て閉じこもる作家を連れ出して公園ではしゃぐシーンが挟まったりします。さまざまな思索を続けるけれど、それは結論どころかそれらしいものを提示するでもなく、シーンはあっても物語までには居たって折らず、まさに「問い」を提示するのです。
短い時間のおかげもあるし、箱の拘束やら公園のボートではしゃぐシーンなど、いくつかコミカルだったりもするシーンを巧みに折り込んでいることもあって、物語がないわりには、アタシにしては思いのほかずっとテンションを保ったまま観続けられるのです。生存していいかどうかは社会に対して役に立つかどうかで決めていいか、という問いに対して繰り返し思索を巡らせている姿を、あえて違う役者が演じる「つくりもの」と見せていることも、ワタシにとっては面白いところ。
正直にいえば、これは芝居なのか、あるいはこれをどう捉えて自分の中にとりこめばいいのかまだ決められずにいるし、たぶん決められない気がします。取り上げてられている題材そのものに対するワタシの考えもそうだし、こういう三人で濃密に語るというスタイルについても、ワタシのどこかにひっかかる、という舞台なのです。
拘束されている男を演じた浅見臣樹はほぼ表情と声色だけでコミカルも真剣さも語り尽くす確かなちから。部屋に籠もる作家を演じた三澤さきは部屋着のような感じなのにやけに絵になるし、訪ねてくる男を演じた越寛生とのボートではしゃぐシーンがどこかBLっぽくもあってとても救われる感情をしっかりとワタシに刻みつけるのです。
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